青々とした葉がやわらかく擦れる音が耳元に届いた。
視線を上げると、とうに散った桜の樹が風に圧されてかすかに揺れている。なんでもないことなのに物凄く新鮮な気分になるのはきっと、長らく引きこもっていたせいだ。久しぶりに日光を浴びているせいで少し目が痛んで目を細めた。

待ち合わせ場所に来てから数十分。姿を現す様子がない相手方。ずっと立ちっぱなしだったせいか脚がしびれてきた。座りこもうとしたがもらったばかりの制服を汚すのは気が引けて下しかけた腰を上げる。所在が無い。暇だった。目の前に立ちそびえる校舎は自分が通っていた中学とは全く違うきらきらしい建物で、もしかしたら自分を運んできたタクシードライバーは場所を間違えたのではないかと思う。だから来ないのか。納得しかけたとき、その校舎から走り寄ってくる人影が見えた。

「っはあ、ごめん! 途中で教師につかまって遅れて…。……えーと、」

顔を見たが名前が出てこなかったのか、間が出来た。

「山中陽汰です」

慌てた様子の迎えのひとにハンカチを手渡すと、少し驚いたように目を見開いてから、やさしいねと紺色のそれを受け取ってくれた。

「……山中くんって高校から編入だっけ? 来週から入学式だけどわからないことあったらなんでも聞いて」

行こうか。と微笑んで校舎へ促され、ようやく脚を動かす。ずっと立ち尽くしていたからかひさしぶりに筋肉がほぐれる感覚が気持ちよかった。緑色の芝生に光が落ちている。じりじりと痛む肌は焼けたせいかもしれない。熱かった。気をつかったように顔をのぞきこんでくる迎えの人。

「僕ここの生徒会の副会長を務めさせて頂いている岡慶介。よろしく」
「岡先輩」
「そうそう。…もしかしてずっとあそこ立ってた?」
「?」
「顔まっか」

もともと色素が薄いせいか陽の光に強くないせいで、すぐ赤くなる。冷やせば落ち着くだろう。大丈夫だと首を横に振ればごめんねと再度申し訳なさそうに眉をハの字に垂らした。

「……山中くんのほかにも編入生がいるんだ。さっきその子の相手してたんだけど、なんか元気のいい子で」
「元気のいい子」
「そう」

元気のいい子が苦手なのかと思ったが、そうなんですかと頷くに留める。岡先輩は疲れているように見えた。男にしては美しい顔立ちに影が差している。
それにしても、今更ながら綺麗な人だなぁと思わずその横顔を歩きながら見つめていると、

「そんな見られると照れるなー」

すこし沈黙が落ちた空気を振り払うように明るく言われた。そしてすごくいいひとだと再認識する。すごく。かっこよくて優しくて人に気を使えるなんて。長らくひきこもっていた自分には到底できない芸当である。もしこんな初対面の、しかも男のなんかに見つめられたら、自分だったら素直にきもちわるいと思うだろう。でも先輩は気をつかってくれる。嬉しくなる。自分でも気づかないうちに頬が緩んでいたらしかった。先輩はふと立ち止まってじっと顔を見つめてきた。思わずつられて立ち止まる。

「山中くんって」
「?」
「なんか笑うと、雰囲気変わるね」

先輩の言葉には身に覚えがあった。地元でもよく言われていた言葉だった。特に気にしたことがなかったけど、癖らしかった。
基本的に嬉しがりで、嬉しくなるとすぐ笑ってしまうので相手は困るらしい。なんで困るのかは、いつ聞いてもよくわからない。

「可愛い、もっかい笑ってみて」

そしてよくわからない賛辞が先輩の口から飛び出てきた。可愛い?自分の顔を思い浮かべてみたがどこにでもいそうな特筆すべきことのない男子高校生の顔で、そんな形容はふさわしくないように思える。身長も170代だし、髪も短い。
でも一応褒めてもらえたのがうれしくてまた笑うと、先輩は真顔になって、

「いやマジで。なんなのきみ。あれ僕疲れてるのかもしれない。あの転入生のあとだからかな」
「え」

後半うまく聞き取れなかったけど今の今まで愛想笑いを浮かべていた先輩の真顔に驚く。なんなのきみ。もしかして今の言葉は怒られたのだろうか。へらへらしないほうが良かったのかもしれない。

「あ、違うよ。怒ってない」

なんだ。

「……マジでかわいいな。山中くんさぁ」
「はい」
「僕専用の癒し係にならない?」

え?

いつのまにか校舎についていたみたいで、先輩は職員室らしきところまで手を引いて行ってくれて、そして何事もなかったかのように「いつでも連絡してね」とラインのアカウントを口頭で言って、それを復唱させると満足そうに手を振って去っていった。





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