暗緑の灯火 | ナノ
暗緑の灯火



理解し得ぬ孤独



ラナが入れないのであれば外でレイヴンを待っていようと、カロルが言う。
それを静かに遮ったのはユーリだ。

「めんどくさいこと考えてねえで、こいつはエステルの護衛なんだ」

彼の親指は、ラナを差していた。

「かまやしねえ、外で待ってるだろうよ」

と言ったユーリは、ぴくりとも眉を動かさなかった。

かまわないから入ればいい、と言うのかと思いきや、全く逆だったので、これには皆も驚いたようだった。



「バカな。護衛だからこそ離れない。ということは私とエステリーゼ様はここに残るということだ」




「あら、だったら護衛は私たちが引き継ぐわ」

「ジュディ…」

「あなた、フレンほどカタブツじゃないわよね?」

試すようなジュディスの笑みに、ラナは諦めたように肩を竦めて言った。

「ああ、よろしく頼む」



「任されたのじゃ」

にこり、と微笑んだパティに同じように笑みを返して、彼女は皆を見送った。






ラナはユニオン本部近くにあったオープンカフェらしき店で腰をおろした。
けれども注がれる視線は痛く、冷たく、騎士を警戒する声ばかりが聞こえてきた。

別に気にすることなんてないのだし、どう思われていたっていいのだが、やはり居心地の悪さは相当しんどかった。
なにより、騒ぎの渦中にはなりたくない。

ラナは注文を聞きにきた店員に申し訳なさそうに微笑み、席を立った。
そして街の出入り口の橋で皆を待つ事にした。



「フェローがここに来たのも…もうずいぶん前だな……」



夕暮のダングレストの空を見上げて蘇った記憶は、恋しくてどうにも切なかった。
戻りたい、だなんて賞も無い事を考えてしまう自分は、やっぱりどうしようもなく神様にはなりきれないんだと思った。




『お前、人に戻りたいか?』



背後からどこか空間に隔たりのあるような声が聞こえ、ラナは振り返った。
それがどのような存在かわかっていた彼女は、なるべくゆったりとした動作で声をかけて来たソレに目線を移す。

そこには自分の姿をしながらも、赤い瞳をギラギラと滾らせる賢者の石がいた。


「戻る?私はもともと人じゃない」


バカにした態度でもなく、たんたんと当たり前のようにラナは言った。
少なくとも、こいつには何も悟られたくはない。

『其の様に線引きせねばならない事が、既に人で在りたいと言うお前の願いだ』

「……お前、なんの用だ?」

ラナは睨むように賢者の石の真っ赤な瞳を見つめた。

『何、少しからかいに来ただけだ』

そう言って賢者の石は手のひらを上げた。
すうっと光がこぼれ、編むようにそれは形をなし、大きな結晶のようなものを作った。

「そ……それは……聖核……!?」

ラナは思わずひゅっと息を吸い込んだ。
間違いない、クライヴの聖核だ。
最後に御剣の階梯で見たときと変わりなく、内に閉じ込めたエアルでキラキラと外の光を反射させていた。


「どうしてお前がそれを……」

ぎりぎりと奥歯を噛んで、石を睨みつけた。


『如何してだろうか。お前が可愛がっていた始祖の隷長の聖核だ。何処かへ消えてしまわない様に、保管していた』


「……そうか、だったら礼を言う」

彼女は手を差し出した。

『ふん、今すぐ此のエアルの塊を喰ってしまう事もできる』

にっこり、と石は笑みを浮かべる。
ラナの顔で。


「そんなそぶりを見せたら真っ二つにしてやるよ」


彼女は少しイラつき始めていた。
目の前にクライヴの聖核。
心を急かすには充分な効果があるだろう。


『くくく……肩の傷は如何だ?腕まで拡がったか?』


「そうだな、そんなもんだろうな」


ラナはギシギシと痛む肩の傷に触れ、すぐにだらりと手を落とした。
賢者の石はそれを見て、満足そうにニヤリと唇を持ち上げる。


『其の身体を戻してやろう』


ラナの目がピクピクと動いた。
遠回しな賢者の石の言葉が、酷く彼女を苛立たせる。


『我は星喰みが欲しい……』

石はコツコツと石畳を歩き、焦らす様にゆっくりと言葉を続ける。

『星喰みこそ世界を呑み込むエアルの海原。我は彼れを喰らい、大いなるエアルの中へ還りたい』

「還りたい……?」

『何を驚く?我は遥か昔に、世界のエアルから弾き出された唯の塊に過ぎ無い』

首をかしげて不思議そうな顔をした石は、橋の手すりに肘をついて、夕暮を見上げる。
ラナはその横顔は自分なのだけれど、自分ではないと感じた。
もちろん、自分の横顔など、見慣れるはずもないのだが。

『異界の神よ。お前は多くの神々に囲まれていた。だが、此の世界に神と呼ばれる者は居無い。其れに等しい存在も無い。類の居無い我の孤独が、お前に分かるか?分かる筈も無いだろう』

「だから還りたいって言うんだな?世界の中に」

ラナは長いまつ毛を伏せ、愛刀に触れた。

『併し結界が邪魔をする。彼れは人と始祖の隷長が造った物。満月の子の特異な力。理を読む力はあっても、我には其れを越える術がない。そして星喰みも又、地上から阻まれ戻る事は無い』






「……悪いが、出来ない」


ラナはズルズルと座り込んで、頭を抱えた。


「あんたが星喰みを喰ったら、この世界はどうなる……」


顔を伏せたままのラナを見て、石は静かに答える。


『エアルの濁流が地上を這い、エアルクレーネへと戻るだろうな』


びゅうっと風が橋の上を滑り抜け、2人の赤と茶色の髪が舞う。


「……その濁流は…その濁流で、何もかもが変わってしまう。植物も、動物も、魔物も人も」


ラナに、賢者の石の気持ちなど分かる筈がない。
悪であって欲しくて、そうでなければならなかったからだ。


『本来、星喰みとはそう言う物だ。結界を張り続けて居ようが、何れ世界は組み換えられる』



「そう言うなら、結界が壊れるまで待っててくれ。私は力を貸せない」


ラナがそう言って膝を抱えた途端、街の方からエステルの声が響いた。

「ラナー!お待たせしました…ってあれは…」

「賢者の石!!!」

ユーリは鞘を投げると同時に、地面を蹴った。
ジュディスもそれに続いて勢いよく飛び上がる。


『……邪魔が多いな。我はイザナミが嫌いだが…お前の事は嫌いでは無い。我の目的は一つ……還ることだ。答えが出たら呼べ、聖核くらい何時でも返す』

賢者の石はひらりと宙に舞い上がると、スッと姿を眩ませた。


「ラナ!無事か!?」

ユーリは座り込んだままのラナに駆け寄ると、頬を持ち上げた。

「怪我はない…ようね」

ジュディスはホッと息を吐いて、槍を握る手のひらを緩めた。
後から走って来たエステル、レイヴン、パティ、ラピード、カロル、リタ。
皆も一様に不安気な表情を見せていた。

「……何があったの?」

カロルは心配そうに言う。


「おい、大丈夫か?」

ユーリの言葉でラナは顔をあげた。


「……ユーリ…私はどうしたらいい……」


肩を震わせながらそう問う彼女は、そっとユーリの手を掴んだ。
冷たいその手のひらは、助けて、と静かな叫びの様だった。






[←前]| [次→]
しおりを挟む