満月と新月
ユーリ、プロポーズ大作戦・後編
「ベティならさっきパティ・フルールの船でノール港へ向かったわよ」
本社で書類チェックをしていたカウフマンは、ユーリ達にそう言った。
「入れ違いになっちゃったね」
カロルは頬をかいて、ユーリを見る。
彼はうんざりした顔をしていて、何故かぐったりしている。
「なんか間が悪りぃな……」
「あら、縁が無いのね、きっと」
ジュディスはうふふっと笑って見せた。
「とんでもない事言うわね、ジュディスちゃん……」
「ユーリ、気にするな!障害がある方が達成感があるさ…」
フレンが慌てて微妙なフォローをいれたが、ユーリは柄にもなくため息をついた。
「とにかく追いかけようよ!」
カロルはカウフマンにペコリと頭を下げて、ユーリを引っ張る。
「……おう」
ジュディスとレイヴンもそれに続いて、幸福の市場本部を後にする。
「ありがとうございました!」
フレンは、鎧も着ていないのに騎士団の敬礼をしてから、部屋を出て行った。
「社長。いいんですか?ベティさんがハルルに向かったって教えてあげなくて」
凛々の明星一行が去って行った部屋で、部下の1人が行った。
「聞かずに出て行ったんだから仕方ないわ。それに、なんだか追いかけさせた方がおもしろそうな雰囲気だったじゃない?」
カウフマンはクスクスと笑う。
「そうですかね?」
部下が首を傾げているのを余所に、彼女は後で何があったか聞かなくちゃ、と密かに考えていた。
ベティはパティと別れ、運良く街で会った幸福の市場の馬車に乗せてもらい、ハルルへとスムーズに到着していた。
エステルの住む家は、皇族が住むような建物ではないが、ハルルによく似合う、木の家だ。
護衛で騎士が1人立っているのは仕方が無いとして、雰囲気はとても良く、街の子供たちとの距離も近い。
ハルルの樹からは少し離れていて、南向の窓からはよく光が入ってくる。
陽だまりの真ん中ような心地いい部屋なので、創作意欲も湧いてくると言うもの。
玄関をノックをしても返事はなく、ベティが裏手にまわると、いつもの様に、エステルは小さな庭のベンチで絵本を描いていた。
防犯のために敷地は塀に囲まれてはいるが、白い壁はほとんど木や花に埋め尽くされていて、圧迫感ははあまりない。
むしろ、森の中のようで気持ちがいいのだと、エステルは言う。
「エステル」
ベティが小さく声をかけると、彼女はハッとして顔をあげ、真剣な表情が一変して嬉しそうな笑みに変わる。
「ベティ!来てくれたんですね!」
「久しぶりねん。差し入れ、持ってきたわよん」
ベティは、少しだけ分けて持ってきたモモを指差した。
「そうですか、じゃあリタは結局、お城には行かなかったんですね」
エステルは、ベティが持ってきたモモを切り分けて、冷茶をいれてくれた。
何もできなかったお姫様は、今やしっかりと自立している。
もちろん、副帝が1人で生活する訳にもいかないので、世話をするメイドもいるのだが。
「あ、でも火を起こす道具は置いて行ったわよん」
ベティは筒状の道具を取り出して、エステルに見せた。
これはリタの発明品の一つで、中には専用の油が入っている。
ボタンを押せば、火花が散って同時に油が染み出して筒の先端に火がつくのだ。
「これが……すごいですね、リタは世界で1番の発明者です!」
エステルはキラキラと瞳を輝かせて言うが、きっとリタは科学者で、発明家になりたいわけではないだろう。
これは帝国からの依頼品で、火を起こせる道具を作るよう要請があったのだ。
しかしながら、彼女はそんなものとっくに考えてあって、ベティが訪ねた時にすぐに手渡された。
リタいわく、頼んだヤツが取りに来い、とのことで彼女の登城は拒否され、ベティが持ち帰り、ヨーデルには手紙で直接持っていくと伝えたのだ。
「この前は依頼が詰まってて時間がなかったから、今から持っていくのよん」
ベティは少しだけ楽しそうに笑った。
「今からです?もう日も落ちかけてますし、泊まって行きませんか?」
「そうしたいのは山々なんだけど、明日帝都でひとつ依頼があるのよねん」
「そうなんですか……じゃあ、馬車を手配しましょうか?」
「いいのいいの、歩いて行くからぁ。また帰りに寄るかもしれないから、その時は泊めてね」
ベティの言葉に、エステルは嬉しそうに笑って頷いた。
ーーノール港
「ベティ姐なら、もうおらんぞ。ハルルへ行くと言っておったかの」
パティは、船のメンテナンスをする船員達に指示をしながら言った。
「ま、またぁ?」
レイヴンはぐにゃりと背を曲げて、脱力する。
「しかしユーリ、相変わらずのいい男っぷりじゃのう!どうだ?嫁に来んか?」
パティは頬を染めて言う。
「だめよパティ。彼はこれからベティにプロポーズするのだから」
ジュディスの言葉にパティは思わず、きゃーっと悲鳴を上げた。
「そうなのか〜!それは至極ざんねんじゃ!」
パティは額に手を当てて、楽しそうにくるくると回り出す。
「ざんねん……?」
彼女の言葉と表情がちぐはぐすぎて、フレンは苦笑いした。
「とにかく俺はハルルへ行く」
ユーリはくるりと体の向きを変えて、足早に歩き出すので、カロルが慌てて後を追う。
「ユーリ!バウルで行った方が早いよ〜!」
ーーハルルの樹の下
「レミエル、元気してる?」
ベティは1人、樹のそばで寝転ぶ。
青々とした葉をつけたハルルの大樹は、かわらずしっかりとこの地に根付いていて、この街を包んでいる。
星の記憶へと姿を消してから、彼女が一度としてベティの前に現れたことは無い。
そちら側には動向が行くだろうが、こちらとしては便りもなく寂しいものだ。
長い間そばに居た存在が居なくなり、ベティは時々なんとも言えない虚しさに襲われる。
それは、ナイレンやベリウス、ドンを失った時とも、アレクセイを失った時とも違う。
どこか感情の一部が欠落したような気持ち…
まるで、自分が自分じゃなくなるような、言葉では表せない虚無感。
そばに居る
そういう存在が常に居たのは、今では遠い昔の事のようで、最近ではその過去すら夢のような感覚にとらわれる。
今でも他の精霊の息吹は感じるが、レミエルと共に居た時のような親密なものではなく、もっと遠く、形式じみて思える事すらある。
「1人が嫌いなのは、あなたの方なのに…」
ベティはくすりと笑って、立ち上がると、今は誰も居ない大樹を見つめた。
「あれ?ユーリ!それにみんなも……どうしたんです?」
エステルはいきなり現れた面々に、困惑した表情を浮かべる。
「ベティ、来てないか?」
ユーリはあまり期待せずに彼女に聞いた。
これだけ一日中タイミングが悪いと、また空振りしそうな予感がしてくるのは当然だ。
「ベティは帝都に用事があるらしくて、もう行ってしまいました。何かあったんです?」
「あら、本当に間が悪いのね」
「もう夜だよ〜」
カロルは大きくため息をついた。
「でも、いつもハルルの樹を見てから街を出るので、まだ上に居るかもしれませんよ」
エステルがそう言ってにっこりと笑った瞬間、ユーリは弾かれたように走り出す。
彼は街を抜けて、樹のそばまで脇目も振らず走って行く。
民家の夕食時の香りをいくつも抜けて、日が落ちた暗い街の地を蹴る度、何故かベティが泣いて居るような気がして、もっと早く走れたらと願う。
樹の真下へと続く、急な坂を駆け上がる。
視界には立派な樹の幹がめいっぱい入り込んで来て、透き通るような金色の髪が、 吹き抜けた風で靡いた。
樹を見上げる彼女の後姿は、どうしても哀しそうで、ユーリは息も整えずにそのまま後ろから彼女をぎゅっと抱きしめる。
突然の事によろめくベティを、抱きしめた身体全部で支え、
「やっと見つけた」
と、ユーリはため息のように小さく呟いた。
「ユーリ?」
ベティはそっと彼の手に触れる。
その声には、驚きよりも嬉しさを多く含みながら。
「泣いてんのか?」
ユーリはそっと彼女の耳に口付け、さらに強く抱きしめる。
「ユーリが来ないかなって思ってた」
彼女は樹を見上げたまま、そう言った。
ユーリはベティの左手を握り、薬指にそっと指輪をはめた。
「結婚しよう」
ベティは驚いて自身の指で輝く、星のような粒を見つめた。
幾重にも光を跳ね返すその粒は、永遠に続く流れ星のようにも見えて、すぐに驚きは満ち足りた気持ちに変わっていく。
ユーリにとっては、永遠にも思える程長い間を置いても、彼女は何も言わない。
「無言はやめろよ……今日はずっとお前を追いかけてたんだぜ……珍しくウロウロしてっから……って……」
ユーリがまくしたてるように言葉を続ける途中で、彼の腕にポタリと雫が落ちる。
「なんで泣いてんだよ……」
彼は驚いて、ベティの顔を覗き込む。
目を真っ赤にした彼女の瞳からは、次々と大きな涙が零れていて、なんとも言えない顔でユーリを見つめ返す。
「なんだよ、嫌なのか?」
彼は指で頬を伝う涙の雨を拭うが、それは次から次へと溢れ出て、キリが無い。
「……ばぁか………」
ベティはユーリを正面から抱きしめ返した。
「うれし涙よ……」
鼻を啜りながらそう言った彼女をユーリはしっかりと抱きとめる。
「で、返事は?」
「するに決まってるじゃない……」