▼ 2.ecclesiastical court(教会で裁きを)
長い縦長に交わる横の線。十字架が建物の上にそびえているだけで、人はそこを教会だと認識する。
海沿いのドライブウェイはなだらかな坂になっていて、その終点が目的地の教会だ。ロッド・レイスが身を隠しているのはそこが確立が高い、とヒストリアは言う。
「重々しい雰囲気」
窓を開け、教会を臨むナマエは胸の前で十字を切る。吹き込む海風。指先が描くクロスは、目に見えぬまま流れてゆく。
「信心深い方か?」
「ううん。母さんが死んでからは……神様にお祈りなんてしたことはないかな」
「そうか……」
雲が低い。教会の屋根がうっすらと、霧がかったように見える。
大きな教会だ。入口のアプローチまでに、厩や牛舎もある。天気が良く、アンデッドなどいなければ、日曜のミサには祈りを捧げる人で賑わった場所だろう。
リヴァイは敷地内に入る手前で、軍用車両を停めた。
「何か持てそうなモンはあったか?」
「……大きいやつばっかりで」
いくつかのアタッシュケースを開いて、ナマエは首を捻る。軍が搭載した武器ばかりで大ぶりなものが多い。屈強な男たちが持つことを想定されたそれらは、ナマエには少し不釣り合いだ。
「ハンジさんのベレッタがよかったな」
「奴があんな銃持ってんのも妙な話しだ」
ほら、とリヴァイが手近にあったアサルトライフルを組み立てる。ステアーAUGだった。グリップ部分が太いので、ナマエでも幾分か持ちやすいと考慮してのことだ。
「そいつはフロントが重い。照準が下がりやすいから気を付けろ。あと
「了解」
肩からベルトをかけ、ナマエもライフルを携える。二人とも準備を終えた所で、リヴァイが運転席の無線のスイッチを入れた。
「こちらリヴァイ・アッカーマン。ハンジ、聞こえるか。
少しのノイズのあと、引き攣った声でハンジからの応答。
「……了解だ。よろしく頼むよ、二人とも。アルミンが今、意識を失った。完全にアンデッドになってしまった。急いでくれ」
ナマエの目が見開く。ずっと平常を保ってきたのに、いざ現実を突き付けられると動揺は隠せない。
軍用車両を降りて、幾分か身を低くして走り始める。牛舎の横を通り過ぎようとした時「アルミンも幼馴染だったか?」とリヴァイが口を開いた。声のトーンは抑えめに。
「……よく家に来てたから、私とも仲が良かった。アルミンもミカサも、私にとっては弟妹みたいなものかな」
今度は厩の横を通り過ぎる。もう動物なんてどこにも見当たらないのに、獣臭さが残っていた。
「ガキの頃は楽しかったか?」
「え?」
「ガキの頃の思い出ってやつだ」
ナマエは考え込む。幼い頃を思い出せば、今は亡き母とエレン達の笑顔が目に浮かんだ。
「……楽しかったよ。幸せだった。リヴァイは?」
「そうだな……俺も」
そこでリヴァイは口を噤む。教会入口の、観音開きになる扉前へと到達したのだ。しゃがみ込み、人差し指を立てて「ここからは静かに」とナマエへアイコンタクトを送る。
リヴァイが薄く扉を開き、礼拝堂の中を覗き込んだ。灯りの一つも無い構内。暗闇が空間を満たしているようで、開けば闇が襲い掛かってきそうな程。細いフラッシュ・ライトを照らして見れば、丸く照らされた部分だけが、急に光に取りだたされて震えているようだった。
「行くぞ」
しゃがんだまま、扉の隙間からにじり入る。改めて中へ入ってしまうと、祭壇のステンドグラスだけが煌々と曇る空を映していた。本来なら色とりどりのステンドグラスは、太陽の光でビロードの床にまで彩りを落とすのだろう。
すっかり色を失った祭壇以外、普通の礼拝堂と変わらない。信者らが座る横長の椅子が幾列にも並んでいる。背もたれには古びたバイブル。
突然、リヴァイが立ち上がった。
「人の気配がねぇな」
「……ここにロッド・レイスはいないのかな」
二人の声が大理石の床や壁に当たって響く。ぽん、ぽん、と声はピンポン玉のように跳ね、しんとした瞬間に入口の扉が開いた。遠慮も何も無い、まさに突入してくるような勢いで開いた扉には、アンデッドが群がっている。
「う……嘘!」
「黒だったな。ロッド・レイスはこの教会のどこかにいる」
ここに来るまで民家の類は少なかった。そもそも住人が少ない場所に、アンデッドは少ない。それを鑑みれば、今入って来たアンデッドの数は異常だ。エレン達のいた士官学校に、現れた時のように。
リヴァイは自身も装備していた
「奥に進め!数が尋常じゃねぇ!」
「でも……リヴァイ、奥からも……!」
教会の奥、祭壇の左右にある牧師室(もしくは神父室かは定かでは無い)に続く廊下の方からも、アンデッドは沸いて出てきていた。ゆらゆらと静かに揺れながら、目的はナマエとリヴァイだと明確な様子で。
リヴァイは舌打ちを零した。
すぐ側にあった礼拝用の長椅子を持ち上げ、入口の方へ向かって投げつける。一つ目で手前のアンデットが数体床に平伏し、二つ目、三つ目を投げつけた所で折り重なり、行き止まりのようになった。
「ナマエは右だ。俺は左を片付ける」
「わかった」
ナマエも
「跳弾に気を付けろ!照準を上へ保て!」
二人は背中合わせで引き金を引く。右と左。白い煙が立ち昇る。
(クソ……どうなってんだ。キリがねぇ)
リヴァイの方は確実に項を狙っているのに数は減らない。ナマエの様子を見ようと振り返った刹那、祭壇が視界に入った。牧師か神父かが、ミサの時など説教に立つ台だ。大きさのあるそれは、床下に何かを隠すには適したサイズだろう。
(まさか)
リヴァイは破片手榴弾を取り出し、口の端でピンを抜く。大きく振りかぶり、アンデッドへと投げつけた。
「耳を塞げ!進むぞ!」
「何?!」
背中を押され、ナマエはわけもわからず走り始める。向かう方が祭壇なのだ。どうみても行き止まりなのに。
リヴァイは祭壇の所まで走ると、もう一度アンデッドに向かって破片手榴弾を投げつける。そして渾身の力を込めて、説教台を蹴り飛ばした。台の上にあったバイブルやロザリオが飛び散り、説教台があった位置がずれる。
「……扉?」
地下に続くような扉だった。古びた木のドアには、ぽかんと小さな鍵穴が空いている。
「ビンゴだ」
アンデッド達の呻き声が響いたので、リヴァイは再び破片手榴弾を投げる。続けざまに腰に携えていた手斧を取り出すと、扉の鍵穴に向かって振り下ろした。扉はすぐに開き、二人は地下へと続く階段へ滑り込む。リヴァイが扉を閉め、
「斧でするんじゃないんだね」
「こっちは弾切れだ。俺がお前の次に信用してんのがコイツだからな」
そう言ってリヴァイは手斧を握り直した。きっとこの先にはもう、アンデッドの大群はいないだろう。
地下へと続く階段は薄暗い。リヴァイが口にフラッシュ・ライトを咥え、ナマエは背後を警戒しながら進む。長い階段を降りた先は、驚くほど広い空洞になっていた。
礼拝堂よりも広さはあるだろう。鍾乳洞のような柱がいくつも立ち並び、ロッド・レイスと思わしき人物は最奥に蹲っていた。
「オイ……てめぇがロッド・レイスか」
迷うことなくレイスに近付きながら、リヴァイが口を開く。彼は一瞬だけリヴァイに振り返り、すぐさま祈りを捧げるポーズを構えた。蹲り、体の前で両手を組み、震える様はひどく無様に見えた。威厳も何も無い。こんなにも大層な教会にいたのがこの人なのか、とナマエは妙に拍子抜けしていた。
「血清をよこせ。どうして持ってんのか詳しく聞かなきゃならねぇが、今はとにかく時間がねぇんだ」
血清という単語が響き、レイスは再び振り返る。
「何故……お前みたいな奴がアダムとイブを知っている!」
「あぁ?そりゃこっちの台詞だ豚野郎。お願いしてんじゃねぇ。よこせっつってんだ」
リヴァイの手の中で、手斧の柄がくるりと回り、切っ先が銀色の円を描いた。
「なんだっていうんだお前達は!この神聖な場所に突然……!」
ん?とレイスの視線が止まる。リヴァイではなく、じっとナマエを見つめて。
「お前は……まさか、グリシャの娘か」
「え……?」
「そうか、それでアダムとイブを知ったのだな。
急に口調が荒くなる。リヴァイの顔を見た時は蒼白だったのに、急に激昂した顔は赤くなっていた。
リヴァイが視線だけで「何の事だ」とナマエに問いかける。ナマエも意味がわからなかったので、静かに首を横に振った。
「お前達はわかっておらんのだ!夢を見るのがどんなに尊い事か。まさに神だ!神の所業だ!」
よく見ると、レイスの着ている服はキャソックのような黒いロングコートだった。右手にはバイブルでは無く、同じくらいのサイズの木箱を抱えて。
レイスは狂ったように口上を続ける。リヴァイは有無言わず彼の胸倉を掴み、床へと叩きつけた。
「後生大事に抱えてるそれが血清、アダムとイブだな?」
「離せ!お前らは世界の
「うるせぇよ」
リヴァイはレイスの両手を捻り上げ、ナマエに視線を送った。アダムとイブ、は彼の下敷きになっている。すぐに奪わなくては、とナマエはその小さな箱をレイスの下から引き抜いた。箱には木々や花々の模様が彫刻され、隅の方に「アダムとイブ」と書かれていた。
そっと中を開く。小さな瓶に入った黄色の液体が二つ。それから注射器。
「……リヴァイ、多分これで間違い無い」
「そうか。悪いな、貰って行く」
リヴァイはレイスを掴み、投げだすようにして解放する。
「待て!それを返せ!」
「どうして貴方、父さんのことを知ってるの?」
ナマエは血清をリヴァイに手渡しながら、レイスへと向き直る。
「何を……言っとる。パラディに住まうエルディア人が、アンデット化をすると発見したのはグリシャ・イェーガー。お前の父親だろう」
「え……?」
「本来ならば私が政府に命令を下し、このアンデッド化も順序を定めて進める予定だった。人間の姿のまま必要な人間と、そうでない人間を選別して。方舟に乗る人間は私が定めねばならんかった。それがグリシャのせいで……!
きっとパラディ国の上層部──ロッド・レイスとそのお友達、が。そもそも
グリシャがロッド達の計画を破綻させたのだ。
それならば5年前、リヴァイ達がマーレで細菌兵器の研究所を見つけた時に調査を続行しなかったことも、先日軍がナマエとエレンを手に入れようとしていたのにも辻褄が合う。
リヴァイ達の敵はマーレだけでは無い。世界、全て。
「ああ、もう黙れ。そこまでわかったら十分だ。ナマエ、行くぞ」
ナマエの体が震えている。返答も曖昧だ。
自分の父親がこのパンデミックの引き金だったのかもしれない。その事実は正常な思考を停止させ、ただただ恐怖であった。
リヴァイはナマエを横抱きにして、走り始める。地上へ続く、礼拝堂の階段が見えた所で、ナマエが持っていた
そしてすぐに、高い柱めがけて
ほどなくすると、礼拝堂にいたアンデッド達が雪崩れ込んでくる。全てのアンデッドが地下の方へ来た頃、リヴァイとナマエは柱から降りて礼拝堂の方へと逃げだした。
ロッド・レイスの姿は、ついぞ確認せずもに。
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