悋気は女の七つ道具

「じゃあ今日も下事をやりましょう」
「はい」
下事(したご)とは、傘作りの最初の工程である骨組みのことを指す。
傘の骨となる細長い竹のはじに小さな穴を空け、針と糸を使ってひとつひとつ持ち手の根元部分に繋げていく。
ぱっと見簡単な作業に見えるけど、想像以上に指先が疲れるし集中力もかなり必要だ。
でもそのおかげで寂しいとか負の感情を一時的に忘れられる。
本当は元の世界に帰るための手がかりを探しに行きたいけど、今は生きるために目の前の仕事をこなすしかない。
一日仕事をして夕食を食べ終えた頃、土方さんがやってきた。
昨日と同様、3人で向かい合わせになりながら暖かいお茶を飲んでいると、お妙さんが私の事を見てにっこり笑いながら口を開く。
「なまえさんはとても器用だし一生懸命だし、本当に助かっているわ」
「器用だなんてそんな……今日だけで二ヶ所も指刺しちゃったし……」
それを聞いた2人はくすくす笑っている。
「歳ちゃん、あなた明日おやすみだと言っていましたね? なまえさんは慣れない仕事をして疲れているだろうから、気晴らしに歌舞伎でも連れて行ってあげたらどうかしら」









ここに来た時からずっと気になっていた。
役者の名前が書かれた大きな旗や木の看板、ズラリと並ぶちょうちん、赤と緑ののれん……そこが歌舞伎を見る場所なんだという事は外観だけではっきりと分かる。
「歌舞伎なんて小学生の時に見た以来です。こんなにたくさんの人がいるなんて凄く人気なんですね」
「ええ。老若男女問わず歌舞伎は好きですよ。私もよく見に来るんです」
開演までまだ時間があるというのに、劇場の前はお客さんで賑わっている。
中へ入る列に並んでいたら、やっと私達の順番が回ってきた。
お妙さんがこっそり用意しておいてくれた歌舞伎鑑賞の券を2枚、土方さんは店員さんに手渡す。
「土間席ですね。正面へどうぞ」
誘導された通りに中へ足を踏み入れ、正面の広い畳の上に腰を下ろした。
人の多さや建物内の広さに圧倒されながら辺りを見回してみると、どうやら席はここだけでなく両脇や二階、なんと舞台の真横にまで席がある。
球場で見かける飲み物や食べ物を売り歩く売り子さんらしき人までいた。
「すごい……なんかドキドキしてきちゃった」
「観たいと思っていた公演でしたから私も楽しみですよ」
相変わらず姿勢良く座るものだから私もつられて背筋が伸びてしまう。
たまに猫背になっていたから、これを機に治せるかもしれない。
「おっ、土方さんじゃないですか」
さっき見た売り子さんが土方さんに気付いて声をかけてきた。
なんだか凄く驚いた顔をしている。
「土方さんが土間席で見るなんて珍しいですね。今日は何か要りますか?」
「ああ、じゃあ二つお茶をいただこう」
暖かいお茶を受け取って売り子さんが去って行ったあと、聞かないほうがいいのかなと思いながらも「いつもはここで観ないんですか?」と聞いてみた。
やっぱりあまり触れないで欲しかったのか、土方さんの眉がぴくりと揺れた。
「いつもは桟敷席(さじきせき)という両脇の席で見るんですよ」
「それは……身分の高い人が座る席の事ですか?」
「まぁそんな所です」
土間席と桟敷席の人達を見比べれば身に付けるものや雰囲気でなんとなくわかった。
新撰組副長となれば結構な額を貰っていそうだし、そりゃそうだよねと納得だ。
「すみません……私のために付き合っていただいて……」
「そんな顔をしないでください。お妙さんのご厚意ですし、たまには違う視点から鑑賞するのも新鮮で良い。1人ではなかなか土間席で観る機会はないですからね」
うつむく私にかけられた言葉は贅沢なくらいに優しくて。
そんなに優しくされたら自分がダメになってしまいそうだ。
顔が赤く染まりそうで焦り始めたとともに舞台の方から音が聞こえ、観客の歓声が劇場内に響き渡った。
危なかった、とこっそり胸をなでおろす。









「はぁ……凄くカッコ良かった……」
歌舞伎って難しそうだし楽しめるのか不安だったけど、それは余計な心配だったみたい。
あれだけ集客力がある事に納得だ。
役者の演技力や迫力に圧倒され、見終わった今も余韻でぼんやりしている。
おまけに脳内では先ほど聞いた音楽がエンドレスで流れている。
「そんなに満足してくれるとは思いませんでしたよ」
自分が好きなものを人も好きになってくれると嬉しいのか、私を見る土方さんの顔はとても嬉しそう。
「歌舞伎があんなに素敵なものだったなんて、今まで知らずに生きてきた私を殴りたい勢いです」
「フッ、次は桟敷席に連れて行ってあげますよ」
「え?! 本当ですか?」
さり気なく次回も一緒に行く約束ができてしまった。
私、土方さんにこんな良くしてもらっていいのかな……。
江戸時代にタイムスリップしてしまった事自体は不幸だけど、あまりにも恵まれた環境で怖くなってしまう。
とはいえ嬉しいのは隠しきれず、やったーとガッツポーズをした。
歌舞伎のあと、私達は元の世界に帰る手がかりがないか壬生に向かって歩いてきている。
前に来た時は夜中だったから暗くて景色がよく見えなかったけど、昼間に来てみると人通りも結構多いしお店もあるし暖かい雰囲気だ。
ただ、新撰組屯所に続く石段の前へ着いた時はさすがに心臓がドキドキして落ち着きを隠せなかった。
「中へは入れませんが、周辺を歩いてみましょう」
「はい」
ぼんやり記憶に残っている道を土方さんは歩いて行くけど、手がかりになるような物は何もないし思いつかなかった。
一体どうしたらいいものか。
慣れない履物でたくさん歩いたせいで足が疲れてきてしまい、それに気付いてくれた土方さんが近くのお茶屋さんで休もうと提案してくれた。
屯所の正面にある"大竹茶屋"という小さなお茶屋さんで甘酒を二人分頼み、近くの椅子に腰掛けてやっと足を休ませることができた。
「美味しい」
甘酒は暖かくて美味しいし、心も体も休まっていく。
石段を眺めながら甘酒を堪能していると、屯所の方から浅葱色の羽織を着た新撰組の隊士二人が階段を降りてきた。
土方さん以外の隊士に会うのは初めてだから緊張してしまう。
「おっ? 歳チャンやないか」
眼帯をしたヒゲの男性が土方さんを見て声をかけてきた。
眼帯を着けているだけでもインパクトがあるというのに、浅葱色の羽織は赤黒い血で所々が染まっている。
しかもその中には何も着ていないから、見ているこっちが恥ずかしい。
土方さんの事をちゃん付けで呼ぶのはお妙さんだけかと思ってたのに、まさか隊士の人にもそう呼ばれているとは。
「総司と新八か。これから見廻りか?」
「せやで。なんや、歳チャンは昼間っからおなごと楽しんどるんかいな」
大きな瞳をギョロリと土方さんに向けたあと、それは隣に座る私に移った。
外見と口調に圧倒されて浅くお辞儀をするしかできない。
「今日は休みなんだ。私が何をしていようと勝手だろう」
土方さんは変わらず涼しい顔で甘酒を飲んでいる。
すると眼帯の男性の隣にいたガタイの大きな坊主頭の男性が口を開く。
「その子は誰なんや? 見かけへん顔やな」
「お妙さんの元で働いている人だ。京の町に来たばかりだから色々案内していたんだ」
見た目だけで人を圧倒させる二人の視線が同時に自分にやってきてビクビクしてしまったけど、ここは土方さんの顔を立てるためにもちゃんと挨拶をしなくては。
「初めまして、みょうじなまえと申します。まだこの町の事をよく知らないので、今後ともよろしくお願いいたします」
「なまえちゃん言うんか。ワシは新撰組一番隊隊長の沖田総司っちゅうんや。総司くぅんて呼んでくれてええで」
え! 美少年で有名なあの沖田総司?!
なんかイメージと全然違う……。
「俺は新撰組二番隊隊長の永倉新八や。よろしくな、なまえちゃん」
嘘……永倉新八ってこんな大きな人なんだ。
某ギャグアニメでツッコミ役のメガネ君みたいなイメージだったのに。
「この間祇園で飲んだ時に歳チャンにべったりやった花魁はどないしたん? あんな美人もいながら他の女にも手ぇ出すなんてやっぱ二枚目はちゃうなぁ〜」
「総司」
土方さんは眉間にシワを寄せて沖田さんの名前を力強く呼んだ。
やはり鬼の副長と呼ばれるだけあって、その一言だけで沖田さんはそれ以上言うのを辞めた。
顔はヘラヘラ笑っているけど。
「お前も人のこと言えんやろ。見る度に連れてる女ちゃうやないか」
永倉さんが呆れた顔で沖田さんに突っ込む。
「ヒッヒ、そうや俺も二枚目やったわ」
「いや、お前は二枚目とは少しちゃう」
「なんやて? この顔のどこか二枚目とちゃうねん」
「いい加減仕事をしろ」
二人のやりとりに痺れを切らした土方さんがズバッと会話を中断させ、二人は顔を合わせてから渋々この場を後にした。
二人の姿が四条通りに続く道へと消えて行ったのを見て、私はやっとちゃんと呼吸をする事ができたような気がした。









モヤモヤする。
沖田さんの言っていた"土方さんにべったりだった花魁"が頭から離れてくれない。
「気分でも悪いのですか?」
大竹茶屋から日衣屋への帰り道、言葉を発さなくなった私に違和感を感じたらしく土方さんから声をかけてきた。
「あっ、いえ……新撰組の人たちに圧倒されちゃって……」
へらっと笑えばそれに納得したのか、土方さんは「そうですか」とだけ返事をして再び前を向いて歩き続けた。
背が高くて顔が整っていて、新撰組副長という肩書きを持つこの人がモテないはずがない。
分かりきっている事をただ耳にしただけなのに、私の心はずっとモヤがかかったままだ。
どうやら私は間抜けな勘違いをしていたらしい。
土方さんが私に与えてくれる優しさや安心感は、私だけの特別なものだと。
新撰組内では"鬼の副長"と呼ばれているけど、この人はきっと女性には誰にでも優しくて紳士的なんだと思う。
この優しさに依存しては駄目だ。
そろそろ自分の力で立ち上がらないと。

結局ほとんど言葉を交わす事なく日衣屋に到着してしまった。
「……土方さん」
日衣屋のすぐ横にある川の前で立ち止まり、土方さんを呼び止める。
さっきから様子のおかしい私がいよいよ心配になってきたのか、「どうしたのですか?」と眉をひそめながら言って歩み寄り、私達は向かい合う状態になった。
「毎日毎日私のために貴重な時間を割いてもらってすみません……。そろそろこの町にも慣れてきたから私1人でも帰る手がかり探せるし、土方さんもご自分の事に時間を使ってください。今日は本当にありがとうございました」
俯きながら言って、土方さんに背を向けて歩き出す。
我ながら何をやっているんだろうと思ったけど、今の私にはこうするのが精一杯だ。
そんな私の腕を、土方さんの手がぐっと引き止める。
「表情が曇っていると思ったらいきなり何を言い出すんですか? 私は別に、嫌々あなたと一緒にいる訳じゃない」
土方さんは私を引き寄せると、再び向かい合わせにしてきた。
顔を覗き込むように私を見て、土方さんは力強い眼差しを送る。
「本当は不安で堪まらないのでしょう? 無理して強がらないでください。あなたを守る、そう約束したはずだ」
この言葉で私の弱い意思は簡単に崩されてしまい、色んな感情が涙となって瞳からこぼれ落ちた。
「……ごめんなさい……私、泣いてばかり……」
両手で顔を塞ぎながら体を震わせる私を、土方さんはそっと背中を押して木の陰へ連れて行った。
四条通りを行き交う人達に見えないよう、気遣いをしてくれたのだと思う。
「あなたは十分強い。私の前では弱音を吐いたって構いません」
木の陰に隠れているのをいい事に、私は土方さんの着ている羽織をぎゅっと掴んだ。
土方さんはそれを拒む事なく受け入れてくれて、なおさら私は彼の優しさに甘えてしまうのだった。






つづく


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