近づく夜

あんな誘い方じゃ来ないかもしれないと不安だったけれど、日が暮れて辺りが暗くなると扉を叩く音が聞こえた。
土方さんが来てくれた。
「変な噂が流れていたからとても心配したんですよ。無事で良かったわ」
「お妙さん……心配をおかけしてすみません」
お妙さんは土方さんの顔を見るとすごく安心した顔をして、「さ、中へ入って」と言って土方さんの背中を押した。
私はそんな二人をニコニコしながら眺めたあと、いい頃合いになったさつまいもの天ぷらを箸ですくい上げた。
お妙さんに誘導されて部屋の真ん中に座った土方さんは、何品も並べられた机の上を眺めて不思議そうな顔をする。
「何かめでたい事でもあったんですか?」
「うふふ」
揚げたての天ぷらを乗せたお皿を土方さんの前に置いたお妙さんは、楽しそうに笑いながら席についた。
続いて私は茹でたお蕎麦を持っていき、「お待たせしました」と言って真ん中に置いてから席につく。
「ではこれより、土方さんを労わる会を始めます。いただきまーす!」
「え? 何ですかそれは……」
「いいからいいから! 揚げたて食べましょう!」
ついて来れていない土方さんを無視して、私とお妙さんは出来立ての天ぷらや蕎麦、中条通りで買った漬物などを、土方さんのお皿にどんどん乗せていく。
剣を持たない女の私達には土方さんの思いは分からないけれど、こうやって暖かい食卓を作って労わってあげる事はできるんじゃないだろうか。
困惑した様子の土方さんだったけれど、土方さんの身にあった事には触れず最近あった面白かった話や美味しかった食べ物の話をして笑う私達を見てだんだん表情がやわらかくなってきた。
ご飯を食べたあとはみんなで銭湯へ行き、帰り道は甘酒を買って飲んで、帰ってからはお妙さんと私が交代で土方さんの体をマッサージ。
お妙さんが「そろそろ寝るから、あとは二人でごゆっくり」と布団を敷き始めると、私は片付けてぴかぴかになった二階へ土方さんを誘導した。


眩しいくらいの月明かりが、窓を全開にした二階の部屋中を照らす。
窓際に座る私達は自家製の梅酒を片手に月を眺め、久しぶりの二人きりにほんのり緊張感が漂っている。
「……お妙さん、土方さんに会えてすごく嬉しそうでしたね」
私がそう言うと、土方さんは少し困ったような顔で笑った。
「随分と心配をかけてしまったようで申し訳ないです。色々と立て込んでいたもので」
「あ……斎藤さんから少し話は聞きました」
土方さんの眉毛がぴくりと動いて、触れられたくない話題なんだと表情だけで分かった。
だけど何もなかった事にするなんて嫌だと思った私は、話を変えずに気まずい空気をぐっと堪える。
すると土方さんから口を開いた。
「……情けない話ですよ。たった一人の女に新撰組内が大混乱を起こして、重傷者まで出てしまうんですから。しかも未だにその女は行方知らず。ただでさえ屯所内の空気が悪いというのに隊士たちは疑心暗鬼になって互いの信用も怪しいものになっているんですよ」
「……まだ今も大変なんですね」
土方さんに元気が戻ったと思っていたけれど、その話をし始めるとみるみる瞳に力がなくなっていく。
手に持っていた梅酒の入った湯呑みを床に置くと、そのまま彼は俯いた。
「……許せないんです。あなたの事を疑ってしまった自分が」
「え?」
土方さんは目元に手を当てて深くため息を吐くと、そのまま動かなくなってしまう。
「私は他人に新撰組の機密情報など漏らしていないし、色仕掛けにあうような馬鹿ではない。しかし長州藩に情報が漏れていた事が発覚した時、一瞬だけあなたの事が頭をよぎってしまった。冷静になればありえない事なのに……一瞬でもなまえさんを疑ってしまった自分に嫌気がさしたんだ」
その姿は、まるで自分の罪を神父に告白している人の様だ。
ショックかと聞かれれば正直多少のショックはあるけれど、私が同じ立場だったら家族でさえ疑ってしまうかもしれない。
土方さんのように新撰組で上の立場にある人の責任感の重さなど、一般人の私には想像さえできない。
私は僅かに震える土方さんの手にそっと触れ、優しく包み込んだ。
「ずっと一人で色んな事を抱え込んで辛かったですね。もっと早く土方さんに会いに行けば良かった。私、土方さんに嫌われたのかもしれないなんてそんな事ばかり考えて……今まで沢山助けてくれたのに力になれなくてごめんなさい」
ぎゅっ、と握る手に力を入れる。
話していたら何だか私が泣きそうになってしまって潤んできた目元にも力を入れると、そんな私を見た土方さんの表情がふっ、とやわらいだ。
「何を言っているんですか。あなたには助けられてばかりですよ。なのに私はあなたを……」
「土方さん!」
少し強めに名前を呼ぶと、土方さんはピタリと動きを止める。
「もう謝るのはやめて下さい。私も謝るのはやめます。これからはもっと……楽しい話をしましょう。せっかく月が綺麗で梅酒も美味しいのにもったいないです」
「……そう、ですね……」
ばっさり話を切る私に目が点になった土方さんだったけれど、次の途端ぷっと息を吹き出して笑った。
「フフ……やはりあなたは強い人だ」
肩の荷が降りたのか、それから土方さんと私は数日間の穴を埋めるかのようにたくさん話をした。
難しくて読めなかった雨月物語を土方さんが優しく説明しながら朗読してくれた。
もうすぐ満月になりそうな月が明るく本を照らす。
またひとつ、一緒に楽しめる物が増えて喜びを感じた。
すぐ隣に座る土方さんの肩が時々触れる度、私は胸を高鳴らせた。


どのくらい時間が経ったのだろう。
会話が落ち着いてお互いに梅酒を口に含むと、自然と目が合ってくすりと笑った。

『土方さんといると心地良いな』

出かけた言葉を飲み込んだ時。
隣にいた土方さんが月を見上げながら独り言のように呟く。
「不思議な感覚だ……」
綺麗に生え揃ったまつげをゆっくり揺らして、優しい笑みを浮かべながらこちらを振り向いて。

「なまえさんといると心が安らぐ。ずっとあなたといられたら……そんな事を考えてしまう」

その言葉は、私の全身の力を奪って動かなくさせた。
心臓が、血液が、踊り出したかのように激しくドクドクと音を立てる。
少し肌寒かったはずなのに、私の体は勢い良く熱を帯びていく。
私の想いを……土方さんへの想いを、どうやったら止める事ができるというのだろうか。
時代を超えた恋心を消し去る方法は、一体誰が教えてくれるんだろうか。
「……すみません、少し酔っているようだ。もう遅いのでそろそろ帰ります」
「あ……」
うまく返事ができないでいる私を見て、困らせてしまったと思ったんだろう。
土方さんは「今日はありがとうございました」と言って立ち上がると、少し焦った足取りで階段を降りていってしまった。
心臓が忙しなく脈打っている私は追いかけるのをやめて、二階の窓から壬生の方へ歩いていく土方さんの後ろ姿を眺めながら自分を落ち着かせた。







「なまえさーん、歳ちゃんが来たわよ」
「はーい!」
二階にいた私をお妙さんが呼ぶ。
いつ来るかと待ちわびていた私は、鏡の前で前髪をささっと整えてから急ぎ足で裏口の扉へと向かう。
満月の明かりが、いつもの凛とした姿に戻った土方さんを美しく照らしている。
「こ、こんばんは……」
もじもじしながらそう言うと、土方さんはクスッと笑いながら挨拶を返した。
「本当は昼間に来たかったんですが立て込んでしまいまして。今忙しかったですか?」
「いえ、もう店の事とか色々終わってひと段落ついたので大丈夫です。上がってください」
中へ入ってお妙さんと少し立ち話をした後、私と土方さんは二階へと階段を登った。

この前と同様、窓際に座布団を敷いて座り、土方さんが来た時のために買っておいた羊羹を出した。
今日は満月だから月を見ながら食べようと土方さんが提案して、私達は自然と隣同士で座った。
肩が触れそうなくらい近くで。
「はい、暖かいお茶です」
羊羹と一緒に持ってきた急須から湯呑みにお茶を注いで、土方さんの前へ置いた。
「ありがとうござ……」
土方さんは驚いた表情で、包帯の巻かれた私の左手を取り、「どうしたんです?」と少しだけ声を荒げた。
「あ、いえ……今朝、番傘を作ってる時にちょっと切っちゃって……あの、全然大した事ないんですよ。お妙さんが大げさに包帯巻くから重症っぽく見えますけど」
私がへらへら笑いながら言うも、手の甲にぐるぐる巻いた包帯を見ながら土方さんは難しい顔をしたままだ。
余計な心配かけちゃって申し訳ないなと思う反面、土方さんに手を握られた事が嬉しくてこのままでいたいと思う自分もいて、私は唇をきゅっと結んで頬が赤くなるのをぐっと堪えた。
「本当に大丈夫なんですか?」
「本当です。それに、土方さんの傷に比べたらこんなの……」
時折見える、腕についた無数の傷。
新撰組副長の座にいる土方さんは数々の至難を乗り越えてきたんだろうと、戦のない平和な時代に暮らしていた私にでさえ分かる。
土方さんの体には見える傷だけじゃなくて、心にも沢山の傷を負っているんじゃないかなと想像しては一人胸を痛めた。
「私はいいんですよ。なまえさんに傷が付く方が私には耐えられない」
土方さんは包帯の巻かれた私の左手を両手でそっと包み込んでじっと手を見つめる。
次第に暖かい体温が包帯を通り越して伝わってきた。
二人の肩は密着しているけど、膝は触れそうで触れない微妙な距離。
彼の息遣いさえ聞こえる。
愛おしい時間。
「……この前の事なんですけど……」
私から話を切り出すと、土方さんは何の話だかちゃんと分かったのか少し照れ臭そうにこちらへ視線を寄越した。
彼の手に包まれた自身の手を見つめながら、私は秘めていた本音を口に出す。
「私も……土方さんと同じ気持ちです」
ほんの少しだけ、ぴくっ、と土方さんの手が反応した。
彼に気づかれないよう、静かに深呼吸してから顔を上げる。
そこでやっと、私達の視線は繋がった。
土方さんは何も言わない。
けれど優しい笑顔で私を見つめ、目を逸らさない。
「土方さん……」
ゆっくり、ゆっくりまぶたを下ろして、月に照らされた彼の白い肌が近づいて。
私も同じく、ゆっくりまぶたを閉じてゆく。
「私はずっと、土方さんのそ」























土方さん?



































ピピピピピピ――…………

「…………ん…………」
アラーム音と、カーテンの隙間から差し込む光の眩しさで目が覚めた。
重いまぶたを開いて、ベッドに手をつきながらゆっくり体を起こす。
部屋の時計は七時ちょうどを指している。
「仕事行きたくな……」
ボソリと独り言を呟いて、目をこすりながら洗面所へ歩き出した。

やけに長い夢を見たような気がするけど、内容をちっとも思い出せない。
割と夢の内容はハッキリ覚えてる方なんだけどな。
……まぁいいか、所詮夢だし。
そんな事よりも、今日は仕事のあと友達と飲みにいく約束してるからちゃんとメイクしなきゃ。
私は普段よりもメイクに力を入れて、眠気覚ましのコーヒーを一杯飲んでから自宅を後にした。





つづく


前の章へ / 次の章へ

[ 章一覧へ戻る ]
×
「#エロ」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -