赤ずきんちゃん気をつけて



父と母は三年前に離婚して、おれと弟は父親のもとで育てられることになった。
しかし如何せん父は忙しいひとで、今まで母がこなしていた家事は全ておれに回ってくることになった。
父はときどき思い出したようにおれの苦労を褒め称えるが実際手伝ってもらえたことはない。
仕事で疲れているだろう父に自分から何かを強請ることなど出来ず、日に日に胸の内に溜まっていくストレスはしかし、おれのたったひとりの弟によって日々和らげられている。

(気持ち悪い…)

土砂降りのなかをビニール傘をさして、すでに水浸しのローファーをざくざく言わせなあら学校帰りの道を進む。
園について通い慣れたその玄関に向かって、ドアを開ける前に傘を壁に立てかけて頭を振る。水滴があたりに飛び散っていく。それを横目にこれじゃ中に入るのは無理だなと思いながら、少しドアを開けると、薄暗い空と対照的な明るい室内の光が漏れ出た。

「かーずーはー」
「にいちゃん!!!」

呼ぶと、間髪入れずにひよこ組とプレートがかかった一番手前の部屋から、今年4歳になる弟が飛び出てきて、今まで憂鬱だったのが嘘みたいに吹き飛び、自然と笑顔になったのを感じた。

「にいちゃんびしょびしょ!」
「うん。外やばい。土砂降り」
「どしゃぶり?」
「雨いっぱい」
「そっかあ」

目線を合わせようと玄関先でしゃがみこんだ俺に、「だいじょうぶ?」と心配そうに和葉は俺の髪を撫でた。

「うん。カズもはやく帰ろ」
「うん!!」

ちょっと待っててね!と部屋に戻っていく和葉を見送りながら今日の夕飯どうすっかなと考える。
この雨だとこれから買い物にもいけない。残り物でなんとかするか……なにあったっけ。
そして一応カズも置き傘があるはずだけど、たぶん俺みたいにびしょびしょになるなと思い当たってどうしようか迷う。タクシー呼ぼうか。父親はなにも言わないと思うけど家計をつけている身としては無駄な金は使いたくなかった。
でも和葉が風邪をひいたら元も子もない。考えをめぐらしていると、不意に、

「圭介くん」
「え」
「大丈夫?」

黄色いエプロンを来た若いお兄さんが、心配そうに眉をひそめて目の前に立っていることにようやく気付いた。
ひよこ組の、和葉の組の担当の先生だった。

「あ、すみません」
「いいよいいよ。ていうか上がりなよ。タオル出すから」
「いや、もう帰るんで」

そう言うと先生はまた何事か言おうとしたが、和葉が「おにいちゃん!」と置き傘を振り回しながら俺に突っ込んできたのを見て笑った。
その笑顔に、自分の子供を迎えに来てたマダムたちが頬を染めているのが見えた。すげえ。

「歩いて帰るの?」
「……タクシー呼ぼうかなって」
「え?タクシー?」

俺の言葉に驚いたようにひょいと眉を持ち上げた先生は、少し考える素振りを見せてから「よかったら送ってく?」と再び笑みを携えながら首を傾けた。

「え」
「ほらもう遅いし。俺も今日はもうすぐ上がりだから。車の中で待ってて」
「……え、でも」

おれびしょびしょだし。
シートを汚すんじゃないかとか和葉もいるしとかていうかこんなことしてもらう義理はないとか、でも、和葉が風邪引くよりはいいかとその魅力的な誘いに乗ろうとしたとき、


「だめ」
「え?」
「おにいちゃん、歩いて帰ろ? かずは新しいかさ使いたい」
「……どうする圭介くん?」

和葉が珍しく強めに否定を示した。先生は苦笑している。
しかし弟が新しい傘を使いたいと言ったのが可愛くて、首を振った。

「カズもこういってるんで……すみません。ありがとうございます」
「いや。じゃあ、また今度な」


また今度なんてあるのか。と思いながらも再度頭を下げてカズがしがみついてくるのに笑って園を出た。





「くそ逃げられた……」
「あははー圭介くんクールですねぇ」

出て行ったふたつの背中が完全に見えなくなってから舌打ちをすると、同僚が面白そうに笑った。笑ってんじゃねえうぜえ。

「あー、もうほんとかわいい。マジかわいい。シャツ濡れてたしエロいかわいい」
「うわあ理一さんキモイ」
「うるせえ」

いつもふわふわしている髪が珍しくへたっていた。
いつも無表情なのに、弟には顔全体の筋肉を弛緩させるようにへにゃりと笑う。
中学生の頃からほとんど毎日かかすことなく送り迎えをしているらしい。マジ健気。ほんとうかわい。

「圭介くん車に乗せてたらどうしたんですか?」
「もちろん送り狼」
「和葉くんいるのに?」
「………あのガキな」

確かに可愛いが兄貴のことになると、他の子供や大人が話しかけようものなら笑顔で邪魔するところが可愛くない。

「あー、でもほんとかわいい」

俺の嫁になってくんねえかなあ…と呟くと同僚に笑われた。重症だと。だってあの子かわいすぎんだもん。いろいろとストライク過ぎてやばい。

「台風でも来ねえかな。停電とか」
「なんでですか」
「和葉置いてって圭介くんだけ車で俺んちまで避難させる」
「うわあ狼がいるー……」



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