STORY | ナノ

▽ 光に潜む影


 死んだと思っていたミラが帰ってきた。
「ミラ!」
 それは喜ばしい事だった。
「よかった。帰ってきて…」
 ミラの下に駆け寄ってきたジュードは、ミラの無事を確認すると胸を撫で下ろした。鼓動が跳ねて止まらない。
 話したいことがたくさんあった。ミラがいなくなってしまった時のこと。ミラがいない間あったこと。そして今の気持ちと、ジュードの決意を。
 しかしミラは首を傾げ、不思議なものを見るような目をジュードに向けるばかりで。嫌な、予感がした。
 ミラがゆっくりと口を開く。
「…? 貴方は、誰ですか?」



 ミラは全ての記憶を失っていた。
 宿泊処ロランドの一室。そこに集まったメンバーは、向かい合ってベッドに腰掛けているミラとレイアを遠巻きに見守っていた。
 レイアは努めて笑顔でミラに話し掛けていた。名前は、何処から来たのか。みんなが知っていることを一つ一つ、ミラに尋ねている。しかし当のミラは首を横に振るばかりで、見守っているメンバー達の表情は曇っていくばかりだ。
 アルヴィンが苦虫を噛み潰したような顔を見せている。エリーゼがティポを強く抱きしめて、今にも零れてしまいそうな涙を浮かべている。ローエンが、顎に手を当て深刻な表情をしている。自分がどのような状況に置かれているかも分からないミラも、周りのみんなが何故悲しそうにしているのか、その原因は自分にあるのだと気付いているのだろう。質問に答える度、その瞳は不安げに揺れていった。
 そんな中、ジュードは一番離れた場所でぼーっとミラを見ていることしか出来なかった。
「えっと、あなたはね、マクスウェルって言われてたんだよ」
「マクスウェル? …それはなんですか?」
「大精霊のことだよ…」
 絞り出すような静かな声でジュードが答えた。
 メンバー達の間を抜け、ミラの下に近付いていく。ずっと黙っていたからか、まさかジュードが答えるとは思っていなかったのだろう。レイアは目を見開いてジュードの動向を見ていた。
「マクスウェルは大精霊で、ミラはそのマクスウェルだって言ってて…。使命を果たす為なら自分の体なんか捨てちゃって…それで死んだんだよ。ミラ、本当に覚えてないの!?」
「ジュード、落ち着いて…」
「やっと会えたって思ったのに、また一緒にいられるって思ったのに…。なんで忘れちゃったの!? なんで…っ。 なん…で…」
 身を乗り出して訴えるジュードにレイアが立ち上がってその腕を引き留める。しかし今のミラを目の前にして落ち着けるはずなどなく、ジュードの感情は怒りのままに昂っていく。なんで、どうして。ミラが記憶を失ってしまった事実を受け入れたくなくて、そんな疑問ばかりが浮かんでいく。
 だがその疑問も長く続くことはなかった。ジュードの声が徐々に小さくなっていく。
「ごめんなさい…ごめんなさい…っ」
 ミラが、涙を流してた。
 ジュードは言葉を失った。静かな部屋の中で、ミラのすすり泣く声が響く。そんなミラの様子を見て、笑顔を努めていたレイアもとうとう目を伏せた。
「私、何も覚えてなくて…。本当に何も…うぅっ」
 突然苦しそうに胸を押さえるミラに、レイアは慌てて駆け寄って背中をさすった。そしてゆっくりと、ミラの体をベッドに寝かせる。
 自分のせいだ。ジュードは自身を責めた。
 記憶を失ってしまったのは全てがミラのせいではないのに。責めるような言い方をしてしまった。医学においても記憶喪失者に対して間違った対処法だ。自身の感情を優先させてしまったせいで、またミラを苦しませてしまった。
 呆然と立ち尽くすジュードに、ローエンが口を開いた。
「しばらく安静にしていた方がよさそうですね」
「そう、だね。いっぱい人がいるとミラも落ち着かないだろうし…。わたしが見てるから、みんなは戻っててよ」
「いや、僕が見るよ」
「ジュード…」
「無理しないでー!」
 エリーゼとティポが心配そうな表情でジュードを見る。みんな同じ気持ちなのだろう。エリーゼとティポの言葉に小さく頷く。
 しかしジュードはかぶりを振った。今、誰よりも辛いのは、ミラなんだ。
「ごめん。でも、僕に任せてほしい。僕がやりたいんだ」
「…分かった。でも無理はしないでね」
 レイアが頷くと、みんな名残惜しそうに部屋を出ていった。
 部屋の中にジュードとミラだけが残る。
 気を失って、苦しそうにうなされているミラを、ジュードはじっと見守っていた。


 深い深い、人々が寝静まり、月が街に灯火を分け与え、星が夢を描く夜。ジュードはあれからずっとミラの傍にいた。
 ミラは今、安らかに眠っている。
 そんなミラの様子は、昼間のことで罪悪感に苛まれていたジュードの心を少し和らげるようだった。
 これから、どうなるのだろうか。
 ジュードは考えた。この先、記憶を失ったミラを旅に連れ出すのは危険だと思う。例えミラが戦闘技術を忘れていなかったとしても、記憶の面で不安が残る。もし魔物を前にして、ミラが動けなかったら? いざというときに咄嗟の判断が出来なかったら? そう考えると、ジュードとしてもミラに戦闘に出てほしくなかった。とはいえミラを守りながら旅を続けるという道もあるが、その安全をこの先ずっと保証できるとはいえない。出来ることならば、戦闘とは無縁な安全な場所にいてほしい。ならば。
 ジュードが考えを巡らせている時だった。小さな声が聞こえる。はっとなってジュードは我に返った。目の前で眠っているミラが、ゆっくりと瞼を開けた。
「起きた?」
「あの、ここは」
「覚えてるかな。君は気を失ってずっと眠ってたんだよ」
「そうなんですか…」
「…ごめん。僕が無理をさせてしまったから…」
「あの」
 俯くジュードに、ミラは恐る恐る声を掛けた。
 なに? とジュードは首を傾げる。ミラはなにかを言い掛けて、口ごもってしまう。以前のミラならば決して見られなかっただろう光景だ。なんだか新鮮で、ジュードは小さく笑ってしまった。
「私、頑張って思い出します。なので…なので…」
 それが今のミラが言える精一杯の言葉だった。
 傷付けたのは自分の方だというのに。ミラは、優しい。
「ありがとう、嬉しいよ。でも無理はしちゃ駄目だよ?」
「…はい!」
 ミラは万目の笑みを浮かべると大きく頷いた。
 ようやく笑ってくれた。ジュードは心の中で安堵した。



2012/04/01 (加筆修正:2019/10/07)



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