小説 | ナノ


▼ 05





「義勇さん、ずっと誰かのことを探していませんか」



その言葉に、弾けるように顔を上げた。探し人など、そんな者は一人しかいない。ただ一人、今でも生きているのかそれすらも分からないというのに、齢の近い女を見かければ目で追い、甘い花のような香りが鼻を掠めれば振り返り、俺は未だに彼女を探し続けている。









「義勇、明日西の町に行くことになったわ」
「そうか」
「毎夜若い女性が行方不明になってるんですって。行方不明になった女性と一緒にいた人の話では、突然と姿を消したそうなの」
「鬼の仕業か…」
「えぇ、血気術を使うような鬼かもしれないし、調査も含めて数日は戻らないと思う」

「分かった」、そう頷くと彼女は目を細め、愛刀を見つめた。

「本当は今すぐにでも行きたいんだけど…」
「まだ痛むか?」
「ううん。もう痛くはないの。だけど、カナエからまだ許しを貰えなくて…。明日もう一度診察をしてもらうんだけど、明日の出発すら怪しい…」

悲痛な表情は、痛みによるものではなく、被害にあった人たちのことを考えてのものだろう。先日の任務で肋骨を2本折ったらしく、診察した蟲柱曰くその皮膚は赤黒く痛々しく変色し、粉砕するように折れた骨は息をするだけで肺を傷つける恐れがあり、安静が必要だと。暫く蝶屋敷で療養を行い昨日やっと戻ってきたばかりで、それは「安静」は不要だが何も無茶をしていいというわけではないというのに。もう次の任務に就こうとするその貪欲さが今は仇となっている気すらする。

「カナエも心配性よね。もう痛みもないし、全然動けるのに」
「まだ無理はしない方がいいんじゃないか」
「大丈夫よ。それに、今も困っている人がいるんだもの」

こうして彼女、ななしとの距離を感じるようになったのはいつからか。ずっと一緒にいた筈なのに、その遠くを見つめる瞳に、手の届かない存在に思えてしまうことがある。美しい艶のある髪に似つかわしくない、巻かれた腕の包帯や血の滲んだ羽織りはこの目に痛々しく映るばかりで。出来ることなら、ななしには「普通」の生活を送ってほしいという俺の願いなど、きっと彼女は望んでいない。笑っているのに泣いているような、そんな顔じゃなくてあの花の咲くような笑顔を見せてほしいと思うのは、我がままだろうか。同じ道を歩んできたのに、いつしかその道から彼女が逸れることを望んでいるのは、何故か。彼女も自分も、鬼を滅するためのこの道しか知らないというのに。それが俺たちの生きる道標だというのに、そんなことを望んでいる自分が自然と彼女との距離を作っているのかもしれない。

「義勇…?」

不安ばかりが募る俺の胸中など、きっと彼女は知らない。無意識に掴んだ腕に、小首を傾げるその身体を腕に閉じ込めれば、見た目よりもずっと細くて骨など簡単に折れてしまいそうで、その存在の儚さに抱きしめる腕の力を強めた。そうしないと、どこにかに行ってしまいそうだから。

「どこにも行くな…」
「どこにもって…、お風呂入って汗流さないと…」

思わずついて出た本音に、戸惑いながらも「どうしたの?」と髪を撫でる指先は、昔となに一つ変わらない。撫でられる度に不安に苛まれた心を安心させてくれる、あたたかで優しい指先はいつだって心地よいもの。少しずつ身体は満たされていくのに、どうしてかその中心だけは満たされることなく、まるで穴が空いたように冷たく痛む。

「もう遅いから、義勇も寝ましょう?」
「…分かった」

腕の力を緩めると、すんなり離れていく小さな身体。お前まで、いや、お前がいなくなったら俺は……。閉められた襖を前にただ佇むことしか出来なかった。








「もう行くのか?」

あれから一夜明け、まだ空がうっすらと白み始めたばかりの頃、ななしは出発の準備を始めていた。

「えぇ、蝶屋敷に行って許可をもらったらそのまま西の町に向かうわ」
「…そうか」
「義勇も今日は任務でしょ?頑張ってね」
「あぁ…」
「手、離してくれないと行けないよ?」

そんなこと、分かっている。でも、行かせたくない。一晩経ってもこのいい知れようのない不安は拭えず、掴む手に力を込めるとふわりと感じる髪を撫でる感触。そうやって、困ったように笑って窘められると、もう打つ手はない。引き止めたとしても、行くのだろう。

「戻ったら、義勇の好きな鮭大根、食べようね」



静謐な空気に満ちた白白明けを迎えたばかりの空を背に、出て行ったななしが帰ってくることは二度となかった。



「冨岡くん…、本当にななしのことは分からないの…」
「分からないとはどういうことだ。ななしは任務で増援を頼み、隠の者にここに運ばれたと聞いた。それがどうして突然いなくなるんだ!」
「ごめんなさい…私は何も…」
「ちょっと!!姉さんは分からないって何度も言ってるでしょう!?あんた、しつこいわよ!!」
「しのぶ…」
「ななしさんは療養中にも関わらずここから姿を消した。それ以上私たちが知ることは何もないのよ!いい加減その手、離しなさいよ!!」
「しのぶ…っ!待って、冨岡くん。ななしは数日前まで確かにここにいたわ。だけど、その傷は、鬼殺隊として戦線に立つことが難しいくらいに深い傷だった」

だけど、突然いなくなってしまって…唇を噛み、言葉を詰まらせた蟲柱は、小さくごめんなさいと漏らした。
話では任務で大怪我を負い、運ばれた蝶屋敷で療養中に消息を絶ったと聞いた。診療にあたっていた蟲柱に聞いても手掛かりは掴めず、あの日以来ななしの目撃情報もなく、もう既に死んでいるという噂も流れ始めていたが、それでも俺は探し続けた。
突然突きつけられた目の前の事実は、到底受け入れられる現実ではなかった。それから暫くして柱として昇格を命じられ、初めての招集で聞かされた事実に俺は耳を疑った。ななしは自分の意思で鬼殺隊から身を引いたんだと。


「何か理由があったんだろうね。決して、ななしのことを咎めてはいけないよ、義勇」

突きつけられた現実に、怒りや憎しみにも似た感情に苛まれていたその頃、お館様の言葉にスッと何かが解けていくような感覚に襲われた。

「ななしも随分悩んで苦しんだようだ。だから今はそっとしてあげよう。あの子は自ら命を絶つような弱い子じゃないから、信じていれば、きっとまた会えるよ」

鬼を滅するための道しか知らない人間が、その道を突然失ったらどうなるのか。常に前に進もうとしていた彼女のことを考えると、それは想像を絶する辛さだったのかもしれない。ななしを襲う不安や恐怖は、その道を進むことでしか解決されない。俺には、彼女の背負うもの、何一つとして取り除いてあげることは出来なかった。









言われたとおり夕刻前になんとか東町に着いたが、炭治郎が言っていた相手とはいったい誰なのか、考えても見当がつかない。また面倒ごとに巻き込まれるような気がして足取りは自然と重くなる。確か、橋を渡って直ぐを右に曲がって、突き当たりにある小さな定食屋と言っていたか。

「あそこか…」

看板がないから分かりづらいが、入口から出てきた男が「うまかった」と言っているのを見ると、料理屋では間違いないようだが。まだ営業してるのか、中から女の声で礼をいう声が聞こえた。

(間に合ったか…)

男と入れ替わるように店の中に入ると、そこにはもう客はおらず、食べ終わった皿を片付ける女の姿があった。背中を向けているため顔は見えないが、綺麗に結われた艶のある漆黒の髪はどこか彼女を彷彿させた。俺は、本当にどこにいても彼女の姿を探している。この女が炭治郎が言っていた相手だろうか。はたまた、違う人物がここに来るのか。

「すまない、」

聞きたいことがあるんだが。その言葉は続かなかった。

「まぁ、すみません。片付けるのに夢中で気が付かなかっ…」


―パリンッ


手から滑り落ちた皿が床に叩きつけられ、割れたことなど目に入らないほどに目の前の女を見つめる。これは、現実なのだろうか。

「……ななし?」

震える唇で久方ぶりに呼んだ名前に、その大きな瞳が揺れた。何かを言おうするよりも早く、その身体を強く抱きしめた。腕に納まる身体はあの時より小さく感じるが、花のような甘い香りや自分の名前を呼ぶ柔らかな声は、間違いなく彼女のものだ。

「……義勇」

呼ばれるたびに、息が苦しい。突然理由もなく目の前から消えたあの日から、ずっと探していた彼女が今、目の前にいる。咎めるものか。ずっと探していた。あの時止めていれば、あの時そばにいれば。背負うものを、俺が取り除いてあげれたなら。咎めるとすれば、それは、己の愚鈍さのみ。こんなにも大切な人を手放した自身に。
震える身体は彼女なのか、自身か、はたまた双方なのか、それすらも分からないくらいに、強く抱きしめる。

「久しぶりだね」
「……」
「大きくなったね」
「……」
「あのね、」

腕の力を緩めて覗き込むと、そこにはずっと焦がれていたななしがいる。自分を映す瞳は不安げに揺れ、息を呑んだ桃色の唇は僅かに震え、堪らず押し付けたところから伝わる柔かな唇の感触。存在を確かめるように、角度を変えて何度も何度も、口吸いを繰り返す。言わなければならないこと、聞かなければならないことなど、山ほどあるというのに止められるわけがなかった。再会を喜ぶより、何よりも今は彼女に触れたくて、その熱を感じたくて仕方がない。我慢なんてできるわけがない。
僅かに開いた隙間から舌を捻じ込んで、蕩けるように熱い舌に絡ませると、初めて聞く甘い声に脳は痺れるように麻痺し、戸惑いがちに回された手に熱いものが込み上げてくる。ただ夢中で行為に没頭していると、とんとんと胸を叩かれ、身体を引き離された。
頬を赤く染め、息を整える彼女の手を引き寄せ、再び腕の中に閉じ込める。もう、離したくない。

「すまなかった…」
「ううん、平気」
「俺は、ななしの抱えるもの一つとして取り除けなかった」

腕の中で、ななしが顔を上げたのが分かった。肩口に項垂れるように額を付ける俺は、さぞ滑稽な様だろう。だけどそれでもいい。どんなに滑稽でも、不格好でも。目の前の彼女を二度と離したくないと思ったから。

「守れずに、すまなかった」
「義勇は…、怒っていないの?突然出て行ったのよ。鬼殺隊も相談なしに辞めて…謝らなければならないのは、私の方よ」

回された手に力が篭り、ななしは震える声でごめんなさいと呟いた。

「ずっと謝りたかった…っ!だけど謝る資格も私にはないと思っていて…っ。勝手なことばかり、ごめんなさい…!」
「もういい…」

怒ってなどいない。誰もお前を責めはしない。ただ隣で、あの花が咲くような笑顔を向けてくれればいい。それだけで十分なんだ。

「お前が背負うものを俺も一緒に背負っていく。痛みも、苦しみも、全て。」

だから、

「お前の残りの人生を全て、俺にくれないか」


全て取り除き、抱えられほどに強くなるから。
目の前で涙を流し何度も頷く彼女に、愛しい以外の言葉が見つからない。これからゆっくり、今までの時間を埋めるように話をしようじゃないか。





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