暗緑の灯火 | ナノ
暗緑の灯火



うつし世を忘れし理想郷



ラナは熱砂が遠のき、涼しく心地よい風を感じた。


微睡みに甘えるようにうつ伏せに寝返りを打った所で、嗅ぎなれない匂いに彼女はのっそりと上半身を起こした。

見回したが他のベッドは空いているようで、ラナは首を傾げる。



「………何があったんだっけ?」



目をこすってみても、あまり思い出せない。
彼女は諦めたようにもう一度ベッドに倒れこんだ。

枕に顔を沈めると、いつになく心地よさを感じた。

二度寝は久しぶりだ。



「……おい、なんでもっかい寝るんだよ。さすがに起きるだろ、普通」


がっしりと頭を掴まれ、ラナは仕方なく顔をあげた。

「……?」

眉を寄せ、怪訝な顔をして頭を掴んだユーリを見つめると、彼は困ったように笑った。

「状況を理解してねえな?」

「……おう?」

へらっと笑って、彼女はまた枕に沈んだ。


「……昔から、寝起きの悪さは直ってねえな…相変わらず」


ユーリは諦めたように、彼女と同じベッドに寝転んだ。
目を閉じれば、温かい彼女の体温と心地よい風が、まるで下町にいるような錯覚を起こす。

ラナが甘えるように胸に顔を寄せてきたので、彼は自分の身体を横向け、彼女を抱き寄せるように引き寄せた。



スーッスーッと、すぐに寝息は規則的に変わる。

彼女の頭を優しく撫でれば、ユーリも次第にまぶたが重くなっていく。









「……あんたらぁっ……なにイチャイチャ寝こけてんのよぉ!!」


そんな怒鳴り声と共に、ユーリの頭に分厚い本が投げつけられた。

「いってぇっ!」

びっくりして彼は飛び起き、角で殴られた頭をさすった。

「起こしに行くって言ったのに全然戻ってこないから、こんなことだろうと思ったけどねぇ」

レイヴンはケラケラと笑った。
隣に居たカロルも大きくため息をつく。

「もう…しっかりしてよね!街の人に箱見せに行くんでしょ?」



「で、ラナはなんでまだ起きないのよ!」


リタは、明らかにイライラした様子で、気持ち良さそうに眠るラナを指差した。

「おーい。ラナ、起きろ」

ユーリはトントン、と彼女の肩を叩く。

ゆっくりと目を開けた彼女は、ユーリ見てへらっと笑う。


「クレープとステーキどっちも食べれるぞ」

彼女の寝ぼけた発言に、その場に居たユーリ以外の三人は首を傾げた。

「じゃあどっちも食べろよ」

ユーリは特に気にした様子もなく、彼女を抱き起こした。


「……おう……おう?……んあ?」


ラナはあれ?と首を傾げる。


「なんだっけ?」


彼女の一言に、三人ははぁ、と肩を落とした。







どうやらここが、アーセルム号の日記にあった、ヨームゲンと言う街らしい。

誰に助けられたのか皆、気付いたらベッドの上だった。
取り敢えず街の人に紅の小箱を見せ、何か知らないか尋ねようという事なのだと言う。


「この街、結界が無いんだな」


ラナは光輪の無い空を見上げた。

「だから魔物を退ける力がある透明の刻晶をさがしてたんだね」

頷いたカロルだが、レイヴンは千年も前の話、と肩を竦める。

「結界無しで暮らしてるってのも妙だよな」

ユーリがそれに同意するように言った。


「なんか、妙なって言うなら……雰囲気…というか空気感がなんか…」


ラナは街の人を見つめ、皆に視線を戻した。

「とりあえず、街の人に聞いてみましょう!」

気の早いエステルは、そう言って駆け出すとあれやこれやと聞き回り始めたので、ユーリ達も後を追った。



「クライヴ?どうした?」

ラナは、空を見上げたまま動かない彼に声をかけた。

「俺、ここで待ってる」

そう言って手を振る彼。

「そっか、勝手にどっか行くなよ?」

「うん」






街の人が紅の小箱に首を傾げる中、ウッドデッキから海を眺めていた若い女性に箱を見せると、彼女は驚いたように小箱を見つめた。

「この箱について、何かご存知なんですか?」

エステルがそう尋ねると、彼女は頷く。


「それは、ロンチーの持っていた……それをどこで?」


不安気に瞳を揺らす彼女に、レイヴンは甘ったるい声で返事を返した。

「アーセルム号って言う船ですよ。美しい方」

ラナはユーリと顔を見合わせ、苦笑いした。

「アーセルム号をご存知なんですか?!ロンチーに、ロンチーに会いませんでしたか?」

「ロンチーって、どちらさん?」

レイヴンは少し顔をしかめる。


「あ、私の恋人の名前です…すみません、突然…」

女性がそういうと、レイヴンは肩を落として、カロルにバトンタッチした。

「……まったく…えっと、ボクらが見たのは、その、船の方だけなんだ」

カロルの言葉に、女性はそうですか、と肩を落とした。

「あなたの名前を聞いてもいいかしら?」

ジュディスがにっこり笑って尋ねると、女性はユイファン、と名乗った。


それはアーセルム号の日記にあった名前で、あまり現実味のない偶然に、皆が首を傾げる。



「あんた、透明の刻晶って知ってるか?」



ユーリの言葉に、はい、と彼女は頷いた。
結界を作るために、街の賢人が必要だと言ったらしい。


彼女は取り出した鍵で紅の小箱を開けてくれたが、中に入っていたのはキラキラと輝く大きな石だった。


片手で持つのは心許ないほど大きな聖核に、ラナはまたえらく立派だ、と心の中でため息をついた。
しかし、クライヴはこれをどうするつもりなのか、肝心の所に着いてはこなかった。

このままだとこの聖核は、ユーリ達の元を離れるだろう。



「結界を作るって事は、魔導器を作るってことよね?」


ずっとこめかみを押さえていたリタは、ぱっと顔をあげユイファンに聞いた。

だか、ぶらすてぃあ?、と首を傾げる彼女。
結界がどんなものかも知らない様子だった。


「今の技術じゃ、魔導器を作れないでしょ?」

カロルが言う。

「それを作るやつがいるのよ!見たでしょ!エフミドやカルボクラムで!あのめちゃくちゃな術式の魔導器、その賢人とやらが作ったんじゃないでしょうね!」

そう言ってユイファンに視線を戻したリタだが、彼女はよく知らない、と謝った。


「とにかく透明の刻晶が必要だと賢人さまがおっしゃって…ロンチーはそれを探して旅に……もう三年になります……」

さみしそうに俯く彼女に、ユーリは三年は心配するわ、と言葉を返した。


色々と交錯する話に、皆一様に腑に落ちない様子だった。
千年と三年。
まったく意味が繋がらない。

ヨームゲンは間違いなくここだが、時間の話が噛み合わないのだ。
普通なら、もう透明の刻晶を探している人はここには居ないはずなのだから。


「とにかく、その賢人に会って話をきいてみないか?まだ生きてるよな?その賢人さま」


ラナがそう言うと、ユイファンはあたりまえです!と目を見開いた。
確かにご高齢ですが、と付け加えて。







賢人は街の1番奥の屋敷に住んでいると、ユイファンが教えてくれた。
その立派な佇まいのお屋敷は、一目見てこれだとわかる。



だが、中でユーリ達を迎えたのは、思いも寄らない人物だった。


「おまえたち、どうやってここへ来た?」


無表情にこちらを見るのは、デュークだ。

ラナはクライヴが一緒に来なかった事を、彼の登場で一瞬にして理解出来てしまった。

「どうやってって…足で歩いて、砂漠を越えて、だよ」

ユーリがそう言ったので、彼はなるほど、と頷くが、納得しているようには見えない。



「………ここに何をしに来た?」


そう問いかける彼に、ユーリは透明の刻晶を見せた。
こいつについてちょっとな、と。

感情の読めない眼差しでそれを見つめるデューク。


「わざわざ、悪い事をした」


よもや彼の口からそんな言葉が聞けると思っていなかったラナは、思わずびくりと肩を竦めた。

「なにびびってんの?」

そう言ってからかうレイヴンを小突いて、ラナはため息をつく。



「あんた、結界魔導器作るって言ってるそうじゃない」


デュークを睨むリタは言葉を続ける。

「賢人気取るのもいいけど、そんな魔核じゃない怪しいもの使って魔導器をつくるなんて、やめなさい」


「魔核ではないが、同じエアルの塊だ。術式が刻まれていないだけのこと」


たんたんと話す彼の言葉に、リタはどういうこと?と眉を寄せた。



「一般的には聖核と呼ばれている。透明の刻晶はその一つだ」



そう言って透明の刻晶をユーリから受け取った彼は、そっと床に置いた。

「これが聖核…?」

驚きに目を見開くレイヴンを、ラナは再び小突いた。

「……知ってたな」

ボソっと耳元でそう抗議した彼に、ラナはさぁ?と肩を竦めて笑った。

「それに賢人は私ではない……かの者はもう死んだ」

そう言って彼は剣を取り出した。


「だったらそれ、あんたには渡せねぇんだけど」


困ったな、と肩を竦めるユーリを見る事もなく、デュークは床に置いた聖核に切っ先をまっすぐに向けた。



「そうだな、私には、そして人の世にも必要ないものだ」



そう言うや否や、レイヴンが待て待て、と慌てる声も無視して、彼の剣からは光が放たれた。

それは透明の刻晶に集まって弾け、聖核は跡形なく消え去った。



「これ、ケーブ・モックで見た現象と同じ!?」

「あ〜!せっかくの聖核を」

驚いたのはリタとレイヴンだけではなかったが、2人の反応は全く別物だった。
剣をじっと見つめるリタと、頭を抱えて聖核が…とうな垂れるレイヴン。



「聖核は人の世に混乱をもたらす。エアルに還した方がいい」



デュークは剣をしまうと、ユーリ達に背を向けた。

壊すなんて、と騒ぐ一行に、まるで早く出ていけ、と語っているような彼の背中。
しかし気にした様子もなく、エステルが声をかける。

「透明の刻晶は……いえ、聖核は、この街を魔物から救うために必要なものだったんじゃないんです?」


「この街には結界も救いも不要だ。ここは悠久の平穏が約束されているのだから」


確かにのどかなところだけどな、と頷くユーリ。

だがそれだけでは悠久の平穏、なんてものには程遠い、とエステルがフェローという魔物が近くにいる、と心配そうに言えば、無表情なデュークの瞳が僅かに驚きに揺れた気がした。



「なぜ、フェローのことを知っている」



デュークの視線はちらりとラナを捉えた。
が、彼女がわざわざ始祖の隷長について言うはずもないと気がついたのか、すぐに目を伏せた。

「知ってること、教えてくれませんか?わたし、フェローに忌わしき毒だと言われました」

その言葉になるほど、と頷くデューク。

「この世界には、始祖の隷長が忌み嫌う力の使い手がいる」

「それがわたし…?」

不安そうなエステルは、ぎゅっと自分の手を握る。


「その力の使い手を満月の子という」


「満月の子?伝承の?……始祖の隷長っていうのはフェローのこと、ですか?」

彼女の言葉に、その通りだ、とデュークは頷いた。

「どうして始祖の隷長は、わたし…満月の子を嫌うんです?始祖の隷長が忌み嫌う力って、何のことですか?」

「真意は始祖の隷長の心の内。彼らに直接聞くしか、それを知る方法はない」

「だったらフェローに直接会って聞くしかないってことですか?」

「会ったところで満月の子は消されるだけ。おろかなことはやめるがいい」

デュークは再びユーリ達に背を向け、立ち去れ、と冷たく突き放した。



「待って!エアルクレーネで何してたの?あんた何者よ!?その剣はなに!?」

リタはこちらを振り向かない彼に詰め寄る。


「おまえたちに理解できる事ではない。また、理解も求めぬ。去れ、もはや語る事はない」


入る隙のないような冷ややかな言葉に、彼女は怒ったように何よそれ、と怒鳴るが、ユーリがそれを制止した。

「いこう…何聞いてもデュークは何も言ってはくれないさ。これだけ話したのも奇跡だよ」

そう言って部屋を出ていくラナに続いて、皆も屋敷を後にした。








一先ず屋敷を出たユーリ達。


「地上満つる黄金の女神、君の名は満月の子。兄、凛々の明星は空より我らを見る。君は地上に残り、賢母なる大地を未来永劫見守る」


おとぎ話の一節を、エステルが呟く。

何か意味あるの?とたずねるレイヴンに、エステルはわかりません、と首を振った。


「歴史上の事実がおとぎ話として語られるのは、よくあることだ」

ラナはぐいっと伸びをして、ユーリの肩に寄りかかった。

「で、これからどうするんだ?ベリウスに会うなら、ぼちぼちノードポリカに引き返さないとな」

気だるそうに言ったラナに、ジュディスも頷いた。


「あたしは聖核の事とかあいつに聞きたいことがある。あんたらが帰るのなら、ここで別れるわ」


研究者魂に火がついたのか、リタは屋敷を指差して言った。
エステルはえ?、と驚きに思わず口を手で覆う。


「……そう、残念。1人で砂漠、大変だと思うけど頑張ってね」


にっこり笑って言うジュディスに、そうだった、とリタは頭を抱えた。
皆で居ても遭難した熱砂を思い出し、1人で歩いて横断することの難しさに気がついたのか、悔しげに眉を寄せる。

「調べもんの間くらい俺らも居てもいいんでない?聖核の事は俺も興味あるし」

耳をほじりながらそう言ったレイヴンに、ラナは嫌味っぽい視線を向けた。

「……純粋に興味がわいただけよ」

口を尖らせてそう言った彼に、彼女は思わず苦笑いを浮かべた。

「そうだな、出発は明日にするか」

「あ、ありがと……一応お礼言っとく」

頬を赤らめながらそう言ったリタに、ユーリはどういたしまして、と軽くこたえた。







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