小説 | ナノ


▼ ただいま



「キャリーケースここら辺に置かせてもらってもいい?」

なんと、

「そっちじゃなくていいって。中入れねーと荷物取り出しにくいだろうが。うん」

なんと。

「でもタイヤのとこ汚いよ」
「床につけなきゃ別に関係ねぇ」
「あ、」

がっしりした腕に連れてかれるキャリーケースを、ただただ眺めるだけの私がそこにいた。
勢いで首を縦に振ったけど、まさか本当に着いて行くなんて自分でも信じられない。それも初対面の男に。いくら相手が年下と言えど、余りにも大胆な自分の行動に驚きが隠せないでいるのだ。

―――「じゃあ、おいらの家に来いよ」

思い出すのは揺れる金色に、真剣な顔のデイダラくん。家がない私に良心でかあんなことを真剣に言われたら、断るに断れない。…そこに下心なんて、ない。お互いに。

そもそも私よりだいぶ若そうなデイダラくんが、そういう対象として私を見るなんてまずないだろうし、身構えるほど自意識過剰にも思えてしまう。案内されたアパートの玄関を開けた時に、僅かに香ったムスクのような香りに少しだけ心臓が跳ねたのは、気のせいにしておこう。

「お邪魔します」

何事もないように、平静を装って部屋に足を踏み入れた。









「わー…ザ、男の子の部屋って感じだね」

6畳くらいの和室に簡素なキッチン。テーブルに座椅子、テレビ、必要最低限のものだけしか無さそうな部屋は至ってシンプルで。カーテンレールに掛けられたくたくたのTシャツや床に並べられた数本の空のペットボトルや敷きっ放しの布団は見なかったことにした。

「男の子って言うな」
「ごめんごめん」

子供扱いするなと拗ねたように唇を尖らせるその顔はやっぱりどう見ても「男の子」で、吹き出した私にまたデイダラくんの表情が一段と険しくなった。なにこの子、分かりやすい。

「ねぇ、本当にいいの?」
「何がだ」
「何がって、泊めてくれるって…」

こんな見ず知らずの人間を。デイダラくんは頭をがしがしと掻いたあと、その髪を束ねながらはぁ、と溜息を吐きながら足で扇風機のスイッチを入れた。
汗ばんだ肌に、むわっとぬるい風が当たって気持ちいんだか、気持ち悪いんだか。

「いいもなにも、行く宛がねぇんだからこうするしかないだろうが。ごちゃごちゃ考えんな。うん」

キュッとハーフアップに結われた毛先を揺らしてそう言ったデイダラくんに、胸がじわりとあたたかくなった。

「ありがとう」

人って、捨てたもんじゃない。こんな時だからこそ、人の優しさが滲みる。
親は?一人暮らしなの?彼女とか大丈夫だよね?何歳なの?
ねぇ、クーラ、付けない?

聞きたいことはたくさんあったけど、今はただその優しさに甘えることにした。



「そうだ、デイダラくんご飯食べた?」
「いや、まだだけど」
「じゃあ、私何か作るよ!」

そうとくれば話は早い。せっかく今日泊まらせてくれるんだから、それくらいさせてほしいとキッチンに立つ。

「失礼します」

許可をもらい、一人暮らし用の小さな冷蔵庫の中身を見ると中には卵とケチャップ、ドレッシング2本とペットボトルのお茶だけが入っていた。

「最近外食ばっかだから何もねーよ」

男の子の一人暮らしなんて、そんなもんよね。早速出鼻を挫かれた、そう思った時、ふと冷蔵庫の横にあるラックに目がいった。

「あ、これ」

3段のスチールラックの一番下、見覚えのある袋。これは、

「デイダラくん、このラーメン好きなの?」
「ん?好きっていうか取り敢えずいつもそれにしてるな。うん」
「私もこのラーメン、一人暮らしの時よく食べてたの!懐かしい!!もう何年も食べてないんだよー!」

まさかこんなところで会えるなんて。一人暮らしの時馬鹿みたいに食べていたこのラーメン。インスタント麺は彼と付き合ってから彼が好きじゃないからという理由で一度も買ったことがなく、スーパーのインスタント麺のコーナーに行くこともなかったから、このパッケージを見るのは久しぶりだった。
オレンジ色のパッケージにたんまり乗った野菜とその後ろに見えるインスタント麺特有の縮れ麺。まさかこんなところで会えるなんて。

「インスタント麺ごときで喜びすぎ」
「だって、本当に久しぶりなんだもん!ねぇ、これ食べよう?いい?ね、」
「うんうん、好きにしろ」
「あ、何その顔。ちょっと馬鹿にしてるでしょ」
「してねーよ。インスタント麺で喜ぶ女、馬鹿になんかしてねーよ。うん」
「あー!絶対、馬鹿にしてる!」
「あー、はいはい」

うるせー女だな、何よデイダラくんが、はいはい、

人との他愛もない会話ってこんなに楽しかったっけ。

小さなテーブルの上で食べたラーメンの上にぽやっと浮かんだ半熟卵。パッケージにあった写真のような野菜は一つも乗ってないけれど、最高に美味しかった。
向かい合って食べるデイダラくんの「あー…うめぇ」という言葉が何だか嬉しくて、余計に美味しく感じた気がする。





「デイダラくん、お風呂借りてもいい?」

ご飯も食べたし、そろそろお風呂に入りたい。泊まらせてもらってる身でなんだか自分から言うのも躊躇うけど、熱いラーメンを食べたお蔭で身体中もう汗でべたべただ。
クレンジングや洗顔、シャンプーやボディソープ、一通りは家から持ってきてるからタオルだけ借りられればいい。
そう言うとデイダラくんは「あー、こっち」と頭をがしがしと掻きながらお風呂場に通してくれた。というか、ここ…

「脱衣所ないんだね」

キッチンの向かいにあるドアを開けたらすぐトイレと奥にバスタブが見える。所謂ユニットバスというやつで、ここには脱衣所がないらいい。

「デイダラくん先入る?」
「いや、オイラは後でいい」
「そっか。じゃあ、私脱ぐからデイダラくん…」

あっち行っててね、言う終わる前にデイダラくんは光のスピードで居間の方に行ってしまった。ピシャリと閉まった襖にもしかして、やっぱり先にお風呂に入りたかったんじゃないかと思った私は、髪から覗いた耳が真っ赤に染まっていたなんて知る由もなかった。



「うわ、すごい汗…。食い込んでるし」

べったりと汗をかいた肌にジーンズのウエストが肌に食い込んで赤くなっていた。元々肌は強くない方だから、このままだときっと痒くなるかもしれない。汗、流さないと。下着を外そうとした時、襖の向こうから大きな物音がした。

「デイダラくん?どうしたの?」
「な、何にもねーよ!早く入れ!うん!!」

動揺した声に首を傾げる。何か物でも落としたのか、襖を開けようかと思ったけど、自分の格好を見て苦笑いが漏れた。早くお風呂入ろう。





「さっぱりしたー!ありがとう」

濡れた髪を借りたタオルで乾かしながら居間の扉を開けると、テレビを見ていたデイダラくんが振り向いた。

「デイダラくんも入っておいでよ」
「お、おぅ」
「ん?どうしたの?」
「ち、近ェ…ッ!」

全然こっちを見ないデイダラくんの顔を覗き込もうとすると、デイダラくんは物凄い勢いで後退りして壁に頭を打ち付けた。

「ちょ、何やって…」
「う…っ」
「見せて」

彼の前にしゃがみ込み、打ったところに触れる。うん、傷もないしコブにはなってないみたい。

「あ、近かったね。ごめん」

俯いたままのデイダラくんにハッとなって離れた。
デイダラくんが優しくて話しやすいから、ついつい調子に乗って距離が近くなっている。人にはパーソナルスペースっていうものがあるし、ましてや初対面の人間。もう少し立場を弁えないと。
よいしょ、とその場から立ち上がると、デイダラくんもすくっと立ち上がって、そのまま風呂、とだけ言い残してお風呂場に行ってしまった。
もしかして、私デイダラくんを怒らせてしまったんだろうか。



ザァァァァ…

襖は薄いのか、お風呂場の音がよく聞こえる。扉を閉めても尚、シャワーの音も聞こえるし、なんなら時々聞こえるデイダラくんの咳払いもよく聞こえる。
上がったら、謝ろう。ごめんなさいって。

付けっぱなしのテレビには美味しそうな料理を食べて、ありきたりな感想を言う芸能人が映っている。「美味しいです」「蕩けるようになくなりました」なんて、本当かな?私にはさっきのデイダラくんの「あー…うめぇ」の方がよっぽど信憑性があって、あのラーメンの方がよっぽど美味しそうに見える。
ふとテレビ台に飾られた人形に目がいった。公園で見た人形と同じやつだ。大きいサイズから小さいサイズまで揃っていてまるでマトリョーシカみたいでやっぱりかわいい。

そういえば、彼は芸術品を作るって言っていたけれど、芸術家か何かなのだろうか。それともまだ大学生とかでその道を目指しているのか。どっちにしても若いのに、すごいな。自分のやりたいこと、ちゃんとやってて。
大学生、きっとこれからいろんなことを経験するんだろうな。いいことも悪いことも。そうやって大人になっていくから。
道を逸れてもいつだって修正が効く、いろんなことに挑戦できる。若いって、いいね。

(なーんて、)

(あー…あったかいな、)


テレビから作ったような笑い声が響く中、私は静かに意識を手放した。









「おい、おい、起きろって」

微睡の中、揺さぶられる感覚が心地良くて、重い瞼を開けるのが億劫で仕方がない。もう少しだけ、なんてお決まりの台詞を口にしようとした時、ハッと飛び起きた。

「お、おはよう」

突然飛び起きた私にデイダラくんは数回瞬きを繰り返した後、ニィッと笑っておはようと返事をしてくれた。
そうだった、私、昨日初めて会ったデイダラくんの家に泊めてもらって、一緒にラーメン食べて、それでデイダラくんがお風呂に行って、それで、

「ごめんなさい!!!!」

デイダラくんを怒らしちゃったんだった。謝ろうと思ってたのに、寝落ちしてしまったみたいだ。

「うん?なにが?」
「え、だって、昨日デイダラくん怒ってたんじゃ」
「オイラが?」
「あの、私が顔を覗き込んだから」
「……」
「え?」
「怒ってなんかねーよ。それより、ずっと鳴ってたぞ、これ」

渡されたのは私のスマートフォン。あ、アラームか。

「お前、毎日5時半に起きてんのか?うん」
「お弁当作ったりするからね」

私はなんでもいいんだけど。自分のためにじゃないけれど、毎日その時間に起きて毎日朝食とお弁当を作って。今は、思い出したくない毎日のルーティーンに頭を振る。
デイダラくんが怒ってなかったみたいでよかった。

「ていうか、もしかして起こしちゃった?」
「まぁ、あんだけ鳴れば誰でも起きんだろ。うん」

今の時間は6時05分、アラームを設定した時間から30分以上も経っている。途中でデイダラくんが消したにせよ、鳴りっぱなしになっていたアラームで安眠を妨害してしまったことに申し訳なくなる。

「って、待って」
「ぅん?」

あ、れ?私、布団で寝てる。デイダラくんの方を見ると、後ろの座椅子がフラットになっていて、その上にタオルケットが掛かっている。まさか、

「まさか、デイダラくんそこで寝てた?」
「あぁ」

最悪だ。泊まらせてもらった挙句寝落ちして自分は布団で寝て、デイダラくんは座椅子なんて、最悪だ。
別に大したことない、そう言って冷たい麦茶を出してくれるデイダラくんにはもう頭が上がらないし、どう謝ればいいのか。

「デイダラくん…!!本当にごめんね、迷惑ばかりかけて、本当に」
「だからいいって言ってんだろうが。たまにここでも寝るからいつもと変わんねーんだって。うん」
「嘘だそんなの。どうしよう、何でもする!デイダラくんがしてほしいこと!なんでも!何すればいい!?」
「ば…ッ、お前そういうこと軽々しく言うんじゃねェ!うん!」
「今バカって言おうとした!?」
「言ってねェ!」
「怪しい……」
「あー、イチイチ煩ェ女だな。うん」

がしがしと頭を掻くデイダラくん。昨日半日一緒にいて分かったけれど、デイダラくんは困ったら頭を掻く癖があるらしい。本人には聞いてないけれど、見てれば分かる。やっぱりデイダラくんは分かりやすい。

「それより、お前仕事いいのかよ」
「あ!そうだった!!」

時計を見ると既に長針が一番下を指していた。何だか時間が過ぎるのがあっという間だ。
ここから職場までは、前の家よりも一駅近いから少し時間に余裕があるけれど、荷物も纏めないといけないし、早く支度をしないと電車の時間に間に合わない。
取り敢えず携帯で時刻表を確認して、洗面台を借りて準備をする。夜はラーメンだったし寝落ちした割に、なんだか肌の調子がいい。顔を洗ってお手入れして、化粧を軽くして。最後にリップを塗って鏡の前でにこりと笑ってみた。


(大丈夫、大丈夫。私ちゃんとできてる)



この前までは考えられなかったこの生活。家もなくてお金もない。不安は大きい筈なのに、期待の方が大きい気がするのはどうしてかな。

「ぷっ、何やってんだ」

振り向くと、キッチンにコップを濯ぎに来たのかデイダラくんがいた。ドアを開けっぱなしにしてたから、鏡の前で変な笑顔を作ったのを見られたらしい。

「む、見たな」
「開けっ放しにしてるのが悪いなぁ。うん」

にやにや、面白いもの見た。そんな顔でデイダラくんが言った。そうだ、こんな素敵な出会いがあったから、きっと私は期待してるんだ、これからのことに。

「デイダラくんってちょっぴり意地悪なとこあるよね」
「うるせー」

むっとしたデイダラくんに思わず笑みが溢れる。

「でも、ありがとう」

意味が分からん、そう言ってそっぽを向いたデイダラくんの耳がほんのりと赤く染まっていた。

「ていうか、それ持ってくのか」
「え?」

キャリーケース。デイダラくんが小さく呟いた。

「うん。もう荷物も纏めたし、職場には持って行けないから駅のロッカーに入れとくんだけどね」
「ふーん…」

時計を見ると、そろそろ家を出ないといけない時間だ。

「デイダラくん、本当にありがとうございました。結局何もお礼できなかったけど、すごく感謝してる」
「…今日はどうするんだ」
「え?」
「泊まることだ」
「あー…まぁ、ネットカフェかなぁ。直ぐにはアパート借りれないし」
「じゃあ、またここに帰ってこればいいんじゃねぇの」
「え!?いや、さすがに2日連続は悪いよ…!ダメダメ!」
「…なんでもするって」
「え?」
「なんでもするって言ってただろうが。うん」

いやいや、ちょっと待って。確かになんでもするとは言ったけれど、それはデイダラくんにお礼をしたいからであって、なんで敢えてデイダラくんに迷惑かけるようなことしないといけないの。
きっとデイダラくんは優しいから、また私に気を使って言ってくれてるんだろうけど、これ以上迷惑もかけれない。

「それとこれとは別。あ、っていうか時間ヤバい!もう行かないと!」

あーだこーだ言い合っていると、すっかり走らないと間に合わない時間になっていた。さすがに遅刻はまずい、慌ててドアノブに手をかけた時、グイッと腕を引かれた。

「ちょ、」

本当、遅刻するから、そう言おうとしたら、そこにはあの時みたいに真剣な顔をしたデイダラくんがいた。


「待ってるから」


息をのむほど真剣な眼差しに、開きかけた口を噤んで私は部屋を出た。







「ねぇ、なんか今日ななしさん調子いいね」
「え?そう?」
「なんかいつもよりイキイキしてる!仕事も捗ってるし!」

なんかいいことあったのー?なんてニヤついた顔で聞いてくる同僚に、苦笑いで資料を渡した。

「これ、頼まれていた分です。一応一部ずつ纏めているので見てください」
「さすが!気が効く!ありがとう〜!」

書類を持って自部署へ戻っていく同僚の背中を見送って、さっき言われたことが頭を過った。
調子いいとか、捗ってるとか、滅多に言われない言葉にやっぱり同僚が言うように調子がいいようだ。朝、デイダラくんとのやりとりが少し気がかりだったけど、それでもなんだか気分は前向きなままで。
きっともうデイダラくんに会うことはないのかもしれない。お礼もしたかったけど、行ってしまえばまた気を使わせてしまう。本当に優しい子なんだ。夜も、テーブルで突っ伏していた私を布団に寝かせてくれたのはデイダラくんだろう。思い返すとたった半日だったのに、迷惑ばかりかけていて情けない。
もし、またいつか会うことがあれば、そのときはお礼ができたらいい。そんなことを思いながら、今日泊まるネットカフェを携帯で検索していると、画面が切り替わった。


「あ…」


黒い画面に映し出された名前に背中が凍りついた。

知ってる名前、殆どここに映し出されることのなかった名前、毎日呼んでた名前

止まない振動に心臓がバクバクと音を立てる。

出たくない、でも、何か用事が。否、あるわけない。それか、忘れ物か。だったら捨ててよ、いらないから。出たくない。なのに、震える手で通話ボタンをタップしていた。

『おい!どこにいるんだよ!!本当に出ていく奴がいるかよ!!!』

音が割れるくらいの大声に思わず携帯を離した。さっさと戻ってこい、いい加減にしろ、離してても聞こえてくる声に気が遠くなるようだ。

色付き始めた世界が


『お前は俺がいないと何にもできないんだから』


再び白黒に塗りつぶされていく。


「は…っ、」

咄嗟に電源ボタンを押して通話を切って、私はその場に蹲み込んだ。
床に落ちる雫が一つ二つ、増えるたびに視界は歪んで、目を瞑って声を殺して私は泣いた。脳裏に浮かんだデイダラくんのニィっと笑った顔にまた涙が溢れる。私はきっとデイダラくんと関わったことで知ってしまったんだ。今までの生活が普通じゃないって。分かってた、普通なことって思い込もうとしていたって。だけどデイダラくんと一緒にいた時間がすごく自然で楽しくて、まざまざと見せられてしまったんだ、普通を。もうあんな生活に戻りたくない。私はちゃんと「普通の生活」を送りたい。

誰もいない、給湯室に、私の鼻を啜る音だけが響いていた。









カンッカンッカンッ、ヒールの音が響く階段をゆっくりと上がる。藍色に染まった夜の帳が下りた空を背に。

チャイムを鳴らして数秒、ガチャリと開いた扉の向こうには、空よりも澄んだ瞳を見開いたあと、優しい笑顔が出迎えてくれた。




「おかえり」









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