トンボじゃないんだから。
たしかに僕はそう思った。だが僕の気持ちに反して、ハチはエヌ君の周りを旋回したあと、トンボのようにぴたりと彼の人差し指に留まった。刺されるんじゃないかと心配する僕、動揺ないエヌ君。ハチは、ほんの二三秒間エヌ君の指に留まったかと思えば、またブォンと飛び立ち、森の深い方へ行き、見えなくなった。
――もう大丈夫だろう。
とようやくエヌ君は口を開いた。
――刺されなかったの。
――別に、大丈夫だよ。
エヌ君はちょっと困ったように笑った。その仕草がどこか大人っぽくて、僕には少しうらやましかった。
――何で刺されなかったの。
笹の道を越え、神社の前の広場に着いて、僕はエヌ君に聞いた。
――何で、というか……。
エヌ君はことばを詰まらせた。が、小さくひとり言のように、
――空を飛ぶものはみんなハラカラだからさ。
ハラカラ?
僕がぽかんとしているとエヌ君は広場の立て札を見上げて、
――ああ、ここ本当に城址だったんだねえ。
さっきのことばをごまかすように、感嘆するのだった。
それから、僕達は広場を抜けて水田沿いの道をしばらく歩いた。僕達のいる集落があり、延々と水田が広がり、向こうの方に別の集落が見える。自転車や車でないと向こうの遠い方へは行けないのだろう。
――本当に、広いね。
ぼんやりとエヌ君が言う。
――東京には田んぼ無いの。
――あるにはあるけど、ここまでずうっと広がっていない。それに、こっちは空も広いね。
そう言ってエヌ君は空を仰いだ。日はずいぶん傾いて、ふわりと涼しいそよ風が吹いた。
――やっぱり、東京ってビルばっかなの。
僕が尋ねる。
――場所によるよ。都心は本当にビルばっかりで狭いけど、僕が住んでる所はそうでもない。街路樹とかもまあまああるし。
でもやっぱりここは違うな。空に解放感があるんだ。
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