満月と新月 | ナノ
満月と新月



8・glimmer



「ジュディ、どうだ?」

ユーリは、先をスタスタと歩くジュディスの背中に声をかけた。
魔物も居ないし、暗闇は周りの結晶が薄暗く照らしている。

「おもしろいくらい何もないわ」

ジュディスは、先程からずっと槍を構えているのだが、何事も起きない。
もちろん、なにも起きないに越した事はない。

「案外、単なる行き止まりかもしれねえな」

「待って……静かに……」

ジュディスはぴたりと立ち止まり、シィ、と人差し指を唇に立てた。


キィィィィィン


と耳鳴りのような音が響く。


「なんだ?」

「その剣からのようね」

ジュディスはユーリが手に持つ、一振りの剣を指差した。

ヒノトリクロタチ

ヨーデルから貰った帝国の剣だ。
実のところ、ニバンボシよりしっくりと手に収まるので、最近はよくこれを使う。
魔物相手となればなおさら。


「……さすが帝国のお宝だな」


ユーリは左手の剣を見つめて、大きなため息をついた。
曰く付きとまではいかないが、なにかしらの力があるのかもしれない。

「……何かしら…向こうからも音がするわね」

ジュディスは奥へと視線を向けた。

薄暗い洞窟を、2人は身構えたまま進む。
パッと空間が広くなった時、思ってもいなかった事に、ユーリもジュディスも目を見開いた。

「こりゃ…驚いたな…」

「まさか……」



2人の視線の先に居たのは。


「「始祖の隷長…」」



大きな身体で、知的な瞳をした始祖の隷長。
一見すると、まるで大きな猫のような姿。

くすんだ紫色の毛並みは、洞窟の光であやしげに揺らめいていた。

「ほう……人か」

しわがれた声で、始祖の隷長は笑う。

「…はじめまして…ジュディスよ…彼はユーリ」

「ジュディス、いつぞやに聞いた名だな…確か…」

始祖の隷長は長い尾を揺らした。

「…私はあなたたちの事情には明るいのだけど、あなたの事は知らないわ」

「おお、いつぞやの戦争の折、若い始祖の隷長が助けてくれと喚いた少女が、ジュディスとか……」

「バウルの事ね…その少女はきっと私よ……所で、あなたの名前を聞いてもいいのかしら?」

「ふむ……我が名はアモンテ」

「アモンテ、教えてくれ。ここは前に来た時エアルクレーネだった。それが今は跡形もない…一体何が起きてる?」

ユーリがそう言うと、アモンテは立ち上がり、ため息をついた。

「この世界は変わりつつある……エアルのない世界に」

「エアルが無くなる…?」



「騒がしいな」

アモンテは先ほどまでとは打って変わって、ムッと顔をしかめる。


「うぎゃぁぁああ!!」


洞窟内にこだましたのは、少年の叫び声だった。


「カロル?」

「何かあったのかしら」

ユーリとジュディスは、聞き慣れた声に振り返った。
バタバタといくつかの足音も、こちらに向かってくる。

「いやああああ!!」

と今度はリリの声。

「むりむりむり!!ユーリ〜!ジュディス〜!たすけて〜!」

そしてベティの声。

そんな三人は、一様に涙目で駆け込んで来た。

「え!?始祖の隷長!?」

カロルはアモンテを見つけると、勢い余って足を縺れさせ転んだ。
落ち着きない彼の挙動に、アモンテは怪訝そうに眉を寄せる。

「ここにも魔物!?」

リリはビクリと身体をこわばらせ、ベティにしがみついた。

「魔物じゃないわよん!始祖の隷長よ!前に話したじゃない!」

「おい、ベティ。何があった?」

ユーリの言葉にハッっとして、彼女は言う。

「見た事もないような魔物が襲ってきたのよん!仕方ないから魔術を発動させようとしたら、さっぱりで……」

「来たわよ!」

リリが叫ぶ。
全員の視線が出口方向を向いた。


そこから飛び出してきたのは、真っ黒な影だった。
人の形をしてはいるが、一目見ただけで魔物とは明らかに違う、何とも言えない気持ち悪さや、禍々しさがある。

「なんだこりゃ…」

ユーリは鞘を投げた。
アモンテは一瞬、それを鋭い目つきで睨む。

そして影の魔物が、一斉にユーリたちに飛びかかった。

「来るわよ!!」

ジュディスが地を蹴ろうと、ぐっと右足を踏み込む。




「静まれぇえ!」



重々としたアモンテの怒鳴り声が響くと、影の魔物は途端に怯えた様子で留まった。

「去れ!」

再び彼は怒鳴った。

影たちはそう言われた途端、一歩後ずさり、溶けるように崩れて消えた。
何十といたものが、全て。

「き、消えた!一体何がどうなってるのさ!」

「おばけ、かしらね」



「お前その剣、どこで拾った?」

アモンテは、とても面倒くさそうに、ヒノトリクロタチを指差した。
といっても、彼の手は大きな猫の手で、三日月型の爪が指すのだが。

「これは皇帝陛下から貰ったモンなんだがな…」

ユーリは、真っ黒い剣に視線を落とした。
アモンテはなるほど、とため息をついて首を横に振る。

「それはえらい曰く付きだ。長い年月をかけ、新月の子を千人斬ったと言われる、言わば呪いの剣だ」

「そんな話、初めて聞いたわよぉ」

「お前は新月の子か。ベティだな、その顔はよく覚えている」

「ごめんなさい、私はあなたを知らないわねん」

「それは残念だ」

「アモンテ、呪いの剣とさっきの影、関係あるんでしょう?」

ジュディスの言葉に、彼は深々と頷いた。


「あれらは斬られた新月の子だ。その剣を振るうかぎり、付き纏うだろうな」


「ちょっとまってよ…それって幽霊ってことなの?」

リリは、真っ青な顔でたずねた。
アモンテが敵でないことは、皆の態度を察する所からわかるのだが、始祖の隷長に慣れていない人間に、怖がるなと言うのは無理な話。


「思念の塊が、エアルとその剣の力によって具現化する。お前らの言う幽霊とは違うだろう。あれらは、お前たちを攻撃することが出来るからな」


「リタが聞いたらどんな反応するかしらねぇん」


クスクスと笑うベティに、ユーリは肩を竦めて言う。

「いやいや、どうすんだよこれ。捨てるワケにもいかねえし」

「あんなのに追いかけられるなんて、ごめんだわ、私」

「ボクだって絶対にやだ!!」


「ここで魔術が使えなかったり、精霊たちの気配が消えたのも、剣のせいなのん?魔物も居ないし……」

ベティがアモンテに向き直る。
彼の気怠い雰囲気はかなり独特で、始祖の隷長にしてはめずらしく、世界がどうでも良さそうな空気さえあった。

「ここで魔術が使えないのは、エアルが無いからだ…まあ無いと言っていいほど少ない、と言うのが正しいが」

「さっき言ってた、エアルのない世界になりつつある、ってのと関係あんだろ?」

ユーリがそう言うと、アモンテはこくりと頷いて言う。

「正確にはエアルがマナに変わった」

「それで結晶が活性化してるのねん?」

「そうだ。この大地はグシオスが、エアルを大量に結晶化し安定させた。もともとマナの密度は高かったが、最近は結晶化がひとりでに加速している。もちろんここだけでなく、世界全体でエアルよりもマナが増えつつある。魔物が居ないのも、エアルが極端に薄いからだろう」

「マナが増える……それと、ここに入ってから精霊の気配がなくなったのよぉ…それは良くない事よねん?」

「精霊と始祖の隷長は、意思を交わさない。彼らがここにいない理由はわからんな」

「アモンテ、あなたはここで何をしているのかしら?」

ジュディスが首を傾げると、彼も同じように首を傾げた。

「エアルの様子を見に来ていただけだ。お前たちこそ、人には関わりない場所だろうに」


「ちょっと野暮用でな。結晶化のせいで、閉じ込められちまったんだよ」

ユーリは、少し疲れた様子で座り込んだ。
曰く付きの剣を抱えて、どうしたもんかと頭を掻く。



「あんたたちが今まで、何を相手にしてきたのか考えると、頭が痛いわ…」

リリは肩を落とし、深いため息をついた。
こんな状況でもいたって普通に、始祖の隷長とやり取りをする彼らが、あまりにリリの常識を上回っているから。


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