2. harassment

ヴーヴー……
ガラステーブルの上で携帯のバイブが鈍い音を立てて鳴り響き、その音で目が覚めた。
「……ん……」
電気の消えている暗い部屋の中、携帯の灯りを頼りに手を伸ばす。
ディスプレイには"着信 大吾さん"と表示されていた。
私、あれからすぐ家に帰ってシャワー浴びたらそのまま寝ちゃったんだ……。
最悪な出来事を思い出してしまい、寝起きから酷く嫌な気分になってしまう。
いつもなら大吾さんからの電話に飛び跳ねるほど喜ぶのに、今は出るのかどうか迷ってしまっている。
どんな態度を取ればいいかわからないから。

出るか悩んでいたら先に携帯のバイブが鳴り止み、大人しくなった携帯は明かりを失った。
再び部屋が暗闇に戻る。
「切れちゃった……」
出なかった事を少し後悔しているとまたすぐに画面が明るくなって、また電話が来たのかと思ったら今度はメールだった。
『寝てたか? 夜中に電話してすまない』
それを見たら涙が溢れて来た。
携帯を握りしめてベッドに倒れこむ。
「大吾さん……会いたい……」
会いたいけど、会うのが怖い。
三日間嫌でも会えないのは、ある意味タイミングが良かったかもしれない。
あんな事があった後に何食わぬ顔で大吾さんに会える訳がない。
メールを返したらきっとまた電話が来るだろう。
そう思った私は返信したい気持ちをグッと堪え、携帯を枕元に置いて再び布団に潜り込んだ。









結局風邪を引いて寝込んでいる事にして、翌朝メールを返して電話は折り返さなかった。
凄く心配してくれたから良心が痛んだけど、とにかく今は頭の中を整理したい。
――何であんな事になってしまったのか。
最後は腹が立ちすぎて大吾さんとは絶対に別れません宣言しちゃったし……いや、そもそも別れるつもりはないからいいんだけど。
でもあの人の考えている事が全然分からないから、今後どんな嫌がらせを受けるのかと思うと怖い。
キャバの事も、大吾さんの部屋での事も、どれもバラされたくない。
ていうかこんな呑気にしているけど、バラされない保証なんてないよね?
私達の事別れさせたい訳だし……。
「はぁ」
そんな事ばかり考えて頭を悩ませていたら、あっという間に大吾さんが帰って来る日になってしまった。
仕事が終わって会社を出ると、ちょうど鞄の中から携帯のバイブの振動が腕に伝わってきた。
"大吾さん"と大きく画面に出ているのを見て少し戸惑ったけど、出ない訳にはいかない。
勇気を出していつも通りのトーンで電話に出ると、普段と変わらない優しい大吾さんの声が聞こえてきた。
「なまえ、体調はどうだ? さっき大阪から帰ってきたんだ」
「お帰りなさい。一時的なものだったみたいですぐ元気になりました。心配かけてすみません……」
「そうか、それなら安心した。季節の変わり目だから今後も気をつけるんだぞ」
「はい」
声はいつも通りだけどもしかしたら平然を装ってるだけで、既に全部筒抜けになってるかもしれない。
いつあの話題を振られるかドキドキしていたら、大吾さんの方から今から会えないかと誘ってきた。
承諾すると、大吾さんの嬉しそうに笑った声が電話越しから伝わってきた。
思わず口元が緩みそうになる。
「そうだ。前に俺の家まで送ってくれた峯という男を覚えているか? 俺の兄弟分だと話した奴なんだが」
突然の"峯"というワードに心臓が強く脈打ち、驚きすぎて声がうまく出せなかった。
「……あ……その……、はい」
「実は今、峯といるんだ。前からなまえの事はちゃんと紹介しておきたいと思っていたから、なまえが良ければ今から三人で食事しないか?」
"三人で食事"
こんな最悪な事があっていいのだろうか。
嬉しそうに話す大吾さんのこの感じだと幸いまだあの事は伝わってないみたいだけど、私を紹介した所でますます峯さんの怒りを煽る事になるだろう。
だからと言って先に会えると言ってしまったから、どう断ればいいのかわからない。
「……はい。大丈夫です」
もう、そう言うしかなかった。
「良かった。今仕事帰りか? なまえの会社の近くの店にいるんだ」
話を聞くと二人がいる場所は、私の会社から歩いて十分くらいの中華料理店だった。
心を決めて行くしかない。
ポーチから手鏡を取り出してメイクのチェックをし、深呼吸をしてから二人がいる中華料理店に向かった。









店内に入ってみると想像していたより遥かに高級な内装で、二人がこの店を選んだ理由がわかった気がする。
席は完全個室になっているらしく、店員さんは私を一番奥の個室へと案内してくれた。
店員さんが重そうな扉を開くと、私の恋人、大吾さんの姿が目に入った。
「なまえ」
笑顔で名前を呼びながら立ち上がった彼は私の元に寄り、背中側に回って薄手のコートを脱がせてくれた。
しまいには鞄まで持ってくれて、スマートな対応に少し照れてしまう。
私を席に案内して座らせると、大吾さんは再び元の席に戻った。
「仕事疲れただろう。好きなだけ食べていいからな」
目の前には中華料理屋によくある大きな回転テーブルがあって、大吾さんは私の斜め左の席に座っている。
そして私の斜め右側には、もう二度と姿を見たくないと思っていた峯さんの姿があった。
「峯、前にも会ったが改めて。こちらは俺の恋人のみょうじなまえさんだ」
私も峯さんもペコリと頭を下げ、丁寧に挨拶を交える。
「なまえ、この前会った時に話したが、コイツは俺の兄弟分の峯義孝だ。峯にはいつも助けられてるんだ。な、峯?」
「それは俺の方ですよ」
峯さんは大吾さんの言葉にフッと笑みを浮かべて、嬉しそうな顔をしている。
大吾さんと話す峯さんを見て、『この人、自分の事を"俺"なんて言うんだ』と思った。
「なまえさん、大吾さんからはよく貴方のお話聞いてます。どれも惚気ばかりですけどね」
「なっ、惚気てるつもりはないんだが……」
峯さんの言葉に大吾さんは慌てながら照れている。
私といない時も私の事を考えてくれてて嬉しいと思う反面、余計な事をその人に話さないでよ……とも思った。
「まぁそれは置いといて、とりあえず乾杯と行くか」
その話題から逃げたいのか大吾さんは仕切り直してそう言うと、私達は心地良い音を立てながらグラスを合わせた。
そして、最悪な食事会が始まった。




これでもかというくらい料理が次々とテーブルの上に並べられていく。
他愛のない話をしながら、「俺がやるから座っていい」「いいんです、私がやります」という会話を間に挟んで、最終的に私が三人分に取り分けていった。
それを見た峯さんが一言。
「とても手際が良いですね」
側から見たら褒めているように聞こえるこの台詞は、私にとって嫌味にしか聞こえない。
「そんな事ないですよ」
そんな事思ってない癖に、と思いながら、峯さんの言葉を笑顔で受け流した。
そのまま終わるかと思いきや、峯さんは話を続ける。
「見ているとなまえさんは聞き上手だ。それに手際も良い。もしなまえさんがキャバクラで働いたら売れっ子になるのではないでしょうか」
"キャバクラ"というワードに脳が過剰反応し、箸で掴もうとしていた小籠包がつるんとお皿の中へ戻っていった。
恐る恐る峯さんの方へ目をやると、お酒を飲みながらこちらを見ている。
してやったりな笑顔で。
「そんな事ないですよ〜……」
笑顔でやんわり否定するも、今の私はすごい顔が引きつっていると思う。
今度は大吾さんの方に恐る恐る視線を向けた。
「ハハッ、そうかもな。なまえは美人だし、確かに売れっ子になりそうだ。まぁ、キャバクラなんて俺が許さないけどな」
峯さんの発言をちゃんと冗談として受け取っている大吾さんだけど、私にとって最後の言葉は怖くて堪らなかった。
きっと、あれは本心だ。
そりゃあ彼女がキャバクラで働くなんて誰だって嫌だろうし、彼女の過去にそういう経歴があったら少なからず嫌な気持ちになるとは思うけど、それに関して大吾さんは特に嫌みたい。
「なまえさんはキャバクラで働いた経験はないんですか?」
話を逸らしたいのに、峯さんは追い討ちをかけるように私に話を振ってくる。
「……はい、ないです」
ハッキリ本人の前で嘘を貫くのは辛いところだけど、ここでわざわざ認めるほど馬鹿ではない。
今はそう言うしかない。
すると今度は大吾さんが口を開いた。
「峯はそんなになまえをキャバクラで働かせたいのか? もしそうなったら俺より峯の方がなまえの売り上げに貢献したりしてな」
笑いながら話を広げようとする大吾さんをなんとか止めないといけない。
「あはは、峯さんが私なんかに貢ぐわけないじゃないですかー! ほら、冷めちゃう前に食べましょう。小籠包は熱々な方が美味しいですよ」
明るくそう言うと、「そうだな、食べよう」と言って大吾さんも箸を進めてくれた。
会話を遮断する事に成功して胸を撫で下ろしていると、右斜め方向からチクリと視線の矢が頭に刺さった気がした。
睨みつけているかと思いきや峯さんは口元に笑みを浮かべ、どことなく余裕そうな表情をしている。
まだまだこれからだ、とでも言いたいのだろう。
負けるもんか。
そう思った私は満面の笑顔で「峯さんも召し上がってください」と言い、すぐに視線を大吾さんの方へ戻した。



食べている料理の感想や好きなお酒など、無難な話をしながら食事は進んでいき、そろそろ食べ終わるという頃。
大吾さんがバイブで震えている携帯をポケットから取り出した。
「毎度すまない……仕事の電話なんだ。少し出てくる」
「大丈夫ですよ」
大吾さんは申し訳なさそうに席を立ち、足早に私達のいる個室から出て行った。
本当は全然大丈夫じゃない。
なんでこの人と二人きりにならないといけないんだろう。
無言のままお酒の入ったグラスに口をつけ、室内に飾られている絵画や置物を眺めて必死に気まずさから気を逸らした。
そんな重い空気を引き裂くかのように、峯さんが口を開いた。
「大吾さんにいつバラされるかヒヤヒヤしてこの数日間は眠れなかったんじゃないですか?」
声を掛けられたから仕方なく峯さんの方へ視線を向ける。
想像通りの誇らしげな表情が、私の中から怒りを引き出した。
「残念ながらよく眠れました」
強気にそう返すと、「それは良かったです」と特に気にする様子もなく話を続けてきた。
「大吾さんが何故キャバクラ嬢を嫌うか理由は知ってますか?」
「……いえ」
それは私が前から気になっていた事だった。
なんか嫌な思い出があるんだろうなとは思っていたけど、明確な理由は知らない。
峯さんは全部知っている様子だ。
この人から聞くのは負けた気がして悔しいけど、本人から聞く勇気は持ち合わせていない。
すると峯さんは意外にもあっさりその理由を教えてくれた。
「大吾さんは以前接待で行ったキャバクラで出会った女性と付き合ってたんですよ。彼女は今の貴方のように会える時間が少なく寂しい思いをしていたんでしょう。結局彼女は客と浮気して、大吾さんは振られてしまいました」
「……そう、だったんですか……」
そういう事だったんだ。
浮気されて振られたんじゃあ、トラウマになるのもしょうがない気がする。
「器が大きい大吾さんでもさすがにショックだったんでしょう。その反動ですかね、貴方のような地味で大人しそうな女を選んだのは」
出た、その嫌味な言い方。
ある意味いつも通りで期待を裏切らないけど。
「本当に失礼な人ですね。それに大吾さんの過去を勝手にペラペラと話すなんて、部下としてどうかしてると思いますよ」
峯さんは私の強気な発言にフッと笑い、残り少ないお酒を一気に喉へ流し込んだ。
「大吾さんなら一日キャバクラで働いた事なんて普通に許してくれると思いますが、何をそんなに気にしてるんですか? 暴露したらどうです。まぁ、大吾さんの家で俺に指でイかされた事は許してくれると思いませんが」
あの最悪な日の出来事が蘇る。
この場に大吾さんはいないとは言えいつ電話が終わって戻ってくるかわからないから、この話題を普通のボリュームで口にされて焦ってしまう。
「その話はやめてください」
だからと言ってどうしたらこの人を止められるかなんて分からなくて、私はただ『やめて』と言うしかできない。
すると峯さんはポケットに手を突っ込み、見覚えのある小さな機械をポ取り出して私に見せつけてきた。
スイッチの所に指を添えている。
あれは、あの日に見た盗聴器だった。
ニヤリと笑みを浮かべる峯さんを見て私は瞬時に最悪の展開を想像した。
『大吾さんの家での音声も録音されていたのかもしれない』
もしそうだとしたら、この部屋で再生されるのだけは絶対に止めなくてはいけない。
何も言わずに笑みを浮かべただけの峯さんが持っている盗聴器をどうにかしなくては、と言う気持ちだけが先走り、席を勢い良く立ち上がった事で手元にあった飲みかけのスープを派手にこぼしてしまった。
「熱っ」
今日は大阪から大吾さんが帰ってくる日だから、いつ会っても大丈夫な様にお気に入りの服を着ていたのに、それが無残にもスープで台無しになってしまう。
それにまだ冷めていないスープが熱い。
火傷するほどではなかったけど、服よりも先にスープのかかった手の甲をお手拭きで拭った。
「火傷は大丈夫ですか?」
冷静に声をかけてくる峯さんに苛立ちを隠せず、「話しかけないでください!」と声を荒げながら言い返してしまう。
手を拭いた後、おしぼりでどうにかシミにならない様に頑張って服を拭いていると、電話を終えた大吾さんが個室に戻ってきた。
「なまえ? どうしたんだ?!」
汚れた私の服と倒れているスープの器を見た大吾さんは状況を把握したらしく、すぐに店員さんを呼んでくれた。
すぐ駆けつけた店員さんが片付けをしてくれて、私はひたすら頭を下げて謝った。
「ごめんなさい……」
店員さんが個室から出た後、今度は大吾さんに向かって深く頭を下げながら謝罪をした。
「何言ってんだ。火傷がなくて安心したよ」
大吾さんはハンガーにかけてあったジャケットを私の背中に被せて、峯さんの前だという事をまるで気にせず手を握ってきた。
「早くしないとシミになっちまう。ホテルに行って着替えてすぐにクリーニングに出そう。峯、悪いが支払いは済ませておくからゆっくりして行ってくれ」
「わかりました」
そう言うと大吾さんは私の手を引いて、扉の方へ向かって歩き出した。
私はもう峯さんの顔を見たくなくて、一度も振り返らずに中華料理屋をあとにした。









服を着替えてシャワーを浴びている間に大吾さんが汚れた服をホテルのクリーニングに出してきてくれた。
通常より高い金額を払えば、数時間でクリーニングをしてくれるサービスがあるみたい。
バスローブを着てシャワーから出ると、部屋の隅で外の景色を眺めながら大吾さんはタバコを吸っていた。
「本当にすみませんでした……せっかくの食事の場を台無しにしてしまって……」
「気にするな。そんな事より火傷とか怪我がなくて安心したよ」
吸っていたタバコを灰皿に押し当てて消すと、大吾さんは優しく私の事を抱きしめてくれた。
抱き締められるのは少しだけ久しぶりだったから、それだけで嬉しくて堪らない。
「峯がいたから言えなかったが、ずっとなまえに会いたかった。体調は本当に大丈夫なのか?」
体調が悪いと嘘をついていたからチクリと胸が痛んだけど、それはうまく交わすしかない。
それより大吾さんに抱き締められた事で一気にこれまでの緊張が解け、安心した私の体はみるみる力が抜けていく。
「大丈夫です……私も会いたかった」
背中に腕を回して抱き締め返すと、あやすかのように頭をよしよしと撫でてくれた。
大きくて暖かい、優しい手。
ベッドの中でこれをやられると、私はいつもすぐ眠りについてしまう。
「峯はとっつきにくい所があるから少し心配だったが、楽しく食事ができて良かった。ありがとな、なまえ」
大吾さんの腕の中でコクリと頷きながら、心の中では『楽しいどころか最悪でしたけど』なんて叫んでいた。
でも、あの出来事がバレずに済んだから良かった。
大吾さんの腕の中の暖かさを堪能していると、頭上から優しくキスが降りてきた。
何度かキスを交わすと、大吾さんは私の顔を見てニッコリと微笑んだ。
予想外の言葉に、私の体は固まってしまう。
「今日は最後バタバタしちまったからな、次は三人でゆっくり酒でも飲むか」
「……そう、ですね……」
私は峯さんの嫌がらせからうまく逃れられる事ができるのだろうか。
次もあると知った食事会にゲンナリしながらも、今夜は大吾さんの温もりを堪能する事に集中したい。そう思った。







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