満月と新月 | ナノ
満月と新月



ハルルの樹



「樹の結界?」

カロルの言葉にユーリは首を傾げる。

「『魔導器の中には植物と融合し有機的特性を身に付けることで進化をするものがある』です。花の街ハルルの結界魔導器がそうだと、本で読みました」

エステルは本で読んだ通りに言葉を紡いだ。
城を出る事の出来ない彼女にとって、本だけが外を知る術なのだ。
もちろんユーリはそんな事は知りもしないが。

「……博識だな。で、その自慢の結界はどうしちまったんだ?」

「毎年、満開の季節が近付くと一時的に結界が弱くなるんだよ。そこを魔物に襲われて……」

カロルは心配そうに樹を見上げる。
すっかり枯葉となってしまったものが、風に揺られて落ちては街を染めていく。

「結界魔導器がやられたのか?」

「うん、魔物はやっつけたけど‥」

その時、カロルの横を女の子が走り抜けた。

「あ!」

カロルは思わず声をあげる。

「ど、どうしたんです?」

「ごめん!用事があったんだ!じゃあね!」

カロルは一目散に走り出し、あっという間に見えなくなってしまった。

「勝手に忙しいやつだな。エステルはフレンを探すんだよな……」

そう言ってエステルを振り返ったユーリ。
だが彼女は言葉も聞かずに、怪我人をみつけて、走り出していた。

「大人しくしとけってわかってないな。それにフレンはいいのかよ」

呆れた、とため息をついて、ユーリもそちらに歩を進めた。
目的ははっきりしているのに、それよりもまず目の前の事を優先させる、彼女の気概は嫌いではない。
しかしながら、毎回こうでは本当にそれでいいのか、と疑問にも思えてくるというもの。




エステルが治癒術を施すと、街の人々からは歓喜の声が上がった。


「なんと、治癒術をお使いになるのか!?……あ、いや、ですが、私らお金の方は……」


「そんなのいりません!!」

エステルの言葉に彼らはひどく驚いたようだった。

治癒術士はあまり居ない。

おまけに彼らのへの報酬は高額である事が多いため、ボランティア精神で治癒術を使う彼女は、誰が見ても珍しいのだから、無理もない。


「謙虚なお嬢さんだ。騎士団にも見習ってほしいものです」

「まったくですよ!騎士に護衛をお願いしても、何もしてくれないんですから」

老人がため息混じりにそう言うと、女性ももそれに同意する。

「まあ、帝国は私らがどうなろうと関係ないんでしょうな」

「うそ……そんなはずは……」

エステルは少なからず、その言葉にショックを受けたようだった。
だが騎士団の実態と言うのは、そんなものだ。

「あ、でも、あの騎士様は違ってましたよね?」

そういえば、と1人が笑う。

「おお、あの青年か。彼がいなければ、今ごろ私らはどうなっていたか。今年は結界の弱まる時期が早く、護衛を依頼したギルドが来る前に襲われてしまいましてな。偶然、巡礼の騎士様ご一行が、魔物を退けて下さったのです」

そう言った老人は、とても嬉しそうだった。

「巡礼の騎士って」

エステルがぱっと顔をあげた。
もちろん浮かぶのは彼。


「その騎士様って、フレンって名前じゃなかった?」

「ええ、フレン・シーフォと」

ユーリがそう問うと、老人はコクリと頷く。


「まだ街にいるんですか!?」

「いえ、結界を直す魔導士を探すと言って旅立たれました」

「行き先まではわからないか」

「東の方へ向かったようですが、それ以上は……」

「そうですか」

エステルは先ほどとは一変して、残念そうに言った。






「待っていれば、フレンは戻ってくるんですね」

気を取り直してフレンを待つ事にしたのか、彼女はユーリに笑いかけた。

「よかったな、追いついて」

「はい……まだ、会うまでは安心できませんけど、よかったです」



「ハルルの樹、見に行こうぜ。エステルも見たいだろ?」

「あ、はい!でも、いいんです?魔核ドロボウを追わなくても」

「樹見てる時間くらいはあるって。ベティも上がってったみたいだしな」




樹の方へ向かう途中で、カロルとすれ違ったのだが、随分暗い雰囲気でとぼとぼと歩いている。

「はあ、人違いか……ギルドのみんなも居ない……ずいぶん待たせたから、怒って行っちゃったんだ……満開に咲くハルルの花……見せてあげたかったのに……」

「カロル、どうしたんです?」

エステルが声をかけるが、耳には入っていない様子だ。

「ほんとに行っちゃったのかな。ボクだってちゃんとやってるのに……」

「カロル?」

「ひとりにしといてやろうぜ」

様子をうかがおうとするエステルを、ユーリが制する。
カロルに何があったかはわからないが、今はそっとしておいてやるのが1番だろう。

「おしまい、おしまい。もうおしまい、ほんとにおしまい。なにがなんでもおしまいだ……」

消え入りそうな声で何事かをつぶやく彼は、真っ黒な影でもしょっているように見える。




どうしてやる事も出来ないので、2人は街をのぼっていく。
近くでみるとますます樹は大きい。
これが街を守っているのだから、立派なものだ。


「近くで見るとほんと、でっけ〜」

ユーリは、初めて見る巨大なハルルの樹に心が踊る。
見上げても視界に収まり切らないほど、樹は大きいのだ。

「もうすぐ花が咲く季節なんですよね」

「どうせなら、花が咲いてるところ見てみたかったな」

「そうですね。満開の花が咲いて街を守ってるなんて素敵です」

上まで登ってくると、倒れている人影がみえた。

「ベティ!!」

エステルはそれが誰だか認識できたようで、慌てて駆け出す。

「ベティ!大丈夫ですか?!どうしたんです?」

彼女からの返事はない。

「よくみろ、寝てるだけだ」

追いかけて来たユーリは、ベティを見てため息をついた。

「え?寝てるってこんなところでです?」

エステルが怪訝な顔をしたのだが、彼女からは規則正しい寝息が聞こえてきた。

「ったくなんでこんな所で熟睡できるんだか‥」

ユーリはベティの顔を覗き込む。

(まつ毛長いな…)

スッとのびた鼻すじ、透き通るような綺麗な肌に少し朱を帯びた頬。
鮮やかで、柔らかそうな唇は見ているだけでもキスを誘う。

誰が見ても整った顔立ちの彼女は、しゃべらなければ冷たい印象を与えるだろう。
だが、話をしていると人懐っこい性格がありありとわかる。

彼女は自分の知らない世界も、旅をしてきて見ているのだろうか。
そう思うと何故か悔しくなって、頬をつついた。

「うーーん‥‥」

僅かに眉を寄せるも、起きる気配はない。
よっぽど眠かったのだろうか?
クオイの森では、ゆっくり休めなかっただろうし、無理もないのだが、なにも地面で寝る事もないだろうに。

「わたし、フレンを待つ間ケガ人の治療を続けます」

「どうせ治すんなら、結界にしないか?」

ユーリの提案に、エステルは首をかしげた。
魔導士でもないのに、魔導器を治せるのだろうか?と。

「魔物が来れば、またケガ人が出るんだ」

「でも、どうやって結界を?」

「こんなでかい樹だ。魔物に襲われたくらいで、枯れたりしないだろ」

「何か他に理由があるってことですか?」

それについては深くは考えていなかったのだろう、エステルはますます首を傾げた。

「オレはそう思うけどな。ベティはどう思う?」

いつのまにかぱちりと目を開けていた彼女は、いきなりユーリの髪の毛をつかんだ。

「わぁ‥さらさら‥」

にやっと笑って彼の髪を梳いていくベティ。

「寝ぼけてんのか?」

ユーリはジト目で彼女を睨んだ。


「お三方は、一体なにをなさっているのですか?」

ハルルの長老がゆっくりとこちらに歩いてきた。

「樹が枯れた原因を調べているんです」

「難しいと思いますよ。フレン様にも原因まではわからなかったようですから」

長老は眉を寄せ、いつも街を護っている大樹を見上げた。

「原因ならわかってるわ」

ベティがユーリの頬に触れながら言った。

「え!?ベティ教えてください!」

エステルはばっと食いついて、早く早くと目を見開く。

そういいながらもベティはユーリから手も、目線も離さない。

「樹の幹のところ、土の色が変わってるでしょ?あれ魔物の血を吸ってるの、そこからハルルの樹に毒が回って枯らしてるのよ」

そういうと、脱力したようにユーリからするりと手を下ろし、再び目をつむった。

「こら、また寝る気か?」

ユーリがゆるく彼女の頬をつねる。

「なんと!魔物の血が‥!しかしそれならばどうやって治せば‥」

長老は変色した土を見つめて、うーんと首を捻る。



どうしたもんか、と困っていると、坂の向こうからカロルがとぼとぼ歩いてきたので、エステルが声をかける。

「あ、カロル!カロルも手伝ってください!」

「……なにやってんの?」

カロルのなにやってんのは、寝転んでいるベティとそれをしゃがんで覗き込んでいるユーリに向けられていた。

「ハルルの樹が枯れた原因を調べているんだそうです」

長老が言う。

「なんだ、そのこと……」

カロルははぁーっと息を吐いて、首を垂れた。

「なんだ、じゃないです。理由はベティが教えてくれたんですが、解決方法がまだ‥」

「治す方法なら知ってるよ。そのためにボクは森でエッグベアを……」

「ん?どういうことだ?」

ボソボソと話すカロルに、今度はユーリが食いついた。

「本当です!?カロルは物知りなんですね」

「……ボクにかかれば、こんくらい」

そうは言っているが、カロルは元気がないようだ。

「なんとか出来る都合のいいもんがあんのか?」

「あるよ、あるけど……。誰も信じてくれないよ……」

「なんだよ、言ってみなって」

ユーリは優しく促す。
カロルはチラチラっと皆の様子をうかがって、自信なさげに呟く。


「パナシーアボトルあれば、治せると思うんだ」



「パナシーアボトルか。店ににあればいいけど」
「行きましょう、ユーリ!ベティ!」

エステルは今にも走り出しそうだったが、カロルがとめる。

「まってまって!よろずやにはなかったんだ!それでエッグベアの爪とニアの実とルルリエの花びらを持ってきたら合成してくれるって」

「それで、クオイの森に居たわけか」

ユーリはベティに背を向ける形で胡座をかいて座る。


「あの、ニアの実って?」

「エステルが森で美味い美味いって食ってた果実」

「ルルリエの花びらというのは?」

これには長が答えてくれた。

「ルルリエの花びらはハルルの樹に咲く三つの花の一つ。それを半年間陰干しにして作る物。最後のひとつ私が持っています。樹がよみがえるのであればぜひ使って下さい」


「ありがとうございます」

エステルは丁寧に頭をさげた。




「カロル、行くぞ」



「え?」

「森で言ってたろ?エッグベアかくご〜って」

「信じてくれるの……?」

「嘘ついてんのか?」

ユーリの言葉にカロルはぶんぶんと首を振った。

「オレはおまえの言葉に賭けるよ」

「ユーリ……も、もう、しょうがないな〜。ボクも忙しいんだけどね〜」

カロルは先ほどまでとは打って変わって、嬉しそうに頭を掻いた。

「決まりですね!わたしたちで結界を直しましょう」

「エステルも来るの?」

カロルは不思議そうに言った。

「当たり前です!」

「フレンは?待たなくていいのかよ」

「治すなら樹を治せって言ったのはユーリですよ」

「なら、フレンが戻る前に治して、びびらせてやろうぜ」


話がまとまり、ユーリが立ち上がろうとしたとき後ろからベティがおぶさってきた。

「あたし待ってていーい?」

行きたくないのが声色だけでわかる。
エステルが苦笑いを返す。

「お前なぁ〜呪いなんかねぇから。いくぞ、ほら」

「やだぁああ‥抱っこしてくんなきゃ行かないぃ」

「それじゃ戦えねぇだろ‥」


2人のやりとりは誰がどう見ても恋人同士そのものである。

カロルに関してはすっかり勘違いしているようだ。


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