五話
校門で「洋二郎おはよ!」と背を叩いて追い抜いていったクラスメイトが、廊下でもう一度会った時視線をわざとらしく逸らして顔を背けたので、予感みたいなものはあったのだ。
「おはよ」
教室のドアを開けると、視線が一斉に集まり、そして張り詰めた沈黙が流れた。意識が矢印になって僕の節々に容赦なく突き刺さる。気持ちの良い感覚ではなかった。クラスメイトの一人に声をかけた。
「おはよう」
「……おはよ」
「……どうしたの?」
「いや、別に」
クラスメイトは視線を外し、俺を避けるように教室から出て行った。一人になった俺の周りに、薄い膜のようなものが生まれて、僕は不本意な意識に護られた。
意味のある視線の集合と、クラスメイトのぎこちない対応は一日が終わるまで続いた。休み時間と、美術室への移動の時と、昼休みは一人で過ごした。
誰ともまともに喋らないまま、下校の時間がやってきた。長い一日がようやく終わった。
「ねぇ、洋二郎くん」
唐突に声をかけられたのは開け放したドアから夕日が差し込む昇降口だった。
振り返るとそこに、肩までの黒く真っ直ぐな髪を揺らした女の子が立っていた。丸く大きな瞳と凛々しい眉で、僕の内側のなにかを見透かすように真っ直ぐにこちらを見ている。無表情なのになぜか感情が滲んでいるように見える。
彼女は確かクラスメイトの。
「……木原……さん?」
「みどり」
「……みどりさん」
「みどりでいいけど」
みどりの声は、低い。男でも声代わりをしていない人が多いのに、みどりはどんな幼さも締め出してしまうような重たい声質をしている。透き通った黒目で見つめられると、なんとなく逃げ出したくなる。
「みどり……、えっと、どうしたの?」
夕日を浴びたみどりの制服は白くあるべき場所がだいだい色で、みどりはそれだけで、僕たちとは違う特別な人間であるように見えた。膝の下まできっちり伸ばされたスカートが揺れた。
「洋二郎くんが、昨日駅前を男の人と手繋いで歩いてたって本当? 洋二郎くんはホモだって、噂になってるんだけど」
ざっくりと切られたみどりの髪が、風でなびく。僕はうまく飲み込めないし、吐き出せないし、とにかく混乱したままみどりの目を見つめ返す。
「えっと……、ホ、ホモって……えっと……」
「青山くんが、本当に見たって広めてたみたいだけど」
青山くん。この間僕に漫画を薦めてくれた人だ。そういえば教室の隅で、こそこそと円を作って何か話をしていた。
僕に突き刺さる矢印は、悪意だったらしい。今日はみんなして体調が悪いのだ、明日になればきっといつも通りの関係に戻れる。無防備にそんな期待をしていた僕の身体から、血がすとんと落っこちて戻ってこなくなった。最終下校の鐘が鳴った。世界の終わりを告げるような重い音だった。
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