四話
バスに乗ってやって来た、駅近くの中心街は日曜らしく混雑していた。涼一は人と人の隙間を、さりげなく確実にすり抜けて行く。今日、涼一はめずらしく明るい水色のシャツを着ている。僕は後ろ姿をひたすら追いかける。
「大丈夫? 休憩する?」
「ううん……僕は大丈夫だよ」
「付き合わせちゃって悪かったね」
「そんなことないよ」
土曜の夜はいつも長い。
迎え入れる日曜日に、なんでもできる好きなことが出来ると期待をする一方、けれどどうせ寝て過ごしてしまうんだと悲しくなって、何かしなくてはと焦るけれど正解にはいつも辿りつけない。ぬるい倦怠に浸かりながらベッドで漫画を読んでいたら、涼一がやってきた。
明日、CD買いに行きたいから付き合ってくれない?
その言葉が部屋に零れた途端、迫る日曜日が楽しみで仕方なくなったのだ。
「あ、あったあった」
CDショップに入ってすぐ、涼一は目当てのCDを見つけたらしい。僕は知らないアーティストだった。
「洋二郎なにか欲しいものある?」
「え? うーん……」
「付き合わせちゃったから、何か買ってあげるよ」
僕は物色しながら店内を歩く。好きや嫌いや、欲しいや要らないを突然求められると、僕はいつも困ってしまう。涼一は、時間をかけて店内を歩く僕の後ろを、何も言わずについて回る。
「あ、これ」
「うん?」
「これ、みんなが聞いてるやつだ……」
手にとった一枚は、若い女性アーティストのものだった。ジャケットではアーティスト本人が綺麗なワンピースに身を包みポーズを決めている。
「ああ、CMのやつ?」
「うん、なんかそうみたい」
「これがいいの?」
「うん……、みんな良いって言ってるから、聴いてみようかなあ」
涼一に手渡すと、涼一は興味深そうに表面裏面を交互に見て、静かに棚に戻した。
「本当に欲しいものを選びなよ」
「……」
「洋二郎が本当に欲しいってものじゃないと、兄ちゃん買わないよ」
涼一はいつもこうだ。
僕が言いたいことも、言えないことも、言う必要がないと自分の価値観で決めつけていることも、深い所に沈ませて見えなくしていることも、すべてすくい上げてしまう。
僕はもう一度歩き出し、離れた棚の前へと向かった。そして、迷いなくある一枚を手にとった。
「これ……」
「うん」
「僕はいいなあって思ってるんだけど、歌が入ってないんだ、なんていうんだろ、楽器の音しか入ってないの」
「ああ、インストか」
「うん……みんな、歌詞がいい曲とかが好きだし、有名なアーティストじゃないし、なんか、変かもしれないけど……」
「じゃあ、これ買ってあげるね」
涼一はその一枚と、自分が選んだ一枚を持ちレジに向かって行った。水色のシャツと細身のジーンズが、後ろ姿をいつもより精悍に見せていた。
1−Bの教室が、僕の宇宙のすべてだ。教室で起きる問題は隣の国で起きる猟奇殺人より恐ろしい。みんなと歩調を合わせることは、法律を守ることより大切だ。
そんな僕を、涼一はいつでも遠まわしに、分かりにくく、叱る。
「お待たせ、じゃあ行こうか」
店を出ると、街は夜に向かって活気づいていた。大人と、大声で笑う人たちが増えた。空気が涼しくなり、どこかの角から焼き鳥の匂いがする。涼一は毅然と前を向いたまま喋る。口調は柔らかい。
「自分が本当に好きなものしか、自分を守ってくれないと思うよ」
涼一は少し前を歩き、誰に対してでもないという風を装って、僕の一番無防備な箇所を貫く。
ふいに振り向き、手を差し伸べた。
「人、増えてきたから」
僕はその手を握った。知らない大人の波に流されそうになっている時、人間が抱えた36度が大きな意味を持っていることに気付く。
涼一は、僕のことを守ってくれる。それはつまりそういうことだ。
「洋二郎、手冷たくない?」
「そうかな」
「寒い?」
「んーん」
「早く帰ろっか」
子供のころ、涼一はどこに行く時も僕の手を握ってくれた。体温はあの頃と変わらない。すべて、変わらなければいい。
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