小説 | ナノ


▼ 聞かないの?





ザァァァァ…

排水溝に流れていく泡をぼんやり眺めながら、全部落ちればいいのにと思った。
汚れも、このモヤモヤも全部一緒に流れていけばいいのに。

キュッ、と蛇口を捻って借りたタオルで頭を拭く。いつもより少し乱暴に。いつも使っていたふわふわのタオルとは違う、少し硬いタオルが今日は心地よかった。



「お風呂、ありがとう」

襖を開けると、テレビを観ていたデイダラくんが顔だけで振り向いた。座椅子がギシッと音を立てる。
結局私はまたここに来てしまった。誰かにそばにいて欲しくて、もう来ないと決めていたここに、私はまた来てしまっていた。
さっき鏡で見た顔はほんのり目元が赤くて、きっとデイダラくんは私が泣いていたことに気が付いているだろう。理由を聞かれたら、なんて答えよう。そんなことを考えていると、座れば、と手招きされ、私は素直にデイダラくんと反対側に腰を降ろした。

「なんか食ったか?」
「ううん」

食欲なくて、とは言えず。かと言って、昨日みたいに元気にラーメンを食べる気にもなれず。私の言葉にデイダラくんがキッチンの方に行き、お皿二つを持って戻ってきた。

「今日時間あったから作ったんだ。食べるかい?」

コトッと目の前に置かれたのは、カレーライスだった。私の分と自分の分。差し出される銀色のスプーン。

「これ、デイダラくんが作ったの?」
「まぁな。オイラのカレーはなかなか評判いいんだぜ?腹減ってたら、食べてみろよ。うん」

そう言って笑ってデイダラくんはいただきますとパンッと手を合わせ、カレーライスを頬張った。頬張りすぎて口の端にルーが付いてる。気付かないのか、それともそんなのに構ってられないくらいなのか、「あー…やっぱうめぇ」と目を閉じてその味を噛み締めるデイダラくん。その姿に思わず吹き出してしまって、そしたらデイダラくんが訝しげな顔で私を見てきたから、また笑いが止まらなくて。

「ねぇ、口、付いてるよ」

ニヤついた顔のまま自分の口の端をトントンと叩くと、デイダラくんは慌ててティッシュで口を拭った。
耳が赤い。気付かなかっただけみたいだ。その慌てようにまた私が笑って、デイダラくんが文句を言って。


(あ、私笑ってる)


今日は、当たり前のことができないような気がしてたのに、当たり前にできている。


「よーし!私も食べちゃおう!」

手を合わせて目を閉じた私は、デイダラくんが優しい目で見ていたことは知らない。



汗を流しながら食べたカレーライスは一段と美味しかった。人の作るご飯って、どうしてこんなに美味しいのかな。時折髪を靡かせるように吹く扇風機の生ぬるい風がまた心地良くて、食欲ないなんて思っていたのにあっという間に平らげていた。

「デイダラくん、料理得意なんだね」
「得意って訳じゃねーけど。偶に作るくらいだな。まぁ、オイラは基本的何でも出来るからな」

うんうん。そう言って満足げに笑ったデイダラくんが作ったカレーライスは本当に美味しかった。大きく切られたジャガイモに人参。ざっくりと切られた玉ねぎ。ゴロゴロの食材は男の料理という感じだったけど、歪な形がなかったからきっと包丁の使い方にも慣れているんだろう。男の一人暮らしってコンビニのお弁当やお惣菜、そんな印象があったからちょっと意外だった。

「片付けは私がやるよ」
「いや、オイラはやる」
「もしかして、あんまりキッチンに立たれるのとか好きじゃない?」
「そういう訳じゃない。仕事してきたんだろ?だからオイラがやるって言ってんだ。うん」

流し台にお皿を運ぶ私の後ろから、デイダラくんも自分の皿を持って着いてきて二人して流し台の前に並ぶ。お皿に水を入れると、カレーの名残が浮いてきた。
仕事してきたのは間違いないけど、泊めてもらってご飯まで作ってくれて、片付けまでさせてしまったら申し訳ない。フェアじゃないよ、と言っても無視してデイダラくんはスポンジを手に取った。それを奪い取ろうとしたとき、たまたまラックの一番下の段に目がいって、そこには昨日食べたインスタントラーメンがあった。昨日食べたのは最後の二袋だったのに。新しいのを買ってきたんだろうか。

(あれ?そういえば、)

居間にあった空のペットボトルたちがなかった。カーテンレールに引っ掛けていたTシャツも、敷き放なしだった布団も。
デイダラくんを見るとスポンジに洗剤を垂らそうとしているところで、私は急いでそのスポンジを奪った。

「うぉっ、何すんだ」
「ダメ、私が洗うから!」

少し大きくなった声にデイダラくんは目をぱしぱしさせたあと、小さな声で「おぅ」と呟いた。スポンジに洗剤を垂らして流水を染み込ませる。冷たくて気持ちいい。

カレーライスも、補充したラーメンも掃除も、たまたまだった?それとも、もしかして、私のためにやってくれた?
分からない。だけど、じゃあオイラは皿拭き担当。台所に肘を付いてこっちを見るデイダラくんがやけに楽しそうで、心がじんわりとあたたかくなった。





「そろそろ寝るか。うん」

片付けも終わって二人で特に何をするわけでもなくテレビを観ていたら、いつの間にか時間は深夜になろうとしていた。

「え?もうこんな時間!?」
「布団敷くからそっち持って」
「あ、うん」

テーブルを端に寄せ、そこにデイダラくんが押し入れから出した布団を敷いていく。昨日よりふかふかと厚みがあるのは気のせいじゃないだろう。今日はお天気だったからきっと天日干ししたんだろうな。
その上にシーツを被せ、デイダラくんが頭側、私が足側のシーツを入れ込んでいく。淡い水色のシーツはデイダラくんの瞳のようで、デイダラくんによく似合う色だ。まるで空のような、この色が。

「シーツ洗ったから」
「え?」

そう言って座椅子をフラットにするデイダラくん。まさか、

「ちょ、ダメだよ!私がそこで寝る!」
「女をこんなとこで寝かせるやつがどこにいるんだ!いいから黙ってそこで寝ろ!うん!」
「やだ!だってそんなとこじゃ疲れ取れないもん!私がそこで寝る!」
「な、やだって…、だからオイラは元々ここでもよく寝るって言ってんだろーが!ほら、寝ろ!」
「そんなの嘘だもん!痛い!やだ!」

タオルケットを頭から被せられて、無理矢理布団に連れてかれて、猛抗議するけど男の子の力には敵わなくて。だけど、デイダラくんをそんなとこで寝かせたら絶対ダメだ。昨日だってそこで寝てたのに、身体に悪い。
だけど、デイダラくんも私もきっと折れないから。もう、こうなったら、
驚いた声を出したデイダラくんの腕も思いっきり掴み、そのまま全身を使ってデイダラくんに体重をかけると、全身に走る軽い衝撃と反転する視界。


「もう、じゃあ、一緒に寝よう」


布団に仰向けに倒れたデイダラくんに跨がって、私は言葉のトーンを強めて言った。
だって、こうでもしないとラチがあかないから。
目を見開いたデイダラくんの顔がどんどん真っ赤に染まって、状況が把握できないのかその形のいい口をぱくぱくと動かすだけで、どうやら反論の言葉は出てこないようだ。

(よし、勝った)

やっとこの攻防に終止符を打ったと私は上機嫌にデイダラくんの上から退いた。

「な…ッ!何言ってるんだ…ッ!!正気か!?うん!?」
「正気よ。だってそうじゃないと私もデイダラくんも折れないからラチが明かないじゃない」
「だ、だからって一緒に…!」
「だって別に何もないでしょ?」

ワンナイトラブみたいに、見ず知らずの男女が一夜を過ごすことがあっても、ここにいるのは男女は男女でも歳の差があり過ぎる。お互いそういう対象で見ることがまずないから、私たちは大丈夫だよ。

「ほら、寝よう?」

何故か俯いて動かなくなってしまったデイダラくんを他所に、私は部屋の電気を落とす。
私が横になってから、暫くしてデイダラくんも横になった気配を感じた。布団と布団の端。真ん中にはあの水色が覗いているだろう。静まり返った部屋に、扇風機の音だけが聞こえる。


電気を消してからどれくらいの時間が経ったかな。あんまり眠たくない。
デイダラくんは寝ただろうか。背中に感じる気配は静かだけど、寝息は聞こえない。

「デイダラくん」

小さな声で呼んでみる。

「なに」

あ、起きてた。

「まだ起きてたんだ」
「…寝れるわけないだろが」
「え?」

あまりにも小さな声で聞き取れなくて、聞き返しても何もねーよと返ってくるだけでそれ以上は教えてくれなかった。

「…デイダラくん、私のこと何も聞かないね」

どうして家がないのか、なんで泣いてたのか。
今日も身構えてたのに、結局デイダラくんは何も聞いてこなかった。
家だけじゃない。お金も、恋人も失って、私にはもう、なにもない。
人生がやり直せるんだったら、いつからやり直す?
もう、だって、遅いよ。

「別に…」

ぶっきらぼうな言い方。デイダラくんが体勢を変えたのか、衣類の擦れる音がやけに響いた。


「言いたくなったら、オイラが全部聞いてやるよ」


優しい声に、頬に一筋涙がこぼれ落ちた。


「…うん。ありがとう」

少し鼻の詰まった声がバレないようにタオルケットに顔を埋めて返事をする。

「家、決まるまでここにいろよ」
「でも…」
「でももクソもねェ。オイラがいいって言ってんだから、いいんだよ。うん」

乱暴な言葉なのに、声はやけに優しくて。溢れる涙は止めようがないくらいにシーツを濡らしていく。


「ありがとう。デイダラくん」


タオルケットと、優しさを抱きしめて、私は目を閉じた。








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