STORY | ナノ

▽ クロノグラフ


 くだらない。非常にくだらない。
 街中に備えられた椅子に座り、テーブルに頬杖を付きながら俺は思った。
 俺の目にはいつもと変わらず賑やかな街と、どこかそわそわしているインクリング達が写っている。
 変わった物に目を輝かせ、あちこち歩き回ったり情報交換に勤しんだり、そんなインク達を見ている。
 くだらない。もう何回も心の中で呟き続けた。

 以前若者の間で大流行したというハイカラシティの次世代の街として注目されているハイカラスクエア。
 そのハイカラスクエアでは先日バトルに関するとあるアップデートが行われた。その名も"ウデマエX"。S+勢の腕をよる部屋分けをより正確に行う為に作られた、以前のS+10以上の数字に代わるウデマエだ。あとその他にも新しいブキやギア、システムの調整等が行われ、ちょっとした大型なアップデートにインクリング達の話題はそれらで持ちきりだった。
 本来ならS+勢であり今までバトルに熱中してきた俺も他のインクリングと同じように新たな情報に心踊らせているところなのだが、あいにくそんな気にはなれない。むしろずっとくだらないとしか思えなかった。

 理由は、はっきりしている。

 でもその事実を未だに受け入れられなくて、目を背けたくて、普段なら一日中ガチマッチに籠っているものをアップデート以降は一時間程度に減少していた。
 ───もういっそ、やめてしまいたい。
 そんな気持ちで毎日を過ごしている。意義を見出だせないバトルに、不安を感じている。
 もういっそのことやめてしまうか。愛用ブキのスプラローラーを仕舞ったバッグに手を掛けると、自分の向かい側で誰かが立っていることに気が付いた。
「こんにちは」
 顔を上げると、イカベーダーキャップを深く被り、レタード オレンジを身に付けたボーイがいた。薄く笑みを浮かべ、深く被った帽子の奥で灰色の目が覗いている。思いの外目付きが凄くて、俺は素直に怖じ気付いてしまった。
「席、ご一緒しても?」
「あっ、ど、どーぞ」
 明らかに恐れ戦いている態度だ。バッグに手に掛けたはずの右手を向かい側の席へどうぞどうぞと差し出した。加えて立ち掛けていた俺も再度座り直す。
 えぇ、普通見ず知らずのインクリングが座ってる席に来るか?
 …とはさすがに言えず、もしかしたら野良のガチマッチで会っていて、雑魚とかバトルやめろとか言われるんじゃ、と凄い目付きのインクリングを目の前にして心構えをしておくぐらいしか出来なかった。
「アップデート、盛り上がってますね」
「え? えぇ。そうですね」
 しかし来たのはただの世間話だった。予想外の話題に、心構えをしていた分拍子抜けしてしまう。
「ウデマエX、かぁ。色んなインクリングがランキングに入るぞって、最近までバトルに距離を置いていた方も奮闘してるから、僕嬉しいですよ」
「はぁ…」
「ブキ調整も上手くしてくれて評判ですよね。ホットに修正なかったのが少し気掛かりだけど。君も満足出来ました?」
「まぁ…。ハイプレは相変わらず鬱陶しいけど…」
 投げられる話題にいい加減な返事をしていく。
 なんだろうこのインクリング。薄く笑ってはいるものの愛想笑いはあまり得意ではなさそうだ。そもそもその目がどこか遠くを見ていて、そこに俺は写っていないようにも見える。
 早くどっか行かないかな。それか上手い具合に話を終わらせてこの場を切り抜けられないかな。
 次々に話し掛けられる中、俺は心の中でチャンスを伺っていた。が、

「でも、君は楽しそうじゃないね」

胸が、締め付けられるかと思った。


「…はい?」
「気のせいだったら申し訳ない。僕には君が今の状況を受け入れたくない、楽しくもなんともない。そんな風に見えたから」
 先程まで穏やかに話していたのと打って変わってどこか俺を責めるような口調だった。灰色の目が、ずっと俺を見ている。なにも写していなかったその瞳は獲物を捕らえたかのように、ようやく俺の姿を写し出す。
「別に責めてる訳じゃねぇんだよ」
 心の中を読まれた感覚に陥って、肩をびくりと揺らしてしまう。
「ただ気になっただけ。みんなあんなに楽しそうなのに、なんで一人だけこんなにもつまらなさそうにしてるんだろうなぁって。遠くから見てて気になったから」
「…つまんなそうにしてるのは俺だけじゃないでしょう」
「そうだね。でも、どこか諦めてるみたいだった」
 つまり、よければ話を聞かせてくれたらな。
 目の前のボーイはそう言った。

 …なんで、見ず知らずのたった今会ったばかりのインクリングに俺の胸中を明かさなきゃいけないんだよ。
 真っ先に思ったのはそんな怒りだった。なめられているのかとさえ思った。このインクリングにとっては親切心でやっているのかもしれないが、余計なお世話だ。お節介だ。どうせ言ったところで俺を馬鹿にするだけなんだろ。そう思った。
 きっと他の奴らみたいに馬鹿にする。
 同情して、いい加減な慰めを投げる。
 それだけだ。
「…今回のアップデートのお陰で目標が綺麗さっぱり消えたから」
 俺は口を開いた。
 もうヤケだ。いっそのこと全部打ち明けて、他の奴らと同じことを言うのを鼻で笑ってやろう。そんな気持ちだった。
「俺はずっとカンストするのが夢だったんだ。バトルの腕を極め、頂点まで登り詰めた称号。今はもうウデマエは飾りだとか時間さえかければカンスト出来るとか言われてたけど、それでもよかった。それでも俺でもカンストがしたかったんです」
 でも、出来なかった。
 間に合わなかったんだ。出来るはずだった。手に出来るはずだった。でもプレッシャーに勝てず、最後の最後で、割れに割れを繰り返してしまった。
 ここにきて、ずっとずっと目標にしてきたものは唐突に奪われた。運営の上位勢への媚びで、所謂底辺の俺らの夢は奪われたのだ。
 間に合わないと悟った時、胸が空洞になってしまったような、目の前が真っ暗になってしまったあの感覚を今でも忘れられない。目標を失い、夢もなくなった俺はあれから虚空を見つめたまま、立ち止まっている。
 ウデマエは飾りだ? うるさい。お前らは自分の腕の低さに言い訳がしたかっただけだろうが。時間さえかければカンスト出来る? 黙れよ! それを言い訳にしてなにも努力をしようとしなかったお前らが言うなよ。これらは全部その上位勢様が直々に下してくれた判断だって? だからってなんだ。だからって。俺の夢には間違いなかったんだ。俺がずっと憧れ、目指してきたものだったんだ。
「目標もなくなってしまってやる気も失せた。もう俺に頑張るものなんてなにもない。ウデマエXで目標をまた見付ければいいとか言うインクリングもいますけど、あんなの時間があって、かつ本当に腕のあるインクリングにしかランキング入りも出来ない。目標に出来ないんです。目標もなにもないガチマッチに、意義を見出だせない」
 俺は目を伏せた。あ、やばい。なんか語りすぎて涙目になった。男が、情けない。
 必死に堪えていると、目の前のボーイは、そっか、と漏らした。
「でも君、今日ガチマッチに行ってたんだねぇ」
「まぁ、生活維持する為にもお金は必要なんで。アップデート前より頻度は減ったけど」
「みんなバトルが好きだから。やめられねぇよな」
「あの、俺の話、聞いてました?」
 あまりにも論点のずれた返事に呆れて涙も引っ込んだ。
 なんだこいつ。噂のガで始まりジで終わるやつか。
 しかしこのインクリングは心外だとでも言うように両手を大袈裟に広げて見せた。
「聞いてたよ。とても分かりやすい話だったさ。でも君も言い訳はよくねぇよ。この世界は物価が低い。多少バトルをサボってても君くらいガチマッチに潜ってたインクリングならお金に困ることなんてないさ」
「慢心してたらすぐ生活苦しくなりますよ」
「かなぁ。だったら負けてもそれなりに金額が手に入るナワバリでいいじゃない。ガチマッチにこだわる必要なんてないんだよ」
「…周りに話題置いていかれるの嫌なんだよ。それにスプラローラーじゃあナワバリは難しいし」
「だったら、それでいいと思う」
 一人で納得したように目の前のインクリングは頷いている。反面俺は全く話が見えなくて首を傾げてしまう。
「あなたは一体なにが言いたいんです? 理由を聞きたがれば慰めるわけでもない。かと思えば一人で納得してるし。俺をからかってるんですか」
「違うって。んーそうだな。今は目標を失ってやる気ないかもしれないけど、続けていればきっと変わるよ」
「そんな言葉聞き飽き」
「それに君がスプラローラーと頑張った時間がなくなった訳じゃない」
 俺の言葉を遮って、目の前のインクリングは言った。

 その言葉に、俺ははっとなった。

 足元に置いたスプラローラーの入ったバッグを見つめる。
 移り変わりの激しい環境の中、持ち変えることなく相棒としてずっと使い続けてきたスプラローラー。カンストになる目標を持って、時に持ち上げて喜んで、抱えて落ち込んで、色んな時間を一緒に過ごしてきた。唯一無二の親友。
 スプラローラーでカンストを目指す。それが一番の目標で、夢だった。その目標はもうなくなってしまったけど、…俺がスプラローラーの為に考えた立ち回りやギアも、尽くしてきた時間も、全てが俺の経験や知識となって、バトル中の俺を支えてくれている。
「目標を失ってしまって確かに悲しい。でも目標のお陰で得た数々のものは君の中で生き続けている。夢がなくなってしまっても、きっとやりたいこと、見つかるよ」


「あなたってカウンセリングでもやってるのか?」
 情けなく涙ぐんでしまい、なんとか落とさずそれが収まった頃、睨むようにして目の前のインクリングを見た。
 このボーイは俺の状態を察したのか涙が引っ込むまでなにも言わず待ってくれていた。目付きは凄いが、今までの会話の中でもいい奴なんだろうなとは思った。インクリングって見かけによらない。
「違うよ。確かに話してて変に感謝されることはあるけど、そんなつもりは全くないって」
 困ったように笑った。
 無自覚って。さぞガールにモテるんだろうな。俺の心を晴らしてくれたのは感謝しているが、その無自覚によって掻き乱されたと思うとなんだか恨めしくも思う。
「ごめん。ごめんって。お詫びに今から一緒にリーグマッチでもどう? それなりに役に立って見せるぜ」
「…いいけど。ブキなに」
「ジェットスイーパー。無印の」
「スプラローラーとジェットスイーパーじゃ塗れないじゃん。苦行リグマかよ…」
「スプラローラーって塗れないのか? やられる時ダイナモ並みにインク飛び出てくるように見えるけど」
 そう言うとジェット使いのインクリングは立ち上がった。リーグマッチへ行くことは確定らしい。俺に拒否権はないようだ…。
 急いでスプラローラーの入ったバッグを持ち追い掛ける。ついでにジェット使いの発言する反論してやった。
「あのなぁ。周りが強いとか修正はよとか騒ぎ立ててるけどスプラローラーマジで強化必要だから! ハイカラシティにいた頃よりインク効率は悪いし目の前の敵潰そうとしても謎判定でやれないんだからな。本当何度ガチマッチ投げようと思ったことか! 今日だって何回も起きたし。あの謎判定修正されないんだったらそろそろ自分でなんとか出来る部分は立ち回りでカバーしなきゃ…」
 ジェット使いの隣でぶつぶつと言っていると、ジェット使いは、やっぱりバトル好きなんじゃん、と笑った。俺はなんだか恥ずかしくなって、そっぽを向いた。



2018/05/02



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