暗緑の灯火 | ナノ
暗緑の灯火



嵐の前の静けさ



「直りそうか?」

ラナは、駆動魔導器を修理中のリタに声をかけた。


「筐体にいっさい破損がないわ。魔核は修復不可能だけど。これなら調整するだけで前の魔核を使えば動く…」

はぁ、と息を吐いたリタは、慈しむように壊れた魔核を撫でた。
友人を無くしたかのような悲しい目をして、割れてしまった小さな魔核を筐体から外す。

「ジュディの仕事は完璧だった、ってわけか」

「いいわよ……あいつの事は……ねえ、あんた闘技場で何やったの?」


急に視線をこちらに向けたリタに、ラナは一瞬たじろいだ。





「……ちょっとエアルをぶつけた」

やや間があって返事をした彼女に、リタは心底不満そうな顔をする。


「そうやっていつも適当な事言うけど、こっちは真剣に聞いてるの。真剣に答えなさいよ」

キッと力強くこちらを睨んできた少女。
今まで彼女がこんな風に真剣に向き合ってきた事など、一度も無かった。
ラナはそれが妙に嬉しく思えて、自分で自分にクスリと笑ってしまった。

それを見逃さなかったリタは、何笑ってるのよ、とさらにこちらを睨んできた。


「悪いな、なんか嬉しくて」

「はぁ?ふざけてんの?あんな無茶して、死んでたらどうすんのよ!」

「心配してくれるんだな。ありがと」

そう言って笑ったラナ。
リタは、恥ずかしそうに視線を魔導器に戻した。


「で?なんなのよあれ」



「あれはな、エアルクレーネからエアルを自分の周りに手繰り寄せてるんだよ」



ラナは、手のひらを見つめた。

「手繰り寄せる?そんなこと…」

「どうやって、とか聞くなよ?私もよくわからない。わかりやすく例えるなら、海」


「なんで海?」


「潮は流れてぐるぐる回ってるだろ?エアルもそんな風に回ってるみたいな感じでさ、糸を手繰り寄せるみたいに、流れて向かってきているのを自分の所に引っ張るんだ」


「感覚的すぎ……だいたいそんな事したら、自分の身体が集めたエアルで……ってそういやあんた……」


リタはハッとしてラナを見た。


「私は、エアルに酔わないんだ」

なぜか申し訳なさそうに眉を下げた彼女。


「……この目で見たから、そうなんでしょうね。普通、カドスの喉笛の時みたいな量のエアルに触れたら、とてもじゃないけど無事では済まないわ」


リタはやれやれ、と肩を竦める。

「そうだな……普通はな」

一瞬、ラナの深緑の瞳が悲しみに陰った気がした。


「旅してみて、今までのあたしの常識は、通じないってよくわかったわ」


「だったらモルディオにとって、今回アスピオを出た事はいい経験になるってことだな」


「あんたに言われるとムカつく」

「おいひどいな」

「冗談よ。でもあんたって、騎士団を大切にしてると思ってたから、辞めたの、正直言って意外だったわ」

「ああ、それは自分でもそう思う」

「こんな事あたしが言うのも変だけど、今のほうがしっくりくるわね」

「なんだよそれ、副団長、似合ってただろ?」

「普通そう言うこと自分で言う?」

「言っちゃうんだよ」

ニヤリと笑ったラナに、リタはため息を零した。

「でも責任感は人一倍ね。闘技場での事も、あんたらしいわ……」



「そうかな?あれは仕方なかったからだよ」


ラナは踵を返して、リタにひらりと手を振った。
少し心配そうに、その後ろ姿を見つめていた彼女は、諦めたように眉を下げて再び魔導器に視線を戻した。






ラナが船首側へまわると、レイヴンがあぐらをかいて眠っていた。

「ちょっといいか?」

ラナはとん、と軽く彼の肩に触れ、声をかけた。

「なによ、闘技場での事なら知らなかったわよ」

こちらが質問をする前に、そう返事をしてきた彼。

ラナは近くに皆がいない事を確認して、甲板を見回わせるように腰をおろした。


「知らなかった、ってのは信じるよ。ユニオンをそそのかしたのもイエガーだろ?」

「知ってたのか?」

イエガー、という名が出て、レイヴンは驚いたようにこちらを見つめてきた。
ふふ、と笑ってラナは眉を下げる。

「知ってたさ。茶飲み友達ってわけじゃないけど」

「なるほどね、副団長はアレクセイに信頼されてたわけか」

イエガーの事は、レイヴンもアレクセイ本人に聞いたわけではない。
ギルドに出入りを始めてから、彼が誰か気が付いたのだ。


「アレクセイに聞いたわけじゃないぞ。あいつの死体をこの目で確認したってだけ」

「……俺には、イエガーが何か動いてるようには見えなかったけど、いまでも繋がってたみたいね」


「さあな」

ラナは別段、興味はなさそうに言った。
そしてやや間があって、再び彼女は口を開く。




「ドン・ホワイトホースが死んだら、レイヴンとしての任は終わるのか?」


彼女はそう言って、じっとレイヴン見つめる。

その言葉に彼の瞳がわずかに揺らぐが、すぐにいつもと同じ、気のない目に戻り、


「さあね、どうだろ。そうかもな」


と、視線を逸らして誤魔化すようにひらり、ひらりと手を振った。



「残念そうだな」


試すように言ったラナの言葉に、レイヴンは返事をしなかった。
代わりに、少し肩を竦めて見せた。
肯定でも否定でもない様子だ。



「私はもう少ししたら、本格的にアレクセイの計画を壊しに行く。ダミュロン、そろそろ無気力な生き方はやめろ。お前は人形じゃない」


ラナがそう言うと、彼は首を横に振った。


「やめてくれ……ダミュロンは死んだんだ………10年前に…砂漠で…心臓を貫かれて、な」


抑揚なく、怒るでもなく、レイヴンは淡々とそう言った。


「例え偽物の心臓でも、お前は生きてる。身体も動くし、自分で物事を考えられる。腹も減るし、女だって抱ける。いい加減……前を向け」


ラナは彼の心臓を指差す。
その深緑の瞳は真剣そのもので、レイヴンは見ているのが辛くなった。
前を向け、という言葉に抗議したくなるほど、無理な事に思えた。

一体、死人が、どうして希望など持てるというのか。



「………人魔戦争のとき、結局あんたはなにしてたんだ?」


ふと、真剣な声色でレイヴンが言った。


「話を逸らすなよ」

咎めるような口ぶりのラナ。
レイヴンはそれを無視して言葉を続けた。



「あんたは突然砂漠に現れた。子どものクセに、ギラギラした目、してな」



「失礼なこと言うなよ。まるで私が猛獣みたいだ」

自嘲気味に笑ったラナ。
レイヴンはそれに少し不満そうに顔をしかめた。


「俺はわけもわからずあそこに行った。でもあんたは違った……子どもが1人で来れる場所じゃないだろうよ」


「クライヴが始祖の隷長だっての、今日、目の前で見ただろ?」


「ああ、それにも納得がいかない。あんとき俺らをいたぶったのも、あれは始祖の隷長なんだろ?」


「………人間同士が衝突するように、彼らも意見が割れる事はある。私はあの時、非日常にただただ興奮してた子どもだよ…」


「悪趣味なこった……」


「結界の中じゃ、力を持て余してたんだ。いや、話が逸れたな……まあいいや……くすぶってんのもいい加減飽きるだろって話だ」


ラナは立ち上がると、レイヴンのそばを離れた。

彼は大きくため息をついて、肩を竦める。

彼女が自分に何を求めているのか、わからない。
生ける屍。
自分にはそれが似合いの言葉。

あれから10年。

希望の持ち方など、とうに忘れてしまった。







ラナは船室へ入ろうとした所で、足の力が抜けるような感覚に襲われ、膝をついた。

「大丈夫か?」

偶然にも中から出てきたユーリが、座り込む彼女に声をかける。

「おう……」

「怪我してんのに無理しすぎだ」

ユーリは彼女を軽々と横抱きにし、中へ入った。


「歩けるぞ」

ラナは困ったように彼を見つめたが、笑うだけで降ろそうとはしなかった。


「エステルに治癒術かけてもらえよ」


「クライヴが気がつく。あいつ落ち込んでるから、グミで我慢するよ。スペシャルグミ頂戴」

「んな高級品はうちのギルドにゃねえよ」

ユーリはラナをベッドに降ろし、自分も側に腰掛けた。
そして彼はポケットからアップルグミを取り出し、にやっと笑う。

「これやるよ。俺の秘密兵器」


「はあ?100ガルドの汎用品が秘密兵器とは、凛々の明星の懐事情はわびしいなあ」


そう言ったラナの頬に手を添え、ユーリはグミをひとつ自分の口に含んだ。

「ほら……」

彼はそのまま彼女に口付けて、グミを中へ押し込んだ。


「んんっ!」

ラナが拒むのも無視して、彼の舌は彼女の中でいやらしくうごめく。

喉まで流れてくるグミの味をごくり、と飲み込み彼女はユーリの胸を押し返した

「苦しいっ!」

はぁ、と息を吐いた彼女に、ユーリはすぐに次のグミを含んで唇を近づけてきた。

「食べさせてやるよ」

「いらん!」

「遠慮すんなって…ここで抱くぞ?」

彼は至極楽しそうに笑って、口付けた。

「……ん……」

諦めたようなラナの声に、ユーリは激しく舌を絡める。

熱い舌どうしが絡み合い、唇が濡れる。

グミを味わって離れた舌は、唾液が糸を引いた。


「なんか、悪いことしてるみたいで興奮するかも」

ボソっと言ったラナの言葉に、ユーリは確かに、と同意してベッドに入ってきた。

「ユーリも寝るのか?」

「ちと休憩」

「ふーん。なあ、私が別行動になったらさみしい?」

「………さみしい」

そう言って、ぎゅっと抱きついてきたユーリ。
彼には珍しい言葉だ。

「そう言われると思わなかったから、どう反応したらいいかわかんないわ……」


「そうやって聞いてても、ラナは行くんだろ?」

「……おう」


「戻って来たら、ギルドに入るか?」


「いや………逃げ道は作らない」


ラナは首を振った。


「別に逃げてねえだろ。生き方を変えるだけだ」


「ダメ。私はそんなに器用じゃないんだ」


「わかってるよ。でも騎士でいる事が全てじゃないだろ」

「……また騎士になろうなんて思ってないよ。でも……」



言葉に詰まるラナの頭を撫でて、ユーリが言う。


「わかった、悪かった。ギルドにってのは、俺の望みだ。それを押し付けるのは、なんか違うよな」


小さくため息をついた彼。

ラナはぎゅうっと抱きしめ返す。

「そう言ってもらえるのは嬉しいよ」

「忘れんな。いつでも…俺の所に帰ってきていいんだからな。頼ってもらえない方が俺にはキツイから、男として」

優しい言葉に、なにも言わずに彼女は目をふせた。







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