暗緑の灯火
絶対の信頼
翌日、ラナは街の外でクライヴを待っていた。
見上げる空には影はない。
「やっぱ近くには居ないか……」
クロームは例外として、始祖の隷長の集まりに出たなら、今は砂漠の真ん中だろう。
遠くにいても意思疎通できる彼らが、わざわざ一同に会することは稀だと聞いていたが、それに関しても、ここ最近のエアル関連の余波だろうか?
なんにせよ、焼け付く砂漠はクライヴにとっては、居心地のいい場所ではないだろうが。
「ん?」
不意に、ちりっと嫌な殺気を感じて振り返った。
出どころを探ろうと気を張るが、早馬のように過ぎ去って行ったその気配を捕まえることが出来ず、代わりに街から歩いて来る数名に目が留まる。
「あれ?お前、着いて来る気になったのか?」
ユーリだ。
帝都に戻るはずだったエステリーゼ様も居て、それに伴いモルディオもセットだ。
もちろんカロルとラピードも居る。
「まて、どう言うことだ。なんでまだエステリーゼ様がいらっしゃる」
ラナは困ったように眉を下げた。
「あっこれはわたしのわがままで……」
エステリーゼは叱られた子供のように肩を竦める。
「わがままって……アレクセイを出し抜いたんですか?」
「出し抜いてたなあれは」
ユーリがにやりと笑みをこぼす。
「エステリーゼ様、ずいぶんとおてんばになられたようで。私は嬉しいような、悲しいような……」
やれやれ、と肩を竦めて見せたラナにエステリーゼは違うんです!と必死に取り繕う。
「あたしがケーブ・モックの調査を頼まれたのよ」
リタがふんと鼻をならした。
「まて、それとエステリーゼ様がご一緒なのは関係あるのか?」
ラナは、大して気にも止めていない事を言いながら、ケーブ・モックのエアルクレーネの事を考えていた。
確かあそこはアレクセイに頼まれた分では、調査に行っていない。
ヘリオードに1番近いエアルクレーネは、あそこではなかった筈だが、もう一箇所は均衡が保たれているし、おいそれと近づける場所でもない。
(そういえば、ダングレストに魔物が押し寄せてくるとか言ってたな……)
ふと思い出したレイヴンの言葉に、ラナは全てにおいて納得してしまった。
ほど近い場所でヘルメス式を稼働させている、例の塔。
あれのせいで、むき出しのエアルクレーネに、なにも影響がない訳はないのだ。
ヘリオードの結界魔導器の暴走は、そこに原因があるのかもしれない。
もしくは何者かの悪意か。
「というわけで、エステルの治癒術が必要って事になったんです」
カロルが締めた言葉で、ラナは引き戻された。
どうやら事の顛末を説明してくれていたらしい。
(どうでもよすぎて、聞いてなかった……)
ラナはさも理解したかのように頷く。
アレクセイが許した事を、少し解せないと思いながら。
(厄介払いか、あるいは……)
「カロル、お前は説明がうまいな。器用そうだし、子供ながらに大した男だ」
ラナは最もらしくおだててみせる。
それにユーリが呆れた表情を見せたが、気にはしない。
「え?そっそうかなぁ?えへへ…」
カロルは嬉しそうに、でも少し照れた様子でそう言った。
「まあ今は別の案件で手がいっぱいだ。エステリーゼ様もどうかお気をつけて」
ラナはにこやかに手を振ってみせる。
「ラナ、来いよ」
ユーリが手を差し出す。
どこまでも優しい眼差しをこちらに向けて。
ラナは一瞬驚いたが、すぐにユーリの首に抱きつくと、耳元で囁く。
「私の席が無くなったら、迎えに来て」
彼女はそう言ってぱっとユーリから離れると、じゃあな、と手を振って街に戻って行った。
「……あいつ」
ユーリは後ろ姿を見送りながら、眉を寄せる。
「なんかあったの?」
何を言ったかまではユーリにしか聞こえていなかったが、ラナのいつもと違う様子にリタは首をかしげた。
「さあな。もう行こうぜ」
ユーリはくるりと街に背を向けた。
「失礼します」
ラナはヨーデルの部屋に入る。
めずらしく側近はおらず、彼は1人だった。
「やあ。フレンに書状を持たせたよ」
ヨーデルは優しく微笑む。
「殿下は帝都へお戻りになりますか?」
「フレンからの報告を待って、しばらくはここに居るよ。すぐに話し合いができるなら、ここで待った方がいい。帝都に戻るのはそれからだね」
ヨーデルは少し楽しげに見えた。
「承知しました。ラゴウについてはどうされるおつもりで?」
「まだバルボスの企みも片付いていない。ならばもう一度尻尾を掴むチャンスは、あるだろう。うまく運べば、フレンが何か成果をあげると思っているよ」
笑みを浮かべたヨーデルは、高みに居ながらも状況がよくわかっている。
このタイミングで、友好条約の話をするのは追い風になる。
ヨーデルの事だから、バルボスの一件を条約に絡めたに違いないだろうし、そこを叩けばラゴウからも必ずホコリがでる。
「以前から温めていた計画が、こんな風に日の目を見るのは好機としか言えませんね」
「………ラナは、私の護衛ばかりでつまらない?」
ヨーデルの言葉にラナは目を見開いた。
「ふふ、わかっているよ。他に気になる事があるんだろう?」
ヨーデルは楽しそうに笑う。
そもそも、適任とも言える副団長、ラナを遣いに行かせなかったのは、他ならぬ彼なのに。
「お戯れを……」
ラナは困ったように眉を下げた。
「ラナ、あなたがどんな事をしても、私は間違っていないと信じています。確かめたい事があるのなら、行ってもいいのだよ」
ヨーデルは見透かすように彼女を見つめる。
「護衛をする騎士ならば、他にもいる。でも、ラナのその問いは、自分でしか解決できないんじゃないかな?」
何も言わない彼女に、ヨーデルは諭すように続けた。
「殿下……ですか確かめたら、私は最悪、騎士団を離れる事になるかもしれません……」
ラナは俯いた。
本当は殿下に話したい。
だが、確実な何かが無いまま彼を頼れば、厄介な事に巻き込みかねない。
「……そうなっても、確かめるべきだ。答えはもう出ているんだよね?」
ヨーデルは変わらず微笑んだまま、優しく言った。
「………っ!失礼します!」
ラナはぐっと拳を握って、部屋を後にした。
ラナはそのまま荷物をまとめて、街を出る。
きっとヨーデルは、アレクセイのやろうとしている事も、彼の何か不穏な空気も、どれも気がついていない。
だけど、自分を信じたのだ。
あえて確かめたい事が何かも聞かずに、行けと言ってくれたのだ。
それだけの信頼を得ていながら、自分はこれから期待に応える事ができるだろうか?
何の全容もつかめていない、何をするつもりなのかすらわからない、アレクセイの計画を止める事ができるのだろうか?
次々と浮かぶ不安を拭うように、ラナは走った。
アレクセイ本人が帝都を離れている今、戻って部屋を漁りたいが、クライヴが居ない以上、海を渡るには時間がかかりすぎる。
今は手短な所からいくと、バルボスにでも少し話を聞きたい。
実際、宙の戒典の復元が、どこまで進んだのか。
となると向かうはダングレスト。
ここで目指す先がユーリと重なった事に、少し嬉しさを覚えながら、ラナは野道を走った。
空が夕暮れに変わって、街が近付いた事を知らせる頃、ラナは気のせいではないほど、多くの気配に追われている事に気がついた。
気配をこちらに知らせているのはワザとだろう。
彼女はピタリと立ち止まる。
残念ながら土地勘はない。
彼らが海凶の爪だとすると、地の利は向こうにある。
下手に動き回るよりも、見通しのいいここで迎え撃つ方がいいだろう。
いつでも抜けるように、剣に手をかけた。
ワザとらしいほどの殺気を撒き散らしながら、しだいにそれは距離をつめてくるように思う。
ラナがため息をついた瞬間、背後から矢が放たれた。
「最初の一撃が逃げ腰かよ!!」
彼女はそれを薙ぎ払うと、地を蹴った。
左右から斬りかかってきた数名をいなす。
やはり海凶の爪だ。
ラゴウか、バルボスか……どちらでもいいのだが。
有無を言わせぬスピードで攻めて来る赤眼を、的確に急所を狙って斬り伏せていく。
数で潰す作戦だったのだろうが、そんな事は彼女には取るに足らない事だ。
1人での戦いに、誰よりも慣れているのだから。
弓矢を打ってきた数名に突っ込み斬りつける。
その影から1人の赤眼が斬りかかってきて、ラナはそれを剣で受け止めた。
が、すかさず後ろから矢が放たれる。
「……!」
彼女はそれを避けようと、剣を引くが、わずかに鏃が腕を掠めた。
怯まず剣を構え直し、再び地を蹴る。
しかし、視界が歪み、身体の力が抜け、思わず膝をつく。
「毒か……」
身体を支えられず、そのまま地面に倒れこんだ。
落ちそうになる意識の中で、困ったように笑う男を見た。
「……イエ……ガー……」
ラナは憎らしいとばかりに恨みをこめて、そう振り絞った。