学校に行く前に海に行くと、クジラが大量に打ち上げられていた。






家の裏口を抜けて小道に入った。古い民家が立ち並んでいて道は狭い。暗い影を潜り抜ける。コンクリートだった地面にだんだん白い砂が見えてきて、しばらく歩き進めると不意に視界が明るくなり、足元が砂に包まれた。
何をしにきたというわけでもない。視線を上げると砂と水の境界になにかが見えた。なにかと思って見つめていると尾鰭のようなものが見えた。皺の入った腹が見えた。魚らしい。なかなかに大きい。何をするわけでもなく暫くその幾つかの魚を見つめ続け、そして、それはどうやらクジラらしいと検討をつけた。




砂が入ってしまったらしく、ザクザクと音を立てるローファーのまま予定通り登校し、席に着こうとしたとき白衣を着た教師に雑用を言い渡され、生物室に二人で赴いて、今日の授業で使うらしいプリントの束とグロテスクな内臓の模型の準備をしていたときだった。ふと生物室の部屋の中にあった何が漬けられているとも知れぬホルマリン漬けを発見してしまい、暫時それを見つめてしまった。


あの魚は死んでいたようだった。あれからあの死骸はどうなるのだろう。大きさからして波が攫ってくれるとも思えない。おそらく誰かが発見して、そのあと市の職員たちでアレをどうにかこうにか処理するのだろう。その後は。目の前の何とも筒の中に浮かぶ爬虫類のようなカエルの卵のようなものから目が離せないでいると、思い出したように名前を呼ばれた。振り向こうとしたが視線はそこに釘付けになったまま「はい」と返事をした。
「それが好きなのか」「いいえ」「怖いか」「そうですね」「俺は怖い」「そうですか」クジラを入れるには小さすぎるかもしれない。視線を教師に向けると「それで」白衣の棟ポケットから開封済みのソフトパックの煙草が覗いている。少し間が空いてから「なにかあったのか」と言われた。

「なにか……」

自分の声が、少し声が掠れた。クジラの死骸を見かけたような気がします、と言うと教師は黙った。そして不意に煙草を持っていない方の手で頭を撫でられた。
あの魚は。どうしてあんな浅瀬に出てきてしまったのか皆目見当もつかない。まどろんでいたのかもしれない。ときどきああして、まるで憑かれたように陸地に上がるクジラがいるらしい、という話をどこかで読んだことがある。昔は陸に棲んでいた。そのことを思い出して、微睡ながら嵐のなかを揺蕩っていたのかもしれない。混濁とした意識が脳みそを満たしていたのかもしれない。希求した先には何があったのだろう。きっと解体されてしまうだろう。そしてもしかしたら、目前のこれらと同じくしてホルマリン漬けになるのかもしれない。目がはなせない。
「なお」教師がいつの間にか手を頭から頬へと移動させていた。「かなしい?」ようやく自分の目から潮水が溢れ出しているのに気付いた。教師は笑った。





クジラのホルマリン漬けと白衣




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