小説 | ナノ


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しっとりと汗ばむ肌に目が眩むほどの朝暉が差し込む夏の朝。軽やかに流線を描いた水が、一晩で枯渇した土にぐんぐんと吸い込まれていくその様を閑かに眺める。ジーワジーワ、暑い蝉の声が今日も賑やかで、鍋を煮る音と扇風機の羽の音が控えめに部屋に響く中、後ろの布団から小さな声がした。

「…おはよう」
「おはよう。デイダラくん」

寝惚け眼の金髪の少年、デイダラくんは大きな欠伸を一つして、一度起こした上半身を再び布団の上に投げて気怠げに口を開いた。

「今日も暑いなー…、うん」








「冷房、付けないの?」

扇風機が送る生ぬるい風を受けながら、向き合って食べる朝食。
デイダラくんは電気代がな、と言って目の前の鮭をぱくりと口にした。

昨日デイダラくんとホームセンターに行った後、立ち寄ったスーパーで買った塩鮭にほうれん草。財布の中は厳しいけれど、やっぱりちゃんとデイダラくんにお礼をしたいと、思い悩んだ挙句、カゴに入れていた。
程よく焼け目の付いたふっくらとした鮭に、水々しく鮮やかに添えられたほうれん草のお浸し、そして昨日と同じくほくほくと湯気を立たせたたまご焼きとご飯と味噌汁。
何の変哲もない普通の朝食だけど、昨日の朝食に比べると随分と豪華に見える。

「そうだよね。結構するもんね」
「鮭うま」
「うん、美味しいね」
「それに、家にいること少ないからな」
「え?そうなの?」

また一口、鮭を頬張ったデイダラくんの言葉に思わず顔を上げた。
確かに、デイダラくんは私が仕事に行ってる時はバイトだって言っていたけれど、この前もカレーを作ってくれていたし、掃除もしていたし。偶に私より遅く帰ってくる時もあったけどそんなの数えるぐらいだったから、てっきり家にいる時間の方が長いのかと思っていた。
そもそも、今思えば私がいない時間、デイダラくんが毎日どんな生活を送っているのか私は知らない。知っているのは、昨日聞いた芸術家のところで下請けのバイトをしているということくらい。毎日一緒にいても、数日前まで赤の他人だった私たちは、知らないことだらけだった。

「そういえば、今日近くに河岸のとこで小さいけど花火やるんだって」
「あ、もうそんな時期だっけ?」

7月下旬、この時期に毎年行われる花火大会は、規模は小さいけれど屋台もいくつか出ていて、ここら辺の人たちにとっては夏の風物詩のようなもの。ここからそう遠くない所に住んでいた私も知っている。だけど、知っているだけ。毎年窓の外から聞こえる音を、聞いていただけで、実際に行ったことはなかった。
花火なんて、最後に観たのはいつだったかな。気付けば、思い出せないくらい前のことになっていた。小さい頃は毎年必ず両親に連れて行けと強請っていたくらい好きだったのに。


「一緒に行くか」


そう言って笑ったデイダラくんに、私も笑顔で頷いた。







「うわーすごい人だね!」

太陽が沈み帳が下りる頃、財布と携帯を手に私たちは家を出た。花火会場に近づくにつれて増える人集りと、甘い匂いや香ばしい匂い。親や祖父母と手を繋ぐ小さい子供や、友達同士で来ている小学生たちや手を繋いで歩く男女、初めて来た花火大会は、思っていたより賑わっていた。遠くで聞こえる祭囃子はどこか懐かしく、灼熱の太陽が影を潜め、名残惜しげに残された蒸し暑さですら、人の活気と熱気と相まって、何故かとてもわくわくする。

「今年も賑わってんなぁ。来たことないのか?」
「うん。花火は好きなんだけど、なんか行く機会がなくてさ…。ここは初めて来た」
「ふーん。あっちに屋台があるからそこで何か食い物買うか。うん」

ポケットに手を入れて、結った髪を揺らしながら前を進むデイダラくんの後ろを着いていく。ちらほらと目に入る高校生か大学生くらいの男のたちのグループに、デイダラくんは
友達と来なくてよかったのかなって疑問が頭の中に浮かんだけど、焼きそばの入ったパックを二つ手にするデイダラくんを見たら、ま、いいかなんて思えてしまうから不思議だ。

「美味しそう!」
「祭りって言ったらこれだろ!うん!」
「あ、ねえ!たこ焼きもある!!たこ焼き食べたい!あー、でもりんご飴も美味しそう…!」
「おー、食え食え。今日はジャンジャン食え!うん!」

人混みの中、ぶつかる肩も気にならない。聞こえる祭囃子に子供のはしゃぐ声、威勢の良い的屋のおじさんの声。屋台の数はそんなに多くないのに、どれもこれも目移りするくらい魅力的に見えるのは、この雰囲気のせいだと思う。綿あめを片手に、嬉しそうに母親のところに走って行く子供と、今の私は然程変わらない。どれにしよう、あ、あれもいいな何て一人でぶつぶつ言っていたら、視線を感じて横を見ると、デイダラくんと目が合った。

「へへ、はしゃぎ…すぎ?」
「たまにはいいんじゃねぇの?うん」
「わっ、髪の毛ぐしゃぐしゃにしないでよ!せっかく巻いてきたのにー!」
「あーはいはい、りんご飴買ってやるから機嫌直せよ。な?」
「ちょっとデイダラくん、私のこと子供扱いしてるでしょ!?私の方が大人なんだけど!?」
「ほぉ?りんご飴と綿あめ食べたいとか思ってた奴が大人だって?うん?」
「な、なんで分かったの!?」
「見過ぎなんだよ。よだれ垂れそうな顔で」
「なっ、そんな顔してないもん」
「はいはい、そんな拗ねんなって」

ほら、と持っていた焼きそばを私の手に置いて、屋台の方に行ってしまったデイダラくんの背中を、私は混ぜられて文字通りぐしゃぐしゃになった髪の毛を直しながら見つめた。私の方が年上なのに子供扱いして。デイダラくんの方が子供なのに。高校生のくせに。あ、でも私、今日まだ一回もお財布出してないや。全部、デイダラくんに買ってもらってる。あとで返そう。これじゃあ、本当にどっちが大人なんだか…そんなことを考えていると、デイダラくんがこっちに戻ってきた。手にはちゃっかりりんご飴が二つ。ほら、デイダラくんだって、そう言おうと顔を上げたけど、また、やっぱりいいやってなっちゃう。
だってさ、

「うまそうだな。うん」

そんな嬉しそうな顔で言われたら、素直になるしかないじゃない。

「ありがとう。デイダラくん」







「そろそろ始まるかな?」

開始まで時間があった私たちは適当に河岸に腰を下ろし、買ってきた焼きそばを食べていた。

「あと10分くらいだな」
「人集まって来たね。皆ここで観るんだ…って、デイダラくん」
「うん?」
「ここ、ソース付いてるよ」
「あ…、」

よかった、一応持ってきておいて。何かを言いかけたデイダラくんの口の端に付いたそれを、そっとハンカチで拭う。まだ新しいそれは、軽く触れただけで簡単に取れて、視線を感じて顔を上げると、暗闇でも分かるくらい顔を真っ赤にしたデイダラくんがいた。

「お子ちゃま」

トン、っと胸を押してそう言うと、「煩ェ」と呟いてそっぽを向いてしまったデイダラくんの反応が面白くて、ニヤける顔を止められずにいると、また怒られた。



「あれ?どこ行くの?」
「花火がよく見えるとこがあるんだ。行くぞ」
「ええ?ここでも十分いいんじゃないの?」
「もっといいとこがあるんだよ。さっさとしろ」
「あ、待ってよ」

スタスタと先を歩くデイダラくんに着いていくと、そこには大きな木が聳え立っていた。河岸に一本たたずむ木はそれだけでも存在感があるのに、通常の木より倍以上ある幹の太さや、隙間なく生茂る葉のせいで更にその存在感を際立たせている。
すると、デイダラくんは徐にその木に手をかけ、あろうことか登り始めたのだ。それも容易く、あっさりと、丁度頭より30センチくらいの高さにある枝にその腰を降ろした。

「え?え?登るの?無理だよ、私。木なんて登ったことないもん」
「手貸せ。手、」
「え?手って……わっ」

差し出された手に控えめに自分の手を差し出すと、勢い良く引かれ、気が付いた時にはデイダラくんの腕が私の腰に回っていて、ふわりと身体が宙に浮いていた。

「ぅらっ」
「きゃっ」


一瞬視界が反転した、そう思った瞬間、目の前に大きな光の花が咲いた。



――ドンッ



身体を震わせるような爆音が空を裂き、赤い煌びやかな大輪がその花びらを散らしながら川へと沈んでいく。消えゆくその残像を水面に映し、溶けるように、沈んでいく。絶え間なく、繰り返される振動と爆音、赤や黄色、緑の花が散りばめられた夜空に、目が釘付けになった。


「綺麗…」


花火って、こんなに綺麗だったっけ。夜空ってこんなにも黒かったっけ。自分が知っていたものより、目の前に写る景色は瞬きも忘れるくらいにずっと美しい。
花が咲くたび、下の方からも歓喜の声が聞こえる。

「ん」
「あ、ありがとう」

差し出されたりんご飴の艶やかな飴色も一段と、輝いている。
口に含むと甘さがじんわりと広がって、先端の尖った部分を歯で砕くと、パリパリとそれは口の中で音を立てて小さくなって溶けていく。

「いいだろ、ここ。よく観えんだ。オイラのお気に入りの場所だ。うん」
「うん。すごく、いい。お気に入りの場所、私に教えても大丈夫なの?」
「どうせ登れないから大丈夫だろ。うん」
「ぐっ、本当のことだから何も言えない」

バリバリと音を立てて飴を砕くデイダラくんのりんご飴は、残り少しになっている。地面より高いところにあるここは幾らか風が吹くようで、そよそよとその金髪を揺らしていた。
デイダラくんはここがお気に入りって言ったけど、それは、いつからお気に入りなんだろう。小さい頃、両親に連れてきてもらったのかな。デイダラくんもこの木の下で目を輝かせる子供たちみたいに、花火を観に来たのかな。どうして、高校生なのに、一人暮らしなの。そんな踏み込んだこと聞けっこないのに、少しだけ気になっている自分がいる。興味本位とかそういうのじゃない。大丈夫なのかな、って。いろいろ。

「オイラは、なんでもそうだが、爆発して散っていく瞬間が一番綺麗だと思うんだ。芸術も同じで、爆発こそが芸術だと思ってる。うん」

デイダラくんの金色の髪が赤や緑に染められていく。

「爆発したら、残らないんじゃないの?」
「でも、人の心の中には残るだろ?この花火と同じように」
「…それは、そうかもしれない」

うん。きっと、私はこの花火のことを忘れない。

「花火っていいよなぁ。うん」

そして、花火を見つめるデイダラくんの横顔も、私は一生忘れないんだろうな。







「私、ちょっとお手洗い寄ってくる」

花火も終わり、皆が家路に着こうとしているとき、私はデイダラくんに声をかけた。

「トイレあっちにあったな。オイラここで待ってるぞ。うん」


ここから家まで20分くらいの距離なんだけど、念のために寄って行こう、そう思って簡易トイレに来たものの。

「あー…混んでる…」

ズラッと並んだ人の列の遥か向こうに見える簡易トイレ。どうしてこうも女子トイレとはいつでもどこでも並ぶのか。並んでいるよりきっと途中にあるコンビニに寄った方がいい。そう思って踵を返そうとしたとき、誰かにグッと腕を掴まれた。デイダラくんはさっきの木のところで待ってるし、会社の同僚でもプライベートで声を掛けてくるような人はいない。じゃあ、誰?怪訝な顔で振り返ると、そこには見知らぬ男性3人がいた。

「うわ、お姉さん美人〜」
「ねぇ1人?これからどっか遊び行かない?」

卑しい笑みを浮かべて近づく3人組み。これはまさかだけど、ナンパ?

「離してください。人待たせてるんです」
「じゃぁその子も連れてきなよ」
「いや、結構です。離してください」
「えーつれないなぁ。つーかマジかわいくね?俺いっちゃおっかなぁ〜」
「ぎゃはっ、いく?連れてく?マジ?」

下品な笑い声を上げながら、腕を掴む力はどんどん強くなっていく。話は聞いてくれないし、連れてくって何、どこに。ちょっと本当に勘弁してほしい。掴む腕を振り払いたいのに力で勝てるわけもなく、痛みと恐怖にカタカタと身体が震えるだけで。


(デイダラくん…、助けて…っ)


次の瞬間、腕を掴んでいた男が目の前から消えた。否、正確には目の前に倒れていた。

「何すんだテメェ!」

そして、いつの間にか目の前には、男の人が立っていて。赤い髪を靡かせて、その人は吐き捨てるように呟いた。

「警察沙汰になりたくなけりゃ、さっさと失せろ」

その言葉に男たちは顔を青くして慌てるように逃げていった。
一瞬の出来事に驚きで呆然としていたが、その場から立ち去ろうとしたその人の腕を慌てて掴んだ。助けてくれた。お礼、ちゃんとしなきゃ。

「あ、あの…」
「もたもたしてんじゃねェ!」
「え…?」
「お前が直ぐに逃げねーからあんな奴らに絡まれんだろうが!自分の身ぐらい自分で守れ!」
「あ、え…」

怒られてる。私、見ず知らずの人に、怒られてる。それもすごく。

「えっと、その、ごめんなさい…」
「チッ、くだらねェ」

この人、今舌打ちしたよね?すごい綺麗な顔して舌打ち、いや、なんで?
端正な顔を歪めてぶつぶつと文句を言う目の前の人に困惑していると、こっちに向かって走ってくる影が見えた。


「ななしッ!!」

金色の髪を揺らしながら走ってくるのは、さっき心の中で助けを求めたデイダラくんだった。

「デイダラくん…!」
「ハァ…ッ、お前、どこ行ってたんだよ!なかなか帰ってこねーから探しに来たらこんなとこにいるし」
「ご、ごめん!実は変な人に絡まれちゃって、そしたらこの人が助けてくれたの!」
「あァ!?変な人に絡まれただァ!?何やって……」

私の隣を見たデイダラくんが、その大きな瞳を見開いた。え?なに?

「旦那ァ!?何やってんだこんなとこで!?うん!!」
「そりゃこっちのセリフだ」
「あ、あれ?もしかして、友達?」

どうやら顔見知りらしい二人にそう呟くと「そんなんじゃない」と声を合わせてこっちを振り向いた。仲がいいらしい。

「それより、お前の連れか?もう少し危機感持てと注意しとけ。こんな女に割く時間がもったいねェ」

旦那と呼ばれたその人は、大きな溜息を吐いて顔を顰めた。いや、ちょっと、さっきから酷くない?確かに助けてもらったことは感謝しているけれど、幾らなんでも初対面の人間に言い過ぎではないか?思っていたことはつい口に出てしまったようで。

「ねぇ、さっきから失礼ですよ。何様なんですか?」
「あァ?誰が助けてやったと思ってる」
「それは感謝してますけど!言い方もう少しどうにかならないの!?」
「俺は事実を言ったまでだ」
「な…ッ、言われた人がどういう気持ちになるとか考えないの!?」
「うるせェ、ブス」

な、なにコイツ!!!!!
勝ち誇ったように笑う男に怒りでワナワナと肩が震える。


「帰ろう!!デイダラくん!!!」
「あ、おい!ななし!!」


地面が割れそうなくらい大きな足音を立てて踵を返した私に、後ろであの男が声を押し殺すように笑ったのが耳に入って、私は思いっきりデイダラくんの腕を掴んで家路へと向かった。




きっと、この花火大会は一生忘れられない。







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