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 二日経った朝、店の前で待っていると昨日きのうの男がやってきた。流石さすがに朝から呑んでいることはないのか、酒の香りはしない。一昨日おとといはカウンター越しだったが、隣に並ぶと改めて男の体格の良さに圧倒された。


「おう、早いな」
「待たせるわけにはいかないので」


 男の隆々とした上腕に彫られた繊細な刺青しせいを横目で見ながらそう言うと「子供のくせして生意気だ」と髪をぐしゃぐしゃにされた。撫でられていると理解しても、俺の頭蓋骨なんて片手で握り潰してしまいそうなその大きな手が誤って頭を首からもぎ取ってしまわないかとても気がかりだった。
 どうやらさっそく天空闘技場へと連れて行ってくれるらしい。男はスティグマと名乗った。いかにもな名前だと思ったが、それが本名かどうかなど俺にとっては気にかけるようなことでもない。


「アイヴィーはいつもそんな喋り方してんのか?」
「知り合ったばかりの年上に砕けた話し方はしません」
「お前いくつだ?」
「十歳です」
「まだ全然子供じゃねーか! オレがそんぐらいんときゃ虫追っかけてひざ小僧擦りむいてたぜ? 子供は子供らしくしてりゃいいんだよ、子供なんだから! そんな堅苦しい言葉なんて使ってないでな」


 スティグマさんは口を大きく開けて豪快に笑った。加減も知らずに背中を叩かれて危うく前方に転びそうになる。……ほかはどうであれ、たしかにこの無銭飲食に気遣いは不要かもしれない。


「スティグマ」
「……!」
「……これでいい?」
「ああ! それがいい」


 スティグマは少し照れ臭そうに笑う。酒も呑んでいないのに朱を帯びた頬に、素直に甘えてよかったとちっぽけな勇気に感謝した。


「じゃあそろそろ行くか」


 そう言うと彼は俺の手を引いて歩きだす。「子供の足には少し遠いが我慢してくれ」やら「途中で飯食ってくか」なんて話しているが、そんなことはどうでもよかった。いや、また財布を持っていないかもしれない。食事は却下だ。


「どうした?」


 俺が言葉も返さず繋がれた手をじっと見ていると、彼はそんな俺を疑問に思ったらしい。勝手に繋いでおいて「どうした?」はないだろう。


「……手」
「手? あ、嫌だったか?」
「ううん。どうして繋ぐのかなって」


 純粋な疑問をぶつける。訊かれたほうのスティグマは「そりゃ、」ときちんとした理由があるかのように間髪かんはつを容れず口を開いたが、その後に続く言葉はしばらく待てど出てくることはなかった。


「……どうしてだ?」
「え? 俺が訊いてる側だよ」
「うーん、ちっこい子供と歩くときはこうするもんじゃねーのか?」


 俺が両の手を使っても到底一周することは叶わなそうな筋の浮き出た太い首が傾げられた。そういうものなのだろうか。


「そういや妹はいつもされてたような……?」


 ふと故郷での日々がよみがえる。移住はもう済ませたのだろうか。あいつは今ごろ“一人娘”として育っているに違いない。
 彼につられて俺も首を傾げると、「兄ちゃんだったのか」と言ったっきりその口は閉じられた。家族の方向へと話が転ぶかと思ったが俺の思い過ごしだったらしい。
 子供が働いているとなると大抵わけありだが、アイヴィー=ルーファスもその例外ではないと思ったのかもしれない。深く掘り下げないその優しさは中途半端に不器用で笑いを誘った。


「スティグマがこれをすると誘拐してるみたいだ」
「……あ!? んだとこのガキ!」
「だって悪そうだし、俺と似てないし」
「見た目で人を判断するんじゃねえ!」
「わあ、たーすーけーてー」


 棒読みで言うと彼は焦ったように俺の口を手で塞いでキョロキョロと辺りを見回した。それするともっと怪しく見えるって、なんて俺の口を塞ぐ手を見ながら呆れる。


「……理由はよくわからなかったけどさ」
「ああ」
「少し嬉しい……かもしれない」
「そうか」


 彼と視線を交わして小さく笑う。体温が高すぎるように思える大人の手はすっぽりと俺の手を覆い隠しながらゆらゆらと揺れた。「それなら」握られた手にほんの少しだけ力が込められる。なんだ、ちゃんと加減できるんじゃないか。


「いつかお前が大人になってこうして子供と出会ったら、同じことをしてやるといい」
「……俺が?」
「ああ、お前が」


 俺にできるだろうか。ちょうど目の前に転がっていた小石を蹴ってぼんやりと考える。自分が大人になった時など想像もつかない。俺はどんな大人になっているのだろうか。自堕落に過ごしている? 真面目な勤め人になっている? ……どちらも似合わないな。
 それなりの自由は欲しいし自分が良ければ大体それでいいが、だからといって自分を優先順位の一番に位置付けるのはあまり得意ではないのだ。わがままとでも何とでも言ってくれればいい。……ああ、そもそも俺はきちんと生きているかも怪しいな。
 いつか子供と関わった時――そんな未来は来ないかもしれない。来たとして、俺は手を取ってあげられる大人になれているのだろうか。今日のことなどすっかり忘れて、道の端でうずくまる子供を見て見ぬふりしているかもしれない。
 何度目かの蹴った小石は思いのほかよく飛んで、建物の影へと転がって見えなくなってしまった。黙りこくる俺がわかりやすい表情でもしていたのか、彼は「できるさ」と優しく目を細めるなり、希望を分け与えるかのように繋いだ手をしっかりと握りこんだ。


「スティグマ、俺の手を折らないでね」
「ああ!?」
「い゛っ……!」

(P.16)



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