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「うわ……」


 目の前に悠然とたたずむ巨大な建物に思わず一歩後退あとずさってしまったのは仕方のないことだと思う。先端に行くにつれて細くなりつつも、雲すら突き抜けるこの建物こそ天空闘技場らしい。たしかに天空とは言っているが、こんな規格外の建物に連れてこられるとは一体誰が想像しただろう。


「……百階はあるってのは話で聞いてたけど、これ二百……いや、二百五十階はあるよね?」


 建物を見上げながらざっと目測する。千メートルほどだろうか。見ているだけで首を痛めそうな天空闘技場から彼に視線を移すと「二百五十一階建ての建物だ」と得意気に笑った。


「大丈夫か? なァに、二十階程度ならそこまででもないさ。焦らず、一階一階少しずつ強くなっていけばいい」
「……いや、違う、違うんだ。最高だよスティグマ……!」
「アイヴィー、お前……」
「何?」
「いや、何でもねえよ。ここで立ち止まってると邪魔になる、並ぶぞ」


 繋がれた手を引かれるがままに付いていく。チケットを売る者、殺気立つ者、賭けの予想を話し合う者――天空闘技場に近づくにつれ増えていくさまざまな人の横を通り過ぎて、参加者の最後尾につく。途中、念能力を扱えると思われる人も数人ばかり見かけた。ルクソ地方から出た後、当然念能力について調べたがそれらしい情報はほとんど無に等しかった。それがまさかこうも簡単に手がかりを掴めるとは。ここは期待以上の場所だ。
 俺は戦うことが好きなわけじゃない。人を痛めつけて快楽を得るような人間でもない。しかしだからといって弱いままでいていい理由にはならない。どんなに正しい理屈があろうとも、そこにどうにもすることのできない力が介入すればそれはそこまでだ。弱肉強食とはよく言ったものだが、弱者に回ることを受け入れることは愚者であると認めるようなものだろう。まあ、まるで恐ろしくないわけじゃないが。


「ここが受付だ。ほらよ、さっさと書いちまえ」


 並んでいた人数の割に列はすぐに消化され、いかにもな制服を着た女性に記入用紙を差し出される。二本備え付けられているボールペンのうち一本を手に取り、バトルクエスチョンと大きく書かれた用紙の記入欄を埋めていく。名前、生年月日、闘技場経験の有無、格闘技歴、格闘スタイル――五つの項目すべてを埋め終わった頃、彼が横から用紙を覗き込んできた。


「お前、格闘経験あったのか」


 驚いた様子を隠すことなくそう言った彼に今度は俺が驚く番だった。たしかに俺はあまり体格に恵まれているわけではないが、少しでも動ける奴だと思ったからこそスティグマは俺をここに連れてきたんじゃないのか。


「自分で鍛えていただけだけど……」
「そーかそーか! ならここはこうしちまえ!」


 彼は俺の手からひょいとボールペンを抜き取る。そして俺が二年と書いたはずの格闘技歴の欄に嬉々として〇を一つ付け加えると自慢げに俺に見せつけた。


「……ちょっと待ってよスティグマ。スティグマはきっと俺が早く上の階に上がれるようにしてくれたんだよね。だけど流石さすがにこれはおかしい。勘違いじゃなければ俺はさっき年齢を言っているはずなんだ。十歳、って。しかも二つ上の欄を見て。俺が書いた生年月日、見える? 生まれる十年も前から格闘技経験者ってどんな奴だよ。母親すらまだ十五やそこらだ」
「つまりは?」
「書、き、な、お、す!」


 ふざけた事を書いた彼のすねをつま先で蹴飛ばす。鈍い音がして、彼はもたれかかっていた机から崩れ落ちた。声にならないうめき声が屈んだ彼から漏れる。筋骨隆々とした男が丸まる姿はジャポンの置物であるダルマを彷彿ほうふつとさせた。ダルマのように顔ではないが彼の上腕にも墨が入っているし、強面こわもてなところも似ている。ぴったりだろう。


「お、前……。ならせめて五年な。今の蹴りは二年の奴じゃないぞ……確実に……」


 すねを押さえて顔を青くする彼の手から落ちたボールペンを拾い、二十年と書かれたそれに打ち消し線を引く。……五歳から格闘経験ってのもあまり無いと思うんだけど。ここに来る連中はその年やそこらにはもう格闘に慣れ親しんできた者たちばかりなのだろうか。
 しばらくの間手の中でボールペンをもてあそんで悩んだが、その割にはそこまで強そうに見えない列の後ろの人々を見て、まあ何とかなるだろうと、彼の言う通り五年と記入して受付の女性に用紙を提出した。


「にしても、格闘スタイルが『武器使用』って大雑把すぎねえか? つか武器なんか持ってねえだろ」


 受付から立ち去った後、歩いていると彼が俺の服をひらひらとめくって武器を探しだした。俺がまとっているのはクルタ族の民族衣装であってワンピースでも何でもないものの、人の服を堂々とめくりながら歩く奴があるか、なんて思わずにはいられない。
 すう、と涼風が入ってきて、こもっていた熱が逃げていく。


「ヘンタイめ」
「え? あ、違っ……」
「脱いであげようか」
「は?」
「そんでもってこう言うんだ。『お願い、誰か助けて! このおじさんが僕に変なことをしてくる! 怖いよ!』」
「や、やめろ! 待て俺が悪かった……!」
「冗談に決まってるだろ。お目当ての武器モノは見つかった?」
「……ビビらせやがって。ねえよ。隠すのうめぇな」
「ありがとう。見つからない自信はあるんだ。身を守る手段を奪われるわけにはいかないから」


 我ながらかなり雑な説明だと思ったものの、どうやら納得してくれたらしい。「それもそうか」と頷くなり、顔に貼り付いていた疑問符は剥がれ落ちた。あまり深く考えない人なのかもしれない。


「スティグマは受け付けてもらわなくて良かったの?」
「俺は観客だ」
「は?」


 ふふん、と彼は鼻を鳴らす。後ろに並んでいた受け付け待ちの人たちよりも余程いい戦いをしそうだというのに。「お前に賭けるから勝ってくれよ?」なんて黄ばんだ歯を見せてにやにやと笑うスティグマはどうやらギャンブルの場として天空闘技場を利用しているらしい。働いていた子供を誘い込んだ目的が賭け事とはいい度胸だ。


「お金が無いなら賭け事よりも就職口を探したらどうかな。無銭飲食」
「ちょっ……あん時はたまたまだ。こう見えても働いちゃいるんだぜ。まあ……金が無いのは否定しないが」
「働いてるの? スティグマが?」
「お前俺を何だと思ってんだよ……」
「真昼間から店を梯子はしごしては文句を垂れる酔っ払いギャンブラー……?」
「オイ」
「真面目に働く幼気いたいけな少年をたぶらかして賭け事に使うなんてワルい大人だよな。ぼくこわい」
「お前なあ……!」


 彼の大きな手が俺の髪を乱す。男にしては少し長すぎる髪があちこちおかしな方向へと遊んだ。色付きのコンタクトはしているものの、普段は髪を垂らしている右目が外でこうもさらされると少し落ち着かない。
 自分で乱しておいてすぐに手櫛でいてくる太い指を甘んじて受けながら、「間違ったことは言ってないと思うんだけど」なんて口にすれば彼は駄々をこねる子供のように口をとがらせた。「ごめんね」と謝罪したものの、くすくすと笑いがこぼれるのはどうしようもなかった。


「――ねえ、そんなに俺、お金のイイニオイがした?」


 先のスティグマのようににやにやと笑いながら、かっちりと着ていた服の襟もとを緩めて俺の髪に指を通していた彼にり寄る。体同士が触れ合って、互いの体温の差をより明確にした。彼の背に手を回して彼の着ているシャツを握り込む。
 しかしすぐに引き剥がされ、「どこでそんなこと覚えやがったんだ……!」とご丁寧に服まで直された上で先ほどよりも少し距離をとられてしまった。冗談にくらい乗ってくれてもいいだろうに。つまんねーの。


「で、どうなの?」
「……ああ、そりゃもう。負けた憂さ晴らしに何となく入った店だが、見た途端『こいつだ』って思ったぜ。何でかって言われると俺もわからんが」
「……負けた人にそう言われてもなぁ」


 どこまでこの男の勘を信用したものか。自惚うぬぼれと言われるかもしれないが、見た限りだとそこそこのところまでは子供の俺でも進めそうだとは思う。しかし果たしてここでは念能力を使っていいものなのだろうか。まあ使えたら使えたで戦術の幅が広がるし、使えなくても純粋な力を鍛えることができるから特に文句は無いが。


「精一杯って俺に思いっきり稼がせてくれよ、アイヴィー坊や?」
「せいぜい観客席でふんぞり返って俺に大金をつぎ込んでなよ、スティグマおじさま」


 顔を合わせ、どちらからともなく目を細めて口端を吊り上げる。
 しかし廊下を抜けた先、沢山の照明の下、十六個のリングをぐるりと観客席が囲む一階の闘技場は歓声や怒鳴り散らす声にあふれ、早くも俺を疲れさせたのだった。

(P.17)



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