暗緑の灯火
ふがいない
「こんなやつが副団長だと?」
屈強そうな男の声が響く。
「イエース。確かにミッションはコンプリートしまシタ。ミーはこれで失礼しマース」
今度は、小馬鹿にしたような話し方をする男の声が聞こえた。
「ふん。まあいい。ラゴウのやつも副団長は女だと言っていたしな」
ラナはうっすらと目を開けた。
身体は重く、うまく動く気がしない。
捉えたのは木の床と、夕暮れの光。
どの位、気を失っていたかわからないが、恐らく夜は近い。
すると今度は豪快な足音がこちらに向かってきた。
「……っ!」
ぐっと髪を引っ張られ、無理やり顔を上げさせられたので、思わず顔を顰めた。
どうやら両腕を壁に拘束されているようで、座ってはいるものの、そこだけで動かない身体を支えているせいか、少し痛みが走る。
髪を引っ張ったのはバルボスで、彼は目線を合わせるように屈んだまま、なおも強く髪を引いた。
「いてえよ……変態ジジイ」
ラナがそう言って睨むと、バルボスは面白そうに口角を釣り上げた。
「どうやら状況が飲み込めないらしいな。副団長は頭が悪い」
彼は金属を取り付けた左手で、彼女の頬を殴った。
「っっ……!」
一瞬ひやりと温度を下げた彼女の右頬は、すぐに脳まで揺れるような衝撃と、痛みをくらい、頬はじんじんと熱を持ち始める。
「聞きたい事がある」
バルボスはそう言ってつかんでいた髪を離した。
何時の間にか髪をまとめていた紐が切れていて、長い髪はぱさりと肩に落ちた。
「何が知りたいか知らないが、てめえのくだらない計画の為に話してやる事はひとつも無いね」
吐き捨てる様にそう言ったラナ。
バルボスは部下から短刀を受け取ると、彼女の喉元に突きつけた。
「小生意気な……立場をわからせてやる」
そういった次の瞬間、彼女の腕を切りつける。
「うっ……」
ぎゅっと歯を食いしばる。
「ほう……悲鳴も上げねえとはさすがだな」
「…………こっちもてめえに聞きたい事がある」
ラナは不敵に笑う。
「ほう……なんなら取引と行こうじゃないか」
バルボスは少しも怯まない彼女に、少し驚いた様だった。
「だまれ下衆。こっちの情報とてめえの情報は対等じゃないんだよ」
「それはお前がワシを満足させるだけの、充分な情報を持ってるって事か」
少し楽しげに笑ったバルボスは、短刀を彼女の太ももに突き刺した。
「うあっっ!……っ……」
ラナは呼吸荒く、痛みで身体を反らせた。
「さすがに辛いだろ。殺しはせん。今はな……まず、お前の聞きたい事はなんだ?」
この剣を抜かれれば、確実に失血死する。
これで彼女は、クライヴが戻ってくる可能性にかけるしかなくなった。
「ワシはラゴウなんぞと違って、いたぶる趣味はない」
「……ふっ……どうだか……」
ラナは、肩で息をしながらも、ゆるく笑った。
「余裕だな。そういう根性のあるやつはいい」
「そりゃどーも……で、宙の戒典の復元は出来たのか?」
ラナのこめかみから、汗が落ちた。
「そこまで漏れてるのか?ラゴウの奴、当てにならんな。この分では騎士団の妨害も……」
「妨害……?」
ラナは眉を寄せた。
「ここを動けないお前が知ってもどうすることもできんわ」
バカにしたように笑ったバルボス。
恐らく何らかの形で、条約を妨害しようというのだろう。
「ラゴウごときの工作がうまくいくわけない。てめえらはずっと踊らされてたんだよ……」
「なんだと?」
彼女の一言で、バルボスは途端に厳しい目線を向けた。
「ラゴウなんかが、なんであんな技術持ってたと思う?」
ラナは心底楽しそうに笑う。
「裏で糸引いてるやつがいるってか?」
「そいつに宙の戒典の偽物、奪われる前に……「バルボス!!どういうことです!!」
叫びながら上がってきたのはラゴウ。
「騒がしいな。今は来客中だ」
バルボスは振り返ってラゴウを睨んだ。
「む……その女は……」
ラゴウは少し困惑しているようだ。
「執政官、計画はうまくいってるのか?」
ラナはあざ笑うように言った。
「ふんっ……バルボス例の塔と魔導器、私は報告を受けていませんよ!」
ラゴウはかなりお怒りらしく、バルボスに怒鳴る。
「なぜ、そんなこと報告しなきゃならない?」
バルボスは重厚な机の奥にあるテラスから外を覗き込む。
街の外側の広野には、様々なギルドの面々が集まっていて、隊列を組む騎士団とにらみあっている。
「な、なんですと!?雇い主に黙ってあんな要塞まがいの塔を……!それに海凶の爪まで勝手に使って!」
ラゴウは、ラナの存在を忘れるほど怒り心頭らしい。
「ワシは飼い犬になったつもりはない。ただおまえの要望どおり、魔核を集めたのだ。そのおかげであの天候を操る魔導器を作れたんだろう」
バルボスは椅子にかけて、ニヤリと笑った。
「誰が余った魔核を持っていっていいと言いました!?」
「お互い不可侵が協力の条件だったはずだがな。ワシが貴様のやることに口出しをしたか?」
「……バルボス、貴様!」
ラゴウはすっかり言い返せなくなったようで、悔し気に歯を食いしばる。
「執政官様がお帰りだ」
バルボスは部下に合図を送る。
「覚えておきなさい!貴様のような腹黒い男はいつか痛い目を見ますよ!」
「貴様がな」
にやりと笑って見せたが、次に階段を上がってきた人物に、バルボスは顔をしかめた。
「悪党が揃って特等席を独占か?いいご身分だな」
ユーリは不適に笑って、バルボスとラゴウを見た。
その次の瞬間にはラゴウは怯えて隅へと逃げ、震え出す始末だ。
「その、とっておきの舞台を邪魔するバカはどこのどいつだ?」
バルボスは立ち上がる。
「…っ!ラナ!」
ボロボロの彼女を見つけて、エステルが駆け寄る。
「……どういうことだよ」
ユーリは怒りをあらわにバルボスを睨みつけて、ラナに駆け寄った。
「……よう、ユーリ」
ラナは顔を上げ、ユーリを見ると、どこか楽しそうに笑った。
「よう、じゃねえ……」
彼は、血の流れる腕や、短剣が刺さったままの足を見て、苦しげに眉を寄せた。
「この一連の騒動は、あなた方の仕業だったんですね」
エステルがバルボス達を睨みつけた。
が、ラゴウはこちらを見ずに震えていて、バルボスはそれがどうしたと言わんばかりに鼻で笑った。
「あんた、捕まるなんて珍しいじゃない」
リタはラナにそういいながらも、少し余裕がないようだ。
「嬢ちゃん治癒術は後にしてやって。その足、そのままじゃマズイから」
レイヴンはちらりとラナを見て、そう言ったので、彼女は少しだけ笑った。
「やれやれ……造反確定か。面倒なことしてくれちゃって」
レイヴンは弓を構える。
「ガキが吠えおって」
バルボスがヘルメス式と思しき大型の武器を構えると、それを合図に紅の絆傭兵団の男達がユーリ達を囲んだ。
「ただで済むと思うなよ」
ユーリは鞘を投げた。
「とっとと始末しろ!」
バルボスが怒鳴り声を上げた次の瞬間、外から耳を劈くような大きな音が響いた。
「バカどもめ、動いたか!これで邪魔なドンも騎士団もぼろぼろに成り果てるぞ!」
バルボスは外を覗き込む。
騎士団とギルドは武器を振り上げ、衝突しようとしていた。
「なるほど、騎士団の弱体化に乗じて、評議会が帝国を支配するってカラクリね」
リタが震えるラゴウを睨んだ。
「で、紅の絆傭兵団が天を射る矢を抑えてユニオンに君臨する、と」
レイヴンが頷く。
「なんてこと……」
エステルはぎゅっと手を握って立ち上がる。
「騎士団とユニオンの共倒れか。フレンの言ってた通りだ」
「ふっ、今さら知ってどうなる?どうあがいたところで、この戦いは止まらない!そして、おまえらの命もここで終わりだ」
「それはどうかな?」
ユーリが不敵に笑って見せた。
それに怪訝な顔をしたバルボス。
すると馬が駆ける音と共にフレンの声が凛と響いた。
「止まれーっ!双方刃を引け!引かないか!!」
「ったく、遅刻だぜ」
「フレン!?」
エステルは驚きに目を見開く。
「私は騎士団のフレン・シーフォだ。ヨーデル殿下の記した書状をここに預かり参上した!帝国に伝えられた書状も逆臣の手によるものである!即刻、軍を退け!」
よく通る声だ。
「こんな時に……情けないな……」
ラナは自重気味に笑った。
レイヴンはそれを見て、なんとも言えない顔をしたが、誰も気がつかない。
「ラゴウ、やはり帝国側の根回しをしくじりやがったな!!」
バルボスが怒鳴ると、ラゴウは小さく悲鳴を上げ、さらに震えて小さくなった。
当てにならないラゴウに舌打ちして、バルボスが部下に目配せすると、部下の男が銃をフレンに向けた。
が、カロルが男に向かって金槌を投げつけたので、男の手から銃が落ちる。
「当たった!」
カロルは嬉しそうに拳を突き上げた。
「ナイスだ、カロル!!」
「ガキども!邪魔はゆるさんぞ!」
バルボスはヘルメス式の武器から銃撃を飛ばす。
「うわわわっ!!」
間一髪で避けるが、ラナが居る以上逃げるわけにもいかない。
「エアルを再充填するまで、少し間があるはず。その隙を狙って……」
リタが言いかけたが、すぐに次の攻撃が飛んでくる。
「うそ!?エアルの充填が早い!」
「次は容赦せんと行ったはずだ!」
しかし次の瞬間、バルコニーの外には竜使いが現れ、バルボスを吹き飛ばして武器を破壊した。
「なっ……なんだぁっ……!」
床に倒れこんだバルボスは、突然の襲撃に驚き、焦りを見せる。
「また出たわね!バカドラ!」
「リタ、間違えるな、敵はあっちだ……!」
「あたしの敵はバカドラよ!」
「今はほっとけ!」
「ちっ!ワシの邪魔をしたこと、必ず後悔させてやるからな!
バルボスは、机の下から機械じかけの剣を取り出し、起動させた。
すると剣からは竜巻が起こり、バルボスの身体はふわりと宙に浮く。
「うそっ!飛んだ!」
カロルの驚きも裏切らず、バルボスはそのまま飛び去って行く。
「おーお、大将だけトンズラか」
レイヴンは、往生際の悪いバルボスに、呆れながら呟いた。
竜使いは身を翻し、追いかけようとしたので、リタが怒鳴った。
「あ!まて!バカドラ!あんたは逃がさないんだから!」
「やつを追うなら一緒に頼む!羽のはえたのがいないんでね」
ユーリはバルコニーに駆け出した。
「あんた、なに言ってんの!こいつは敵よ!それに、ラナはどうするのよ!」
リタが怒鳴りつけたが、ラナはユーリを見てニヤリと笑う。
「行けよ。それがお前の目的だろ……」
ユーリはラナに笑みを返すと、竜使いに向き直り言った。
「……オレはなんとしても、やつを捕まえなきゃなんねぇ……頼む!」
すると竜はするりとバルコニーに身を寄せる。
「助かる!」
ユーリは竜の背に飛び乗ると、もう一度ラナを見る。
今度は視線は合わなかったが。
「待って!ボクたちも……!」
カロルが手すりに身を乗り出したが、ユーリは首を振った。
「ラナは俺の大事な女だ。頼んだぜカロル」
「えっ!」
「フレンにもちょっと行ってくるって伝えといてくれ!」
カロルは驚いたようだったが、ユーリはそのまま竜使いと共に夜の帳が下り始めた空に消えた。