2020兵長生誕祭 | ナノ


パネットーネカンターレ



紅茶を一杯飲む時間。それはリヴァイにとって、人間のナマエと話すことの出来る時間と同義である。

突然現れた紅茶の妖精ことナマエは、普段はリヴァイのてのひらに乗るほど小さな女の子のかたちをしている。紅茶染めのワンピースを着て、リヴァイの胸ポケットやクラバットの隙間や、外套のフードの中に身を潜めている。

彼が一人きりのお茶の休憩時間、ナマエはカップの中へと飛び込む。そこへお湯を注ぐと、ナマエはリヴァイと同じくらいの普通の人間のかたちになって、リヴァイがナマエの紅茶を飲み終えると、彼女はまた妖精の姿に戻ってしまう。

紅茶の妖精は仕える主人の願いごとが叶うと、ご褒美として人間にしてもらえるという伝説があるらしい。

リヴァイの願い。巨人を絶滅させるという願いはまだ、叶わない。

そんなリヴァイとナマエの奇妙な共同生活も、数年が経った。

願いは叶わずとも、二人はついに壁の外へと飛び出して──

「リヴァイ、リヴァイ」

帽子の中が騒がしい。呼ばれていることにはすぐに気付いたが、リヴァイは深く帽子をかぶりなおした。

「……なんだ。まだ屋敷に着いてねぇ。無闇に喋るな」

「いいにおいがしませんか?」

よほど興奮しているのか、お腹が空いているのか。いつにない全力の、といってもリヴァイからしたらささやかな力で、ナマエは帽子の中からリヴァイの前髪を引っ張った。

「屋台が多いな。やたら色んな店がある。ポケットに来るか?」

「いいんですか!」

帽子の中にそっと手を差し入れると、ナマエはリヴァイの指の間に張り付いた。リヴァイはそのまま人目に触れないように隠しながら、胸ポケットへと移動させてやる。

ポケットから目だけを出して、ナマエは初めてマーレの地を見た。

「わぁ、本当に屋台がたくさん!あ、あっちに走ってる馬車?馬車ですか?あれ」

「昨日ハンジの奴らが騒いでたろ。あれが車だ」

「へぇ!すごいすごい」

到着時はハンジや104期の面々も一緒だったので、ナマエはリヴァイの内ポケットの方でずっとお昼寝中だったのだ。

「お前も車を見るのは初めてなんだな」

「そうです。だって、私も壁内からは出たことなかったですから」

「そうなのか」

そもそも彼女の出生自体が謎だ。巨人よりも謎である。

「お前はどこからきたんだろうな……」

「私はリヴァイのために生まれたので」

「どうなってやがる。妖精の出生事情とやらは」

テンポの良いツッコミが、ナマエの笑いのツボに入ったらしい。リヴァイのポケットは、ナマエが動くたび、小さく楽しくふるえている。

そんな妖精のお目当ては屋台の品だ。

彼女が言う通り、壁内で見かけないものが多い。屋外で売っているだけあって、歩きながら食べれるようなものがメインだ。慣れない文字を一文字ずつ追うと、食べ物の名前もわかる。

パニーノ、トルティーヤ、お皿に乗ったニョッキ、アイスクリームなどなど。屋台の軒先に大鍋を出して、真っ黒なムール貝を煮込んでいるところもある。

アイスクリームは到着した時、ミカサやサシャたちも喜んで食べていた。きっとナマエも好きだろうと思い、リヴァイはアイスクリームをひとつ買う。

「ほら、こぼすなよ」

比較的人の少ない波止場へと移動して、海の方を臨みながらポケットの前にアイスを差し出した。

「これがアイスクリーム!」

勢いよくポケットから飛び出したナマエは、真っ白なアイスへとかぶりつくが。

「オイオイオイ、待て。お前、そのままポケットん中戻るなよ」

食べたい気持ちと、ナマエとアイスクリームの大きさのバランスがうまくいかなかった。顔はアイスに埋まってしまったのだ。

「あはは!つめたーい」

「クソ。お前に食わせるとなると難儀なモンだな」

リヴァイはひとまずハンカチを取り出してナマエの顔を綺麗にしてやると、小指の先でアイスクリームをすくった。ちょこんと小指サイズのアイスはナマエにもぴったりのサイズだ。ポケットの中から顔だけを出したナマエは、嬉しそうに小指の先をなめる。

「美味いか」

「はい!リヴァイは食べないんですか?」

「俺も食ってる」

片手ではリヴァイもアイスを食べる。ナマエだけではとても食べきれない量だ。まだリヴァイの手には、コーンにのったアイスが残っているにもかかわらず。

「リヴァイ、他にも何か食べたいです」

「あ?お前、食うのはほとんど俺だろうが。何か持って帰れるモンにしろ。帰ってから紅茶をいれる」

却下だ、と言わないのがリヴァイだ。ナマエは飛び跳ねて喜ぶと、ふたたび屋台を見回した。

どれも美味しそうで魅惑的なおやつの数々。その中でも一際目を引いたのは。

「あ!あれがいいです!」

細い腕を伸ばして指さしたのは、緑と赤の縦しま模様にゴールドの星が印象的な看板の。

「パネットーネ?なんだ、そりゃあ」

「甘いにおいがします。ケーキみたい」

「まぁ、いい。買って帰るとするか」

パネットーネの屋台には、看板と同じ色で包装されたケーキの箱が山積みになっていた。リヴァイは自分とナマエに一つ。食べることになると幼さが顔を出す部下たちにもお土産に一つ。二つの箱をぶら下げて、ヒィズルの屋敷へと帰る。


ヒィズルの屋敷では、リヴァイは個室を借りていた。104期の男子組などはもれなく全員同室だったが、その辺りはキヨミの配慮があったらしい。

個室内の洗面所でベタベタになったナマエの顔を洗ってやると、リヴァイはすぐに紅茶をいれる。カップの中に入ったナマエにお湯をそそぐと、蒸留酒のコルクを抜いたような軽快な音が弾んだ。

「パネットーネ!」

「ああ。食うか」

大きくなったナマエは、リヴァイが買ってきたケーキの箱を持ち上げる。妖精の時に食べた方が、たくさん食べられて得した気分になるじゃないかとリヴァイは思うが、やはり人間の姿で一緒に食べる方が楽しいらしい。ポケットの中にいたときよりも、ナマエは体を揺らしてはしゃいでいる。

リボンをほどいて箱を開くと、パウダーシュガーがたっぷりかかった丸いケーキが顔を出した。こんもりと膨らんださまはパンのようにも見えたが、パンよりもずっとフワフワしている。

「わ、わ、わ!私が切っていいですか?」

「好きにしろ」

一時期に比べると、壁内でも一般家庭に砂糖が流通するようになっている。ナマエのおやつのクッキーも、頻繁に食べることができるようになっていた。しかし細工の施されたケーキの類は未だ高級品だ。想像していたよりずっと豪華なおやつの時間に、ナマエのテンションも最高潮。

「うわぁ、中にはフルーツが入ってますよ。リヴァイ、どれくらい食べますか?」

「俺は少しでいいから、お前が先に好きなだけ食え」

「でもこんなに大きなケーキ。リヴァイのも大きく切りますね」

分厚く切られたケーキと、妖精の紅茶。

現実はいつだって、容赦無くリヴァイに襲いかかってくるけれど。一杯の紅茶の時間だけは、外の世界にきたとしても変わらない。

ソファに並んで座り、大きくなったナマエは揚々とケーキ皿を持ち上げる。フォークを口に入れた瞬間の顔が、リヴァイの頭の中では容易に想像がついて、リヴァイはナマエよりも先に微笑んだ。

「おいひぃ……」

「そうか」

「リヴァイもひと口どうぞ」

「そりゃお前の分だろ」

「はい、あーん」

ナマエの唇から離れたフォークは、いささか大きなサイズのひと口分を刺して、リヴァイの口の前へと差し出された。自分の分があるのにと思いつつも、リヴァイは黙って口を開ける。

ほんわりとしたケーキ生地に、ブランデーの効いたフルーツ。紅茶にぴったりのケーキだ。

「美味いな」

「はい!あれ?なんだかカードが入ってますよ」

開けた時には気付かなかった、ケーキに付属していたカード。ナマエには読めない文字だったので、リヴァイへと差し出した。

「ケーキに説明書だ?」

説明書にはパネットーネの説明がされていた。このケーキはアドベントの期間、つまりクリスマスまでに食べるケーキなのだ。誰かにプレゼントしたり、家族で食べたり。クリスマスを待つためのケーキ。

「リヴァイのお誕生日を待つためのケーキなんですね」

そんなわけがあるか、とリヴァイは鼻で笑ったが、あながち間違いではない。

リヴァイのケーキだと言いながら、口の端にシュガーを散らしてケーキを頬張るナマエ。リヴァイは親指の先で、ナマエの口をぬぐった。

「元気になったな」

「え?私がですか?」

「ああ。島を出る時はまだ、少し元気がなかった」

「私はいつでも元気です」

ナマエはいつだって元気だ。言動と行動にぶれがない。リヴァイのタイミングを見計らい、そっと紅茶を勧めてくれる。

そんな小さな妖精は、ウォールマリア奪還作戦後、気付かれないように気落ちしていた。リヴァイでないと気付かないくらい、その小ささにぴったりのささやかな具合で、落ち込んでいた。

リヴァイの願いが叶わなかったからだ。

ナマエが自分から言い出さないので、リヴァイから聞くことはなかった。きっと、聞いてほしくないのだろうと思ったからだ。

ナマエは妖精の姿を楽しんでいるけれど、人間になることを望んでいる。リヴァイは最初、リヴァイの願いが叶わなかったせいでナマエが人間になれなかったから、落ち込んでいるのかと思った。

しかしリヴァイに寄り添い続けるナマエを見ているうちに、それは間違いだと気付く。

ナマエが落ち込んでいたのは「リヴァイの願い」が叶わなかったから。リヴァイの中にある悔しさや怒りを、汲み取ってのことだった。

「どうしてお前は、そうやっていつも俺の側にいる」

「言ったじゃないですか。私はリヴァイに、紅茶一杯分の幸せを与えるために生まれたんですよ」

少なくとも。この数年の生活の中で、リヴァイにとってナマエという存在は、紅茶のカップの中に納まりきれないくらいの存在になっていた。

身心が擦り切れた時、悪夢で目が覚めた夜、途方もない焦燥に苛まれた日、部屋に帰ればナマエがいた。眠る時、枕元では小さな寝息を響かせて。

仲間でも、家族でも、恋人でもない。

それでもその小さな心臓が、リヴァイのために鼓動する。あたたかなお茶をいれてくれる。

「リヴァイ、もうひと口食べますか?」

リヴァイの分は、まだ手付かずだ。しかしリヴァイは口を開き、ナマエが運んでくれるケーキの方を食べた。こうやって人間の姿になった彼女が、甘やかしてくれる時間も悪くない。

二人っきりの、秘密の時間。

やがてカップの中の紅茶は薄くなり、冷め、底の白磁が見えてくる。リヴァイはナマエに確認する。

「そろそろ飲み切るぞ」

「あ、ちょっと待ってください。あともうひときれケーキを食べてから」

「チビんなっても食えるだろうが」

慌ててケーキを口に詰め込むナマエを見て、リヴァイは持っていたカップをソーサーへと戻した。お茶の時間だけは、部屋の外と流れる速度が違うのだ。

ようやくケーキに満足したナマエを見て、リヴァイは紅茶を飲み切った。再び景気の良い音が響いて、ナマエは小さな妖精の姿に戻る。

「はぁ……お腹いっぱいです。眠たくなってきちゃいました」

リヴァイの膝の上で両手と両脚を広げ、ナマエは大きく伸びをする。リヴァイはナマエの頭を、カリカリと指先で掻いた。びっくりした小さな頭は、反射的に丸くなる。

「お前はもう、昼寝の時間だな」

「リヴァイはこれから会議ですか?」

「ああ。ポケットにくるか」

「中の方がいいです……」

すでに目をこすりながら、ナマエはリヴァイの内ポケットの方へと入りこむ。外のポケットは景色を眺めるにはいいが、少しうるさいのだ。内ポケットは、あたたかで静か。

内ポケットにもぐりこむと、リヴァイはすぐさま島から持参した愛用のクラバットを差し入れる。ナマエはポケットの中で器用にクラバットに丸まり、すぐに寝息を立て始めた。

「夜には起こすからな」

リヴァイは大きく伸びをすると、勢いをつけて立ち上がった。少し体が軽い。胸元には、小さな心臓の音がする。



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