翌朝、日曜日。
俺も姉も、まるで何事もなかったかのように健やかに目覚めた。
…まぁ、俺は貧血みたいな感覚だったし、寝たら治る。と思っていたのだが、
姉の方の怪我や、高熱さえも治してしまったお狐さまの力には畏れ入る…。
「…? ねぇ、諒くん…。」
「おはよう、姉さん。具合はどう?」
「うん…、元気。…でも私、昨日怪我したような気がしたんだけど…。」
「お狐さまが治して下さったんだよ。」
「え…!? じゃ、じゃあ、またお礼にお参りにいかないと…。」
「…うん。でも、念のために今日は休んでおけって、父さんが。」
「そっかぁ…。じゃ、また今度だね…。」
「そうだね。」
昼過ぎになって、二階堂先輩が訪ねてきた。
俺も姉も傍から見ると完全に元気で、念のために休む程度のものだったので、両親は先輩を追い返しはしなかったが、かといって何ができるわけでもないので少し困った…。
俺と姉は玄関に出て、先輩を迎える。
…一応姉には部屋にいるように言ったが、大丈夫だからと言って俺についてきてしまった。
「いらっしゃい。」
「どうも。…昨日は、その…悪かった。」
俺達に向かって謝る先輩は、いろいろな意味で緊張しながら謝る。
「気にしないで。それよりも二階堂君、今日日曜日だよ? 部活はどうしたの?」
「…休んだ。」
「そうなんだ。もう治ったのに…。心配性なんだね、二階堂君って。…ありがとう。」
そう言って、姉は先輩に微笑みかける。先輩は、やはりというか何というか、俯いてしまった。
…ここまでくると、先輩が気の毒だ。…まぁ、ほんの少し愉快な気持ちも味わっているわけだが。
「…おい。」
つい緩んでしまう頬をどうにか抑えようとしていると、先輩に咎められてしまった。
「あ、はい。すみません。」
俺は素直に謝るが、姉は全くその意味を理解していないようで、不思議そうな顔をしている。
「まったく…。」
先輩はそんな俺達を見て、残念そうとも、呆れているともとれる溜息をついた。
…と、先輩が俺達以外の人物が来たことにも気付き、挨拶をした。
「こんにちは。」
「いらっしゃい。」
母だった。…先程からの会話が漏れ聞こえていたらしく、どこか微笑ましそうにしている。
「…昨日はお騒がせしてしまい、申し訳ありませんでした。」
「いいえ。お気になさらず。」
母はあくまでにこにことしているので、先輩は気まずそうにしている…。
ほんの少しの沈黙の後、母が口を開いた。
「…二階堂さん、と仰ったかしら?」
「…はい。」
「少し、お話があるのだけど。いいかしら?」
「は、はい。」
何の話だろう? まさか、昨日の事で何かあるのだろうか。
「…母さん?」――俺は気になって尋ねてみる。
「諒。…昨日の事ではないから、安心して。」
「そっか…。分かった。」
母は、恐らく客室に向かったのだろう。二階堂先輩も、母に続いた。
俺と姉は、とりあえず自室に戻る…。
…。何の話をしているのだろう。気になる。
が、俺達は呼ばれなかったのだから、聞くのは少し憚られる…。
自室に戻り、暫くは何をするでもなくぼんやりと過ごしていたが、ふと見ると
母が俺と姉を心配して部屋に置いていったスポーツ飲料が空になっていることに気付いた。
「姉さん、喉乾かない? 俺、新しいの貰ってこようか? ――姉さん?」
姉に声をかけたのだが、返事がない。…姉の様子をうかがうと、何故か窓の外をぼんやりと眺めていた。
「…姉さん、どうしたの? やっぱり調子悪いの…?」
「…え? ………あ、ごめん。何?」
近づいて声をかけると、やっと返事をした。
「…俺、何か飲み物貰ってくるから。」
「あ…うん、ありがとう。」
…いつもにこやかにしている姉の微笑みも、どこか弱弱しく見える。やはり調子が優れないのだろうか…?
俺は、スポーツ飲料を取りに台所へ向かった…。
台所に行くには、構造上、客間の横を通らなければならない。
そのため、立ち聞きするつもりはなかったのだが、母と先輩の会話が耳に入ってしまった。
「…昨日は、あのようなことが起こりましたが…。これからもあの子たちの事を、よろしくお願いします。」
「いや…俺は、…ご迷惑をおかけしてばかりで…」
「そう仰るけれど、あのような突然の事態にも、あなたはあまり驚かずに対処していましたから。なかなかできることではないと思います。」
「いえ…そんな。特に何をしていたわけでもありませんし…。」
「突然あのような出来事に見舞われても、逃げ出さなかったのですから、それだけでも凄いことです。それを常にしているはずの私達でさえ、少なからず惑ってしまったのですから。」
「……………。」
「諒は…、家ではあまり感情を顔に出さない子です…。でも、先程の様子からすると、それは家でだけのようなので…。きっと、つらい思いもたくさんさせているのだと思います。」
「…。」
「宵夢も、私に似てどこかしっかりしない子ですし、…心配で。」
「ええ…。」
「ですから、お願いです。…これからも、あの子たちのことを、支えてあげてください。」
「……。………ご期待に添えるよう、尽力します。」
「…ありがとう。……突然こんなお願いをして、ごめんなさいね。」
「いえ…。」
俺は、少しばかり反省する。これからはあまり、心配をかけないようにしないとな。
反省を胸に刻んだところで、俺は気を取り直し、母を呼んだ。
「母さん、少しいいかな?」
「…ああ、諒。何?」
部屋の外から声をかけると、がらりと襖が開き、母が出てくる。
「スポーツドリンク、切れちゃってさ。…新しいの、もうなかったっけ?」
「ああ…。ちょっと、ごめんなさいね。――お話、もう終わったから、後は諒に任せるわね。」
母は、先輩と俺に声をかけ、台所へ向かった。
ちらりと見えた先輩の横顔は、神妙な面持ちで畳を見つめていた。
俺は、それを見なかったことにして、スポーツドリンクを手に、客間に顔を出した。
「…先輩。」
「あ、ああ。」――姉と同じように、声をかけられて初めて、俺に気付いたようだ。
「…姉さんなら、自室にいますよ。」
――あくまで、見舞いにきたのならもう少し顔を見て行けという意味で、俺は努めて冷静に声をかけた。
「…おい、やめろそれ。」
「え。」――…が、やはり頬が緩んでいたらしい。早速咎められてしまった。
「…まったく。」
――立ち上がり、俺を追い越して、姉と俺の自室に向かおうとする先輩。やはり、もう少し顔が見たいらしいな。
「…。すみません、つい顔に出てしまって。…これでも努力してるんですよ?」
「………一向に改められているように見えないのだが?」――じろり、と睨まれる。
「尚一層に尽力します…。」
先輩に射すくめられた俺の笑いは、すぐに苦笑いへと変わった。