第八話 (よすが)

-drogar-

不意に森がひらけた。
そこにあったのは巨大な岩である。

──凄い……
思わず感嘆を漏らしそうになった。いったい何が起きるとこのような巨石が、よりによって山の頂に鎮座するのであろう?
空恐ろしいなにかが身の内から湧き上がってくる。思わず身震いをすると、くぐもった笑い声が小さく耳に届いた。

磐座(いわくら)。…神の依代(よりしろ)です。──さて」
呆気にとられた俺のようすがよほど可笑しかったのか、苦みを含んだ笑みを浮かべたまま、白雨が言った。
「世話になりましたね。──もう声を出しても宜しいですよ、柾殿」

なぜ、と思う間もなく白雨が告げる。
「此方の願いは山の頂まで導いていただく事。…貴方の呪いは解けました。何処へなりとお行きなさい」

「そんな──」
何やら口を挟もうとした葵を遮り、白雨がぽつりと呟いた。
「…来た」
葵はその言葉に目をむき、さっと後ろを振り返る。同様に、俺も背後に目を凝らした。

なにかがちらりと揺れた。よくよく目を凝らすと、それは松明の灯りのようでもあった。
──そうか、追手か。

「柾はん、行きなはれ。早う」
どうやら焦る暇もないらしかった。瑠璃が先を促す。しかし…と反論をする間もなく、白雨の言葉が俺の背を押した。
「…いいかい、何があっても振り向いてはいけない。何を聞いても戻ってはいけない」

白雨はさらに続けた。
「瑠璃、君も行きなさい」
「え──」

傍らの女は、まさか自分まで逃げろと言われるなど露ほども思っていなかったのだろう。無論、それは俺も同様である。不意に立ち込めた暗雲に、口を挟む間もなかった。
「…何でやの。うちかてあんさんと一緒に、」

「君に何かあってはいけない。それに──君が守るべきものは、私ではないだろう」
小さく笑ったまま紡がれた言葉に、瑠璃ははっと息を呑んだ。わずかに迷うそぶりを見せたが、結局は俺の方へ足を向けた。

「ほな──また、あとで」
口惜しそうに女は告げた。白雨は最後まで笑みを崩さなかった。
「ああ──また、いずれ」

***

遠くで雷が轟いた。
一雨来るかもしれないと思ったのも束の間、近づいてきた男は、自らの式神(しき)に持たせた松明の灯りすらかき消さんばかりの陰を伴い、其処からぬうと姿を現した。

「銀翅」
声の主は、重々しく名を呼んだ。この男は普段から(いかめ)しい表情だが、今ばかりはいつにも増して険しい表情である。私がしたことを思えば、それも当然のことであろう。

「これは玄鋼様、お久しゅうございます。お変わりないようで何より──」
「此処で何をしていた。よもや、逃げ出そうというのではあるまいな」

「貴方こそ、何故このような処へ? 本家でのおつとめは宜しいのですか」
「…貴様、あの薬師をしばらく山に留め置いていただろう」
誤魔化しは無用だと、兄はこちらに詰め寄った。

「薬師…、はて、何のことでしょう」
「あの男には式をつけてある。惚けたとて無駄よ」
私の煮え切らない態度にしびれを切らしたように、兄はさらに歩を進めた。私はしたりとほくそ笑む。──そして動いた。
不用意に無防備に、愚かにも私に近づいた兄を、無数の矢が貫く。

「…まさか私が大人しく貴方に従うとでも……?」
矢を射った葵をちらと見遣る。丹塗りの弓を凛と構え、勇ましくも兄を()めつけていた。

驚いたのであろう兄は、それでも眼だけで辺りを見回し、そして威圧した。兄の式神が持っていたはずの松明が、矢で砕かれて地に落ちていた。
──山は私の領分である。当然のことながら、そこら中に式神を伏してあった。今更その事に気付いたのであれば、あまりにも遅すぎる。あの家の、当主ともあろうものが。

ごう、と矢が燃え上がる。
そのせいで、兄が呟いた言葉がうまく聞き取れなかった。

刹那、ぐにゃりと兄の姿が歪んだ。
「手ぬるいわ!!」
──言うが早いか、いつの間にか(くび)を掴まれている。兄に刺さっていたはずの矢も、それと時を同じくしてかき消えていた。

「来い。仕置(しおき)をせねばならん」
仕置。──その言葉だけで背筋が凍る。しかし、それを拒むだけの力はもう、
…そうか。もう兄にすら抗えぬほど、私は弱っているのか。

──許せ、十六夜。
胸の内で乞い、祈るように空を──消えかかった月を見上げる。

かっと力が弾け、辺りは火の海になった。
遠雷を呼び込みそれすら己の力とした。──そうせざるを得なかった。

木々は燃え、大地が焦げた。

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