イブニング・エメラルド | ナノ


▼ 01.トリップ!

 一段と大きな波の音で、意識が浮上した。目を瞑っているはずなのに、やたらと眩しい。ざあ、ざざあ、と遠のくでもなく、近寄るでもないその音を、ずっとずっと聞いていたような気がした。
 今、横になっているらしい。潮の香りもする。目を開ける前に、光を遮ろうと腕を上げると、肩のあたりが、く、と独特の感触を伴って沈んだ。遮るのは後回しにして、てのひらを下に向けて、腕を重力に任せ落とす。さくり、と優しい音を立てて落ちた先の感触。ゆっくりと左右に動かして確かめる。砂だ。
 何故、自分は砂の上で寝ているのか。何かの拍子に眠ってしまったらしいことは間違いないが、またどうして砂の上に。
 その辺の広場や公園のように、砂の下に直ぐ地面を感じない。砂だけを、てのひらいっぱいに掴んでしまえるくらいには、恐らくあるだろう。さっきから途切れることのない波の音も。つまり、じゃあ、砂浜か。
 家から最短の海水浴場や砂浜、海。それらに関連するものを思い出そうとしてみたが、できなかった。海なんて、近所にない。近所どころじゃない。車か電車を使っても、かなりかかるはずだ。
 ゆっくりと身体を起こし、目を開くと、そこには一面の海が広がっていた。
(うわあ……)
 本当に、目の前に海が広がっていた。傾きかけた陽がきらきらと反射している。空の色も相まって、一枚の絵画にでもできそうな、とてもきれいな海。この滅多に見ることのない景色を楽しみ、どうせならソーダ片手にぼんやりと眺めたりしたいものだが、そうもいくまい。目の前に海が広がっているという事実。見て見ぬふりをしてきた大きな不安が、ごうっと襲い掛かってきた。感動したいのに、その意思に反して、あまりにもきれいすぎる景色への感動と不安は反比例する。
 ここは、どこだ。俺はなんでこんなところにいる。思い出せ、何をしていたか。
 思い返せ。近々はどうか知らないが、今までの記憶はあるらしい。生い立ちや身分、友達の名前や住所は、思い出すことができた。じゃあ、今日、何をしていた?
 朝、起きた。遅刻気味だったから、急いで身支度を整え弁当も作らないままに家を出た。駅までの道のりに、唯一前を通る寂れたコンビニで昼飯と紅茶を買ったことは覚えている。適当に授業を受けて、友達の誘いも適当に断り帰宅して手を伸ばしたのはゲーム。今時遅れたPSだ。ディスクは挿入済み、その世界へ入るのが楽しみで仕方なかった。
 プレイするのは、かの有名なドラゴンクエスト。中でも賛否の分かれるドラゴンクエストZだ。俺はこれが大好きで、久しく手をつけていなかったにも関わらず、およそ一週間前にふとパッケージが目について始めてから、どっぷりだ。攻略本も、小説も再び読み漁った。ドラゴンクエストZに関しては、ほぼ無敵と言ってもいい状態だったと思う。
 そんな俺はリメイク版よりも、PS版の古くさい感じが、好きだった。リメイク版も購入はしたものの、一度プレイしたきりだ。
 壊れかけのPS。うまくやらないとひっかかって、それでも圧をかけるとバキッと嫌な音がする電源ボタン。正確に真ん中をゆっくり押してやることが大切なそれを、カッシャン、と押し込んで、色の褪せたリモコンを握る。テレビの画面が、真っ白になって、何だったか、オレンジ色のアイコンのようなものが表示されるはずなのに、目に飛び込んでくる白がきつくなって。光っている、というより白で周囲が塗り固められたようなふうになって、思わず目を覆った。
 ああ、そこからだ。そこから、今に繋がるのだ。恐らく。じゃあ、何だってんだ。トリップしたって、いうのか。ゲームの向こうの世界に。そして、あるじゃないか、素晴らしい海のある、すべてのはじまりの場所が。
 あまりに突飛な話だが、とりあえず、そういうことにしておけばいい。
 ここは、フィッシュベルだ。
 理解させようとその事実を脳に訴えかけてみるものの、薄っぺらい文字が揺れるだけ。息がつまる。今までに感じたことのない苦しさが、喉を締め上げた。そのくせ身体は宙に放り出されたような、拠り所のなさを感じる。なんせありえないことに直面しているのだ。鼓動があからさまに早くなる。
 どうにか逃れようと、決心して立ち上がり、周囲を見回しながら、着たままの制服についた砂を払う。閉塞感は感じないものの、左右は岩場。ごつごつとした茶色い岩が景色を遮っている。本当にフィッシュベルならば、北に洞穴があるはずだ。確かめてみるしか、選択肢はなかった。
 海辺なんて、ほぼ初めてに等しい。見誤れば、また面倒なことになるし、見分けられる自信はなかった。しかしそれでも、何か確信が欲しかった。フィッシュベルでないなら、せめて国内で。そして、せめてポケットの中の財布の中身で帰れる距離の場所であって欲しい。しかし、今から確かめるのは、フィッシュベルか、否かなのだ。そうであれば、身の振り方をよく考えなければならない。特に、不用意に人に見つかったりするのは相当まずい。そうでなければ、逆に積極的に人に声をかけここが何処かを問わねばならない。
 振り返り、一歩を踏んだところで気付く。ご丁寧に、愛用のショートブーツが、履かされている。いよいよ、いたずらの類ではなさそうだ。愛用だけに、かなりぼろぼろ。4センチだけ上げ底なのは、皆には内緒の、黒いショートブーツ。ご苦労なことだ。
せめて、この間バイト代をはたいて買った、おろしてすらいない新品のブランドスニーカーの方を履かせてくれればよかったのに。初期装備。そんな言葉が脳内を過った。不親切だ。
 さっさと見つけたかったのだけれど、砂の上って、こんなに歩きにくいのか。足をとられる。いつもより足が重く感じる。心の中で舌打ちをして、悪い気分を背負いながら歩いた。
 案外すぐに、穴を見つける。人が入れる大きさの。微かに冷たい風がそこから流れていた。
 まさかな。そう思いつつも、意を決して中へと進んだ。ひんやりした空気で満たされていて、この時間だと陽の加減で殆ど光が入ってこない、辛うじて手を伸ばした先が見えるか見えないかの、薄暗いところだった。ゲームのマップ通りならそこまで広くはないだろうが、あまり奥に入ってしまうと、何も見えなくなり危険だ。適当なところで引き返そう。
 ツボとタルが、あったはずだ。その奥に一人では開けられない石の蓋。修理中の船へと繋がる。明かりも人手もないから、ツボやタルを確認した時点で、一度出るべきだ。そして今一度考えよう。そう決めた瞬間、爪先がこつんと何かに当たる。タルだ。目をこらせば、ずらりとそれらが並んでいる。
 ああ、まじか。ここって、フィッシュベルなんだ。頭がくらくらしてきた。後退れば、びちゃん、と水がはねる音。水溜まりでも踏んだか。洞穴にむうっと満ちた慣れない潮の香りも、不調に拍車をかけそうで。振り返り、出口のオレンジ色の光に向かって駆けた。
「はぁ……」
 外の空気を吸うと、大きなため息に変わった。力が抜け、その場にへたりこんでしまう。
「まいったな……」
 端から軽く考えていたわけではないけれど、それでも。どうすればいい、俺は。
 そういえば、時間軸は? それすらも把握していないことに気付き、どの事柄においても判断材料が少なすぎると痛感する。
 主人公らが幼少期にあたる時期なら。旅の中盤なら。オルゴデミーラ討伐後なら。どれにしても、その時期によって自分のとるべき行動が大きく左右されることは間違いなかった。神殿の謎さえ解かれていない時間軸に置かれた場合、島の人間でない者が突然現れたとなれば、一大事だ。状況が掴めるまでは、誰にも見つかってはいけない。
 ああすれば、こうすれば。いや、これからとるべき行動は。どうしようもない考えがぐるぐるとまわって、まわって……。
(……まわる? ぐるぐる?)
 ああ、あるじゃないか、可能性が。ぐるぐるしている、あれが、この世界には。それに身を投げれば、何かの拍子に戻ることだってできるかもしれない。
 そこに、行ってみる他、選択肢は思いつかなかった。

20171013

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