暗緑の灯火
ゆめゆめ忘れる事なかれ
カプワ・トリムに到着した一行は、慌ただしくヘリオードを後にした事もあり、宿で一息ついて話を整理することになった。
全ての事情を全員で確認を終える頃には、窓の外はしっかりと夜の帳がおりていたのだった。
「ドンはご存知なんですね…私が皇帝候補であること」
エステルの言葉に、レイヴンが頷いた。
彼女のお守りと、ノードポリカの統領ベリウス宛の手紙を預かっているというのだから、ユーリ達がフェロー捜しに砂漠へ向かうのも彼にとっては都合がいい。
デズエール大陸の玄関口は、ノードポリカだ。
「でも、監視ってことだよね。なんか気分悪くない?」
カロルがそう言って同意を求めたが、そうです?という返事とともに首を傾げただけのエステル。
立場的に考えたら、誰もお目付役が居ない事の方が、彼女にとっては不自然なのだから、当然の反応だ。
「んで、あんたらはフェローってのを追って、コゴール砂漠に行こうとしてるのね?」
リタは射抜くような視線で、凛々の明星とエステルを見回した。
「はい、とりあえず近くまでみなさんと行こうと思って」
「それから?」
「いろいろ回って、フェローの行方を聞こうかと…」
エステルは顎に指をあてて、さも当然のように言う。
まるで、フェローが街にでも住んでいるとでも思っているかように。
「……つっこみたい事はたくさんあるけど、お城に帰りたくなくなったわけじゃないのね?」
リタは念を押すようにエステル見つめるが、それも少し考えていたようで、彼女の瞳が揺らいだ。
「おっさんとしては、城に戻ってくれた方が楽だけどなぁ」
ひひっと笑ってそう言ったレイヴンに、彼女はごめんなさい、と首を振る。
「わたし、知りたいんです。フェローの言葉の真意を……」
そう言ってぎゅっと手を握りしめる彼女。
まともな神経をしていれば、あんな大きな魔物に世界の毒などといわれ、殺害宣言までされたら理由だって知りたくなる。
いつまた殺しにくるかもわからないのだから。
それでも彼女の中で、恐怖よりも好奇心が優っている事は明らかで、それに気がついているのかどうなのか、彼らはなにも言わずに居た。
「ところで、あんたは騎士団辞めて、こいつらと行くわけ?」
リタは、エステルを城へ帰すべきだという考えを1人飲み込んで、ラナに話を振った。
「んー?」
彼女は困ったように肩を竦めたので、クライヴはため息をついた。
今の今まで何も考えてはいないだろう。
能天気そうに振舞っているだけで、ラナにとって副団長と言う居場所は、失うにはあまりにも大きすぎる。
「あきれた……やっぱり考え無しなのね?あんたから肩書き取ったら、何が残るのよ」
「それはひどいぞモルディオ」
なんでも無いように笑って見せたラナ。
その瞳が、虚無感に陰っているのに気がついたのは、ユーリだけではないだろう。
「ラナもボク達のギルドに入りなよ!誓いを立ててくれるなら、元騎士でも大歓迎だよ」
カロルがそう言ったが、彼女は眉を下げて笑うだけだった。
明日の朝まで解散になり、ラナは1人波止場から海を見つめていた。
潮風が短くしたばかりの髪を撫でていくのが心地よくて、思わず目を細める。
軽くなったのは服装や髪だけでは無い。
副団長らしく在らねばならない、というプレッシャーも、今はどこにも無い。
それは望んだ事ではなかったが、避けたわけでもなかった。
何一つとして、選びきれていなかったのかもしれない。
結局のところ、騎士団に居た事も、自ら選んだ訳ではなかった。
「流されるままに生きてたか?」
寧ろ、それを望んで居たのかもしれない。
自問自答してみても、結局今はまだ流されてしまいたいのだ。
「ねえ、ラナちゃんって呼んでもいいの?」
背後から聞こえてきた茶化すような声は、レイヴンだ。
「よう、いい度胸してるな」
そう言って微笑みを返すラナに、レイヴンは大げさに身震いして見せる。
「ったく、なんであんたほどの人が……いや、あんただからか」
レイヴンは隣に並んで視線を海に向けると、言いかけた言葉を自分でかき消した。
「……実際のところ、なーんにも考えてなかったんだよ。だから、やらかしちゃったなぁ、ってね」
自嘲気味に笑う彼女は、何とも痛々しい。
「俺は死んでるからな…結局、動き出す事も出来ないわ」
レイヴンは、眩しいね若者!と笑って見せた。
「……レイヴン、砂漠になんて行きたかないだろ」
「別に、暑いのは平気よ?」
「誤魔化すなって……」
「……砂漠はもう何も無いっしょ。今でも見たくないのは、テムザの方さね」
ふっと息を吐いて、遠い目をするレイヴンの背中はさらに丸くなる。
ダングレストでフェローを見たとき、遠かった10年前の記憶が一気に押し寄せた。
越えても越えても終わらないような、夜の砂漠。
歩みを進める度に減っていく仲間。
希望の向こうに見えた残骸。
海岸に向かった事すら無意味で、結局1人も帰らなかった。
強大な力の前に、あがく事すら出来ていなかった。
それでもまだ生かされている自分。
一体どうして、こうなって、自分が1人残されてしまったのか。
「……じゃ、俺様は退散しようかね」
レイヴンは、背後から近づく気配に、遠慮したように笑った。
「2人で何話してんだ?」
滑り込むように入ってきた声の主はユーリで、ラナが振り返ると眉を下げた。
「秘密よ、秘密」
レイヴンはひらりと手を上げて、海に背を向け歩き出した。
ユーリは何か言いたげにしていたが、結局何も言わないままで、レイヴンは街へと戻って行った。
「よう」
ユーリはどこかぎこちなくそう言って、ラナの隣に並ぶ。
よう、と同じように短く返事をした彼女は、対岸に見えるノール港の光を見つめる。
ちょっと前に対岸からこの街を見つめた時は、今とは状況が全く違う事に、少しだけ胸が締め付けられた。
そんな気持ちを知ってか知らずか、ユーリはいつもより優しく話し始める。
「迎えにいく前に、お前からこっち来ちまったな…」
ラナはその言葉に少しだけ微笑むと、腰に携えた愛刀を撫でた。
「別にギルドに入る必要はねえから、そのまま一緒に来い」
彼はそう言って笑う。
「なぁ、ユーリ。お前から見て私はどんな風だ?」
ユーリは彼女の言葉に少し驚いた顔をしたが、諦めたようにため息をついて言う。
「はちゃめちゃで気が強い。でも実は弱虫」
「なんだよそれ、イイとこなしか」
不満気に口を尖らせたラナは、彼の二の腕にパンチをお見舞いした。
「褒めてんだぜ」
「どこがだよ」
夜の潮風が2人の間を抜けて行く。
何も言わずとも、2人で居る事が心地いいとさえ思える。
「ちょっと疲れたな……」
ラナがボソっと呟くと、ユーリは大丈夫か?と彼女を覗き込む。
「いや、体力的な事じゃなくて」
困ったようにそう言ったラナは、さらに言葉を繋げる。
「もともと流されるまま生きてたけど、今はもっとそうしてたい。何にも考えたくないな」
「………別にいいぜ。お前が騎士でもなんでも、生きてさえ居てくれりゃ、俺はそれでいい」
ユーリの言葉に、彼女は少しだけ驚いて、それから笑った。
「ありがとな」
そう言ってユーリの手を握る。
彼は一瞬、躊躇って、その手を握り返した。
心の中で詫びながら。