満月と新月 | ナノ
満月と新月



ユーリ、プロポーズ大作戦・前編



「なあ、フレン。俺、ベティにプロポーズしようと思うんだけど」



ユーリが言った。

フレンは、彼が土産に持ってきたコーヒーを飲んでいたのだが、その言葉を聞いてカップを持つ手が震え出す。


「ユーリ、そんな事を僕に言うなんて、殴られたいのかい?」


フレンは怖いほどの笑みをたたえながら、静かにカップを置くと、ぐっと拳を握って構える。

「まっ待てって!」

ユーリは思わず飛び上がり、降参です、とばかりに両手を上げた。


ここはフレンの私室。


さて眠ろうか、と言う時にユーリがいつもの様に窓からやってきて、茶でもどうかと誘ってきたのだ。

そんなタイミングだったので、もちろんフレンはラフな服装で、シャワーを浴びたばかりの髪はまだ濡れていたが、初夏の夜には丁度いい。



「いい加減もう時効だろ?」


ユーリは、上げたままの両手をヒラヒラと振ってみせる。

「にしたって無神経だろう。それに僕は、彼女が大好きだ」

フレンは諦めたように、再びコーヒーを口に含んだ。

こんな時間に飲んだからなのか、はたまたユーリの発言のせいか、すっかり眠気はどこかへ行ってしまったようだ。


「大好きだってお前、それ女としてって言うより人としてだろ?」

ユーリはまた、ソファーにだらしなく身体を預け、持参したクッキーをかじる。


「さあね」


フレンは気のない返事を返した。

もちろんベティをどうこうしたい、なんて思ってもいないし、ユーリと幸せになって欲しいが、それを認めてやるのもなんだか癪な気もする。



「でよ、やっぱ言うからにはビシッと決めたいんだよな」


ユーリはそういいつつも、ソファーに寝転んだ。

まったくこれのどこがビシッと決めたいのか、フレンには到底理解できない。

しかし彼の性格上、気を抜いたように見せるのは照れ隠しだろうという事も、フレンには理解出来た。



「寝ながらものを食べるな。だらしない」


適当にそう言ってみたものの、実際にかじったクッキーのカケラが、ユーリの服に落ちたので、最もらしくなった。

「オッサンに相談したら茶化されるだろうし」

ユーリはお構いなしに話を進める。

「レイヴンさんはそんな人じゃないさ」

「カロルじゃ話にならねえ」

「そんな事を相談されても困るだろう」

「ジュディ達ももちろん却下」

「……で、僕なのか?」

フレンはじろりとユーリを睨む。

「フレンは無意識に女を口説いてるからな」

ユーリは不敵に笑って、再び座り直した。

「ひどいな……」

フレンは大きくため息をついて間を置いてから、仕方ないな、と少し嬉しそうに笑った。







「ユーリの中で、何か案はあるのかい?」

フレンは物々しく手を組んで言う。

「ん、実はよ…まどろっこしいのより、普通に言えばいいじゃねえかと思ったんだけどよ……この前、夢歌の音のボスがギルド員の男にすげープロポーズされたとか言ってベティが騒いでてよ」

「なるほど、自分も憧れるとでも言ったのか」

フレンはさながら経験者かのように、顎に手を添える。

「でもそれってよ、ライブ中にステージでプロポーズしたんだよな。そんな事はさすがにできねえ」

ユーリは大きくため息をついて、がくりとうなだれる。

「彼女、今はダングレストに住んでいるんだろう?だったら迎えに行って、2人が初めて出逢った場所でプロポーズとか、どうかな?」

フレンはパッと瞳を輝かせたが、ユーリは大きくため息をついた。



「ココの地下牢だ」



「あ、はは……それは流石にちょっと……なんと言うか……」

フレンは困ったように笑う。

「でも迎えに行くってのはいいかもな。そろそろギルドもしっかりしてきてるから、カロルとジュディとも時々一緒に仕事してるんだよ。バラバラに活動すんのも、ボチボチ終わりかもな」

「そうか、でも君たちはこれから帝都に住むのかい?」

「いや、そんな話はちゃんとあいつにプロポーズしてからだ。あいつだって住みたい場所もあるだろうしな」

「これで断られたら、僕には楽しい話だな」

フレンはクスリと笑った。
その表情と言葉は満更でもない様子で、少し楽しそうにも見える。


「お前、性格悪くなったんじゃねえ?」


ユーリはふてくされたように頬杖をついて、子どもがからかうようにそう言った。


「ユーリには言われたくないね」


その日はあれやこれやと話が出たが、結局まとまらずお開きとなった。






後日集まったのはお昼で、フレンの数少ない休暇の日だった。

少し申し訳ない気持ちになりながらも、ユーリはいつも通り窓からお邪魔する。

そこには、お小言を言うフレンが私服で立っていて、お決まりの様に何か言われると思いきや、何故か隣にだらしない無精髭を生やしたオッサン……



「おい、なんでオッサンが居るんだよ」



ユーリは不満たっぷり、と言う様子でレイヴンを睨んだ。

「やだわー青年ー!こう言うのは大人の男に聞きなさいよ」

彼はここぞとばかりに年上ぶってそう言うのだが、まったく頼れる人には見えない。

「フレン、お前が秘密を漏らすとはな……」

ユーリが悪魔のような笑みを浮かべたので、フレンは思わず後ずさる。



「あら、彼からは何も言っていないのよ?でもごめんなさい。私、見ちゃったのよ」

ノックも無しに扉が開かれ、そこにはジュディス。

「あなたが指輪を買っているところを、ね」

楽しげに笑った彼女は、扉を閉めるとフレンの隣に並んだ。




ジュディスの話によると、帝都でジュエリーショップへと入っていくユーリを見かけ、仕事中だったのだがこっそり見ていたらしい。

女の勘でそれが意味する事を悟り、面白そうな事に首を突っ込もうと、フレンにカマをかけた所、まんまと騙されてくれたと言うわけだ。


タイミングがいいのか悪いのか、めずらしくレイヴンもフレンを訪ねて来て、ジュディスとフレンというしっくりこない組み合わせに、彼が黙っているはずも無く、話は2人が知る所となってしまったのだ。


「ったく……これ以上、誰かに広めんなよ」

ユーリはすこし拗ねたように言った。


「もちろんよ。ベティ本人の耳にでも入ったら、どんな素敵な計画も台無しだもの」


ジュディスは嬉しそうに笑うと、レイヴンに同意を求めた。









「なあ、ジュディ」
「何かしら?」

「頼む。甲板に上がらせてくれ」

「え?風でよく聞こえないわ」


「船に上がらせてくれ」


「ごめんなさいユーリ、よく聞こえないみたい」

ジュディスはふうっとため息をついて頬に手を当てた。


「ぜったい聞こえてんだろー!!」


ユーリは声を張り上げ抗議する。

彼らは今ダングレストへ向けてバウルと共に飛行中。

船の船首には、頼りないロープが括り付けられ、これまた頼りない木の板が水平に降ろされている。
人が1人座れるだけのスペースに立たされているのは、ユーリ。

これではデンジャラスなブランコだ。




「本当に大丈夫なのかい?」


フレンは引きつった笑みを浮かべながら、ジュディスに問う。

下を覗き込めば、ユーリが風に揺られているのだ。


「平気よ。この方が志気も上がるんじゃないかしら?」

「志気って……」

レイヴンは呆れたように呟く。
志気も何も、ダングレストに着く前に彼が落っこちないか心配だ。



ジュディス提案の作戦は、街にバウルごと乗り込んで、凛々の明星アジト前でベティにプロポーズすると言うシンプルなものだ。

ユーリは目立ちすぎる、と嫌がったが、レイヴンとフレンも同意したので本人を無視して決行されてしまうこととなり、船の上からではダメだとフレンが言えば、ジュディスはユーリを木の板の上に立たせたのである。



「街に着く前に体力尽きるっての……」


ユーリはボソっと文句を言って、おとなしく左右のロープをしっかりと握った。








ダングレストにバウルが近づいても、街の人が騒ぐことはなかった。

アジトが街の端と言う事もあるが、最近ではジュディスがよくバウルに乗ったまま出入りしているので、慣れたもの、だったのだが人がぶら下がっていると分かると、遠巻きに何人かの野次馬が現れる。


「バウル!お願い!」

ジュディスが言う。



ヴォォォォォォオ!



バウルが声を上げると、アジトの窓はビリビリと震える。



「な!どうしたの!?」


あわてて飛び出して来たのはカロル。

背も伸びて、少年はすっかり逞しく見えるが、ヘアスタイルは己を貫いているようだ。

「あれ?ベティちゃんは?」

レイヴンは、アジトに人の気配がない事に首を傾げた。



「え?ベティならカウフマンさんに頼まれてトリム港に行ってるけど……」



「俺は何のためにぶら下がってたんだよ……」

ユーリはがっくりと肩を落とした。






ーーートリム港

「ベティ、あなたが居てくれて助かったわ〜!」

カウフマンは、港で船を見送るベティに声をかける。

「いいのいいの。困った時はお互い様よねん」

彼女は人懐っこい笑みを浮かべた。

「これ、お礼よ」

カウフマンは、部下に持たせた木箱を指差す。

「重いので、これで引いて行ってください」

部下は車輪のついた小さな台車に木箱を乗せて、しっかりと固定する。

「なぁに?いいのに、さっき報酬は貰ってるし」

ベティは首を傾げる。

「モモよ、桃。余り物だけど、沢山あるからベティにあげるわ」

「モモ?!いいの!?」

ベティは、パッと瞳を輝かせた。

「邪魔ならダングレストに送らせるわよ」

「んー、じゃあ半分だけ送ってくれないかしらん。もう半分は持って行くわねん」

「あら、どこか行くの?」

「ハルルよん」

「そう、じゃあノール港まで乗せて行くわよ。丁度あなたの相棒が来てるのよ」

カウフマンの言葉に、ベティはふわりと揺れる金髪のお下げ髪が浮かんで、嬉しそうに笑った。






「風向きは追い風〜航海は順調じゃ〜」

パティは船首に立ち、双眼鏡ですぐそこに迫るノール港を見る。


「お頭ぁ!危ないです!降りてください!」


「うむ〜」

屈強そうな男がわたわたと下から声をかけるが、パティの返事にその気はない。

「パティ、彼がかわいそうよん」

ベティが見兼ねて声をかけると、パティはくるりと振り返ってから、歯を見せて笑う。

「コイツは過保護すぎるのじゃが……仕方が無い、降りるかの」

パティがそう言って身軽な動作で甲板に飛び降り、声をかけた船員は、ほっと胸を撫で下ろした。


彼女は少しばかり背が伸びて、コートの丈が短くなったので可愛らしいショートパンツを履いている。

裾から少し覗くのは、彼女いわく誘惑のチラリズムらしい。

アムリタの効果もゆるやかに消えて、これからまた人生を謳歌するのだろう。


今はまだ海精の牙という名前こそ大きくあげていないものの、船員達はすっかりそのつもりで、アイフリードの悪名についても徐々に誤解は解けつつある。

それについては、ベティからの願いでヨーデルから、事件についての正式発表をしてもらい、その事実が浸透し始めたのだ。


首謀者は、アレクセイだと。


帝国の尊厳などとうの昔に薄れていたのだが、その発表で更に信用は無に等しくなった。

しかしながら、皇帝ヨーデル、騎士団長フレン、2人の小さな努力も身を結びつつあるのもまた事実。



「しかし残念じゃ。ベティ姐とせっかく会えたのに、もうお別れかの」

パティは心底つまらなそうに、ふくれっ面を見せる。

「今度はどこへ冒険?また話を聞かせてねん」

ベティはゆるく笑うと、斜めになった彼女の帽子を直した。

流石にもう抱き上げて歩けない。
以前でもそんな歳ではなかったが。

アイフリードはスラリと背が高かった、とドンが言っていたので、将来が楽しみだ。



「ユーリとはまだ一緒にならんのか?」


「そうねん……どうかしら?」

ベティはいたずらっぽく笑う。

「のんびりしておるとうちと結婚してしまうぞ」

パティは不敵に笑って、ベティを小突いた。

「そうなったら困っちゃうわねん」

ベティがこめかみを抑えて悩むフリをしたのを見て、彼女は何故か満足げに笑った。


帆船は緩やかにノール港へと彼らを運んで行く。


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