魂が抜かれる

いい香りと、心地良い生活音で目が覚めた。
「おはよう」
朝目が覚めたら夢でした。
なんて展開にはならなかった。
台所に立つお妙さんが笑顔でこっちを見ている。
「おはようございます……」
全く寝た気がしない。
昨夜は声を押しながら泣いて、手でまぶたを擦ったせいでパンパンに腫れて、色々考えて眠れなかった。
疲れ果ててやっと眠れそうだ思った時には、既に朝日が部屋に差し込んでいた。
「お布団たたんで、朝ごはんの準備を手伝ってもらおうかしら」
「……はい」
言われた通りに布団を畳んで、既に畳んで積まれているもう一組の布団の上にそれらを積み重ねた。
お妙さんが立つ台所へ足を踏み入れ、私は何すれば良いのか聞こうとした時、扉の向こうからコンコンとノックする音が聞こえてきた。
お妙さんが明るく返事をすると扉が開かれて、浅葱色の羽織を着た土方さんが家の中へ入ってきた。
「おはようございます。よく眠れま……」
そう言いかけて、土方さんの動きが止まった。
まだ鏡で確認していないけど、今の私はかなり酷い顔をしているんだろう。
「残念ながら眠れませんでした」
少し皮肉を込めて言うと、土方さんはわざとらしく咳を一度だけして、お妙さんの方へ視線を逃した。
「お妙さん、なまえさんを今日もよろしくお願いします。帰りにまたここへ寄りますから」
「はぁい」
昨日に引き続き軽い返事を返すお妙さんに、この人こんなんで本当に大丈夫なのかなと変な不安を抱いてしまう。
今日一日を無事終える事ができるのか不安で堪らない私に、土方さんは肩をぽんと叩いて「大丈夫」とだけ言って笑いかけてくれた。
何だか分からないけど、土方さんにそう言ってもらえるとすごく心強い。
"新撰組副長"という肩書きのおかげだろうか。
その肩書きか浅葱色の羽織のせいか分からないけど、家を出ていく土方さんの後ろ姿はとてもたくましく見えた。
そして再び、私はお妙さんと二人きりになった。
「なまえさん」
名前を呼ばれて慌てて後ろを振り向くと、水の入った桶を持ったお妙さんが爽やかな笑顔でそれを差し出してきた。
「まずは顔を洗ってすっきりする。今日はしっかり働いてもらうわよ」
「あ、はい……」
それと、とお妙さんは続ける。
「辛い時こそ、気持ちを切り替えるために新しい事に挑戦するべきね」
真っ直ぐなお妙さんの言葉は、沈んでいた私の心を少しだけ軽くしてくれた気がした。









日が沈み始めて辺りが暗くなっていくと、いつ土方さんがまたここへ様子を見にきてくれるのかとそわそわしてしまう。
一通り仕事が終わって、最後に井戸から水を汲んでくるよう頼まれて外に出た時、土方さんの低くて落ち着いた声が私の名前を呼んだ。
「土方さん!」
空の桶を持ったまま駆け寄る。
朝着ていた浅葱色の羽織を、今は着ていない。
「まだお仕事中ですか?」
「いえ、もう水を汲んだら今日はおしまいです。土方さんはお仕事終わったのですか?」
「ええ」
土方さんの薄い唇がわずかに上がり、その微笑さえ今の私を安心させてくれる。
「夕食がまだでしたら私と一緒にどうですか? 近くに天ぷらの美味しい店があるんです」
「天ぷらなんてあるんですか? 私、天ぷらが大好物なんです! お妙さんに聞いてきますね」
急いで水を汲んでからお妙さんの元へ帰ると、「土方さんと一緒なら安心ね」と言って快く見送ってくれた。
昨日土方さんが貸してくれた黒い羽織を着物の上から着て外に出た時、土方さんも同様のものを羽織っていることに気付いて少し恥ずかしくなった。
ペアルックのカップルみたいで。
「では行きましょう」
すぐ近くだと言う天ぷら屋さんは、四条通りを横切って裏の道に入ったすぐの所に佇んでいた。
土方さんが着ている羽織よりも少し暗い青ののれんに、シンプルに"天婦羅"と書いてある。
扉を開けばそこは油の香りに包まれていて、お店の人が笑顔で私達を出迎えてくれた。
「土方さんお勤めご苦労様です。珍しく今日は可愛い小娘をお連れなんですね」
「フッ、ただの知り合いですよ。話をしたいので奥の席に案内してもらえますか」
ちょんまげの若い店員さんは「あいよ」と元気に返事をし、のれんで区切られている個室のような席に私達を案内してくれた。
土方さんはここのオススメだと言う"天ぷら蕎麦"を二人分注文してから、姿勢を正して向かいに座る私に視線を向けた。
「今日一日大丈夫でしたか?」
「あ……はい。お妙さんとても優しいし、今日は番傘の作り方を教えてもらってずっとやっていたので、気が紛れて少し元気が出ました」
「それなら良かった。朝、あなたの顔を見てからずっと気になっていたんですよ。落ち込んで引きこもっているんじゃないかと。でも、私が思っていたよりなまえさんはずっと強いお方のようだ」
土方さんはそう言うと暖かいお茶の入った湯呑みを片手で持ち上げ、音を立てず上品にすすり出す。
「昨夜は絶望的な気分でしたけど、お妙さんのおかげで前向きになれました。泣いてたって状況が良くなる訳じゃないし、今は目の前のことを一生懸命やらなきゃって」
私も土方さんに続いて湯呑みに手を伸ばし、両手で包み込むように持ちながら熱いお茶をすする。
暖かいお茶なんて久しぶりに飲んだかもしれない。
心も体も温まる気がした。
「土方さんは……私が150年後の世界から来たって本当に信じてくれているんですか?」
湯呑みをそっと置いて土方さんを見上げると、彼はくすりと笑った。
「信じていませんよ。そんな話、簡単に信じられる訳がないでしょう」
「え?! そ、そうなんですか?」
土方さんは私を信じていてくれると思ってたから、バッサリ言い切られて唖然としてしまった。
「しかし、あなたの見せてくれた物や話が全て作り話だったとして、それはそれで凄い才能です。私はその話に興味があるんですよ。なまえさんの言う"150年後の世界"とやらをもっと知りたい」
からかっているのかな?と思いきや、土方さんは「また写真を見せて欲しい」とお願いしてきた。
スマホで見た風景の写真が、私の話に信憑性を出してくれたみたい。
口では信じていないと言っているものの、信じざるを得ないという感じなのかも。
「じゃあ今度こっそり見せてあげますね。ただ、電池があまりないからそんなに沢山は見せられないかもしれないです」
「でんち?」
「あ……、えと、電気の塊みたいなやつです」
「でんき……」
あ、電気も江戸時代にはないのか。
私説明下手だし、話したところでピンと来ないだろうし、話変えた方がいいかなぁ。
困り顔でどうしようか悩んでいると、「なまえさん」と改めて名前を呼んできた。
「話したところで理解できない、とでも思っているんでしょう。例えそうだとしても私はあなたの話を聞きたい。もちろん、口外はしませんよ」
声も表情も落ち着いているけど、私を見る土方さんの目はどこか輝いているように見える。
印象とは裏腹に、好奇心旺盛な人なんだと思った。
「わかりました。その代わり私にもこの時代の事を色々教えてください。土方さんとお妙さんしか頼れる人がいないから不安で……」
「ええ、もちろん。新撰組の名にかけてあなたをお守りいたしますよ」
さらりと"守る"なんて言われてなんだか気恥ずかしかったけど、それを言った本人はちっとも恥ずかし気がない。
そんな時、のれんをかき分けてさっきの店員さんが天ぷらそばを持ってきた。
「お待たせしやした。当店自慢の天ぷらそばです」
こんな事言ったら失礼だけど、江戸時代の天ぷらそばは思ったよりも見た目がちゃんとしている。
この時代をよく知らない私にははっきりと分からないけど、土方さんがよく来るという事は値段の高いお店なのかもしれない。
私達の間にふたつの天ぷらそばが並べられ、店員さんは「ごゆっくり」と言ってのれんの外へ出て行った。
「では、いただきましょう」
「はい」









銭湯に行ったらしく、お妙さんは家にいなかった。
自分が着ていた黒のスーツの中に隠してあるスマホと音楽プレーヤーが無事か確認して、それらを部屋の真ん中で座布団に座る土方さんの前へ持って行った。
「やっぱりもう電池切れちゃいそう……」
持っていたところで圏外だし無意味なんだけど、普段肌身離さず持っているスマホの電池が切れてしまうのは何だか心細いし不安だ。
もしかしたら誰かから電話が来るかもしれない、なんて頭をよぎるけど、待ち受けの時計はタイムスリップした時から止まったままになっていた。
「そのスマホとやらは写真を撮るための物なんですか?」
「いえ、これは電話をかけるための物です。あっ、電話っていうのは……さっき話した電気を使って遠くにいる人と話ができる事です」
「遠く、とはどの程度の距離ですか?」
「基本的にどこでも大丈夫です。日本のはじからはじまででも、外国でも掛けられます」
「外国でも……?」
また、土方さんの目がキラキラと輝き始めた。
この顔を見るのは何度目だろう。
クールで何事にも動じなそうな土方さんにこんな顔されると話していて楽しいし、既にクセになりつつある。
もっと驚かせたい、興味を引きたい、そんなワクワクする感情が湧き出て来る。
私は残りの電池が少ないスマホの画面をタップして、写真のたくさん入ったデータフォルダを開いた。
「そういえば先月食べた天ぷらそばの写真があるんでした。あと、先週食べた生クリームがたっぷり乗ったパンケーキも見せますね」
土方さんの隣に腰を下ろしてずらりと並ぶ写真をスクロールしていくと、土方さんは腕を組みながらスマホに釘付けになっている。
こうして改めて自分のデータフォルダを見てみたら、食べ物や風景の写真が多いことに気付いた。
その時ふと、この時代の写真も撮りたいなと思いつく。
「土方さん、写真撮りませんか?」
「私がですか?」
私の提案に驚いた顔をしたあと、写真を撮られるのは嫌なのか眉間にシワを寄せて難しい顔になってしまった。
「写真は嫌ですか?」
「いや……迷信ですが、写真を撮ると魂が抜かれると言われているんですよ。信じている訳ではありませんがね」
「魂? 大丈夫ですそんなの。私の生きる世界はみんな毎日写真を撮ってるし、もし本当に魂が抜かれるなら今頃私はとっくに死んでますもん」
いつの時代もそういう迷信があるんだなぁと少し笑えた。
何より一番面白いのは、"鬼の副長"と恐れられている土方さんがその迷信を信じて写真を撮るのを嫌がった事。
本人は信じていないと言ってるけど、これは完全に信じている顔だ。
「見てください。これインカメって言って、内側のカメラで自分達を見ながら撮れるんですよ。せっかくだから二人で撮りましょう」
「ちょ……、私はいいです」
「1枚だけ!」
強引に土方さんの肩に体を寄せてカメラを向け、二人が画面に入ったと同時にシャッターボタンを押した。
その音に土方さんは少しびっくりしていたけど、私は構わず撮れたての写真にタップする。
「あはは、土方さんちゃんとカメラ目線になってますよ。ちょっとブレちゃったけど」
笑いながらスマホの画面を土方さんに向けると、難しい顔をしながらも「こんな簡単に写真が撮れるなんて……」と驚きを隠せないようだ。
この時代の物や風景をもっと写真におさめたいな、なんて思っていたら、桶を手に持ったお妙さんが銭湯から帰ってきた。
私は慌ててスマホと音楽プレーヤーをスーツの中へ潜り込ませる。
「お、お妙さんおかえりなさい」
「どうしたの? そんな慌てて」
私の慌てようを見てお妙さんは不思議そうな顔をしたあと、ハッとなにかを思い付いたような顔に変わった。
「そう……あなた達はそういう仲だったのね。なぁんだ、早く言ってくれたら良かったのに」
くすくす笑いながらお妙さんは桶を台所に置き、着ていた羽織を脱ぎ始めた。
「ちちち違います! 誤解です!」
私が否定するもお妙さんは耳を貸してくれず、暖かいお茶を淹れますね、なんて言って準備を始めてしまった。
何も言わない土方さんに目線を向けたら、「その方が好都合かもしれませんね」と小声で言ってきた。
「好都合?」
土方さんに合わせて小声で返すと、「あなたに毎日会いにきても不思議じゃないでしょう」と口の前で手をかざしながら言った。
確かにそうかもしれない、と納得して会話はそこで静かに終了する。

お妙さんが淹れてくれたお茶を3人でお喋りしながら飲み、底をついた頃土方さんは座布団から立ち上がった。
「では、そろそろ帰ります」
わかっていてもいざ土方さんが帰るとなると急に不安が私を襲う。
美味しいものを食べて、たくさんお喋りして、今日は楽しかった。
だからこそ、明日もまたそんな平和な日がやってくるのだろうかと不安になってしまう。
お妙さんを家に残して扉の外までお見送りに行って、別れ間際に土方さんは私の肩に手を添えてきた。
「大丈夫、あなたは一人じゃない。私とお妙さんがいます。さっきも言いましたが、あなたの事は私が守りますよ」
「土方さん……」
そんな事を言われたら甘えたくなってしまう。
とっくに十分すぎるほど土方さんには甘えているんだろうけど、わがままを言いたくなるほどに駄目になってしまいそうだ。
怖い、寂しい、帰りたい、行かないで、ずっと側で守って欲しい……
喉元で外に出かけた言葉を飲み込み、「ありがとうございます」と言って土方さんの背中を見送った。
まだこの世界に来て2日。
辛いに決まってる。
帰り方なんて全くわからないし、タイムスリップした屯所に近付くのはまだ怖い。
昼間は前向きに過ごせるのに、夜になるとどうしても心が病んでしまう。
「やば……泣きそう……」
我慢してた涙が耐えきれずぽろっとこぼれ落ちたけど、それ以上は流さないぞと心に鞭を打ってこらえた。






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