秋の日はつるべ落とし

土方さんはお仕事が休みの度に私を色々な場所を連れ出してくれた。
伏見でお酒を飲んだり、将棋を教えてもらったり、浮世絵を見たり、散歩しながら花を見つけて俳句を詠んだり……。
知らない世界がたくさんありすぎて、私は今まで何であんなにボーっとしながら生きてきたんだろうと後悔してしまうほどだ。
今の生活は大変だしとても平凡なものだけど、それこそが"生きている"と強く私を実感させてくれた。





「羊羹? なまえちゃん、羊羹が好きなん?」
「えと……私じゃなくて、お妙さんが好きなんだ」
仕事が早く終わったから伏見まで歩き、おりょうちゃんの働く寺田屋に顔を出した。
羊羹の作り方を知りたい、と話す私におりょうちゃんは快く返事をしてくれて、お登勢さんの協力を得て寺田屋の台所を使わせてもらう事になった。

「あとはしっかり固まるまで一晩涼しい所に置いておくだけやね」
赤みのかかった濃い茶色の羊羹を竹筒に流し込んだあと、小豆の良い香りに手が伸びそうになるのをグッと堪える。
自分が食べる用にも別で作っておけばよかった。
「凄く難しいのかと思ってたけど、想像よりかは簡単だったかも。おりょうちゃん教えてくれてありがとう」
台所に並んだ竹筒を満足気に眺めている私に、おりょうちゃんはクスリと微笑んだ。
「彼、喜んでくれると良いね」
「え?! そ、そんなんじゃないよ? これはお妙さんに作ったもので……」
「はいはい、お妙さんね」
明らかに信じていない顔で返事をされたから腑に落ちないけど、おりょうちゃんになら話してもいいのかもしれないと思った。
口が軽い子だとは思えないし、おりょうちゃんも私と同じ片思いだから。
…………違う。
私は土方さんの事を好きではない。
好きになってはいけない。
これはただ、日頃の感謝を伝えたいから作っただけであって、恋心なんかじゃない。









休みの時は決まって黒い羽織を着ている土方さんが、洛内の方から歩いてくるのが見えた。
家を出る前に何度も鏡で身だしなみを確認したのに、前髪は変じゃないかな、など色々と不安になってきてしまう。
「お待たせしてすみません。では早速、祇園に行きましょうか」
四条大橋で待っていた私の前に立ち、橋の向こうにある祇園を指差してにこりと微笑んだ。
今日は前から約束していた祇園巡りの日。
伏見や洛内とは雰囲気の違う、美しくて大人な雰囲気の祇園にいつか足を踏み入れてみたいと以前から思っていた。
元の世界にいた頃は友人と京都旅行で祇園にも行ったことがあるけれど、あまり時間が取れなかったのもあって記憶が薄い。
石畳の道に足を踏み入れると、鮮やかな黄色の紅葉に目を奪われた。
それは正面の鴨川大社へと続いていて、周りにはお茶屋さんなど店が立ち並んでいる。
「綺麗……。はあ、写真撮りたかったなぁ」
電池の切れたスマホの事を思い出してため息をついたけど、もし電池が切れてなかったとしてもこんな場所で撮影はできないだろう。
隣で一緒に紅葉を眺める土方さんは、腕組みながらこちらへ顔を向けた。
「目に焼き付けておけば良いのでは? 私は今なまえさんと見たこの景色を、絶対に忘れませんよ」
この言葉にハッとした。
写真を投稿するSNSが大流行している世界に生きる若者は、写真を撮る事にとらわれすぎている。
少なくとも、私もその中の一人だ。
「……そうですね。目で見て、記憶に焼き付けて置く事が何よりも大切ですよね」
私がそう言うと土方さんはにこりと笑って頷き、「その心意気です」と行って歩き出した。
お昼時に待ち合わせした私たちはまず始めにご飯を食べるため、祇園の入り口付近にある"青葉"というお食事処へ足を踏み入れた。
豆腐が美味しいお店らしく、オススメされた湯豆腐や豆腐田楽を食べながら昼間からお酒を楽しむ事にした。
一時間くらいだろうか。本を読むのが好きだと言う土方さんのお話を聞いたり、この間一緒に見た浮世絵の話をしたりしてから、私たちは青葉を後にした。
それから鴨川大社に行って参拝をしたあと、土方さんは「そろそろ行きましょうか」と言って四条大橋の方へと体を向けてしまう。
「え……もう終わりですか? 私、あっちの方も行ってみたいです」
"祇園"と書かれた大きな赤いちょうちんがぶら下げられている門の方へ指を指すと、土方さんは眉根を寄せて気まずそうな顔をした。
「……そちらは何もありません。伏見に行った方が店もたくさんありますよ」
引き下がらない土方さんに違和感を感じた瞬間、自分はなんて馬鹿なんだろうとこの時やっと気付いた。
祇園といえば、この間沖田さんが新撰組のみんなで飲んだと話していたじゃないか。
"歳チャンにべったりやった花魁"と聞かされて不快な思いをしたはずなのに、何でそんな大事な事を忘れてしまっていたんだろう。
あの門の先へ進めばきっと、今で言うキャバクラなどの風俗があるに違いない。
だから土方さんは祇園に行きたがる私をここまでしか案内しないのだ。
「そうですよね、すみません。じゃあ伏見に行……」
その時、赤いちょうちんの奥から土方さんの名前を呼ぶ声が聞こえた。
声だけでも分かる美しく若い女の人が、嬉しそうな笑顔をこちらに向けている。
「吉乃さん」
私の気のせいじゃなければ、土方さんの表情がどこか気まずそう。
これはもしかして。
「ずっと待ってるのに来てくれへんから寂しかったんですよ」
吉乃さんという女性は上品に歩み寄り、周りが誤解を招くほどの近距離で土方さんの隣に立った。
そして私の方を向いたと思ったら、女にしか分からない嘘の笑顔をこちらへ向けた。
「あら、お邪魔だったかしら?」
「いえ……」
太陽光を浴びて光る艶髪、荒れ一つない卵のような白肌、ぷっくり女性らしい唇、派手な着物を着こなすスタイル抜群な体。
圧倒的な容姿の差に私は萎縮してしまい、それしか言葉にできない。
「土方さん、次はいつお店に足を運んでくれるん?」
ニコニコしながら見上げ、さりげなく土方さんの腕に手を添え始めた。
この人が沖田さんの言っていた、"歳チャンにべったりやった花魁"なのだろう。
この時ムダに女の勘が働いた。
珍しく困った顔をしている土方さんと、嬉しそうに笑みを浮かべている吉乃さんを、私はただ目の前で眺めているしかできず。
「あ、そうや。土方さんに渡したいものがあるから少し待ってて下さいな」
吉乃さんはなにかを思い出すと慌てて歩いてきた道を引き返した。
残された私と土方さんはどちらも口を開かず、重苦しい空気になってしまっている。
私たち、別に付き合ってないのに。
土方さんは何で何も言ってくれないんだろう。
やっぱりあの花魁と……そういう事をした仲なのだろうか。
数分で吉乃さんは私たちの元に戻り、着物に良く似た赤色の風呂敷に包まれたものを土方さんに手渡した。
「土方さん、羊羹がお好きでしょう? これ、なかなか手に入らへん絶品の羊羹どすえ」
"羊羹"と聞いた土方さんの目はパッと明るくなり、「ありがとう」と素直に風呂敷を受け取った。
その反面、私の胸は酷く痛む。
土方さんがお家まで送ってくれた時に渡そうと思っていた、おりょうちゃんに教えてもらって作った羊羹。
初めて作った、平凡な見た目で味の保証のない羊羹。
それがその高級羊羹に勝てるはずがない。
恥ずかしい。
「あのっ、私……用事思い出したので帰りますね」
今にも泣き出しそうな私の声は僅かに震えてしまったけど、そんな事を気にしてないで今すぐこの場から姿を消さなければ。
顔を見られたら、泣きそうなのがバレてしまう。
「なまえさん?」
突然走り出した私に驚いた土方さんの声が後方から聞こえたけど無視した。
それに続いてすぐ吉乃さんが土方さんを呼び、引き止めたのか土方さんが私の後を追ってくることはなかった。









今日は土方さんと会うから帰る頃には日が沈んでいるかもしれない、と伝えてあったから、二時間ほどで帰ってきた私を見てお妙さんは驚いた顔をしていた。
おまけに涙が頬を伝っているものだから、喧嘩でもしたのかと聞いてきた。
「ごめんなさい……何でもないんです……」
何でもないなんて通用するわけないけど、優しいお妙さんなら深くは聞いてこないだろう。
そう、とだけ言って私を見つめるお妙さんから目を逸らした先に、土方さんが家まで送ってくれた時にすぐ渡せるよう扉のすぐ近くに置いておいた羊羹を見つけた。
こんなもの、もういらない。
自分で消化するのも虚しすぎる。
吉乃さんが持っていた鮮やかで美しい風呂敷とは真逆とも言える、紺色の地味めな風呂敷に包まれた羊羹を荒々しく手に取ってお妙さんに向けた。
「え? これ、歳ちゃんに渡すんじゃ……」
「土方さんは羊羹が嫌いだったみたいです。私も好きじゃないから、お妙さんが食べてください」
半ば無理やり風呂敷をお妙さんに渡し、亡くなったお妙さんの旦那さんが残した遺品が大量に置いてある二階の部屋へ閉じこもった。
気晴らしに仕事をしようかと思ったけど、もしかしたら土方さんが日衣屋まで来るかもしれないから一階には降りたくない。
本当は誰かに話を聞いて欲しいけど、自分自身で抑えるのが精一杯なこの感情を人に話したら爆発してしまいそうだ。
"土方さんの事が好きなのね"
お妙さんもおりょうちゃんも、きっと口を揃えてこう言うだろう。
この気持ちを認めたらおしまいだ。
誤魔化しが効かなくなってしまうから。

ただボーっと過ごしているのも時間が無駄な気がして、亡くなった旦那さんの遺品に被ったホコリを取ったり床掃除をしたりして過ごしていたら、外が暗くなり始めたと思ったらあっという間に部屋は暗闇に包まれた。
今は紅葉の季節。
これから更に日が沈むのが早くなるだろう。
いつまでも部屋にこもっているわけにはいかないし、重い腰を上げて一階へ降りると、お妙さんは既に台所に立って夕飯の準備をしていた。
「二階にこもってごめんなさい。私も手伝います」
頭を下げてからお妙さんの隣に行くと、「じゃあこれをやってもらおうかしら」と微笑んでまな板の上に大根を置いた。
お妙さんはなんて優しいんだろう。
もしお妙さんみたいな人が母親だったら、子どもは素直で優しい子に育つんだろうなぁ。
「……お妙さんって、お子さんは……?」
デリケートな質問がついポロッと出てしまい、直後にすぐ後悔をした。
だけどお妙さんは嫌な顔一つせず、洗っていた野菜をまな板の横に置いた。
「いないのよ。本当は欲しかったんだけどねぇ……子どもは授かりものだから」
いつも通り目尻をくしゃっとさせながら笑っているけど、どこか寂しげに見えたのは気のせいじゃないだろう。
質問しておきながらなんて返していいかわからない私は沈黙してしまう。
そんな中、お妙さんは口を開いた。
「私ね、女の子が欲しかったの。だから今こうしてあなたと暮らしているのが楽しいわ。ありがとうね、なまえさん」
隣に立っているお妙さんは肩で私の体をとんっ、と突いた。
少し照れたような、可愛らしい動き。
「そんな……お礼を言うのは私の方です。こんなに良くしてもらってるのに私、仕事もしないで二階に引きこもったりして……」
思わず涙が溢れそうになるのを、下唇を噛んでグッと堪える。
そんな私の腕を、今度はそっと撫でてくれた。
「何言ってるの。あなた、今日はお休みだったんだから仕事の事は気にしないでいいのよ」
優しい言葉に声が震えてしまいそうだ。
暖かいお妙さんの手のひらが腕から離れ、くすくすと笑いながら言った。
「娘と恋の話をするのが夢なんだけど、それは少し先の楽しみにしておくわね」
「……お妙さん!」
顔を赤く染めながら慌てる私を見て、お妙さんは確信したに違いない。
私が恋する乙女だと。








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