▼ 1.NO DRIVE, NO LIFE(行先は未定)
ざらざらとした砂地は、目を閉じれば遠い南の島のビーチを思わせるような音を立てている。リヴァイは幼い頃に母と叔父に連れられ、そんな南国へとバカンスに行ったことがあった。目に眩しいほどの白い砂浜のビーチ。透き通った浅瀬に建つ水上ヴィラ。ココナツの甘いにおい。肌を焼く太陽。
どうしようもなく古い記憶を引っ張り出そうとするのは、相反する景色が今現在の目前に広がるからだ。砂地はただの黄土色で枯れ果てている。どこまでも続く一本道。最初にナマエを軍用車両に乗せた時も、同じ道を走って
「……どうしたの?」
助手席に座っていたナマエが、伺うようにリヴァイを見上げる。
「悪い、聞いてなかった。何か言ったか?」
「うん。あっちの方にほら、ガソリンスタンドじゃない?」
ブレーキを踏むと二人の体は一瞬だけ傾いで、砂地が引き攣る音を立てる。ビーチの幻想は、すぐに消え失せた。
「よく見つけたな」
褒めてやる、と付け加えてからリヴァイはナマエの頭を撫でる。リベリオ製薬会社を出てから拾ったこの軍用車両も残りのガソリンは心元無い。常に資材や燃料不足であるから、ガソリンスタンドは見つけたら必ず立ち寄りたい場所である。
一旦エンジンを止めると、リヴァイはトラック式になっている後部座席に散乱するアタッシュケースの類を探りだした。
「何を探してるの?」
「何か、だ」
水や食料や武器の類が潤沢に搭載されていたこの軍用車両は、不幸中の幸いな拾い物だ。リヴァイはいくつかケースを開き、手慣れた様子で組み立てを始める。
「ロケットランチャーとかいうやつ?」
「持って来た奴は戦車でも相手にするつもりだったんだろうな」
すぐに組み上がった
「少し離れてろ」
片手を伸ばして、こっちへ来るなとてのひらでジェスチャーをする。
肩に乗せ、固定したまま照準を定める。なるべく遠くへと。引き金を引けば一瞬にして水が蒸発したような音が響き、蒸気を引いたままグレネード弾は大きな半円を描いて飛んでいく。程なくして、遠くで爆発するような音が響いた。
「近くでウロついてやがる奴らも、これで引き寄せられる」
リヴァイが
「なるほど」
「行くか」
ガソリンスタンドに寄るのはリヴァイでなければ大きな賭けだ。車両から降りるには危険が伴うし、そうまでしてもスタンドのガソリンが空であることが多い。
リヴァイは愛用の手斧だけを腰に差して車両を降りると、ナマエに運転席へと移動するよう指示を出した。
「ガソリン残ってそう?」
ちょうど給油口は運転席側についている。ナマエは窓から顔だけを出してリヴァイに向かって言うと、リヴァイは軽く口の端を上げた。
「残ってる。ラッキーだったな」
ひゅう、とナマエの吹いた口笛が荒廃したスタンドの中に響く。ふいに周囲を見渡すと、錆びかけた看板にはナマエもよく知るコンビニの名が振ってあった。
「……リヴァイ、コンビニ寄ってく?」
「そうだな」
給油も終わった所で、リヴァイは車両内にあった発炎筒を取り出した。コンビニの入り口に立ってから筒を抜く。少し湿気ていたようだったので、車両のトラック部分に落ちていたジッポーライターで火を点けた。発炎筒はしゅわしゅわと煙を吐きながら、周囲を赤色に照らし出す。店内を一周して、リヴァイはナマエに声をかけた。
「大丈夫だ。降りて来い!」
ナマエも警戒はしている。しかし楽しみなのもまた事実。スナックやアルコールの類は、随分ご無沙汰している。
「何かある?」
リヴァイが持っていた発炎筒はもう消えている。店内に踏み入ると薄暗く、埃くさい空気が纏わりついた。
中央の陳列棚は倒れ、ガソリンスタンドに面した窓ガラスにはヒトのてのひらの形になった血痕が黒く付着している。床も何かの液体が飛び散っていた。
「トイレは借りるんじゃねぇぞ」
「え?どうして?」
別にナマエは用を足したいなど、一言もリヴァイには伝えていない。
「トイレん中に、ここの店長が籠ってた」
「そう……」
なんらかの方法で自ら命を絶っていたのか、とナマエは察する。リヴァイが確認したのは、トイレの中で首を吊る店主だった。
「めぼしい物だけ選べ」
「わかった」
ナマエは会計のカウンターからブラウンの紙袋を取り出すと、倒れた陳列棚から適当にスナックやガムを放り込んでいく。あとどれくらい、こういった物が食べられるだろうかと思いながら。
「ねぇ、誰か煙草を吸う人はいた?」
「エルドだな」
「じゃあ煙草も」
散らばっていた煙草の箱。適当なそのうちの一つを、ナマエはポケットへと滑り込ませる。
(そういえば……ジークも煙草を吸ってた)
急にポケットが重く感じるのは、普段何かを仕舞う癖がないからだ。きっとそうだ、とナマエは自身に言い聞かせる。
「そろそろいいか?」
「うん。持って行けそうな物はこれで」
品物が詰め込まれた幾つかの袋を見て、リヴァイはブーツの隙間にねじ込んであった数枚の紙幣を取り出した。
「これだけありゃ足りるだろ」
薄汚れたカウンターの上に紙幣は投げ出される。もう誰が受け取ることもないそれはひっそりと、荒れ果てたコンビニの中ですぐに景色の一部になった。
ナマエは少しだけトイレの方へと振り返り、弔いのようなカウンターの紙幣を見届けてから、軍用車両へ戻るリヴァイの後を追う。
「リヴァイはかっこいいな」
「馬鹿言え」
早速ポケットからチューインガムを取り出したナマエを見て、リヴァイは「俺も」と言ってエンジンをかけた。シートベルトをしようとしていたナマエは素早くガムを包装から取り出して、口の先に咥えてから突き出した。リヴァイはナマエの唇ごと、ガムを啄む。
二人を乗せた軍用車両は、再び荒野を走り出した。
同じ頃、
こちらは帰還してきたばかりのエレン達を初め、
「先日破られた南門に注意せよ!東の倉庫から資材の搬入を急げ!」
エルヴィンの指示がインカムを通して、走り回る幹部ら全員の耳へと届く。
事の発端はつい数十分前。見張りに立っていたナナバがミケを呼び寄せた。なんだか数が多い気がすると言って、ナナバは望遠鏡を使って遠くを見る。ミケが鼻を鳴らした瞬間、アンデッドの群れは森の木立の間から姿を現した。
異様な数だった。そもそも周辺のアンデッドは数が減ってきていたのに。どこから湧いて出てきたのか想像もつかない数のアンデッドは、すぐに発電所の周囲をぐるりと埋め尽くした。
ありったけの資材を集め、
しかしエルヴィンが言った南門──先日ジークが突き破って来た門はまだ補修中で、有刺鉄線やハンジがアンデッドを捕獲する際に使用する特性の網で覆われているだけだったのだ。
見張り台からの射撃、
混乱する発電所内の中、壁の修復に当たっていたアルミンがアンデッドに噛まれた。
アルミンの対応にすぐさま当たったのがハンジだった。彼を毛布です巻きの状態にして、自身が研究室へと使っている地下へと運び込んだ。ミカサとエレンも一緒だ。
ハンジの研究室には先住者がいる。前に壁外調査で研究体と称して連れ帰って来た二体のアンデッド、ソニーとビーン。二体は透明な強化ガラスがはめこまれた牢屋へと入っている。アルミンは手錠をされた状態で、中央の手術台の上へと横にされた。
「アルミン……まさか、どうしてこんな……俺が噛まれてりゃよかったのに……!」
痛みとパニックでアルミンは荒い息を吐き出し続けている。感染の恐れが無いエレンの手を、ぎゅっと握りしめて。
「ミカサは……離れて……ハンジさん、僕は研究体はゴメンだな……早く、撃って下さい」
「アルミン、辛いだろうがもう少し堪えてくれるかい?エルヴィンに報告してくる」
ハンジは着ていたドクターコートを脱いで、研究室の隅に放置されていたボディアーマーとプロテクターを着込んだ。迷彩柄をした防弾性の高い、胸や腕を守る物だ。
「ハンジさん?何か考えが?」
ミカサの声は震えている。エレンとアルミンから少し離れた場所で、立ち尽くしていた。
「ああ。もう作戦は一つしか残されていないけどね。リヴァイ達が帰ってきてない事が、救いだったかもしれない」
ハンジは司令塔であるエルヴィンの元へ走る。アルミンが噛まれたことはまだ伝わっていない。感染者が敷地内にいると他のメンバーもパニックになる。
「エルヴィンいるか!いたな!」
ノックもせずに入って来たハンジに対して、エルヴィンは驚きもせずに頷いた。
「どうした」
「アルミンが噛まれた。リヴァイ達に連絡をとってくれ。リヴァイとナマエには、直接ロッド・レイスの所に行ってもらおう」
「何?」
「私はヒストリアを呼んでくる」
再び慌ただしく、ハンジが駆け出して行く。エルヴィンは静かに席を立ち、地図を取り出した。リヴァイに詳しい位置を説明しなくてはならないからだ。
先日のユミルとヒストリアからの証言──
ユミルはもともと、アニ達と共にマーレからパラディへと渡って来たマーレ当局の人間だった。しかし
ユミルに与えられたミッションはロッド・レイスに近付くこと。そしてレイス郷が所持しているであろう「アダムとイブ」と呼ばれる血清を奪取してくること。
「アダムとイブ」と呼ばれる血清。ユミルにはそうとしか説明されていなかったが、ハンジが推測するにはそれは「アンデッドになった人間を元の人間に戻す薬」だ。
ヒストリアは、そのロッド・レイスの娘にあたる。ユミルは表舞台から姿を消していたレイスに近づくため、ヒストリアに声をかけのだ。
エルヴィンの元へ駆け付けたヒストリアはユミルと一緒であった。固く手を取り合う彼女らの間には、国の力をも割って入れぬ友情が芽生えた。
そしてその友情に、パラディ島に住む人々が救われようとしている。
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