第七話 憚り

-drogar-

葵を起こしに行くと、彼の部屋には旅の支度が整っていた。まるで予め知っていたかのようである。
わけを尋ねると「白雨さまは、すぐにでも出たがっておりましたから」と少しばかり得意気な表情で言うのだった。

傍らの女も同様である。
「ほな、お天道さんに見つからんうちに行きまひょか」
女──瑠璃はそう言うと、支度を負うてくすくすと笑った。すると、心なしか白雨の表情も穏やかになっているのだった。

やはり、ふたりは夫婦(めおと)なのであろう。もしかすると、葵はふたりの息子なのかもしれない。
行きずりの俺には関わりのないことだったが、もしもそうなら…と考えると、しみじみと心が安らいだ。──ああ。少なくとも今の白雨は、孤独ではないのだな……。

屋敷を出るところで白雨に肩を貸そうとしたが、手助けは不要と断られた。意地を張るなと食い下がったが、何でも、追手が来たときに見られては困ることがあるらしい。
確かに、本来であれば俺はとうにこの村を離れているはずの身だ。そんな俺が山に留まっていたことが知られれば、何か良からぬことを企んでいるのかと邪推されるかもしれない。

白雨の考えは尤もだ。しかし、彼が手を借りられる連れは、俺を除けば女ひとり、子供ひとりである。それではいかんせん心許(こころもと)ない。
それに、道を急ごうというのなら、俺が手を貸した方が早い。──そう伝えると、白雨の双眸がわずかに光を帯びた。

「──已むを得ませんね」
呆れたように呟いた白雨を、葵が驚いたように見上げた。
「白雨様!」

「…この程度、どうという事は無いさ」
白雨はそう言って小さく笑ったが、端で見ている俺には何のことだかさっぱり解らない。怪訝な顔を向けると、白雨は苦笑を収めて闇の向こうを見つめた。
「進みましょう。──じきに夜が明ける」

一歩、外に足を踏み出した。
ここから先、俺は声を立ててはいけないのだ。まじないの類いを信じていないはずの俺だったが、不思議と緊張は拭えなかった。


木々の隙間から差し込み始めた光に目を細め、頂へと目を向けた。
「もう一息です、白雨様」
「ああ──」
葵の言葉にそう答えた傍らの男は息も絶え絶えの様子である。少し休みませんかと勧めても彼が応と言わないので、一同は皆不安げに彼を見遣るばかりであった。

「白雨はん、うちしんどいさかい、そろそろ休みたいわ」
いよいよ見兼ねた様子の瑠璃がそう言った。
「おれも喉が渇きました……」
間髪入れずに葵が追従した。小さく頷き傍らの白雨を見やる。ぜいぜいと息を切らし、それでも行く先を見つめ、こちらを見ようともしない。

──白雨殿、無理はいけませんよ
声を出すなと言われた手前、どうにか口だけを動かしそう伝える。これだけで伝わるものだろうかと不安に思いはしたが、白雨はしばしこちらを見つめ、諦めたように頷いた。

「そう……ですね──」
随分と意志の固い…と思ったのも束の間、どうやらこちらの意思に彼は観念したらしい。
傍にあった切株にひとまず彼を腰掛けさせ、少しでも楽になればと背をさする。

──これが薬師か。情けない……
苦しむ者を前にして何もできない己を恥じている間に、瑠璃が休む支度を整え、葵が水を差し出した。

「白雨様。──柾様も」
恭しくも見えるその仕草によけいに情けなくなったが、今はそんなことを考えている場合ではない。
ありがとう──と仕草で礼を伝え注がれた水を飲み干し、白雨の呼吸が整うのを静かに待つ。

先ほどから、幾分か空が白んできている。
もしかすると既に夜明けを迎えているかもしれないが、鬱蒼とした木々で覆われた森にはわずかな光しか届かない。

松明は持っていない。麓の者にことを悟られては困るからである。
そのせいで白雨の顔色を窺い知ることすら困難を極める。しかしながら、彼の喘鳴から察するに無理を強いていることは明白であった。

「時が惜しい。…進みましょう」
荒い息が落ち着いて、そう間もないのに白雨は言った。
葵がすぐさま無茶ですとか何とか言っていたが、白雨は頑として行くと言い張り、結局は葵が折れた。

葵もなかなかではあるが、白雨は実に頑固である。一度こうと決めたら梃子(てこ)でも動かないだろう。──つまり、彼が先ほどこちらの言葉に折れたのは、彼自身の限界がよほど近かったからに違いないのだ。
そこまで無理を重ねても“遊山”とやらに行きたいのだから、彼の持つ外への憧れが空恐ろしくもあった。

──此処も外も、大して違いなどないのに。

そう思いはしたが、それを口にするのはあまりにもむごい、と押しとどまった。尤も、まじないとやらのせいで言うことなどできはしなかったのだが…。

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