満月と新月 | ナノ
満月と新月



9・keepsake



「さて…」

アモンテは大きく伸びをして、姿を老婆に変えた。

「ここはいずれ海に還る。ユーリ、その剣を持て余すなら、処分してやってもいいぞ」

「捨てるのは困るわん…大切なものなの。アモンテ、あなたの力でなんとかならない?」

「…むぅ…できない事もない…が」

「なんだよ、煮え切らないな」

ユーリはイラついた様子で言った。
アモンテが困ったような顔で、じいっと剣を見つめるので、皆が同じようにそうした。

「精霊になるのが早い」

アモンテはやれやれ、と首を振った。
何でもない事のように言ってのけたが、ユーリ達はそうはいかなかった。
それくらい、精霊を生み出す事は彼らにとって大きな変化だからだ。

「あなたが精霊になる、という事かしら?」

ジュディスの問いに、老婆の姿は頷いた。
精霊になる、ということは始祖の隷長としての死を意味する。
勝手な話だが、エアルが安定した今は、命を使わなくてもいいはずで、アモンテが一振りの剣のために精霊になるのは、そうするには値しない理由だ。

「アモンテは、精霊になるのを望むのか?」

「いやいや、望まんよ」

ユーリの問いに、またも飄々と答えた。
何事にも興味のない様子のアモンテに、彼らはその態度が解せない。

「だったらだめね、今いる精霊達に頼む方がいいわねん」

「そうか。だったら、お前らのとこの魔導士に聞くのもいいかもしれんな」

「え!リタの事知ってるの!?」

驚いたのはカロルだけではなかった。
アモンテはニコリと笑うだけで、その答えはくれなかったが。

「アモンテ、一緒に来て」

ベティは、いつになく真剣にそう言った。
何事かはわからないが、世界で何かが起きているのは、もう明らかな事だ。
未解決のまま放っておく事は、ベティだけでなく皆、できない。

「当たり前だ、洟からそのつもりだ」

アモンテは二つ返事で頷き、誰よりも早く歩き始めた。
ベティは安堵のため息を吐き、よかった、と誰にともなくつぶやいた。






「よかったのか?」

ユーリはアモンテの案内で道をゆく中、ベティに声をかけた。
首を傾げるだけの彼女に、彼は念を押すようにその街の名を吐き出す。


「シゾンタニア」


「ああ、いいのよん」

ひらりひらり、と手を振って笑って見せるベティに、ユーリは首を振った。

「後で行こう」

彼がそう言った時、背後からジュディスの声がした。


「いきましょう、行くべきだわ」


「ジュディス!いいの、個人的な事だから」

ベティは慌てていた。
きっとリタと会えば、重要な話をすることになる。
時が許すかどうかもわからないのに、私事など今でなくともいいのだ、と。

「個人的な事だから行くのよ」

彼女は胸に手を当てた。

「失ったものは戻らないけれど、貴ぶべきものだわ」

そう微笑んで。
それはジュディスにとっても、よく当てはまる言葉だ。

リタと話せば、凛々の明星はまた、忙しくなるだろう。







シゾンタニアへと寄り道をした一行は、ユーリとベティ以外は船で待つ事になった。

ユーリとベティは、植物が優位になった街の中を行く。

「あれ以来、初めてだ…変わってねえな、当たり前か」

「誰もいない街ってこうなるのねん…」

街は所々石畳がめくれ上がり、植物が根を張り葉を広げていた。
緑に埋め尽くされた街だが、建物も結界だった筐体も残されているので、それを除けば以前のままだ。

「カルボクラムと違って、そのまま打ち捨てられたって感じだな」

「あそこは……アレクセイの実験に使われたのよん、人だけが居なくなった街とは違うわん…」

「そうだったな……」

ユーリはここであった出来事を噛みしめるように、遠くを見つめた。
ナイレン隊として、新米騎士として、ここでの思い出は、優しいものとそうでないものがある。
どちらも彼にとって大きな実りとなった出来事ばかりだ。

「人魔戦争とか…結界とか、いったいいくつの街が滅んでしまったのかしらねん」

おもむろに沈黙を破ったベティは、さみしそうだった。


「……人間には、住みにくい世界かもな」

結界。
そこで細々と暮らすには、居心地は悪くなかった。
けれど、人はあまりに弱いのだと、街をなくして気が付いた。
それと同時に、人の強さも見たけれど。


「そうかしらん?結局、結界なんて、要らなかったかもしれないわよん」

「ん?なんでだ?ヨームゲンとか、結界が無くて消えちまった街じゃないのか?」

「うーんそうだけど、住み分けが出来なかっただけなのかなって」

「住み分け?」

ユーリはベティの言葉をおうむ返しに、答えを待った。

「人と魔物が住む場所を取り合ったのよ。それに今のシゾンタニアも、結界がないのに魔物がいない。ここは住み分けができていたんだわ。なのに、ガリスタの研究でエアルが乱れて、魔物が増え、凶暴化し、木々が枯れ、魔物は街までおりて来た」

「……」

「ま、でも、エアルが消えてしまうのなら、エレアルーミンみたいに、そこには魔物が…出なくなるのかもしれないわねん」

「俺たち、本当に世界を変えちまったんだな」

「……世界は変わらないわん。ただ、時の流れ、自然の摂理で星は常に変わり続けるのよん。これからもずーっと、ずーっと」

「マナが増えるのも、俺らが精霊を生み出したのも、自然の摂理ってことか?」

「そうね、精霊だって、既にレミエルが居たし、始祖の隷長達も聖核がいつかは精霊へと変わる。マナだって元々世界にあったもの。私たちも、世界の一部だから」

「世界の、一部……か」

「そ、テルカ・リュミレースの豆粒よん」

笑って言ったベティの瞳は、ここにないものを見ているようだった。
星の記憶に触れて、人智を越える智を得たはずなのに、彼女は何も変わらない。
いや、変わったからこそ、こうして違う目線で話すことができるようになったのかもしれない。

ユーリはベティの手を握った。

「豆粒だから、自分を精一杯生きればいい、だろ」

彼女はその言葉に、はにかむようにぎこちなく笑って見せた。


「ユーリのそういうところが、好きよ…」







騎士団の詰め所だった所へ来た2人は、ナイレンの部屋を訪ねた。
もちろん、何もないのだが。

「備品なら、全部俺らが運び出したぜ?」

「うん……」

ベティは、思い出を噛みしめるように部屋に家具があったはずの所をじっくり見て回っていた。

そして執務机の前に立ち止まる。
床には、長年おかれていた机の後がうっすらと残っていた。

人のいない建物は、すぐに悪くなる。
埃もたまり、足跡がつくほどだ。


「ピアノ、弾いてこっか」

長い髪を揺らし、くるりと振り返ったベティは、ユーリに向けてにっこりと笑った。

「んなもんあったか?全部運び出した時も、見てねえぞ?」

思い出してみても、ユーリにはピアノの影すら浮かばない。
短い任期ながらも、ここのことはよく知っているつもりだったが、彼女の笑みを見る限り、そうではないらしい。







ベティに連れられて来たのは、食堂だった。

彼女はその奥の扉を、「鍵」で開けた。


「は?どっから持って来たんだ?その鍵」

「馬小屋の梁よ」

いたずらっぽく笑うベティは、そのまま扉を開けた。
そこは他と変わらず埃まみれで、狭い部屋の中に、アップライトのピアノがおいてあった。

「ふふ、まだある」

ベティは埃まみれのピアノをそっと開けて、鍵盤をスカートで拭いた。

「こんなとこにピアノって、初めて知った…ってか誰も知らねえだろ!」


「みーんな知ってたわよん、でも鍵が無いから運ぶのを諦めたのねん……きっと、調律はめちゃくちゃねん…」

ユーリは改めて、初めて入る部屋を見回す。
ピアノのために設えられたようなその部屋は、隊員たちが彼女の演奏を聴くために設けられたのであろう椅子が、ナイレン隊らしく乱雑に並んでいた。



「弾いてみてくれよ」

「言われなくても」

当たり前、とベティ笑い、鍵盤を低い音から順番に1音1音確認し始めた。
そこでおかしなことに気が付いた彼女は、眉間にシワを作った。


「あれ…?」


「どうした?」

「……調律、狂ってない」

いくつか和音を弾いてみても、やはり狂いない音を奏でるピアノに、彼女はますます難しい顔をした。

「…よくわかんねえけど、すごいんじゃねえの?」

「ありえないわよぉ。誰か弾いてた痕跡もないのに、なんで?」

埃は相応の年数分、鍵盤の上に積もっていた。
けれども半音すら狂っていない音に、ベティは誰に問えばいいのかわからない疑問を消せないでいた。


「………おばけかな」


にやり、からかう笑みを浮かべたユーリに、ベティはぶるりと背筋を震わせた。

「なわけないでしょん!怖いこと言わないで!」

彼女は諦めたように肩を竦め、さっと椅子の埃を払うと、ストンと腰をおろした。
彼女以外が弾くはずのないピアノは、椅子の高さもちょうどいいまま変わっていない。
調律はなぜ狂っていないのか、怖くてたまらないのだが、この際考えないことにして、鍵盤に手を置いた。


「アルペジオ………から…」


言葉通りアルペジオから始めて、曲に入った。

静かで流れるような音色は、少し悲しい曲のように思える。


「……泣いてんのか?」

ユーリは覗きこむようなことはせず、ベティの背中に投げかけた。


「泣いたらだめですか?」


ベティは構わず曲を奏で、少し不満そうに言った。

これはナイレンが好きだった曲だ。
彼曰く、酒の肴になるそうな。

けれど、綺麗で切ない音色の曲は、まるで彼女の心の内を吐露するように響く。
音楽はいつも、奏でる人の心を色濃く出す。

ベティには、今は悲しい曲。


「なんで死んじゃうかなぁ…」

音色が少し変わる。
四拍子から三拍子へ。


「葬儀にも間に合わないなんて……」


テンポはだんだんと早くなって行く。

ベティは発作のように溢れた感情に、潰されて消えてしまいそうだった。
いや、消えてしまえた方が楽だと思えるくらい、憎悪や、悲壮感、忸怩たる思いがぐるぐると頭の中を巡って、どこに居るのかわからなくなる。
アレクセイを恨みたい、けれど恨みきれない。

憎しみを向けるべき対象が、ベティにとっては憎らしさと同じだけ愛おしさがあるのだ。


かき鳴らすような、ピアノには似合わぬ音になり、ベティはそこで手を止めた。

息を吐く、自分の呼吸音が聞こえる。
脳内に響いて、うるさいくらいだ。
それを遮ったのは、ユーリの手だった。

「大丈夫か?」


「…!ごめん!」

弾かれたようにベティは立ち上がった。
視界を満たすのは、心配そうにこちらを見つめるユーリ、それと窓から差し込む優しい光に、舞い上がった埃がきらきらと光る様だ。

「……お腹空いちゃった」

ベティは、思ったままを口に出してみた。
ユーリはポンポンと彼女の頭に優しく触れて、それから、戻るか、と手を握った。





「結局、持って帰ってこれたのは食堂の鍵だけかぁ……」

フィエルティア号へと戻る道すがら、ベティは肩を落とした。

「あのピアノ、誰のなんだ?」

「誰って、そりゃナイレンのよ」

「じゃ、いいんじゃねえの?隊長が、お前が弾くために用意したんだろ?だったらその鍵、形見になるだろ」

ユーリは頭の後ろで手を組んで、フレンと言い争いながら見張りをした門に視線をあげた。
これをくぐれればもう街の外だ。

「ユーリって、前向きねん…」

ベティは歩きながらも振り返り、懐かしい街の姿と今の街の姿を脳内で重ねた。
思い出を仕舞って、門をくぐる。

ユーリもベティもそこで立ち止まった。




「さよなら、シゾンタニア」



バイバイ、と吹いた風は、2人の髪を撫で街を巡って消えた。

歩き出さなくては、もう一度、世界のために。


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