父に促されるまま客室に入り、各々が座ると同時に父は少し楽しそうに姉に尋ねた。
「…それで、お狐様というくらいだから、やはり狐の姿をお現しになったのか? それとも、人の姿を模しておられたのかな?」
「えぇと…私が見た様子では、人の姿を模しておられました。それで…」
「…それで?」
「赤い着物をお召しになっておられて、綺麗な黒髪の…。少し、ウェーブがかかっていて…」
「…姉さん、それはいいからどういう話をしたのかとか、聞かせてよ。」
「……………。」
…父はどちらかというとどんな話をしたのかということを聞きたがるかと思っていたが、意外にも俺が話を遮ると少し残念そうな顔をした。
………まぁ、無理もないか。とりあえず俺は、そのまま続けて、と姉を促すことにした。
「ああいや、続けて。ごめん。」
「…それで、黒髪だといっていたけれど、御髪は長かったのかい?」
「あ、…えぇと、長い御髪ではなくて、短かったです。」
「ほう、そうだったのか…。そうだ、それで、どういったお話をしたのかな?」
「…。」
…俺、黙って聞いてた方がいいかな。父さん、すごく楽しそうに聞いてるし…。
「お社に行ってお参りをしたら、奥の森からお姿を現されて…。良く来たな、と迎えてくださったのでご挨拶をして、…ええと、それから…」
「うん。」
「今度は、諒くんも連れてくるといい、と仰ってました。」
「! …。ほう…。」
「え、俺?」――わざと驚いた風を装う。
「あ、でも、悪いようにはしないから、と。…信仰してくれているのに、酷いことはできないから、だそうです」
「ふむ………。どうしたものかな。」
「…。」
「…諒。分かっているだろうけど、私としては反対したい。…けれど、お狐様が…宵夢の前とはいえ、直々に現れてそう仰っているのなら、表立って反対もできないねぇ」
「…。」――俺は、努めて神妙な面持ちをする。
「こうなったら、諒自身の気持ちを尊重するしかないね。…どうだい? お狐様に会ってみたいかい?」
「………。…はい。本当は俺がご挨拶に伺うべきなので。」 というか、既に会ってるし。
「ふむ、やはりそうか。…それなら、行っておいで、としか言えないね。」
「………。」――姉は、やはり心配そうな表情を浮かべている。
…既に何の心配も要らない事について、余計な心配をかけてしまっているのでいささか心苦しい。
が、どうやら、これでやっと堂々とお社に行ける事になりそうだ。
「…ありがとうございます。」
「…今度から、くれぐれも気をつけて行っておいで。…宵夢、諒を頼んだぞ」
「あ、はい。勿論です」
「…よろしくね、姉さん」
「うん。任せておいて。」
どうやら何かを決心したようだ。
…俺としては、その決心が必要ないことを祈るばかりだ。
「…あなた。夕飯の支度が整いましたよ」
「あ、ああ。分かった」
――母だ。どうやら夕飯の時間らしい。
そういえば、今日はこれといって家の手伝いができなかったな…。
「母さん。何か手伝おうか?」
「ああ、諒。良いのよ、気にしなくても。」
「私も手伝います」
「宵夢まで…。…そうね…じゃあ、食器の片付けとお風呂のお掃除、お願いできる?」
「はい。」
「分かりました」
「…ふむ。では、夕飯に向かうとしようか。」
――そう言った父の表情は、いまひとつ解れていなかった。