浮世は牛の小車

思い切ってキャミソールを脱ぐと、土方さんは目を丸くしながらこちらに歩み寄ってきた。
「ちょっ! 来ないでください! キャミソールならホラ、何もないでしょ?!」
右手で胸元を隠しながら、キャミソールを土方さんの方へ向けてぶんぶん縦に振る。
それなのに土方さんはそれを無視して、後退りする私にグイッと一気に距離を縮めてきた。
これはマズイ。
大した体をしてないとは言え、理性を失わせてしまったのかもしれない。
だからと言って身の潔白を証明しなければ、それもそれで自分が危険に晒されてしまう。
だったらこの人に無理にでも抱かれてしまった方がまだマ……
「何なんだ、この繊細で美しい織物は」
「…………へ?」
私の目の前に立って見下ろしてきたかと思ったら、土方さんは胸の膨らみを覆うブラジャーに釘付けになっている。
「こんな模様見た事がない。指を引っ掛けたら壊れてしまいそうだ。何でこんな綺麗な織物を胸に巻いているんです?」
「何でって……」
あ、そうか。江戸時代の人はみんな着物だからブラジャーを着けないんだ。
と言うかそもそもブラジャー自体がこの時代にはまだないはず。
予想外の反応に呆気を取られていると、土方さんの手が胸元に伸びてきた。
「えっ? ちょっ、何触って!」
物珍しそうに目を細め、ブラジャーの表面にあしらわれたバラの模様を指の腹で撫でてきた。
あくまで胸を触っているんじゃなく、ブラジャーを触っている。
そう分かっていても、この状況は絶対におかしい。
「やだっ、待っ……あっ」
土方さんの手から逃れようと体を横に動かしたら直に手が胸の膨らみに触れてしまい、反射的に変な声が出てしまった。
「変な声を出すんじゃありません」
出したくて出した訳じゃないのに、何故か私は土方さんに怒られてしまう。
「だって……てかそんな事より、私が何も隠し持ってないと分かりましたよね? 早くその服を返してください!」
「まだ下が確認できていません。早く終わらせたいのなら脱げば良いでしょう」
これは紛れもなく拷問だ。
土方さんはブラジャーの模様や素材が気になるのか、ずっと私の胸元に釘付けになっている。
その視線にいやらしさは感じないけど、何だかそれもそれで複雑な気分だ。
「ぬ、脱ぎますから……確認を一瞬で終わらせてくださいね?」











「いだっ!」
「静かに」
屯所の門には四六時中見張りが二人いるとの事で、私は土方さんが持っていた黒い羽織を着せてもらってコソコソと屯所の裏手へ回り、倉庫からハシゴを引っ張り出して塀を乗り越えた。
と思ったら足を滑らせて尻餅をついてしまった。
「すみません……」
思わず出てしまった声に土方さんは顔をしかめながらも、手を差し伸べて起き上がらせてくれた。
「もっと緊張感を持ってください」
そう言ってすぐに手を離し、街灯などあるはずもない暗い道を足早に進んでいってしまう。
黒い羽織に似合わない仕事用のパンプスで雑草を踏み、はぐれないように早歩きで土方さんの背中を追った。
道っぽい道に出たものの、あまり綺麗に整えられている訳じゃないから歩きにくい。
屯所は高い場所にあるらしく、坂になっている茂みを降りてからしばらく進むと、屯所へと続く石段の前へ辿り着いた。
辺りは暗いけど、この石段の前にだけ炎が灯されている。
防犯のためだろう。
「そんなに見ないで下さい。早く」
門番に見つかったら厄介だ、と小声で言って土方さんは私の背中を押し、家なのか何なのか分からないけど建物がズラーッと続く暗い道を歩いて行った。
今は何時なんだろうか?
たまに灯りがついている建物もあるけど、きっとこの雰囲気は深夜なのだと予想できる。
屯所からある程度離れた場所に来ると、土方さんは先程までの小さいトーンから普通のトーンで話しかけてきた。
「あんな物で体を締め付けて窮屈ではないんですか? ぶらじゃー、と言いましたか」
「またその話ですか? もう辞めましょうよ……それ、私の時代に来て言ったらセクハラですからね」
「せくはら? せくはらとは何ですか?」
「えっと……性的な嫌がらせ、ですかね……」
「私がいつ性的な嫌がらせをしたと言うんですか」
「じっ、自覚なしですか?!」
土方さんは隣に歩く私を見て首を傾げた。
スカートを脱いで恥ずかしい姿を彼の前で晒す事になってしまったけど、何も隠し持ってないと確認してすぐに着替える事ができた。
女として自信をなくすくらい土方さんの反応は薄く、興味はブラジャーの"美しさ"とやらに行っていた。
「今度ゆっくり見せてくれませんか? あなたの住む世界は私が想像もできないくらいに色んな事が発展してるようだ」
「ブラジャーは見せられないですけど……あとでもっと写真を見せてあげますね。それよりどこに向かってるんですか?」
やっと下着の話から他の話に変えられることが出来て安心していると、長く続いていた一本道が門で区切られていて、それを潜ったら両脇にお店が立ち並ぶ広くて大きな通りに出た。
この風景を見たら嫌でも、"本当にタイムスリップしてしまったんだ"と実感してしまう。
「ここは四条通りと言うんですよ。私達が向かっていたのはそこの店です」
四条通りを少し歩いていくと、土方さんは右手にある角の店を指差した。
掲げられている大きな木の看板には"日衣屋"と書いてある。
「……日衣屋さん……?」
「番傘を取り扱っているお店です。こちらへ」
土方さんは店がある角の道を曲がり、店の裏側へ回りだした。
店の裏は普通の家になっているようで、扉からほんのり灯りが漏れている。
この中に誰かがいる。
土方さん以外の、江戸時代の人が。
そう思うと心臓がドキドキと大きな音を立てて鳴り始め、顔が強張ってきてしまった。
そんな私を見て、土方さんはクスリと笑う。
「そんなに緊張しないで大丈夫ですよ。京の町に来てからずっとお世話になってる方のお店なんです。きっとあなたを助けてくれるでしょう」
そう言ったあと、土方さんはコンコンと二回扉をノックした。
「はぁい」
中から女性の優しい返事が聞こえてきて、それに少しだけ安堵を覚えた。
思ったよりも勢いよく扉が開かれた。
「あら? 歳ちゃん、こんな時間にどうしたの?」
背が低く痩せ型で白髪混じりの女性は、60代くらいだと予想できる。
「お妙さん、物騒な時間に何の警戒もせずに扉を開けては駄目でしょう。この家にはあなたしかいないのですから」
土方さんは呆れた顔でため息をついているけど、言われた本人はにこにこと笑いながら「ふふ、そうね」なんて危機感もなく言っている。
彼女はお妙さんと言う方らしい。
お妙さんは土方さんの後ろにいる私に気付き、目を丸くして不思議そうな顔をした。
「どちら様かしら?」
この質問に土方さんは落ち着いたトーンで返す。
「こんな時間に訪問しておいてなんですが、今は何も言わずに上げてくれませんか?」
土方さんが真剣な表情でお願いすると彼女はそれを快く聞き入れて、私達を家の中へ上がらせてくれた。
扉の向こうには、江戸時代のドラマや漫画などで見たことのある景色が広がっている。
台所、和たんす、行灯、神棚など、私の住む時代では見られないような物ばかりだ。
お妙さんは部屋の真ん中に座布団を広げ、私達をその上に座らせてくれた。
座って一息ついた途端、土方さんが何かを思い出したような顔をして私の方を見てきた。
「大事な事を聞き忘れていました。あなたのお名前をまだ伺っていない」
「あ……そういえば」
土方さんは人の事を"あなた"と呼ぶから、名前を呼ばれなくても違和感がなかった。
そこでやっと私は、改めて自己紹介をする事となる。
「みょうじなまえです。あの……お妙さん、でしたよね? 突然押しかけてしまって申し訳ありませんでした」
正座をしながら深く頭を下げると、彼女は変わらず優しい声色で「いいのよ」と言ってくれた。
「私は妙と申します。歳ちゃんにはいつもお世話になっているのよ。今日はどうしたのかしら? お二人とも深刻なお顔をしているけど……」
私は何て言っていいのか分からず、隣で腕を組みながら姿勢よく座る土方さんに目線で助けを求める。
そんな私を見て彼はこくりと小さく頷き、お妙さんの方へ視線を向き直した。
「何を言っているんだと思うかもしれませんが、訳を聞かずに少しの間彼女を預かっていただけませんか? ご主人を亡くされて2年、お妙さん1人でこの店を続けていくのは体力的に大変だと漏らしていたでしょう。彼女は若い。きっと力になるはずです」
初めて聞いた提案に驚きを隠せなかったけど、あえて声には出さず黙って聞いていた。
お妙さんは少し考えたあと、口を開く。
「歳ちゃんがこんな真剣な顔をして私にお願いをするなんて、よほど困っているのでしょう。いいですよ。ただ、お給料に関しては期待をなさらないでね」
「いえ、最低限の衣食住を確保していただければそんなものいりません」
それだけでいいの? と思う程に2人の会話はアッサリと終了し、お妙さんは笑顔で私を見て「着物を貸してあげるわね」と言って和たんすに手をかけた。
お妙さんが私達に背を向けている間、土方さんにこっそり耳打ちをする。
「本当に大丈夫なんでしょうか?」
相手が女の人で土方さんの紹介とはいえ、私の頭の中は不安でいっぱいだ。
「大丈夫です。あなたは元の世界に帰る方法を探しながら、ここでお妙さんを手伝ってあげてください。私も毎日ここへ来ますから」
新撰組副長の身は忙しいのだろうと分かるけど、土方さんから離れて私は大丈夫なのだろうか。
だからといって屯所の中へ入るのは死と隣り合わせだ。
土方さんの提案を飲むしか、今の私には術がない。
「……わかりました」
ぼそぼそと話していると、お妙さんが和たんすの中から焦げ茶色の着物を持ってきた。
「こんな物しかないけど、良かったらどうぞ。あなたは若くて肌も綺麗だから、着物は地味でも着こなせると思うわ」
「ありがとうございます……」
この着物を受け取った瞬間、"覚悟を決めなければいけないんだ"という意思がこみ上げてきた。
突然こんな所にタイムスリップして訳が分からないけど、とにかく今を精一杯生きるしか道はない。
頼れる人がいるだけ不幸中の幸いだ。
受け取った着物をぎゅっと握りしめて、自分自身に喝を入れるように大きく息を吸い込んだ。


「では、私はそろそろ戻ります」
お妙さんから家の中の説明を聞いてる間、土方さんは見守るようにずっと後ろにいてくれた。
だけど、いい加減屯所に戻らないとマズイらしい。
不安な顔をする私を見て、土方さんは少しだけ口角を上げた。
「明日の朝、また来ます」
「……はい」
そして土方さんはこの家から姿を消してしまった。









狭いけど許してね、とお妙さんは何度も私に謝った。
謝らなければいけないのは私の方なのにお妙さんは私を責めたりしないし、ここに来なければいけない理由も聞いてこない。
よほど土方さんを信頼しているのだろう。
150年後から来ました、なんて信じる訳がないから話したくないし、彼に感謝しなければいけない。
それなのに私は、「なんで何も聞かないんですか?」なんて自分から話を振ってしまうのだ。
「事情があるんでしょう? いつか、話せる時が来たら話してくれれば良い。その代わり、お仕事はしっかりやってもらうわよ」
隣の布団からそう聞こえてきて、私は思わず涙ぐんでしまった。
おやすみなさい、と最後に付け加えられて、しばらくすると寝息が聞こえてきたからお妙さんは眠りについたようだ。
行灯の火は消されて窓から差し込む月明かりだけが部屋の中を照らしている。
車も電車も通らないから、虫の鳴き声しか耳に入ってこない。
布団はぺたんこだし重いし、着物を着て寝るなんて寝心地が悪い。
自分のふかふかなベッドが恋しい。

「…………うっ…………」

ぼろぼろと流れ出る涙が固いまくらを濡らしていく。
私は何で、こんな所に来てしまったんだろう。
音楽を聴きながらコンビニに向かって歩いていただけなのに、何でちょんまげの人に追いかけられて、新撰組副長の前で服を脱がされて、寂しい思いをしながらここで寝てるんだろう。
仕事は辛いし、恋もうまくいかないし、こんな人生嫌だなんて思っていたけど、こうなってしまったら元の世界が恋しくて堪らない。
もし帰る事ができなかったら……
二度と家族や友人に会えなかったら……
そう考えれば考えるほど涙が流れ出てくる。

「帰りたいよ……」

隣で寝ているお妙さんに聞こえないように鼻をすすりながら、小さく本音を漏らした。







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