満月と新月 | ナノ
満月と新月



路地裏の熱気と海賊帽の少女



エフミドの丘を越え、ノール港が近くなってくると、雲行きが怪しくなってきた。
風も湿気を含んでいて、段々と雨も強まってきた。

街に入った頃には、すっかり本格的に雨が降っていて、海風はとても肌寒い。



「……なんか急に天気が変わったな」

「びしょびしょになる前に宿を探そうよ」

「なんか雰囲気悪くなぁい?」

ベティは雨よけにフードを深くかぶり、静まりかえった街を見渡す。
誰1人として外を歩いていない。
雨のせいだけとは到底思えない有様だ。

「港町というのはもっと活気のある場所だと思っていました……」

「確かに、想像してたのと全然違うな……」

エステルもユーリも街に漂う不穏な空気を感じているようだ。
街は昼間だというのにカーテンを締め切ったままの家ばがりで、営業している商店も少ない。
雨の音だけが住民かのように、街の中は静まり返っていた。

「ノール港はちょっと厄介なんだよ」

唯一直近でこの街を通過していたカロルが言った言葉に、どういうことです?とエステルが質問を投げかけた。

「ノール港はさあ、帝国の圧力が……」

しかしその答えは、前方から聞こえた怒鳴り声によって遮られる事となる。


「金の用意が出来ないなら、おまえらのガキがどうなるかよくわかっているよな?」


「お役人様!!どうか、それだけは!息子だけは……返してください!この数ヶ月ものあいだ、船も出せません!税金を払える状況でないことはご存知でしょう?」

役人らしき身なりの男性と、あまり役人とは思えない屈強な男性。その2人に、若い男性が土下座をしながら言った。
隣には女性も同じようにして並んでいて、夫婦だろうか、濡れた石畳に跪く2人は雨と泥で汚れていた。
何度も何度も頭を下げ、すがりつくようにお願いします、お願いします、と何かを懇願している。


「ならば、リブガロって魔物を捕まえてこい」
「そうそう、あいつのツノを売れば一生分の税金納められるぜ。前もそう言ったろう?」

役人からの冷たい言葉に加えて、もう1人が馬鹿にするように畳み掛ける。


「紅の絆傭兵団‥じゃぁやっぱり…でもなんで役人と‥?」

小さく呟いたベティは、さらにフードを深く被る。

「なに、あの野蛮人」

リタは少し怒っているようだ。
不快そうに眉を寄せ、腕を組む。

「カロル、今のがノール港の厄介か?」

「うん、このカプワ・ノールは帝国の威光がものすごく強いんだ。特に最近来た執政官は結構な地位らしくてやりたい放題だって聞いたよ」
「誰も文句が言えないってことね」


「そんな……」

エステルは、帝国がそんなことをしているとは思ってもいなかったのだろう。
かなりショックを受けているようだ。




「もうやめて、その怪我では……今度こそあなたが死んじゃう!」

女性の悲痛な声が響く。

先ほどまで土下座をしていた男性は、体を引きずりながらこちらに歩いてくる。


「だからって、俺が行かないとうちの子はどうなるんだ!」

そう怒鳴りつけられ、妻らしき女性はなにも言えずに俯いた。


ため息をついて再び街の外へと歩き出した男性。
が、ユーリが彼の足を引っ掛けた。

「痛ッ……あんた、何すんだ!」

ただでさえ怪我だらけの身体。
男性は簡単に転んでしまった。

「あ、悪ぃ、ひっかかっちまった」

悪びれる様子もないユーリ見兼ねて、エステルが男性に駆け寄る。

「もう!ユーリ!……ごめんなさい。今、治しますから」


有無を言わさず治癒術を施す彼女だが、夫婦は不安そうに表情を曇らせる。

「あ、あの……私たち、払える治療費が……」

「その前に言う事あるんじゃなぁい?」

ベティがそう言うと、彼らは首を傾げる。


「まったく、金と一緒に常識まで取られてんのか」

ユーリの言葉で、はっとした様子で2人は頭を下げた。

「……ご、ごめんなさい。ありがとうございます」




ユーリ達は彼らとなにやら話していたが、ベティは殺気を剥き出しにした赤眼が、路地裏に入って行くのを見逃さなかった。

そのまま皆に気づかれないように、路地裏に行くが赤眼は姿を表さない。

打ち付ける雨で、乱雑に積まれた木箱はすっかり湿っている。
嫌に静かな街の中でも、ここは更に静まり返っていて、雨の音しか聞こえない。



「あんなに殺気撒き散らしといて、かくれんぼは無いんじゃない?」

ベティがそう言うや否や、三人同時に襲いかかってきた。
彼らが踏み台にした木箱が、バラバラと崩れる。


1人では威力のある魔術は難しいし、人にはかなり殺傷力のある銃も素早い赤眼が三人でかかってきては、彼女に隙ができすぎる。

1人を倒すと、そのまま勢いでもう一人も沈める。
だが赤眼に動揺は生まれない。

かなりのプロなのだから当然だが、さすがにまだ控えているかもしれないと思うと、彼女1人では分が悪い。

「これで決める!」

最後の一人を木箱に打ち付けて倒す。
ぐったりと動かなくなった赤眼を見て、彼女はホッと息を吐いた、が

今度は後ろから隠れていた赤眼が、斬りかかってきた。

「しまった!」

気がついた時には刃がすぐそこまで迫っていた。

よけられない、そう思った時


「蒼破!!」


衝撃波が赤眼を直撃し、刃が届く事なく倒れた。


「1人で火遊びしてんじゃねぇよ」

「ユーリ‥」
「ちっ…これで終わりじゃねえってか」

さらに現れた赤眼に、ユーリは舌打ちして地面を蹴った。

激しい攻防が繰り広げられて行く。
狭い路地では、ユーリとベティには不利に働くようだ。


「大丈夫か、ユーリ?ベティ?」

そう聞こえたかと思うと突然、衝撃波が飛んできて赤眼を蹴散らす。


「フレン!おまっ……それオレのセリフだろ」


「まったく、探したぞ」
「それもオレのセリフだ」

すぐに三人で残りの赤眼を殲滅し、ひと息つく。

「ふぅ……マジで焦ったぜ……」

ユーリは剣をしまうと、肩を竦めた。


「さて……」

フレンはひと呼吸置いて、ユーリに斬りかかった。

「ちょ、おまえ、なにしやがる!」

咄嗟に鞘のままその太刀を受け止めた彼。
フレンは酷く怒っているようだった。

「わわっ」

ベティは一歩後ずさる。

「ユーリが結界の外へ旅立ってくれたことは嬉しく思っている」


「なら、もっと喜べよ。剣なんか振り回さないで」
「これを見て、素直に喜ぶ気がうせた」

フレンが剣で刺した先には、ユーリとベティの手配書が貼られていた。
相変わらずこの似顔絵にはセンスがない。

「あ、10000ガルドに上がった。やり」
「げっ!あたしもあがってる!」

にやりと笑うユーリだったが、逆にベティは、頭を抱えてうずくまる。


「騎士団を辞めたのは犯罪者になるためではないだろう!ベティまで巻き込んで!」

「色々事情があったんだよ。それにこいつは自分からクビ突っ込んできたんだぞ」

「事情があったとしても罪は罪だ。」

「ったく、相変わらず、頭の固いやつだな」

ユーリは心底嫌そうに言った。
もちろん、そう言われるであろう事はわかってはいたが。


「ベティも一体どう言う事なんだ!」

フレンは剣を鞘に納めると、ベティに向き直る。

「んー成り行きなのよん?」

フードをかぶり直した彼女の表情は見えないが、声はいつも通りあっけらかんとしていた。

「君はまたそんな‥………ところでユーリとは…」



「ユーリ、さっきそこで何か事件があったようですけど……」

路地の向こうに桃色の髪が揺れた。


「ちょうどいいとこに」

ユーリがパチンと指を鳴らす。
フレンのお小言が終わる、いいタイミングだ。

「……フレン!」

エステルは金髪の彼を見つけ、ぱあっと瞳を輝かせた。

「え……」

彼女が勢いよくフレンに抱きつき、彼は驚きに両手を上げた。

「よかった、フレン。無事だったんですね?ケガとかしてませんか?」

「……してませんから、エステリーゼ様……」

「あ、ご、ごめんなさい。嬉しくて、つい……」

エステルは頬を赤らめ、フレンから離れる。

「……エステリーゼ様、お話があります」

彼は厳しい口調でそう言って、エステルの手を取ると、路地を出て行く。

「え?あ、ちょっと……フレン!?」





ベティとユーリは訳がわからないまま路地裏に残され、ため息をついた。


「で、実際フレンとはどーいう関係?」

ユーリはベティを壁に追い詰め、両手をついた。

「いやぁーん。男の嫉妬は醜いわよん?」

彼女はにっこり笑って首を傾げる。

「フレンもさっき俺とのこと聞こうとしたってことは、付き合ってるわけじゃ無いって考えていいんだよな」

ユーリもにっこり笑う。
挑戦的なその笑みは、少し嬉しそうにも見える。

「付き合った覚えはないけどねぇ」

「でも、やることやったんだ?」

彼は、ベティのフードを脱がせる。

「あらあら、そんなこと、女の子に聞いちゃ野暮でしょ」

彼女は笑っているだけで、感情は読めない。

「ズルい女‥」

ユーリは荒っぽく口付ける。

やっぱりハルルの時のように、応えてくる彼女はまったく何を考えているのかわからない。
望めば抱く事も許すのだろうか。
そんな風にフレンにも抱かれたのだろうか。

男の嫉妬は醜い。

確かにそうだろうが、ベティへの気持ちは大きくなるばかりだし、フレンとの事を確信してますます欲しくなった。



「んっはぁ‥」

ベティから熱っぽい吐息が漏れ、唇を離して顔を見れば、瞳も潤んでいる。

「煽ってんじゃねぇよ‥」

何度も激しく口付け、唾液が混じり合い、どちらのものか、分からなくなっていく。
すっとベティの胸元に手を入れ、右手は腰にまわし、体を撫で回す。

びくびくと彼女の体が反応して、ますますユーリは煽られる。

「あっ‥」

胸の突起に触れると甘い吐息が漏れる。

「ちょっと‥ユーリ‥これ‥以上は‥」

ベティが唇を離したので、ユーリは首筋に噛み付くようにキスをして、赤い蕾を残す。

「ちょっと!子どもみたいな事をっ!」

彼女は首を抑え、ユーリを睨んだ。


「治癒術使って消すんじゃねぇぞ。またつけるからな」

彼はにやりと満足そうに笑うと、彼女から手を離した。






2人は路地裏を後にして、カロルとリタに合流する。

「なんかエステルが引きずられていったけど……」

「ふたりは宿屋?」

「うん。さっきのがフレンなんだ」

「まあな」

「長くなりそうだったし、先に街を見て回ったら?」

「……そうだな」

リタの提案に、ユーリは雨が降り続く街を見回した。



「あたしは休むわぁ、宿取っとくからねん」

ベティはヒラヒラ手を振って宿に入って行く。


「あっ待って待って…!僕も僕も!」

カロルは急いで後を追いかけた。


「あたしもガキンちょ達と休んどく。あんたはどーすんの?」

「俺はちょっと街の様子見てくるわ」





リタ達と別れ、ユーリは執政官の屋敷の方へと歩いて行く。

(どうも、この街キナくせえ‥)

大きく架かる橋を渡っていくと、金髪お下げの海賊のような格好をした少女が、執政官の屋敷の方へ向かって行くのが見えた。

「あう」

「何入ろうとしてんだ、このガキが」

少女は、入り口の見張りの男に腕を掴まれ、引っ張りあげられる。

「ガキが来るところじゃねぇんだ、ここは」

すると男は、歩いてきたユーリの方へと、思い切り少女を投げる。



「おっと、っと……」

ユーリは少女を抱きとめ、男達を見る。

「ずいぶん乱暴的な扱いだな」

「なんだ、おまえは。そのガキの親父か?」

「はぁ?オレがこんな大きな子どもの親に見えるってか?嘘だろ」



「再チャレンジなのじゃ」

少女は勢いよく屋敷に向かって走り出すが、突き飛ばされ今度は剣を向けられる。

「あう」

それにたじろいだのか、半歩後ろに下がった。

「おいおい。子ども相手に武器向けんのか」

ユーリは男達を睨むが、彼らは悪びれる様子も無く言う。

「大人のルールを教えてやるだけだよ」


「やめとけって……」

ユーリが止めようとしたが、

「えいっ!」

少女は地面に何かをなげつけた。

するとものすごい煙が吹き出してきて、あっという間に執政官邸前は煙が立ち込め、視界を奪った。


「うわっ……」

ユーリは思わず顔をしかめる。

「な、何しやがる……!」
「うっぷ……や、やりやがった……」

げほげほと咳き込む男達は、どうやら思い切り煙を吸い込んだらしい。


煙の中で小さい陰が動いたので、ユーリはその腕を掴む。

「ここまでやっといて逃げる気か?」


「美少女の手を掴むのには、それなりの覚悟が必要なのじゃ」

にやり、と笑った少女。

「どんな覚悟か教えてもらおうじゃねえか」

「残念なのじゃ。今はその時ではない」

彼女は少し目を伏せ、ふりふりと首を横に振る。

「なんだって……?」


「さらばじゃ」

楽しそうな少女の声が響いて、ユーリは手から何かが抜ける気がした。
引き寄せて見ると、彼の手が掴んでいたのは、彼女そっくりの人形だった。

「てめぇ……待てっ……!」

男が叫ぶが彼女の姿はもうない。
屋敷の中へと駆け込んだようだ。


「ちっ、なんだってんだ、あのガキ。おい、お前もさっさと消えるんだな」




「ったく……やってくれるぜ」

ユーリは人形を見てため息をつき、宿へと引き返す。






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