暗緑の灯火
動き出す凛々
「ってつまりあんたは、この世界から消えるってことなのね?」
リタはわかりやすく苛立ちを隠さず言う。
ジロリとラナを睨んだ瞳は、時折不安そうに揺れた。
こくりと彼女が頷くと、カロルは俯いて黙り込み、エステルは口元を手で覆った。
ジュディスは何も言わずに瞳を伏せていたが、パティは勢いよくラナに飛びついた。
レイヴンは物憂いた表情で、ユーリは耐える様に拳を握る。
ラピードが気遣わしげに鼻をスンと鳴らすが、嫌な沈黙にバウルが空をかける風の音だけが聞こえて、余計に皆の絵も言えぬ動揺を表しているようだった。
「ほんっとに、イラつくわ」
リタはわざと大きな声でそう言って、腕を組んだ。
「なんで勝手に決めてるワケ?それに、非科学的すぎよ、その話」
彼女は強がった様子に見えた。
それは誰の目にも明らかで、レイヴンはこっそりと肩を竦めていた。
「賢者の石はあなたの力を借りにきたのかしら?」
ジュディスが言う。
「本当の理由はわからない。けれど、エアルに還りたいと言っていた……それにクライヴの聖核……」
「けど、力を貸したらラナはこの世界に居られるのじゃ」
「力を貸せば、この世界は終わるけどね」
リタは大きくため息をついた。
「……ラナ、肩の傷を見せてください」
エステルはラナにゆっくりと歩み寄り、有無を言わせぬ様子で言った。
大人しくそれに従い上着を脱ぐと、胸元を開いた。
そこに待っていた光景に、彼らは思わず目を逸らすが、エステルは悲しいほど広がった傷、傷と言うには禍々しいそれを見つめた。
「きっと治します」
きっと……と言い聞かせるように呟く。
「ラナちゃんっ♪」
レイヴンがとんっとラナの背中を叩いた。
「いい度胸だ。傷が痛むだろうが」
ジロッと睨みをきかせてみたが、レイヴンはひょうひょうとしていて、なんでも無いように、船首の近くにもたれかかった。
「ユーリのあんちゃんとは、ちゃんと腹割って話したの?」
「…………」
ラナは黙って、バウルが飛んで行くずっと先の方を見つめる。
「いっぺん腹割って話しなよ、仲間だ恋人だ云々の前に、友達だろ?」
レイヴンは冷静に言う。
そう、友達。まずそこなんだ。
私たちの関係は、友である事から始まる。
「……そうだな、ちゃんと…って何から話せばいいのやら…」
「そりゃ……ラナちゃんが思ってる事でしょ」
レイヴンはやれやれ、と首を振り、兄貴風的なものを吹かせてくる。
「……思ってる事…か…」
どうやら第三者の方が、私たちはよく見通せるらしい。
フレン、下町の皆。そしてユーリ。
蔑ろにしてはいけない人たちが、自分にはたくさんいるのに。
「あああ寒い寒い、それにしても寒い寒い寒い」
レイヴンが、ガタガタと震え上がるのも無理はない。
なぜならここはゾフェル氷刃海。
極寒、流氷浮かぶ海の上だ。
この時期だけ、流れ着いた流氷によって道ができる場所で、普通の人であればこんなところには来ない。
「ここを通ったとは、お手上げだな……」
ラナは首をかしげた。
エステル救出のため、ユーリ達は一度この道を通ったらしい。
「ラナ、全然寒くなさそうですね?」
「……最近、そう言った事考えないですね……あ……」
さらっと言った彼女はしまった、というように眉をしかめた。
それを見たエステルは口をあんぐりと開け、それを隠すように手で覆い、固まってしまった。
「……あら?凍っちゃった?」
くすくすとジュディスが言うが、確かにここだと凍りそうだ。
「凍ってません!けどそれって……」
「身体の感覚が無くなってるんだよね?」
暗い声で言ったのは、まさかのカロルだった。
「…………」
ラナは返事を返せない。
「ラナ、ダングレストでは肩の怪我、痛そうだった…でも船に乗ってから痛くないよね?温度の変化はもっと前からわかんないんでしょ?」
「……ラナ…ほんとうなのか?」
パティが心配そうにいうと、彼女はため息混じりに肩を竦めた。
「さすが、ギルドのボスだな」
「茶化すなよ!本当に痛くねえのか?寒くもないのか?!」
ユーリがそう怒鳴ったので、彼女はうつむいて拳を握った。
「言ったって…心配させるだけじゃないか……」
嫌な沈黙が氷の上を支配する。
それから口火を切ったのはレイヴンだった。
「………とりあえず、凍え死ぬ前にリタっちの計画終わらせない?おっっさん、寒くて寒くて」
「そうじゃな!話をするなら、また船でとことん話し合う方がいいのじゃ!」
「で、来たはいいけどエアルクレーネで何するんだ?」
ユーリは、立派なエアルクレーネの結晶を見上げた。
氷の上に悠々と佇むそれは、世界の荘厳さを現しているようで、得体のしれない物に思える。
「エネルギー体で構成された、エアル変換機をつくるのよ」
リタが言った。
エステルは変換機?と聞き慣れない言葉に首をかしげた。
もちろん、彼女だけではなかったが。
「エアルを効率よく物質化することで、総量を減らすのが狙いなんだけど、そのためには変換機がエアルと物質、その両方に近いエネルギーである事が理想なの」
「……それってマナのことか?」
ラナが言った、マナ、という言葉にリタ以外が首をかしげた。
「よく知ってるわね、エアルより物質に近くて、物質になってないもの、本当はもっと長ったらしい名前だけど、魔導士はみんなマナって呼んでる」
「ラナはそんな荘厳な響きを、よく知っておったのう」
「や、昔リタの部屋の本で読んだ。エアルは段階的に物質に移行して、安定する。その途中をマナっていうんだそうだ」
「けど物質よりは不安定だから、核になる物が必要なの。んでそれが聖核。であとはエステルの術式を組み替える力と、充分な量のエアル」
「それで、ここは売ってつけってわけだな。こういう賭けは嫌いじゃないぜ」
ユーリはニッと笑って頷いた。
「本来なら、私は止めるべき立場だけれど、今回は乗らせてもらうわ」
ジュディスも笑う。
「うちはその賭けに10億ガルドのるのじゃあ」
「大丈夫よ、理論に間違いは無いんだから」
「にっしても、よく思いついたわね、リタっち。さすが天才少女」
レイヴンの言い方では、からかっているようにしか聞こえないのだが、リタはちょっとだけ頬を染めて喜んでいる。
「……ザウデに手がかりがあったからね」
「そういや、調べに行ったんだっけ?」
ユーリが言うと、神妙な顔でリタは頷いた。
「あんな規模なのにエアルで動いてなかった。世界を守ってた、結界魔導器なのにね」
「結界魔導器!?そっか……星喰みから守ってたんだ……」
カロルはあんぐり口を開け、空に視線を向けた。
禍々しい色が、ザウデの結界がいかに強力であったかを示してるかのようだ。
「千年もの長い間ということか?哲学するイソギンチャクより粘り強いのじゃあ」
「星喰みも千年へばりついて粘り強いけどね……」
パティの言葉にツッコミをいれたのはレイヴンだった。
「アレクセイはザウデを兵器だと思っていたようだけど、とんでもない勘違いだったのね」
ジュディスは物悲しい表情だった。
哀れな男の末路は、結果を聞いてますます悲しい物になった。
「エアルは暴走を引き起こす…で、ザウデはなんの力で動いてたんだ?」
レイヴンの素朴な疑問に答えたのは、ラナだった。
「満月の子だ…それも彼らの生命力」
リタはやっぱりね、と腕を組む。
伝承の意味がようやくわかった皆も、神妙な顔つきだった。
「デュークの話じゃ、満月の子が自主的にやったらしいぜ」
「ザウデは結界魔導器で、犠牲になった満月の子らの墓でもある」
「お墓……ですか……」
満月の子らの力は、今でもザウデの魔核の中で生き続けているのだ。
世界を脅かしてしまった力を、世界を守る力に変えて。