羊羹と鬼

後ろから私を呼ぶ叫び声が聞こえる。
廊下は薄暗く、履いてるストッキングが滑って今にも転びそうだ。
「そこの女待ちやがれ!」
「逃げたって無駄だ!」
さっきより人数が増えたように聞こえるのは気のせいじゃないだろう。
「はぁっ、はぁっ、」
ここはどこ?
何で私……追いかけられてるの?
それにあの人達、みんな着物を着てた。
あのちょんまげは本物?
仕事から帰ってから買い忘れたものを思い出して、財布と携帯と音楽プレーヤーを持ってコンビニに向かってた筈なのに。
それなのに、何で江戸時代みたいな建物の中を走ってるんだろうか。
「はぁっ、はぁっ、」
何かの撮影?家の近くで?
……ありえない。
夢でも見てるのかな。
もしかしたら事故にでもあって、これは夢の中なのかもしれない。
訳がわからず頭の中が混乱しながらも必死に前を見て走っていたけど、そろそろ体力の限界が私の体を襲ってきた。
どこかに隠れて一旦体を休めて、頭の中を整理したい。
そう思った私は曲がり角にある、明かりのついていない部屋に猛スピードで駆け込んだ。
部屋の隅に身を縮めて、障子の外を駆け抜けていく数人の足音に聞き耳を立てる。
「…………行った……?」
ボソリと独り言を呟き、薄暗い部屋の隅でゆっくりと顔を上げて外の灯りを通す障子に目をやった。
男達の足音がどんどん遠くに行って、部屋の中には静寂が訪れた。
何とか難を逃れたと脳が判断したのか、激しく呼吸が乱れている体が突然ガタガタと震え始めた。
顎もガタガタと揺れ、涙袋に溢れそうなくらい涙が溜まっていく。
とにかく、ここから出たい。
この広い屋敷は一体どこなんだろう。
家の近くに大きな屋敷なんてあったっけ?
もしあったとして、そこに住んでる人達は昔の人の格好をしてそれっぽい生活を送っているのだろうか。
そんな人たち見かけた事がない。
混乱する頭と震える体を落ち着かせながらゆっくり体を起こし、障子に手をかけた時。

「動いたら斬る」

真後ろから殺気のこもった低い声が聞こえてきて、私の体はビクンッと一度大きく跳ねた後硬直した。
声をかけられる直前に聞こえてきた金属音。
それは私の想像している音だと認識して良いのだろうか。
もし私の予想が当たってるのならば、今私の背中には刃物が突きつけられている。
「随分騒がしいと思ってたんだ。騒動の原因はお前か? 女がこんな所で何をしている」
相手が女とは言え、突然部屋に現れた私に声の主はかなり警戒しているようだ。
私は怪しい者なんかじゃない。
そう言いたいのに、体が硬直して声も出せない。
「……よく見たら変わった格好をしているな。外国人か?」
後ろに立って刃物を私に突きつけている男性は、量産型の黒いスーツに身を包んだ私の事を"変わった格好"と言った。
私のどこが変わっていると言うんだろう。
こっちから言わせてもらえば、あなた達の方がよっぽど変だ。
この場をどう逃れようか考えていると、障子の向こうから廊下を駆け抜ける数人の足音が再び聞こえてきた。
さっきより確実に人数が増えている。
「おい、何を黙っている。それ以上黙ったままなら斬……」
「ヘルプミー!!」
私を外国人と言うなら、いっその事なってやろうじゃないか。
見た目は思いっきり日本人だけど。
「へるぷみー……?」
語尾が疑問形になっているのを聞いた私は驚愕した。
ヘルプミーが伝わない大人がいる訳ない。
今時、子どもだってヘルプミーくらい分かるはずだ。
どんどん近づいて来る足音に身の危険を感じ、私は刃物が突きつけられている事を忘れ、後ろを振り向いて口を開く。
「助けてください……!」
振り向いた先にいた男性は薄暗い中でもはっきりと分かるほどに鮮やかな水色の羽織を着ていて、綺麗な顔をしているけど表情が怖い、背の高い男性だった。
いきなり振り向いた事に面食らったのかその人は持っていた刃物を引っ込めて、涙目になりながら必死に助けを求める私を驚いた顔で見下ろした。
演技ではないと察知してくれたのかわからないけど、その人は私を部屋の奥の押入れに押し込んで、「ここで待ってなさい」と言って扉を閉めた。


「副長! ここに変な格好をした女が来ませんでしたか?!」
私を押入れに入れてくれた人は偉い人なのか"副長"と呼ばれているし、みんな焦っていた割にちゃんと障子にノックをしてから礼儀正しく部屋に入って来た。
押入れの中からふすまに耳を当て、外で繰り広げられている会話に聞き耳をたてる。
「いや、そんな者は来ていないな。こんな夜中に何が起きたんだ?」
「そうですか……クソッ、どこに行きやがったんだ。厠に行こうと廊下を歩いてた時にいきなり前から真っ黒の服を着た女が現れたんですよ」
「真っ黒の服……」
「お前何者だ、って話しかけたらその女、耳から得体の知れない白い線を引き抜いて訳がわからないって顔をしながら何も言わなかったんです。危ない奴かと思って刀を抜いたら突然顔色変えて逃げ出して、それを追いかけていたところなんです」
どうやら今喋ってる人は私と最初に会った男の人らしい。
彼が言っている"得体の知れない白い線"は音楽プレーヤーに繋いでいたイヤホンの事だろう。
一体何がどうしてそんな言い方に。
「……本当にそんな者がいたのか? 夢でも見てたんじゃないのか?」
「いえ、夢じゃないんですよ。ほかの隊士も確かに見……」
「だったら自分で探すんだ。私はもう寝かせてもらう。二度とこの部屋に入って来るんじゃない」
この部屋の主がそう言ってくれたおかげで、私を追っていた人達は部屋から出て行ってくれた。
"副長"とやら呼ばれている彼は、この建物内でかなり権威のある人らしい。
障子の閉まる音が聞こえて、数秒した後に足音がこっちに向かって聞こえてきた。
「……ありがとうございます」
押入れの下段に体を丸めながら座っている私を、副長さんは眉をひそめながら見下ろしている。
「外国人……じゃないのか……?」
当たり前だけど、まだかなり警戒している。
銃でも出すのかと思っているのか、一度腰にしまった先の鋭い刀を再び私の前へ向けてきた。
初めて見る刀に私の体は硬直し、押入れから出る事が出来ない。
でも、なんとか説明して助けを求めなくては。
「私は日本人です。コンビニに行こうと思って音楽を聴きながら歩いてたらいつの間にかこの敷地内にいて……」
「こんびに?……さっきからお前は何を言ってるんだ」
それはこっちの台詞だ。
何でいちいち私の言葉に疑問系になるのか。
恐怖でまだ体は震えているけど、そろそろこの"江戸ごっこ"にうんざりしてきた。
「よそ見をしてこの敷地内に入ってしまってたのなら謝ります。ご迷惑をおかけしてすみませんでした。何も危害を加えるつもりはないので、今すぐここから出させてくれませんか?」
怒りを煽らないように丁寧に謝まった。
なのに、目の前の男性の顔は全然しっくりきていないように見える。
「新撰組屯所に無断で入っておいてその理由じゃ帰せない。女が一人でこんなところに来られる筈がないからな。何を企んでいるのか吐くまでここから出られないと思え」
「…………え? 新撰組……屯所……?」
その時、私のポケットに入っていたスマホがバイブレーションと共に音を立て始めた。
これは、8時から始まる私の好きなテレビ番組が始まったよの合図のアラーム。
「すみません、すぐ切ります」
一言断りを入れてポケットからスマホを取り出し、暗闇の中で眩しく光る画面に指をスライドさせてアラームを停止した。
「な……何なんだ、その眩しい機械は?」
副長さんは目を細めながら私のスマホを凝視している。
この時やっと、この人は演技じゃなく本当に私の言う事やる事全てに心から驚いてるんじゃないかと気付く。
「……あの……、失礼ですけど、ここは東京都のC区ですよね……?」
この質問に何言ってんだ顔をした後、彼は大真面目な顔とトーンで返す。

「いい加減ふざけるのはやめてくれないか? ここは京の町、壬生にある新撰組屯所だ」











少しずつだけど、何となく理解ができてきた。
どうやら私は今、江戸時代末期の京都にいるらしい。
ここは新撰組屯所で、目の前にいる鮮やかな水色の羽織を着た男性はここの"副長"をしている、知らない人はいないであろうあの有名な"土方歳三"だと言う。
これはきっとリアルな夢だ。
そうに違いない。
「……とりあえずあなたが勤王派の間者ではないという事は理解しました。仮にそうだとして、あなたは何故こんな所にいるんです?」
「…………私もわかりません」
土方さんは丸腰で怯える私を見て自分に危害を加えないと分かったらしく、研ぎ澄まされた先の鋭い刀を鞘にしまってくれた。
そのおかげでやっと私は座布団に正座をして、落ち着いて話をする事ができた。
「わからない、じゃあ話にならないでしょう。あなたは本当に江戸の人間なんですか? そんなに足を出して……初めて見る着物だ。それに、さっきの光る機械はなんなんですか」
土方さんは私の全てが理解できないらしく、片っ端から質問責めにしてくる。
こっちだって聞きたいことは山ほどあるのに、わたしには耳を傾けてくれない。
「スマホ、知らないんですか?普及してからもう何年も経ちますけど……」
「すまほ?」
駄目だ。話にならない。
ここまで来ると彼が言っている"新撰組"とか"土方歳三"とかに信憑性が出てきてしまう。
……あれ?
そういえば、昔教科書で見た土方歳三の写真に写ってた人とこの人、どことなく顔が似てるかも……。
「それをこっちに渡しなさい」
考え事をしていると、土方さんは警戒しながらスマホに手を伸ばしてきた。
「あっ、駄目です! 変な写真いっぱい入ってるから」
伸びてきた手から逃れた時、データフォルダにたくさん入っている写真達を思い出した。
今の日本はどういう感じか伝えるには写真がうってつけじゃないか。
信憑性もある。
私は見られたくない写真だけ別のフォルダに移し、最近撮った景色や食べ物の写真を姿勢良く座布団に座る土方さんに見せてみた。
「これ、新宿駅の前です」
「…………何だこれは」
横にスライドして次々に色んな写真を見せていくと、驚いた顔をしている土方さんは固まったまま動かなくなってしまった。
声が出ない、という様な感じだ。
この反応を見て、私はいい加減この状況を飲み込まないといけないんだなと強く感じた。
「土方さんは……何年生まれなんですか?」
「何ですかいきなり。1835年ですよ」
「1835年……」
サラリと言われた生まれ年。
背中に"誠"と書かれた、鮮やかな水色の隊服。
本物にしか見えない腰に据えた刀。
セットには見えない建物。
さっきいたちょんまげの人達。
こんなにハッキリとした意識があるのに、夢な訳がない。
私はスマホをそっと閉じ、大きく深呼吸をしながら目の前に座る土方さんの目を見た。
「今から私の言う事は全て真実です。嘘は一つも言いません。信じられないと思いますが、最後まで話を聞いてくれますか?」
私の真剣な表情にちゃんと気付いてくれた土方さんは、「分かりました」とだけ言って座布団の上で腕を組み直して姿勢を正した。
私が生まれ育った東京の街の事、どういう生活をして生きてきたかという事、ここに来るまでの過程の事、混乱すると思いながらも話せる事全てを土方さんに打ち明けた。
それを彼は黙ったまま聞き、時折小さく頷いてみせた。
「……つまりあなたは今から150年後の世界からここに来た。そういう事ですね?」
「……そう……ですね」
改めてそう言われると、私も信じられなくなってきた。
土方さんは腕を組んだまま私をじーっと見つめて固まっている。
説明したはいいけど、私はこれからどうしたらいいんだろう。
どうやってここに来たのか分からないのに、どうやって帰ったらいいかなんて検討もつかない。
「あ」
一通り話して落ち着いたら急激にお腹がすいて来てしまい、お腹が鳴りそうになったから力を入れて止めたはいいけど思わず声が出てしまった。
土方さんは私の声に素早く反応して、「どうしました?」と返してきた。
「……すみません。仕事の後すぐコンビニに行ったからご飯食べてなくて……」
「……腹が減ったのですね」
土方さんははぁ、とため息をついて、お腹を押さえながら恥ずかしがる私を横目にその場を立ち上がった。
木の戸棚の真ん中の引き出しから紙に包まれた物を取り出すと、再び座布団の上に腰を下ろした。
それを私の目の前で広げていく。
「これは?」
薄暗いのもあって、包装紙の中から現れた黒い物体がなんなのかハッキリ分からない。
首を傾げて問うと、土方さんは少しだけ口角を上げた。
「羊羹ですよ。あとで食べようと取っておいたんですがね、特別にお裾分けしてあげましょう」
「羊羹……! 幕末にもあるんだ」
和菓子好きな私にとって、羊羹はご馳走でしかない。
思いがけないご馳走に胸が踊り、こんな状況だと言うのに思わず笑顔になった。
土方さんは包装紙の上に付属されていた黒文字楊枝で羊羹をさっくりと切り落とし、それに刺してから手渡してくれた。
「本当に良いんですか?」
「ええ。高くつきますがね」
クスリと笑う土方さんを見て、ここに来てから初めて私は安堵を覚えた。
逃げ込んだ先がこの人の部屋で良かった。
もし違う場所だったら、こんな風に呑気に羊羹なんて食べてなかっただろう。
「いただきます」
黒文字楊枝に刺さった羊羹をぱくりと一口食べてみると、想像以上に甘くて少しびっくりした。
現代の洗練された羊羹に比べたらはっきり言って美味しくない。
美味しくないけど、私はこの一口だけで一気に疲れが取れて体の力が抜けたような気がした。
「美味しいです……」
「それは良かったです」
土方さんは二つ付属されていた黒文字楊枝の片方を手に取り、私にくれたのと同じくらいの大きさに切ってそれを口に含んだ。
羊羹が好きなのだろう。
さっきまでの怖い顔が和らいで、眉間の皺が緩和されたように見える。
そんなに好きな羊羹を土方さんは三分の一も私に譲ってくれて、食べ物の有り難みを噛み締めながら羊羹の糖分を体に行き渡らせた。

「……さてと」
羊羹を食べ終えてひと段落したあと、土方さんは座布団から立ち上がってその場で腕を組みながら私を見下ろした。
せっかく和らいだ表情がまた硬くなっている。
「最終確認をします」
「最終確認……?」
スマホを見せたり話をしたからと言って全部信じてもらえたなんて思ってないけど、土方さんの口から出た発言に私は耳を疑った。
凶器を隠し持っているかもしれないから、この場で服を全部脱げと言うのだ。
「正気ですか? 私、これでも女なんですけど……」
「まだ女と決まった訳じゃない。か弱い女を演じてる男かもしれないでしょう」
「なっ……! ちょっと、それは失礼なんじゃないですか?」
「失礼も何もない。こっちは命がかかってるんですよ。身の安全をしっかり確認できなければあなたを手助けする事はできません」
「そうですけど……」
「今の今まで痛い思いをしないで羊羹まで食せたのは誰のおかげか分かってるんですか?あなたは自身の立場を何か勘違いしているようだ」
「…………」
何も言い返せない。
土方歳三と言えば確か"鬼の副長"と呼ばれていたけど、まさにそうだなと強く思った。
私は歴史が凄く弱いから、土方歳三が新撰組副長って事くらいしか知らない。
こんな事になるなら苦手だからって投げ出さないでちゃんと勉強すれば良かった。
何か鍵になる事とかあったかもしれないのに。
「あなたが危険な物を持っていないと確認できないのであれば、この部屋から追い出します。屯所内には見廻りの隊士がいるし、門には常に二人の隊士が立っています。あなたがこの部屋を出たらその身がどうな……」
「わわわかりました!」
腹を決めよう。
服を脱いで命が助かるならやるしかない。
たかが服だ。命の重さと比べたら軽すぎて話にならないくらいだ。
私は着ていたスーツのジャケットをまず脱いで土方さんに手渡し、それを受け取った土方さんはジャケットのポケットに手を入れて何も入っていないか隅から隅まで確認し出した。
「これは何もなさそうですね」
その言葉を聞いた後に私は白いブラウスに手をかける。
中にキャミソールを着ているからまだ平常心を保ちながら脱ぐ事ができたけど、問題は次だ。
キャミソールを脱いだらブラジャーが見えてしまうし、スカートを脱いだらショーツが見えてしまう。
男の目の前で服を一枚ずつ脱いで、脱いだ服を目の前の男がベタベタと触っているなんて、一種の変態プレイにしか見えない。
「……この状況を利用して変な事をしようとしてるんじゃないんですか……?」
恐る恐る小声で言うと、土方さんの鋭い視線が私をグサグサと刺してきた。
「フッ、こんな状況で女性に性的な悪戯をしなきゃならない程飢えていませんよ。こっちだって面倒なんです、さっさと脱いで終わらせませんか」
……何だろう、この敗北感。
お前なんか相手にならない的な冷たい視線と冷めた口調。
この人は優しいのか冷たいのかよく分からない。
「変な事したらすぐに叫びますからね」
「好きにすれば良い。そんな事をしたら隊士が来て更にあなたの身が危険に晒されますがね」
「…………わかりました」
今さっき腹をくくった筈でしょ自分。
さっさと身の潔白を証明して、この人に助けてもらうんだ。
それに、中途半端にこの格好のままの方が恥ずかしい。
私はついにキャミソールに手をかけ、思い切り捲り上げて土方さんの目の前で勢いよく脱いだ。






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