満月と新月
旅立ち
下町の水道魔導器は、水を噴き出すのもやめてすっかり止まっていた。
「ユーリ!どこに行っとったんじゃ!」
降りてきたユーリを見つけ、ハンクスが声をかける。
ちょっと行ってくるといって、一晩帰って来なかったので、騎士団と一悶着あった事は容易に想像できるからだろう。
「お城に招待受けて優雅なひと時を満喫してた」
「何をのんきな……ベティ!ユーリと知り合いだったんか?」
ハンクスはベティが居るのを見て、驚いたようだ。
「うふーん、お城のカビ臭いパーティーでエスコートをお願いしたのぉ」
ベティはいたずらっぽく笑った。
「お前さんも無茶はするなと言うたのに‥」
孫のように可愛がってきたベティも、ユーリと同じく無茶ばかりするので、ハンクスにとっては悩みのタネだ。
「じいさんもベティの知り合い?」
今まで話が浮かびもしなかった存在に、ユーリは不思議そうに聞いた。
「彼女はたまに下町に来るとうちに泊まっておるんじゃよ。魔核がやられた時も手伝ってくれたんじゃ‥‥その娘さんは?」
「こんにちは、エステリーゼと申します」
エステリーゼは腰を折ってあいさつをする。
「いや、こりゃご丁寧に……いや、それよりも騎士団じゃよ、下町の事ほったらかしで、おまえさんらを探しておったぞ」
気まずそうにユーリは目を反らす。
「やはりなにか騎士団ともめたんじゃな」
「ま、いいさ。ラピードは戻ってるか?」
「ああ、袋をくわえておったようじゃが……」
「その袋は?」
「おまえさんの部屋じゃよ」
「なら、あとで振ってみな。いい音するぜ。モルディオも楽しんでた」
「モルディオさんに会ったのか?」
「当人は逃げちまったけどな」
「……逃げた?という事は、やはりわしらは騙されて……」
「ああ、家も空家だったし、貴族ってのも怪しいな」
「……そうか」
「騎士団は何もしてくれねえし、本人から魔核取り戻すしかねえな」
「まさか、追いかけて結界の外に出るつもりか?」
「心配すんなよ。ぱっと行って、すぐに戻ってくっから」
「はん。誰が心配なんぞするか、いい機会じゃ。しばらく帰ってこんでいい」
「はあ?」
「おまえさんがいなくても、わしらはちゃんとやっていける。前にフレンも言っておったぞ。ユーリは、いつまで今の生活を続けるつもりなのかとな」
「余計なお世話」
「モルディオ‥モルディオ…モルディオ?」
ベティは腕を組んで考え事をしているようだが、声が漏れている。
「ベティなにぶつぶつ言ってんだ?」
「モルディオねぇ‥とりあえずアスピオ行くしかないわねん」
「あぁ、だな」
「ベティも無茶ばかりするんじゃないぞ!」
ハンクスは彼女に釘を刺す。
こんな事を言っても意味はないのだが、言わなければ言わないで、ハンクスも気が落ち着かない。
「ほいほい!わかってるよーじーちゃん」
「ユーリ・ローウェ〜〜ル!!ベティ・ガト〜〜ル!!よくも、かわいい部下をふたりも!神妙にお縄につけ〜!!」
ルブランの声が響く。
「ま、こういう事情もあるから、しばらく、留守にするわ」
「やれやれ、いつもいつも、騒がしいやつだな」
「年甲斐もなくはしゃいで、ぽっくりいくなよ?」
「はんっ、おまえさんこそ、のたれ死ぬんじゃないぞ。ベティも気をつけての」
ユーリとベティは歩き出した。
「あ、おじいさん、わたしも行きます」
「あやつらの面倒見るのは苦労も多いじゃろうが、お嬢さんも気をつけてな」
「はい。ありがとうございます」
エステリーゼも2人の後を追いかけた。
ルブランに住民がかけよっていき、あっという間に囲まれてしまう。
「騎士様、噴水はいつ直るんですかい?」
「騎士だ、かっこいい〜♪」
「わ〜い、わ〜い」
「ばあさんの入れ歯を探してもらえんかの?」
「ばかも〜ん!通れんではないか!公務の妨害をするでな〜い!」
そして何故か、ユーリ達も住民に揉みくちゃにされる。
「女の子2人もはべらしてんじゃないよ!」
「なに、勝手なこと言ってんだ。……って、ちょ、押すなって!今、叩いたやつ、覚えとけよ!」
「ハルルにいくのならほら、これ、地図!持ってきな」
「ベティちゃんユーリなんかやめて俺と結婚してくれ!」
「今のは関係ねぇだろ」
「後ろ向きに検討しまぁす」
ベティはヒラヒラと手を降った。
彼らをもみくちゃにした住人たちも、ルブランの元へ駆け寄って行く。
「ユーリさんたちは皆さんに、とても愛されてるんですね」
「冗談言うなよ、厄介払いができて、嬉しいだけだろ?」
「若者の門出じゃぁああ!!行って参るーー!!」
ベティは何故かとても楽しそうで、芝居がかったセリフでポーズを決めている。
「お前はなんなんだよ‥」
ユーリは押し込まれた荷物を探る。
「おい、金いれたの誰だ!こんなの受け取れるか」
戻ろうとするが住民を押しのけて、ルブランがこちらに走ってくる。
「ええ〜い!待て〜!どけ〜い!」
「げっ……とりあえあずもらっとくか」
その時、隻眼の大きな犬がルブランの足を払う。
「な、なにごとだ!」
彼は盛大にすっ転んで、何が起きたのかとキョロキョロと視線を彷徨わせた。
「ラピード……狙ってたな、おいしいやつ」
「ラピードぉぉぉ!イイコだねー!大好き!」
ベティはラピードに駆け寄ると、わしゃわしゃと頭を撫でる。
両手でぐしゃぐしゃにされているのに、ラピードが大人しく撫でさせているのを、ユーリは初めて見た気がした。
「犬?」
「じゃ、まずはデイドン砦だな」
「えっ?あ、はいっ!」
「どこまで一緒かわかんねえけど、ま、よろしくな、エステル」
「はい……え?あれ?……エス……テル?エステル、エステル……」
「私もよろしくね!エステル!」
「こちらこそよろしくお願いします、ユーリ!ベティ!」
「しばらく留守にするぜ」
ユーリが呟いた。
「行ってきます」
エステルが頭を下げる。
「また来るよーん」
ベティは手を大きく振って歩き出した。
これから始まる、大きな物語に予期せぬ形で巻き込まれて行くとも知らずに帝都を後にした。