イブニング・エメラルド | ナノ


▼ 02.さよならゲームの世界

 隠密行動とは、こんなにも疲れるものなのか。
 岩場の影から、村を覗けば、白い壁の民家や、教会が遠くに見えた。だだっ広い砂浜を、人目につかずに、更に家が密集する場所を抜けて村の外へ。抜き足差し足どころじゃない。レムオルがなければ厳しいくらいだ。しかしそれを、俺はやり遂げたのだ。
 どうしてか、村人は誰も外に出ていなかったのだ。夕飯の準備時だからだろうか。男たちは漁に出、女は家事。それならば、多少は納得できる。いらぬ考察であれこれ不審がるより、幸運と考えておいた方が良さそうだ。
 そうして、忍者気分でフィッシュベルを後にし、向かう先は謎の神殿。本当に、ここはエスタード島らしい。一面、緑が広がっている。俺の住む場所は程々に都会で、そして程々に田舎であったから、こんなに多くの植物を一度に見たことがなかった。あまり、遺跡に近付く者はいないのだろう。グランエスタードの方へは、人が通り、草のはげた道が見受けられたが、反対は鬱蒼とした森に近かった。平凡な現代人としては、一人で踏み入るには少し勇気が要るくらい。物語後期ではなさそうだから、魔物の心配はないとしても、丸腰で突破できるものなのか。
(つっても、やるしかないんだけどさあ)
 あまり長く、その場に留まりたくなかった。さっさと、とにかく人目につかないところへ隠れなければならない。駆け足で突っ切っていけば、案外すんなりと進んで行けた。足元にさえ、気を付ければ、割とどうってことないかもしれない。
 駆け足に疲れ、ペースを落としたところで少し開けた場所に出る。薄くもやのかかった、ゲームで見た、遺跡。
 実際に見てみると、思いの外ボロだった。柱は折れ、薄暗く、全体的に古ぼけたイメージだったが、それでも。積まれた石材は数えきれないくらい欠けているし、伸び放題のツタや雑草が、ある意味での厳かさを醸し出していた。確かに、普通ならこんなところ、立ち入らないだろう。
 脳内マップを広げ、内部への入り口を探る。ゲーム画面から覗けば上も下も、道が直ぐにわかるのだが、落とされてしまえば同じような景色、ちょっとした迷路のようだった。
 そして見つけたそれはいかにも重そうな石の蓋。雑に閉めたのか完全には塞がれていないが、本当に動くのか、これ。蓋を手の付け根で押してみるが、動かない。ならばと体重をかけ、ほんの少しの隙間に足をひっかけて踏ん張る。ずりずりと音を立てて、ようやっと動き出した。すべて開けてしまわなければ、入ることもままならない。全力で蓋をずらしにかかる。これは、俺が非力なのか、本当に蓋が重いだけなのか。オープニングでは、そこまで重そうな蓋ではなかったはずなのに。
 蓋をずらし終え、梯子に足をかける。冷たい風が吹き上げてきて、ぞっとした。ここの高低差は、よく知っている。落ちたら、それはもう大変なことになる。誰がこんなところに梯子かけたんだよ。そう思わずにはいられなかった。
 そのまま下ると、ひんやりとした空気に満ちた空間。ごつごつした壁と壁が、行く先を一本、導いている。
 あまり物怖じせずに進めたのは、何故だろうか。目標物が近い、というのと、身の危険をさほど感じている訳でもないから、といったところか。薄暗いが足元はきちんと見える。確実に歩んでいけた。
 かなりの距離を進んだ先に、開かれた扉が見えた。嗅いだことのない、不思議な香りが微かに漂っている。七色の入り江だろうか。そのまま進むと、右手の頭上を覆う岩がぽっかりとなくなり、光が差していた。先程目にしたフィッシュベルの海とはまた違った美しさの、自ずから輝きを主張する神秘的な水。これが、七色の入り江。名の通り七色に輝き、暗くなりだした空もお構いなしに、その静かで儚げな美しさを、さも当然といったふうにすましている。
 SNS映えしそうな景色だ。記念に、七色のしずくを少し持ち帰りたいところだが、液体を保存できるようなものは所持していない。
 その景色だけをありがたく目に焼き付け、更に奥へと進む。もう、目の前にあるのだ。
 開け放たれた扉。此処は、ゲームの進行度により解放されていない可能性があった。それを打ち消されたことについて、少し嬉しく思った。この世界にアルスが、キーファが、居るのだと。そして、冒険への一歩はもう、踏み出したのだと。
 その扉の向こうに、一言では形容し難い色の渦が、ゆっくりと、ただ渦巻いていた。白っぽくて、銀色のようで、青みがかっている。この渦こそ、旅の扉。ドラクエ名物、とある場所からとある場所へと、離れたところを繋ぎ合う、名の通りの不思議な仕掛けだ。
 これに身を投げると、不快感も伴うという声も少なくないが、プレイヤーで実際に経験した者はいないだろう。つまり、俺が第一号となる訳だ。ぐるぐる回る遊園地のコーヒーカップアトラクションみたいなものだろう。恐らく。
 そもそも、不快感云々ですくんでいる場合ではない。俺は、この世界のエラーに等しい。正常な自浄作用が働けば、俺はこの世界から放り出されて、元の世界へ帰れるかもしれないのだ。それを期待し、ここまでやって来た。
 ひとつの心残りといえば、アルスやキーファを生で見てみたかった。君たちの冒険は素晴らしいものになるよ、と伝えてみたかった。叶うことはないだろうが。
 躊躇うことはない。意を決し、右足を突っ込んだ。せめて神殿内部には繋げないでくれよな。それじゃあ、意味、ないから。
(さよならゲームの世界)
 引きずられるように、渦に吸収されてゆく。奇妙な感覚が全身を歪める。最初に投じた右足から、腕が、腹が、頭が、内臓が。すべてがよじれる感覚。上下左右すらわからない。ただぐにゃぐにゃにした無重力空間を、さまよった。
「っ、気持ち悪っうぅ、おぇぇ」
 地に足がついたと思った途端、踏ん張りきれず崩れ落ちた。小さな段差があったらしい。そこをごろごろと転がって、びたん! と何かにぶつかり止まる。
「ぅう、っ、おぇ」
 あまりの気持ち悪さに、えずいてしまう。幸いにも、しばらく何も口にしていない。出るものはなさそうだ。
 しかし、なんだ、あれは。噂以上ではないか。あんなもの、二度と通過するものか。
 ぶつけた背中も痛む。目を開ければ薄暗い、部屋のようだ。四方は壁に囲まれている。真ん中には、今しがた通ってきたであろう旅の扉が、何事もなかったかのように、渦を巻いていた。
(成功……な訳、ないよな)
 転げた瞬間に悟ってはいたのだ、直視しなかっただけで。
 明らかに、神殿内部へと通じてしまった。ならばここは、青い祠の中。只、旅の扉が一切の融通をきかせずに仕事をしただけだ。
(ああ、おしまいだ)
 寝転げたまま、渦を眺め思う。今日の寝床は。これからの、生活は。不意に残してきてしまった、家は。親父は? 学校は? もう、戻れないのだろうか。一生、此処で、暮らしてゆかなければならないのだろうか。
 考えが巡ると、涙がこぼれた。嫌だ。いくらゲームが好きとはいえ、現実世界から切り離されているから良いのだ。誰も、意識を持っていこうとはしても、身体なんて持っていこうとしていなかったじゃないか。あまりにも、ひどい。誰がこんなこと、しやがったんだ。
 こんな歳になって、家に帰れない、と泣いてしまう日が来るなんて、誰が想像したろうか。寂しさより、悲しさが大半を占めていた。とにかく悲しくて仕方ない。全てを置いてくる覚悟を、決める間もなくこちらへ、なんて事。まあ、そんな覚悟なんて、いくら時間を貰おうとできるはずもないが。とにかく、世界のバグが俺をこうしたんだ。世界の理を知らない俺は、誰を恨めばいいのかわからない。だから、とりあえず、立ち上がった。
 腹に抱えた吐き気とまだ揺れる視界。祠の扉を押し開けた。
 大きな広間に出る。涙を拭い、鼻をすすると、その音が微かに反響した。
 ここも、知っていた。床に、世界地図を象った刻印だかが、浮かぶ不思議な部屋。炎、大地、水、風のそれぞれの祠を見回してみても、それぞれ、祠の炎が灯っていない。水を除いて。つまり、アルスやキーファの旅はまだまだ序盤だと言えるだろう。
 その事実に、ひとつ、ため息が出た。ある程度の、身の振り方を想像しておけるから。まだ、予断は許されないが。
 となれば、石版を調べてみるべきだ。より詳細に進行を把握できる。先ずは、一番最初の冒険の地であるウッドパルナへ通じる黄色の石版の台座。
 しんとした空気の中、隣の部屋に移動し、見えたものに、また、ため息が出た。これこそ、物語の核とも呼べる聖なる部屋。そんな解釈をしているのは俺くらいのものかもしれないが、俺はこの台座が佇むこの部屋を、プレイしながら、とても良いものだと思っていた。昂る気持ちを、石版と共にここに持ち寄り、昇華させる。そんなところ。
 いくつかは、ただただ来るものを待つだけの台座。ひとつだけ、うっすらと光を放つものが。寄って、覗き込んでみれば、そこはウッドパルナへ通じるものだとわかった。
 つまり、ここに居るか、攻略が済んだかのどちらかなのだろう。恐らく。
 確実にしっぽは掴めぬまま、次は赤の台座の部屋。エンゴウだ。もう一度、祠の部屋を通り抜け反対側の部屋に足を運ぶ。
 そこには石版が揃った台座はひとつもなかった。どれも、アルスらを待っているように見えた。静かに、その場に座り込む。
 これだけで、かなりの現状が把握できた。次はフィッシュベルかグランエスタードに赴きそれとなく情報を集めるべきか。いや、それをするのならウッドパルナが現在に出現したことをこの目で見、聞き、確認してからでないとまずいか。ここに足を踏み入れた際、外は夕暮れだった。今はもう、いい時間だろう。今からでも無理はないが、きついか。少し、眠気に支配されそうだ。座り込んだのも、なんとなく、うとうとしてしまっているから。
 とにかく、早くしなければ。ここに、キャラクターが、来る、前に。
 そんなことを思いながらも、どうやら俺はそのまま赤の台座の部屋で眠りに落ちてしまったらしい。

20171017

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