第18話 齟齬

-irreal-

俺と二階堂先輩とで、姉のいる自室に戻る。
「姉さん。二階堂先輩の話、終わったみたいだったよ。」――そう言いながら、俺は台所から持ってきたスポーツ飲料を机の上に置いた。

「邪魔するぞ。 …? どうかしたのか?」
姉に向かって声をかけた先輩は、続いて不思議そうに声をかけた。

先輩の声につられるようにして、俺も姉の様子を窺う。
――何やら窓の外の一点をぼんやりと眺めている姉の様子が目に入った。

「…姉さん、どうしたの? 具合悪い?」
姉は、俺の声にはっと我に返り、こちらを向いた。

「あ…。ううん、何でもない。…二階堂君。いらっしゃい。」
「あ、ああ…。」――挨拶を返された先輩は心配そうに頷いた。

「…。具合が悪いなら、寝てないと駄目だよ?」
「うん…。心配かけてごめんね。」

…そう言いつつ、まだどこかぼんやりとした表情の姉。それを、心配そうに見つめる俺と先輩。
一体、どうしたというのだろう。

「何かあったの?」
「うーん…。」

「俺達で良ければ、話を聞くが。」
「…実はね…。不思議な夢を見たの。」

「夢?」
少し意外な答えに、若干戸惑いながらも話を促す俺。先輩は、ふむ、とでも言いそうな表情で、相変わらず姉を見ている。

「うん。ほら、…昔お祖母様がお話してくださった話みたいな…。」
「…………そんなのあったっけ…?」

「諒くんはまだ小さかったから、覚えていなくても無理はないけど…。」
「…ごめん。」

「具体的には、どういう話だ?」
そもそも家に伝わる話すら知るはずのない先輩が尋ねるが、果たして先輩に知られてしまっても良い類の話だろうか?
しかし、既に狐にも顔を合わせている以上、完全に部外者ともいえないし…、と俺は悩み、とりあえず、姉が続きを話すのを聞くことにした。

「あれは…きっと、昔の夢なの…。」
「昔の…?」

「昔、私が陰陽師さまだった頃の…。」
――昔っていうと、小さい頃とかの夢か? と思っていた俺の思索は、姉のこの言葉によってぶつりと途絶えてしまった。

「何…!?」
「何か思い出したの…!?」
俺と先輩は揃って目を丸くする。

「全部じゃないけど…。」
どこか不安そうな顔で、姉は俺の言葉を肯定した。

「………。」
「何を、思い出したの…?」

俺の言葉に、不安そうな顔のまま俯き、少し考える姉。…そして。
「………。あまり喋ると、お狐さまが快く思わないかもしれないから、言えない。ごめんね。」

「そっか…。」
「……。」

どちらともなく訪れる沈黙。何か声を掛けようと思うのだが、何も思いつかない…。
その結果、部屋を包み込む沈黙は重苦しいものになっていたのだが、それを破ったのは姉だった。

「…分かってると思うけど、このことは誰にも言わないでね。」
「…。父さんにも?」

「うん。」
「…………。」――腑に落ちない。

先輩も同様に思っていたのか、俺の代わりのように姉に反論した。
「…詳しい話を知らない俺が言うのも何だが…、俺は、言った方が良いと思うぞ。……何か力になってくださるかもしれないだろう。」

「駄目。」
…姉にしては、きっぱりとした返事。…明確な理由があるようだ。

「何故だ?」
俺と同じくらい不満げな表情をした先輩が尋ねる。その眼差しを少々後ろめたく感じているのだろう、少し哀しそうに――しかし、目を逸らさず視線を受け止め、姉は答えた。

「二階堂君や、諒くんであっても伝えてはいけないことだ…と、“私”が強く思うから。…伝えてしまったら、もしかしたらお狐さまが凄くお怒りになるかもしれない。
だって、…今まで昔の話を、お狐さまの方からお話しくださったことなんか、ないもの…。きっと、誰にも知られたくないことなのよ。だから、誤った伝承が家に伝わっても、それを正さなかった…。現に今も、誤りを正そうとはなさっていないでしょう?」

――伝承に誤りがある…? もしそれが本当なら、狐にとっては不快極まりないことだろう。…どこがどう誤っているのかは知る由もないが…。
姉の言葉に驚いた俺は、思わず絶句してしまう。…が、姉は尚も続けた。

「『昔のことはどうでもいい』と仰っていたけど、それは“私”が忘れていたことだったから。…もし、初めから憶えていたなら、…そしてもし、お狐さまが“私”を恨んでいたなら、……少なくとも私は、今ここにはいないはず…。」
「………………。」

俺と先輩は、揃って沈黙するより他にない。確かに、…もし、姉が初めから“陰陽師”だったとしたら…。一体どうなっていたのか、想像さえしたくない。
――姉は、言葉を少し置いてから、息をつき、続ける。

「私が思い出したのは、ほんの一部のことなの。…私には、陰陽師さまとお狐さまの関係がまだよく分からないから…、もし私が思い出した内容を話して、他の誰かに危害が及んでしまったら、取り返しがつかないから…。だから、これ以上はまだ、私が勝手に話していいことじゃないと思って…。」

「…そっか…。分かった、誰にも言わない。」
姉の見た夢の内容はとても気になるが、そういうことなら、これ以上尋ねるのも、誰かに話すのもやめておいた方がいいだろう。

「……。ああ、俺もだ。」
ほんの少しの間を置いて、二階堂先輩も納得したようだ。

「ありがとう。…ごめんね。」
「いや、気にしないで。」

まだ少し考え込んでいるかのような表情の先輩だったが、今度は別の心配に行きあたったようで、長く息をつきながら、懸念を口にした。
「…しかし、それを当の狐にまで隠しておけるかは、危ういものだと思うが…。」

そういえば、そうだ。もし仮に今何も知らなくても、狐は勘が鋭いから、すぐに気付くだろう…。姉も、様子を窺うにその事は覚悟しているようだが。
「…。そうね。だから、近いうちにお狐さまがお出でになると思う。」

「…。」
「…昨日のことでお礼に行かなきゃと思っていたけど、それどころじゃなくなりそうね…。」

「…しかし…、それなら、なぜ宵夢さんが倒れている間に、陰陽師とやらの記憶を消してしまわなかったんだ?」
「それは…、分からない。」

確かにそうすれば手っ取り早いだろう。…臭いものに蓋の原理になってしまうかもしれないが。
「…。単に、気付いていなかったのかも。もしくは…、お狐さまは、姉さんの治療をしてお帰りになる時、疲れたと仰っていたから…、解ってはいたけど、姉さんの記憶にまで手を出す力がなかったんじゃない?」――あくまで俺の推論だが。

「……そうだったの…。」
「ああ、そうだったな…。」
2人は納得したようだ。…こんな予想でいいんだろうか…。まぁ、実際のところは分からないのだから、仕方ないが。


「…。ごめんね、こんな話しちゃって。せっかくお見舞いに来てくれたのに。」
姉は、少し苦しそうだが、一応は笑って、先輩に言った。

「いや、いい。…その、元気そうで良かった。」
こちらも同様に、少し苦しそうに、言った。

一応は笑い合っている二人をよそに、俺は苦笑していた…。ひょっとして今俺、邪魔かな?
ここは気を遣って部屋から退出することにしよう。

「…あ、俺、先輩の分の飲み物取ってく…」
「…おい、変な気遣いはいいぞ。」

速攻でばれた。…まぁ、確かに、先程取りに行ったばかりの飲み物をだしにするのはまずかったが。
…分かっているなら黙っていればいいのに、と思ったが、止められてしまった以上、留まるより仕方がない。

すごすごと元の場所に戻ると、先輩が寄ってきて、俺にだけ聞こえるように小声で言った。
「…というか、この状況でよくそんな思考に至るな、お前は!」

「何言ってるんです、こんな状況だからでしょう。」
分かってないなぁ、とばかりに俺は言うが、先輩は相変わらず状況が飲み込めていないらしい。

「は…?」
「…。姉さんがもしこのまま“陰陽師”になってしまったら、どうするつもりなんですか?」

「…………………。」
――思いの外、長い沈黙。このことには考えが至っていなかったらしい。少し意外だった。

とりあえず。断られたのだから、茶化しておくことにしよう。
「…まぁ、今の状態の姉さんは放っておけないですし、させませんけどね、そういうことは。」

「…どっちなんだお前は…。」
明らかに落胆した声で先輩は言う。…今かよ。と突っ込みたくなるが、我慢だ。

「あれ? 期待してました?」――俺は、したり顔で先輩を軽く小突く。
「…。変な奴だな…。」――呆れ顔で溜息をつく先輩。貴方の返答如何では、退出したんですがね。
…こういうところが俺の『変な』ところなのは分かっているのだが。

「…? 何? 何の話?」
ひとり、話題に交じれていない姉の不思議そうな声が届く。

「いや、何でもないよ姉さん。…ほら、一応横になってないと。」――俺は、できるだけさり気なく話を逸らす。
「え、ああ、うん…。」――姉は素直に、俺の言葉に従った。

「じゃあ、俺もそろそろお暇する。…顔も見れたことだしな。」
「あ、うん…。ごめんね、二階堂君。ありがとう。」

「ああ。」
姉の言葉に素っ気なく返事をすると、先輩は玄関へと向かった。

「俺、見送ってくるよ。」
「うん。お願いね。」

ひらひら、と軽く手を振る姉。
その表情は、まだどことなく不安げだった。

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