第6話 狐の社

-irreal-

しばらくして、社に辿りついた。社は随分と古びていて、思ったより小さなものだった。社の後方には森が広がっており、薄暗くて少々不気味な雰囲気がする。
鳥居をくぐって社に辿りつくまでの参道には何か細いものを挿すための台があり、そこには古びた風車が挿さっていた。 恐らく両親が昔挿したものなのだろう。…相当古びているので、最近挿されたものではなさそうだ。

なぜ風車を挿すのかという理由は、もちろん伝承に基づいたものだ。
伝承によれば、怒り狂った狐を鎮めたのは、半分妖怪の血を引く人間で、狐と陰陽師の子とされる人物であった。その者が、狐を鎮める際に「風車は風が吹かねば回らない。人間もそれは同じで、神が見守らなければ死神に取り憑かれ破滅するのみだ。あなたがそれを忘れぬように、私達人間はあなたに風車を捧げましょう」と言ったことに由来している。

風車を捧げることを信仰の証とし、それを捧げる者には祟りが降りかかることはないという。…生憎、俺はその逸話を今の今まで忘れていたが。
覚えていたなら、絶対に姉に風車を持たせたのに…。姉も姉で、出かける前に「準備をする」と言っていたからひょっとしたら持っているのかも、と一瞬期待したが、その表情を見るに、姉もどうやら忘れていたらしい。

忘れてしまったものは仕方がないと諦めたのか、姉は社に向かい、普段よりもさらに礼儀正しく念入りに参拝している。
俺は、念のために面の紐を強く締め直し、姉が参拝しているのを横目で見ながら、辺りを警戒していた。

辺りは静まり返っている。時折、社の周りの木々がざわめく音がするだけだ。
…と、幽かに枝が折れる音がしたような気がした。…例えるなら、地面に落ちている小枝を踏んでしまったときのような…

森か? と思い森の方を凝視していると、先程まで影も形も見当たらなかったのに、いつの間にかそこには女性の姿があった。そして、彼女は俺たちの姿を確認すると、表情を変えぬまま、こちらに向かって歩きだした。
…赤い着物を着た、ウェーブのかかった短髪の黒髪を持つ女性だ。俺たちより少し年上くらいに見える。…そして彼女は、面をつけていて姿が見えなくなっているはずの俺を凝視している…。

まさか、姿が見えないというのには期限があるとかで、それが切れたとか? …いや、それにしては姉がこちらに何も反応を示していないし、やはり姿は消せたままなのだろう。
その前に、ほとんど何も前触れもなく突然着物姿の女性が現れるというのは不可解が過ぎる。…まさか、こいつがこの社の神なのか…?

俺がその考えに至った瞬間、無表情だった彼女はまるで「そうだ」と答えるかのようににこりと、…いや、にやりと笑った。
本当に狐なら、面の効果が通じないのも無理はない。恐らくこの面を授けたのは、彼女か、その伴侶の陰陽師なのだから。

まさか、本当に現れるとは思ってもみなかった。…しかも狐は、俺に向けていた笑みを打ち消すと同時に今度は姉を凝視している…。
参拝を終え、礼拝を終えた姉もその視線に気付いて、彼女を見た。姉は彼女を見て、何故かとても嬉しそうな顔になっている。…大方、あの伝承は本当だったのかと喜んでいるのだろう。

そうこうしているうちに、狐は俺たち――正確には姉の――前に立った。
そして、今度はにこりと微笑むと、言った。

「久しぶりの客やと思ったら。…よう来てくれたな」

…関西弁だ。…そういえば、関西の方には稲荷神社の総本山がある。それにちなんだものなのか、それともそこと、ことさら縁が深いのか。
どちらでも構わないが、とにかく彼女はさも当たり前であるかのように関西弁を用いている。

「あっ、あの…! 失礼なことをお伺いするようですが、あなたがこのお社の神様ですか?」
「せや。あんたらの両親と違うて、あんたら姉弟は行動が早いなぁ。思い立ったら即行動! って感じや。…早いこと挨拶来てくれて、ほんま、おおきに」

やっぱり本当にあったお話なんだ…! とでも言わんばかりに嬉しそうな顔をしながら狐と話をする姉。
…おい、あんまりその態度を露骨にすると信仰してないと思われるぞ姉さん…

思いがけない出来事に冷や冷やしていると、したり顔をした狐がこちらを一瞬ちらりと見て、言った。
「あ、そや。…せっかく来たんやし、良かったら上がっていくか?」

――どこに!? 異界とかにか!?
その言葉に焦る俺を見て更ににやりと笑う狐。…まんまと乗せられている気がするが冗談ではない!

その言葉に、是非! とでも言いそうな姉が口を開く前に、狐は更に続けた。
「…なぁんてな。じょーだんや! またおいでな。…なんやったら、今度はあんたの弟も連れてくるとええ。悪いようにはせぇへんから」
笑顔のまま、彼女はそう言った。…陰陽師の生まれ変わりである姉に対してもごく普通に接しているのだから、恐らくその言葉は本当なのだろう。

「え、ほ、本当ですか?」――狐とは対照的に、姉は不安そうな顔で尋ねる。
…いや待て、俺が密かながらにこの場にいるからかもしれない…。一体どういうつもりなのだろう? と考えていたが、そんな俺を密かに横目に見ていた狐は、笑顔のまま言い切った。

「ほんまや。…うちのことを信仰して敬ってくれてんのに、そんな酷いことせんよ。そういう風に伝わってたやろ?」
「…はい。…でも、諒くんは…」

「…? あぁ、なるほど。…気にせんでええから、連れておいでな」
「…! はい、ありがとうございます!」

どうやら狐は、すでにこちらの複雑な事情を知っているらしかった。…しかし、本当のことを知っているならなぜ姉にそう明かさないのだろう? 陰陽師との諍いについては遠い昔のことだから、本当にもうどうでもいいと思っているのだろうか?
まぁ、その辺りはよくわからないが、とにかく狐はこちらに話を合わせるつもりらしい。

「じゃあ、もう遅いから、帰りなさい。…久しぶりに顔合わせて喋れて、楽しかったわ」
「はい。こちらこそ、ありがとうございます。 …!?」

姉が頷くと、狐の姿はすぐに消えてしまった…。
ん?「もう遅いから」とはどういうことだ…? 一瞬怪訝に思ったが、空を見るとその理由が分かった。

もうすぐ、日が暮れる時間だ。空が赤くなっていることからそれが分かった。
…おかしい。俺たちはまだ日が高いうちからここに来て、狐とほんの二言三言、言葉を交わしただけだ。それなのに、数時間経ったというのか…!?

これは、あれか。「化かされた」というやつか。
これには姉も流石に驚いたらしく、開いた口が塞がらない、といった様子だった。

しかし一応2人でここにきたのに、この有様とは…。
もし姉をひとりでここに行かせていたら、一体どうなっていたのだろう…。

当然ながらこんなにも“長居”するつもりはなかったので、俺たちは慌てて帰った。そして、家に入る数十メートル前から、俺はあることに気付いた。
…俺、姉さんのいる逆方向から帰らないと、マズいことになる!

かくして俺は早足で家の門を通りすぎ、更に角まで歩いた。そして面を外し…。
…面を外そうとしたが、狐を警戒している時にきつく締めたからか、なかなか外れない…。数分格闘した後、どうにか面を外すことができた。

そして俺は何食わぬ顔をして帰宅した。…しかしこの面、手に持つには邪魔だな…。
手に持つのが煩わしい間は常に頭につけておいて、ずらすくらいにするといいのかもしれない。…今度からはそうするか。

玄関の戸を開けると、ちょうど帰宅して靴を脱ぐ姉と鉢合わせになった。
「あれ? 姉さん、今帰ったのか。遅かったんだな」
「…うん、それがね…」

「おお、二人とも帰ったか。お帰り」
「父さん…。只今帰りました」
「只今帰りました」

しまった、同時に帰宅してしまった…。もう少し早く気付いて帰宅していればよかった。面を外すのに思いの外時間がかかってしまったのがマズかったようだ。
ほぼ同時に帰宅した俺たちを見て父は一瞬疑いの目を向けたが、姉の様子からしてどうやら本当に別行動だったらしいと判断したからか、笑顔に戻って続けた。

「二人とも、無事で何よりだ。…宵夢は、遅かったね」
「はい、それがその…。」

どう説明したものかと戸惑い黙りこむ姉。…俺は一緒に行っていないことになっているので、説明は出来ない…。
そんな姉と俺を余所に、父は納得した顔をして言った。

「ふむ、やはり化かされたか。…あのお狐様は、初対面の者を化かすのがお気に入りのようだから、きっと遅くなるだろうと思って、母さんにもそう伝えておいたよ。」
「あ、ありがとうございます…」
「父さんも、昔化かされたことが…あ、えっと」

「うん?」
「…父さんも、昔化かされたことが、…あるの?」

…質問の途中で「フランクに」という言葉を思い出し、試しに少し砕けた口調で質問をしてみる。
それを聞いて父は、にこ、と笑い、続けた。…気に障ることはなかったようだ。

「そうだねぇ…ある、といえばあるし、ない、といえばないけれど」
「…?」

「少なくとも私の代の者たちはね、恐らく、直接お目にかかったことはないんだ。」
「…!」
「え? そうなんですか?」

たまらず、姉が尋ねる。――驚きのあまり…だろうが、敬語で。
思わぬ告白に、俺も姉も驚いた。…いや、俺は実際には行ったことになっていないのだから、あまり表情に出してはまずいので、努めてポーカーフェイスだが。

「姉さんには、お狐さまの姿は見えたの?」
「うん…。」

「私と千鶴が直接お社まで行っても、私達の力が足りないせいか、お姿まで拝することはできなくてね。調子がよくてもお声だけがかろうじて聞こえる程度だったかな」
「……そうだったん、だ…」

千鶴、というのは母の名前だ。…ちなみに、母の旧姓は「八城(ヤギ)」で、「嫁いでから名前の画数が多くなって…」とたまに冗談交じりに愚痴をこぼしている。
父はというと、それを聞いて苦笑しているだけだ。父は「亭主関白だよ」と言い張っているが、俺達から見るとどうもそういう風には見えない。…まぁ、そんなこと口に出して言えないけどな。

「…とにかく、それだけで言葉を交わすには不確かだと思われたからなのか、お参りをした日の夜にはお狐様が直々に夢に現れてくださって、それで私達はお言葉を賜っていたけれどね。だから、御姿を拝することのできる宵夢が少し羨ましいよ」
「……。」

何となく申し訳なさそうな顔をする姉。…力の有無は選べるものじゃないから、仕方ないと思うが…。
父もそう思っているのか、気にするな、と姉に苦笑を向け、続ける。

「それで、お狐様は何と仰っていたのかな? 夕飯の時間まではまだ少し時間があるようだから、それまで話を聞こう。…興味があるなら、諒もおいで」
「あ、じゃ、俺も行くよ。…いいよね、姉さん?」
「うん、構わないよ。」

…どこから話せばいいんだろう、とこぼす姉と共に、俺達は客室に向かった。

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