満月と新月
リタ・モルディオ
街の中に入ってみると、壁一面ずらりと本だらけだった。
所狭しと並べられた分厚いそれらに、一行は思わず息を呑む。
掃除はあまり行き届いていないようで、ひどく埃っぽい。
マントを着た研究者らしき人が多く、皆が一様に本にかじりついているところを見ると、魔導器関連の本が収められているここは、この街の知恵の間とでも言うところだろう。
マントはアスピオの制服なのだろうか?
すっぽりフードを被っている人もいれば、羽織っているだけの人もいたりと様々だが、このマントは魔導士である証でもあると同時に、このいつも肌寒い洞窟の中では、ちょうど良さそうだ。
皆が自分の世界に入っているようで、部外者を気にする様子も全くない。
「なんかモルディオみたいのがいっぱいいるな……」
「あの、少しお時間よろしいです?」
エステルが扉の近くで本を読んでいた男性に声をかける。
「ん、なんだよ?」
男は眉を寄せて、邪魔すんな、と言わんばかりの態度だった。
「フレン・シーフォという騎士が来ませんでしたか?」
「フレン?ああ、遺跡荒らしを捕まえるとか言ってた……」
「今、どこに!?」
「さあ、忙しくてそれどころじゃない」
「そ、そうですか。……ごめんなさい」
「じゃあ、失礼するよ」
本当に興味がなくて、知らないのだろう。
そして研究は競争だ。
誰よりも早く、新しいことを自分の名で発表できなければ、それまでの研究も実験も、何もかもの労力が無駄になるのだ。
男性もその例に洩れず、時間が惜しい、とばかりにユーリ達から離れようと歩き出した。
「ちょいちょい!待ったぁ!」
ベティは聞きたいことをまだ聞いていないと、お構いなしに呼び止める。
「ここにモルディオって天才魔導士がいるよねぇ?」
「な!あの変人に客!?」
門番と同様、彼も驚いた様子だ。
変わり者だらけのアスピオで、その変わり者にすら変人呼ばわりされるモルディオとは、一体どんな人物なのだろうか?
「さすが有名人、知ってんだ」
ユーリがニヤリと笑うが、男性はぶんぶんと首を振る。
「……あ、いや、何も知らない。俺はあんなのとは関係ない……」
「まだ話は終ってないって」
ユーリが彼の肩を掴む。
その拍子に彼の持っていた本がばさりと落ち、彼は声を荒げた。
「もう!なんだよ!」
「どこにいんの?」
「奥の小屋に住んでるから勝手に行けばいいだろ!」
「サンキュ」
ユーリは本を拾って彼に差し出す。
彼はひったくるように、本を受け取ると足早に去って行った。
関わり合いになどなりたくないのであろう事は、嫌でもわかってしまうような拒絶っぷりだ。
「大丈夫なの?」
カロルは心配そうに、ユーリとベティを見た。
それもそうだろう、モルディオと名を聞いただけなのに、門番も先ほどの男性も、関わる事を一切拒否したのだから。
「名前出しただけで、嫌がるなんておかしいよ」
「気になりますね」
「そりゃ、魔導器ドロボウだしな」
「まぁーあれだよ!変人って言われてるしねぇ」
図書館を後にして、小屋を探すべくアスピオを進む。
奥の小屋、というのは案外すぐに見つかった。
扉の前にご丁寧に表札代わりの張り紙があったからだ。
「『絶対、入るな。モルディオ』」
エステルが張り紙の汚い字を読み上げる。
「ここか……」
ユーリが扉を開けようとするが、入るなと書いてあるのに加え、更に鍵がかかっている。
「ノックが先ですよ……」
咎めるようなエステルの視線もなんのその。
「どうする?」
カロルは、先ほどピッキングに使ったのであろう二本の針金を取り出し、いつでも行けるよ、と笑ってみせた。
「悪党の巣へ乗り込むのに遠慮なんていらないって」
「だ、だめです。これ以上罪を重ねないでください」
ユーリは不適に笑うのだが、エステルが焦ったように咎める。
「カロル!開けてん」
焦れったくて、面倒になったベティは、カロルを扉の前に押しやった。
もちろん犯人はリタ・モルディオでないであろうことはわかっていたが。
「それもだめですって!」
エステルは更に慌てるが、カロルは気にした様子もなくカチャカチャとピッキングを始める。
すぐに鍵が回る音がして、扉が開いた。
「ま、ちょろいね」
カロルはへへん、と鼻の下をこすった。
ユーリとベティはすぐに中へと入って行き、カロルが待って、と言いながら、2人に続く。
「あ、もう、どうしてこう……」
エステルは一瞬踏みとどまるが、待っているわけにもいかずに、足を踏み入れた。
「すっごっ……。こんなとこに人が住めるの〜?」
カロルの言葉通り、既に泥棒が入った後のようにぐちゃぐちゃに散らかっていた。
専門書らしき本が大量に積まれているし、黒板にはなにやら術式らしきものが、殴り書きのように書き込まれている。
そこに書き込まれている文字は、もはや雑すぎて解読不可能だ。
「その気になりゃあ、どんなとこだって食ったり寝たりできるもんだ」
ユーリがそう言って笑ったので、エステルの雷が落ちる。
「ユーリ、ベティ!先に言うことがありますよ!」
「お邪魔してます、こんにちは」
棒読みでユーリが言う。
「カギの謝罪もです」
「カロルに開けさせましたぁ。ごめんなさい」
ベティも棒読みだ。
「もう、ごめんくださ〜い。いらっしゃいませんか?」
エステルは、2人に何かを言うのはもう諦めたらしく、この家の主はいないのかと声をかける。
「居ないんなら好都合」
ユーリはがさがさと下町の魔核がないか探し始め、カロルは珍しい魔導器を見つけ、どんなものかといじっていた。
ベティは一先ず休憩、と近くの椅子に腰掛けた。
突然、ばさばさばさっと音がして全員が振り返る。
背後の本の山に振り返ると、そこは崩れ、中からはアスピオのマント姿で、フードを目深に被った人がぬっと現れる。
「ぎゃあああ〜〜〜〜〜っ!あう、あうあうあう」
カロルは腰を抜かして大声を上げた。
「……うるさい……」
それがさらにマントの人物のイライラを煽ったようだ。
「ドロボウは……」
マントの人物は術式を展開する。
「うわわわっ、待ってぇっ!」
彼は逃げ出そうと足をバタバタさせるが、慌てすぎて立つ事すら出来ていない。
「ぶっ飛べ!」
カロル目掛けてファイヤボールが放たれた。
「いやああああああ!」
彼が避ける事は叶わず、煤だらけの少年が出来上がる。
「げほげほ、……ひどい……」
涙目で訴える彼だが、皆は肩を竦めるだけだった。
ファイヤボールの衝撃で、マントの人物が被っていたフードが落ち、そこに居たのは茶髪の愛らしい女の子だった。
「お、女の子っ!?」
エステルはびっくりして、口を手で覆う。
「こんだけやれりゃあ、あんとき逃げる必要なかったのにな」
ユーリは彼女に切っ先を向ける。
「はあ?逃げる?なんで、あたしが、逃げなきゃなんないの?」
微塵も動揺した様子のない彼女は、突然の侵入者にも、向けられた剣にも怯える事すらなく堂々と話す。
「そりゃ、帝都の下町から魔導器の魔核を盗んだからだ」
ユーリの向ける刃に殺気はない。
「いきなり、何?あたしがドロボウってこと?あんた、常識って言葉知ってる?」
彼女は話にならないと、ため息をつく。
そして、
「ていうか、犬!犬入れないでよ!」
ラピードを指差し、
「そこのガキんちょも!その子を放しなさい!」
カロルを指差す。
「え?」
「え?じゃないわよ!魔導器よ、魔導器!!早く放しなさい!」
彼女に言われ、カロルは慌てて握りしめたままだった魔導器を、元の場所に置いた。
それを見届けて、彼女がホッと胸をなでおろした瞬間、エステルは笑顔で駆け寄る。
「な、なによあんた……」
何故か少し怯んだように見える。
「わたし、エステリーゼって言います。こんな形でお邪魔してごめんなさい!……ほら、ユーリ、ベティとカロルも」
「ご、ごめんなさい」
カロルは、すっかり気圧されて謝る。
椅子に腰掛けたままのベティと、ユーリは特にどうと言う事も言わずに少女を見つめた。
「で、あんたらなに?」
彼女はじろりとエステルを睨みつける。
「えと、ですね……このユーリとベティという人は、帝都から魔核ドロボウを追って、ここへきたんです」
「それで?」
「魔核ドロボウの特徴ってのが……マント!小柄!名前はモルディオ!」
ユーリはびしっと彼女を指差すが、ふ〜んと気のない返事が帰ってきた。
「確かにあたしはモルディオよ。リタ・モルディオ」
リタ、と名乗った彼女は動揺している様子も、憤慨している様子もないようだ。
「で、実際のところどうなんだ」
「だから、そんなの知ら…………あ、その手があるか。ついて来て」
彼女の中で何かが決まったらしく、否定の言葉を最後まで言う前に、玄関の方へと二、三歩進んだ。
「はあ?おまえ、意味わかんねえって」
「いいから来て。シャイコス遺跡に、盗賊団が現れたって話、思い出したんだから」
「盗賊団?それ、本当かよ」
「協力要請に来た騎士から聞いた話だもの、間違いないでしょ」
リタの言葉に、ユーリとエステル、カロルがボソボソと内緒話を始める。
「騎士ってフレンでしょうか」
「あいつ、フラれたんだ」
「そういえば、図書館の人も、遺跡荒らしがどうとか言ってたよね?」
「つまり、その盗賊団が魔核を盗んだ犯人ってことでしょうか?」
三人はリタに聞こえないように相談をしているが、ベティは、ぼやっと別のことを考えていた。
モルディオが犯人ではないことは予想出来たが、盗賊団とはまた大げさだ。
てっきり犯人は1人かと思っていたが、思っていたより大きな事件になっていく気がする。
「さあなあ……」
ユーリはさきほどから、全く話に参加してこないベティをチラッとみた。
「相談、終った?行こう」
リタは何時の間にかマントを脱いで、朱色のエキセントリックな格好をしていた。
「とか言って、逃げるなよ」
「来るのがいやなら、ここに警備呼ぶ?あたしは困らないし」
「行ってみませんか?フレンも向かったみたいですし……」
エステルがユーリに、小声でそう言った。
「捕まる、逃げる、ついてくる、どれ?さっさと決めてくれない?」
リタはあからさまにイライラした様子で、少し声を張った。
「わかった。行ってやるよ」
ユーリの言葉に、リタは小屋を出ていくので、彼らも後を追う。
「……魔導士ってみんなイライラしてるのかしら?」
ベティはボソッとそう呟き、皆に続いた。
ユーリ達はアスピオを後にして、東へと向かっていた。
ベティは考え込むと黙り込むタチらしく、いつもは賑やかなのにまったく話さない。
「おい、さっきから黙ってどーしたんだ?」
ユーリはベティの頭をポンポンと撫でた。
「うん‥‥なんだか、モルディオを捕まえるだけじゃ済まなくなりそうな気がして…」
「今は手がかりが少ない。とりあえずは例の盗賊団とやらを追うしかないだろ。そんな考えすぎんな」
「うん‥‥‥そうね」
ユーリの指がベティの髪をすいた。
後ろから2人のやり取りを見ていたカロルはエステルに小声で話しかける。
「ねぇ、あの2人って付き合ってるんだよね?」
「えっこの前は違うっていってましたけど…どうなんでしょう…」
「そうなの?なんか息もぴったりだし、想い合ってるって言うか、通じ合ってるって言うか…」
「そうですね…」
エステルは俯いてしまった。
彼女の中でこの感情が何なのか、まだはっきりしていないが、仲の良い2人を見ていると胸がモヤモヤして、置いていかれたような気持ちになるのだ。