2020兵長生誕祭 | ナノ


ふたさじの遺灰



わずかな希望をかき集めた今回の壁外調査は、未だかつてない大がかりな旅路。

船に乗り、存在を知ったばかりの海の上で揺られ、マーレの大陸へと足を踏み入れた調査兵団。到着時は小さな事件がたくさん起こったが、一行はヒィズルの屋敷へと世話になり、世界情勢の見分をするのが目的だ。

「そういえばリヴァイ兵士長は、紅茶がお好きでしたね」

思い出したかのようにオニャンコポンが言ったのは、到着して翌日の朝食の席だった。

「ああ」

「昨日……ほら、あの飴を売りつけようとしたピエロがいた」

苦い記憶を引っ張り出され、リヴァイは思わずオニャンコポンを睨む。到着早々、チビッコギャングと称されたのは小さな事件のうちのひとつだ。

「ピエロがなんだ」

「あ、すみません。あのピエロがいた通りを一本裏道に入った所に、紅茶の名店があるんです」

「ほぅ」

「今日はまだ時間がありますし、よかったら行ってみてはいかがです?」

異国の紅茶。お茶好きのリヴァイとしては、興味が湧くに不足ない。それに人々の暮らしの中を覗いてみるのも有益な時間だ。食後のミーティングを終え、一人街へと繰り出した。

港に近い街は治安の良し悪しはさておき、賑やかさがあった。世界の暗い情勢の薄皮一枚の上に、活気であふれている。

目的の紅茶店はすぐに見つかり、古い木のドアを開いて店内へと入る。魚の形をしたドアベルが、海の風のような音を響かせて。

「いらっしゃいませ」

トーンの高い声が抜けてゆく。店内に入ったリヴァイは目を見張った。天井の高い壁びっしりに隙間なく、見たこともないような量の紅茶の缶が並んでいた。

「すげぇな」

見慣れぬ文字も並んでいる。それぞれの紅茶の前には、細かく茶葉の説明がされているようだった。

深呼吸をすると、紅茶の香りがした。甘い、香ばしい、鼻の奥にそっと届く柔らかな香り。

「何かお探しですか?」

急に背後から声をかけられ、リヴァイは振り返る。背後の人の気配に気付かないほど、感動していた。

「いや、特に目的があるわけじゃねぇ」

「そうなんですか。気になる紅茶があったら声かけてください。今日はお客さんが少ないので、特別に少し、いれて差し上げますよ」

店員はほがらかに笑う。紅茶色のワンピースを着ていた。

「気前がいいな」

「商売ですので。気に入ったのがあったら、買ってってくださいね」

「しかしこんだけあったら……迷っちまう」

そうですねぇと相槌をうち、店員は目の前の棚を見やる。

「お客さん、飲み方はどんなのがお好み?ミルク?レモン?ストレート?」

「ストレートだな」

「じゃあとりあえずはこれ、かな」

人差し指がいくつかの缶の上を跳ね、店員はひとつの缶を持ち上げた。そしてそれを胸に抱くと、リヴァイを手招く。

「こっちこっち。奥で、いれますから」

店の奥は薄暗い。外の賑やかしい気配がまるで遮断されたように、守られているように、奥に細い造りになっている。

彼女のはいている皮の編み上げブーツが、荒いフローリングの上を進んでゆく。

棚と棚の間をすり抜け、奥まった場所にはカウンターが誂えてあった。酒場のカウンターを思わせたが、もちろんそこには酒の類はなく、ポットやカップ、茶こし、紅茶の缶が所せましと並べられていた。

「このお茶、うちのオリジナルブレンドなんです」

手早く湯わかしのポットを火にかけて、ガラスのティーポットを取り出した。リヴァイは壁内でそんなティーポットを見たことがなかったので、それにも感動を覚える。

茶葉がガラスの上に落ちて、少し冷ましたお湯が注がれる。水色は澄んだ茶色だけれど、どこか青みがかって見えた。

「これで少し、待ちます」

すっぽりとティーコジーがかけられる。ガラスのポットに目を奪われていたリヴァイは、少し恨めしげに店員を睨んでしまった。

リヴァイの視線には気付かずに、店員は砂時計をひっくり返す。さらさらと、砂の音が聞こえてきそうなくらい静かだった。

「お客さん、どこから来たの?うちに来るのが初めてって、この辺の人じゃないでしょ」

「ああ……まぁ、観光だ」

「へぇ」

近所でも評判な紅茶店なんだろうな、とリヴァイは思う。同時にここで、自分がどこから来たか明かせないのが妙に寂しかった。

店員は深くを聞いてこなかった。

「少し大きな茶葉だから……三分半くらいがオススメです」

ティーコジーがはずされて、再びガラスが顔を出す。華奢な指先がポットを持ち上げ、ゆったりと茶葉を泳がせた。その様子は美しい、魚の尾びれのようだった。

「はい。お待たせしました」

リヴァイは一瞬迷ったが、いつもの癖でカップのふちに指をかけ、持ち上げた。すでに紅茶の香りが漂い、思わず目を閉じる。

「お客さん、変わった飲み方するのね」

「……美味い」

「あはは!よかった。今日は大サビースね。さっき自分用にスコーン焼いたんですけど、よかったら一緒にどうぞ。旅の思い出に」

そっと差し出される焼きたてのスコーン。

口に運ぶと頬の奥でしょっぱさと甘さが広がり、ほろほろと時間がほどけてゆくような心地だった。紅茶のおかわりを勧めながら、店員は店内の静寂を埋めるように自分の話しをした。リヴァイの身の上話にならないように、配慮のようでもあった。

天井が高いこの紅茶屋は、彼女の母親が建てたもの。娼婦をしていた彼女の母が、必死で働いて店を出した。一昨年からは彼女も店番に立ち、二人で店をやっていこうとしていた時に、母親が亡くなった。それからは、彼女一人でこの店を守っている。

初対面には話し辛いであろう、あまり明るくない話題を。彼女はおとぎ話の挿絵か何かを説明する口ぶりで語った。きっとこうして、カウンターに客を通して話す通過儀礼のようになっているのだ。彼女が気に入った、店の空気に馴染む客をもてなす際の。

リヴァイは彼女を見て、自分の母親も娼婦で、きっと似た場所で育ったということを、口に出すか出すまいか悩んだ。しかし彼女がリヴァイと同じカップの持ち方で紅茶を飲むのを見た時、何も言うまいと心に決めた。

会話が止まったのは、店内の柱時計が十二時になった時だった。

「もうこんな時間か」

砂時計と違って、ひっくり返しても戻らない時間。リヴァイは現実に戻るべく、懐中時計を取り出した。正午だった。

「何か用事でも?」

「ああ、悪い。食うだけ食っただけだった。また買いにくる」

肝心の、リヴァイが買うための紅茶は何一つ決まっていない。

「いいんですよ。また遊びにいらしてね」

落ち着いた腰は持ち上げるのがひどく億劫だった。それは彼女も同じだったようで、カウンター奥の椅子に座ったまま、リヴァイに手を振ってみせた。


すっかり紅茶屋を──店員の彼女をふくめて気に入ってしまったリヴァイだったが、再訪するタイミングは数日のうちになかった。なんだかんだと用事が入り、すぐに一週間が経った。

そんなある日、港近くをジャンを伴って歩いていると、大型の船舶から積み荷がおろされている場面に出くわした。

他国から輸入されてきた荷物のようで、港はいつもに増して騒がしい。

「へぇ、すごい量の荷物っすね」

物珍しそうに、ジャンが呟く。

「見物していくか?」

「そうしましょう。国のことを学ぶには商いを辿れって言ってましたね」

「誰が言ってた」

「オニャンコポンです」

ふん、と鼻で笑いながら、リヴァイは先を歩き出したジャンについてゆく。おろされる積み荷はがっしりとした木箱から、布団や敷き物、根の部分が包まれた苗木と多岐にわたる。

「あれ?この間のお客さん」

「あんたは」

そんな雑多とした中で、リヴァイと彼女の目が合った。彼女はリヴァイを見つけると、ぱっと花を咲かせたように笑って駆け寄ってきた。

「お客さんも荷物を取りにきたの?」

「こっちは少し散歩だ。あんたは」

「注文してた紅茶を取りにきたの。新しいブンレドティーが作れるんですよ」

「ほぅ」

「またうちの店にきてくださいよ。この間のより、美味しい紅茶いれますから」

彼女は得意げに、親指で積み荷の方を指してみせた。リヴァイの口角も上がる。

「わかった。そうだな……」

「リヴァイ兵長!」

二人の背後からジャンの声が通った。リヴァイと同時に彼女もジャンの方を見たので、ジャンは驚いて頭を下げた。

「すいません、えっと」

「いや、いい。ジャン、すぐ行く」

「じゃあ、私はここで。またね、リヴァイさん」

彼女から急に名前を呼ばれ、リヴァイは目をしばたたかせる。彼女は少しいたずらっぽく、それでいてはにかみながら微笑んでいた。

「ああ、また」


そうしてリヴァイが彼女の店に紅茶を買いに行ったのは、国際討論会に出席する前日のことだった。

「もう来てくれないのかと思った」

店の奥の方から声がした。彼女は湯わかしのポットを片手に持って、あごでしゃくってみせた。カウンターの方に、リヴァイを誘っている。

夕方だ。

高い天井の窓から淡いコニャック色が零れ、影の濃淡が大きく見えた。リヴァイの肌にも、彼女の肌にも、天井の梁の模様がうつる。

「今いれてんのが、この間到着した茶葉か?」

「ええ。少し手を加えたんですけど。新しいオリジナルブレンドを作ったの。よかったら召しあがって」

「もらおう」

リヴァイは先に、カウンターの上に多く見積もった金貨を積んだ。彼女は手を動かしながらも、あら、と金貨を見やる。

「この間の分もあわせてだ。今日は買って帰る」

「ありがとうございます」

またガラスのポットだった。前に見た時よりも、ポットの中で踊る茶葉は小さい。透き通った水色が、光の加減で白く見えた。

「茶葉はふたさじ入れて下さいね。小さな茶葉になったから、時間は二分半。これが一番美味しいと思います」

「そうか。覚えておく」

「リヴァイさん……」

急に彼女はうつむき、言葉を噤んだ。彼女が何を言おうとしているのか、リヴァイも考えた。しかし考えているうちにリヴァイの前にはソーサーに乗ったカップが差し出され、二人は同じ持ち方で紅茶を飲んだ。

いつの間にか彼女は照明に火を入れて、店のドアには閉店の看板下げた。ただ、無言で過ぎてゆく時間。

リヴァイがふいに懐中時計を取り出し、柱時計に目をやり、身をよじった時だった。

彼女は新しくできたオリジナルブレンドの紅茶缶をリヴァイに押しつけながら、カウンター越しに、リヴァイの上着の襟を引っ張った。リヴァイが押しつけられたのは、上品な紅茶缶と、小さな唇。

「っン……」

唇の角度を変えたのはリヴァイの方だった。舌を絡め、指を重ね、彼女の手の中にあった紅茶の缶はリヴァイの手の中へとわたる。

「私……あの、ごめんなさい……」

「謝るな」

体を離すと、リヴァイは親指で彼女の唇の端を撫でた。そのままてのひらで頬を包むと、ほんの少しだけ、彼女は目を閉じる。触れているその瞬間が、今だけだということが、わかっているような瞬く間。

てのひらが頬を辿り、指先になり、あとには何もなくなってしまう。さよならの代わりに微笑みを落として、リヴァイは店を出た。


結局リヴァイは、それから紅茶店に行くことはなかった。行くことができなかったの方が正しい。

翌日の国際討論会の後、エレンが姿を消してしまった。

エレンからの手紙で、調査兵団はレベリオ襲撃を決行する他なく、時間は無情にも過ぎてゆく。

リヴァイが紅茶店の彼女のことを思い出したのは、全てが終わってからだった。飛行船での帰路、仲間のサシャが船内で撃たれ、死の重みで打ちひしがれ、外を眺めた時だ。

遠く、暗い、置き去りにしてきた夜の彼方に、赤く燃える街が見えた。リヴァイは荷物の中にあった、ひとつの紅茶缶を取り出した。手に持って、眺める。

背後からは絶えずすすり泣く声や、音にならない悲しみで満ちている。リヴァイが抱く怒りや憎しみを向ける唯一の存在が、すぐ側にいる。

リヴァイは紅茶の缶を、街に向かって投げつけようかと思っていた。もう、自分がそれを持っているべきではないと。

そう思って窓を開け、缶をふりかぶった瞬間、裏のラベルが目に入った。ラベルにはあの紅茶店の店名と、もうひとつ。

「ナマエ、か」

缶の中からふたさじを取り出せば、あの時の香りが今もリヴァイの鼻腔に届くだろう。カウンターの上に並べられたポットや、焼きたてのスコーンや、カップの様子がまぶたの裏に蘇る。さらさらと静かな砂時計。触れた唇。

紅茶の缶の蓋を取る。中に入っているのが本当に茶葉かどうかを、確かめたくなった。彼女のかけらはほのかに甘い、リヴァイの愛する紅茶の香りがした。



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