離れる夜

「よう、繁盛してるか?」
店前に飾られた番傘をぱたぱた掃除していた時、後ろから聞き慣れた声が聞こえてきた。
浅葱色の羽織に身を包み、長い前髪を後ろで結っているこの人は、新撰組三番隊隊長の斎藤さん。
「こんにちは。最近雨が多かったおかげで大好評ですよ」
「なまえが看板娘だからってのもあると思うけどな」
うまいなぁ、なんて言って肩を叩くと、斎藤さんは白い歯を見せて笑った。
斎藤さんは最近新撰組に入隊したばかりらしいけど、凄い剣術らしくいきなり三番隊隊長に就任したとか。
見た目とは裏腹にとても優しくて人思いな斎藤さんは洛内で大人気。
今日も家の庭で採れた野菜を大量に持って、洛内で配り歩いているみたい。
今はちょうど出かけていないけど、斎藤さんは元々お妙さんと仲が良くて、よく日衣屋を利用してくれるらしい。
「えっ、こんなにいいんですか? ありがとうございます!」
大根、人参、玉ねぎなど、色々な野菜を両手いっぱいに掴んだ斎藤さんは、手のひらを広げた私の方へどっさりと乗せてくれた。
採れたばかりなんだろう。しっとりした土が野菜にまだ付着していて、それらの匂いが空腹な私を魅了した。
今日は野菜たっぷりのお味噌汁でも作ろうかな?
そんな事を考えてうっとりしていると、手の内から玉ねぎが一つ斎藤さんの足元の方へ転がり落ちてしまった。
「あっ、ごめんなさい」
拾った斎藤さんは手でぱたぱたと玉ねぎを叩いてから、私の目の前で積み重ねられた野菜の上にそっと置いて「ちょっと調子乗ってあげすぎたかもしれねぇな」と笑った。
低くて色気のこもった斎藤さんの声には、女性を虜にするパワーを秘めている。
私は土方さんに想いを寄せているから何ともないけれど、斎藤さんに恋をしている人はたくさんいるんじゃないかと思う。
この洛内にも、斎藤さんが住んでいるという伏見にも。
「斎藤さん、恋人はいないんですか?」
想いを寄せていないからこそ聞ける質問に斎藤さんはちょっとビックリしているようで、勘違いさせてしまったらどうしようと思ったけど、真に受けるタイプではないかなとも思った。
「いないんだ。今はちょっと色々忙しくてな」
「えー、本当ですか?」
冗談まじりでそう言うと、斎藤さんは「なまえこそどうなんだ?」と質問返しをしてきた。
「ふふ、どうだと思いますか?」
「おいおい、質問返しかよ」
お互いに深い意味など全くないと、話している私たちはちゃんと理解している。
だからこそこうして友達のようなノリで話していたのだけど、斎藤さんの向こう側に見えた浅葱色の羽織にドクンと心臓が大きく音を立てた。
もしかして――
「なぁに油売っとんねん」
「沖田の兄さん」
斎藤さんはゲッとした顔をした。
私も同じ気持ちではあったけど、隊服が目に入った時にもしかしたら土方さんかもと思った焦ってしまったから、沖田さんで良かったと安心している自分もいる。
別に何もないとはいえ勘違いされたら嫌だから、こうやって他の男の人と話しているところは見られたくない。
「沖田さんと永倉さん、お仕事中ですか?」
「せやで」
相変わらず血のついた隊服とギョロリとこっちを見る瞳は奇妙だし、必ず沖田さんの後ろにいる永倉さんはただ立っているだけで人を圧倒させている。
この二人の組み合わせなら怖いものなしなんじゃないかと思った。
「クック、なまえちゃんは本間に人気もんやなぁ。はじめちゃんもなまえちゃんの虜か?」
「……はじめ、さん?」
聞き覚えのある名前に、私は目を丸くさせながら斎藤さんを見上げた。
斎藤さん達は私の反応に「どうした?」と不思議そうな顔をしている。
「あの、人違いだったらすみません。もしかして……寺田屋で寝泊まりしてますか?」
「寺田屋? ああ、最近はずっとあそこで世話んなってるな」
それを聞いた私はとっさに出かけた言葉をごくんと飲み込んで、「私、おりょうちゃんと友達なんです」と言った。
前におりょうちゃんが傘を買っていってあげた、"はじめさん"という気になる人がまさか斎藤さんの事だったとは。
寺田屋にずっと居座っていると話していたから、人違いではないだろう。
思わず『おりょうちゃんの好きな人!』なんて声に出してしまいそうだったから、本当に危なかった。
「なんやねん、俺らは蚊帳の外かいな」
珍しく全然話に入れない沖田さんはわざとらしくいじけた態度を見せ、後ろで黙って見ていた永倉さんに「行くで」と声をかけてその場を去っていった。
思いがけない発見に胸がドキドキして落ち着かないでいるも、お客さんが来てしまったために斎藤さんは帰っていってしまった。
――こんな偶然あるんだ。
はじめさんが来たよ、と早くおりょうちゃんに話したくて仕方がない私はウズウズし、お妙さんが帰ってくるまでの時間がいつもの二倍くらい長く感じていた。









嫌な噂を耳にした。
長州藩と新撰組がやり合って数名の負傷者が出たらしい。
中には重症な隊士もいるらしく、江戸の町の空気はなんだか重苦しい。
何よりも怖いのは、ここ三日ほど土方さんが私の前に姿を現していない事だ。
一日空いて顔を出す事はあったものの、三日も会えなかったのはここに来てから初めてで戸惑いを隠せない。
土方さんの身に何かあったんじゃないか?
噂になっている重傷者はもしかしたら……
嫌な憶測が頭の中でぐるぐる周り、集中したいのに全く仕事に身が入らない。
それはお妙さんも同じなようで、「屯所に聞きに行ってみる?」と提案をしてくれた。
その時、新撰組である斎藤さんと繋がっているおりょうちゃんなら何か知っているかもしれないと思いつき、私は急ぎ足で寺田屋に向かった。

「はじめさんなら昨日帰ってきたよ。色々大変やったみたいやけど、重症なのは三番隊の隊士みたい」
――三番隊の隊士
そう聞いて、肩から荷が降りたような感覚がした。
死人が出たとは聞いていないし、重傷者が三番隊の隊士となれば、土方さんがもし怪我をしていたとしても最悪軽傷で済んだのだろう。
おりょうちゃんはいきなり新撰組の事を聞いてきた私に対して深くは聞かず、胸をなでおろしている私の背中をそっとさすってくれた。
きっともう、私の好きな人が新撰組にいるのだと感づいているのだろう。
仕事の途中だったからおりょうちゃんと少し話をした後はすぐに寺田屋を出て、ついでに頼まれていたおつかいを済ませてから洛内へ戻った。
四条通りへと繋がる道に出る直前。
――あ!
会いたいと思っていた人の姿が一瞬だけ目に入り、私は精いっぱい走って彼の後ろ姿を追いかける。
「土方さん!」
私の声にぴくりと反応があったものの、何故か土方さんはすぐに後ろを振り向いてはくれない。
土方さんのすぐ近くまで駆け寄ったらやっと私の方へ体を向けて顔を見せてくれた。
土方さんが無事だった。そう安心できたのも一瞬で、光を失ったような瞳と、いつもより少しだけ背中の曲がっている土方さんの姿に戸惑いを覚えた。
「怖い噂を聞いてずっと心配だったんです。土方さん、大丈夫でしたか?」
「……ええ」
元々低くて掠れた声ではあったけど、今日の声は一段と低いから聞き取りにくい。
しかも珍しく土方さんの方から目を逸らされてしまい、明らかに何かがあったであろう姿に唾を飲み込んだ。
服で見えないけれど、もしかしたら大きな怪我をしてしまっているのかもしれない。
「お妙さんも心配していたから、少し日衣屋に寄っていきませんか? 顔色悪いし、少し休んだ方が……」
「急いでいますから」
誘いをバッサリ断った土方さんは私に背を向け、壬生の方へと歩き出す。
引き止めたいのに、体が言う事を聞かない。
こんな風に土方さんに冷たくされたのは初めてで、どう対応すればいいのかわからなくなってしまった。
「……土方さん……」
不穏なオーラをまとった土方さんの背中を見つめて呟くも、それは曇り空へと消えて行くだけで。
彼の力になりたいとは思うものの、理由さえ聞けない力不足な自分が情けなくて泣きたくなった。









あれから二日が経った。
変わらず土方さんは私の前に姿を現さない。
お妙さんに土方さんの様子を伝えたら私を安心させるためか、「お仕事で疲れているんでしょう」と微笑んでくれるだけだった。
もし正解があるとしたらそれは"土方さんから会いに来てくれるまで大人しく待つ"だと思う。
土方さんは新撰組の副長なんだから、私なんかには分からない心身的にしんどい事が山ほどあるだろう。
そう分かっているのに、私は土方さんに何かしてあげたいという気持ちを押し殺す事ができない。
「なまえさんどこへ行くの?」
自分たちのお昼ご飯に作っていた梅干しのおにぎりを風呂敷に包んでいきなり立ち上がった私を見て、お妙さんは"もしかして"という気持ちを含んでいるような表情で見上げた。
「……土方さんの所へ行ってきます」
引き止められる前に出て行かねばと思った私は、それだけ言ってそそくさと家を後にする。
土方さんと偶然会った二日前と同じ、どんよりした曇り空。
天気は人の心を簡単に左右してしまうけど、それに負けないよう大きく息を吸い込んで背筋を伸ばす。
今まで支えてくれた土方さんを放っておくなんて私にはできない。
たとえ迷惑がられたとしても、せめて土方さんの事を支えたいという気持ちだけは伝えたいと強く思った。


「駄目だ。今日は帰れ」
「そんな……」
前に来た時は土方さんの名前を出したら通してくれたのに、今日は何を言っても断固として通してくれない。
長州藩との事があったからだろう。
やっぱり土方さんの方から店に出向いてくれるのを待つしかないのかもしれない。
そう思って屯所に背を向けようとした時、門の向こうから斎藤さんが歩いてくるのが見えた。
「なまえ、どうしたんだ?」
「斎藤さん……」
困った顔をした私を見た斎藤さんは心配そうに近づいてきて、「お前ら何を言ったんだ」と門番の人たちに睨みをきかす。
「すみません、私が土方さんに会いたいと無理を言って困らせていただけなんです」
「土方? 土方と知り合いなのか?」
「あ……はい」
「そうか。じゃあ案内してやる」
「いいんですか?!」
斎藤さんは門番の人たちに許可を取らず、こっちに来いと私に手招きをする。
門番の人たちの鋭い視線が痛いけど、それをかわすようにぺこっと軽く頭を下げて敷地内に足を踏み入れた。
「あの……自分で言うのもあれなんですけど、私の事そんなに信用して大丈夫なんですか?」
斎藤さんのあとを追いかけながら、背中に向かって話しかける。
「フッ、お前が色仕掛けで隊士を翻弄するような奴だとは思えないからな」
「色仕掛け?」
「なんだ、土方から聞いてるんじゃないのか」
話を聞いてみると、長州藩から工作員として多額の金を貰っていた女が新撰組の隊士に近付き、色仕掛けで情報を得て長州藩に流していたんだとか。
そのせいで新撰組の行動や計画が漏れて、重症者が出るほどのやり合いになってしまったみたい。
「そんな大変な事があったんですね……」
「ああ、斬られた三番隊の隊士は今も治療中で屯所内の空気はかなり悪い。なまえも土方に用事が済んだらすぐに帰った方がいい」
土方さんの部屋まで案内すると、斎藤さんはふすま越しに「土方、客だ」とだけ言ってその場を去っていった。
ごくん、と唾を飲み込む。
その場で立ったまま待っていると、目の前でふすまが半分ほど開いた。
「なまえさん?」
土方さんはかなり驚いた顔をしている。
「すみません、突然来てしまって。何日も会えてないから心配で……お妙さんもずっと気にしてたから……」
「……どうぞ」
追い返されたらどうしようかと思っていたけど、土方さんは私を中へ入れると座布団を出して座らせてくれた。
前に来た時と変わらず、土方さんの部屋は最低限のものしかなくスッキリしている。
向かいに腰を下ろすと彼はいつも通り腕を組んで正座をし、きゅっと唇を結んだ。
やっぱり空気は悪いままだ。
「斎藤さんから話は聞きました。土方さん、怪我はないですか? ずっと心配だったんです」
「ええ。私はかすり傷程度でなんとも」
「なら良かった……」
顔を見れただけでもホッとしたけど、怪我もないと知って更に安堵した。
私は土方さんに食べてもらおうと持ってきた物の存在を思い出し、風呂敷を広げておにぎりを手に取る。
「これ、梅干しのおにぎりです。良かったら食べてください」
そう言って差し出したけど、彼は難しい顔をしたままで、おにぎりに手を伸ばしてくれない。
重い雰囲気に居たたまれなくなって、私はすぐにおにぎりを風呂敷の上に戻した。
「色々大変で食欲なんてないですよね」
「……すみません」
一言謝るだけで、それ以上何も言ってくれず。
ここで何を言おうと彼の負担にしかならないと思った私は、風呂敷を結び直してその場を立ち上がった。
「土方さん、今夜何か予定はありますか?」
急に意気込んだ声で言われて驚いたのか、土方さんは眉間のシワを深くして私を見上げる。
「……いえ、何もありませんが……」
「じゃあ家に来てください! 待ってますから!」
強気に言って、逃げるように土方さんに背を向ける。
ふすまを勢いよく開けて部屋を後にしようとした時、ひとつ言い忘れていた事に気付く。
「お腹空かせてきてくださいね!」
ピシャッ!と強い音が廊下に響いた。
ちょっと閉めるのが強すぎたかもしれないけど、そんな小さいこと今はどうでもいい。







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