「ごめんね、チフユ、待った?」

微かに息切れして待ち合わせ場所に少し遅れた彼女は乱れた髪を耳に掛けながら私に謝った。
私自身も今来たところなので大丈夫だよ、そう口にすると紅は良かったと安心したように笑った。

ーーあれから私達は何回か食事をしたり買い物にも一緒に行くようになった。最初は慣れなかった下の名を呼ぶのもいつの間にか自然に呼べるようになり、初めて友と呼べる存在になっていた。

「あと二人は現地集合だから先に行って待ってましょう」

今日の紅との約束は私に会って欲しい人がいるらしく、近くの居酒屋で集まる事になっていた。紅の言い振りだとあと二人は後から来るらしい。てっきり一人だけだと思っていた私は急に緊張感が増して落ち着かなくなる。

「大丈夫よ。二人とも話しやすい人達だから」

私の気持ちを察してか紅は心配ないと口にする。紅と仲良くなれただけ奇跡だと思っているのに他の二人とも果たして仲良くなれるのだろうか。自分の気持ちとは反対に賑やかな店内を見渡して、私は一つ嘆息を漏らした。

「よお、お待たせ」

低く重みがある声が頭上から降り注がれた。見上げると髭を生やした大柄の男性がこちらを見てにっと笑っている。

「もう、遅いわよ」
「すまん、任務が長引いちまって」

怒りながらも男性に対してなんとなく柔らかい雰囲気の紅はいつも見ている彼女とは少しだけ違って見えた。紅の知り合いと言うと忍だとは思っていたが、やはり男性の額当てを見る限り忍だと確信する。

「紹介するわ、私の同僚の猿飛アスマよ」

紅に紹介された猿飛アスマさんはよろしくなとさっきよりも大きく笑って私に挨拶をした。
私も名前言わなくちゃ、そう思い、慌てて口を開く。

「私は、「えんどうチフユだよな。紅から毎日のように話聞いてるよ。今日はチフユとここ行ったーとかチフユとこんなこと話したーとか、とにかくチフユチフユって嬉しそうにいつも俺に話してくるよ」
「ちょっと、アスマ」

慌てて猿飛さんの口を手で塞ごうとする紅の頬は少しだけ赤い。そうなのか、紅は猿飛さんに私の事をたくさん話しているのか。紅も私の事友達と思ってくれているのかな。そう思うとなんとなく嬉しくて恥ずかしくて。私は照れているのを隠すようにメニュー表を開いて何を注文するか猿飛さんに尋ねようとした。

「猿飛さんは、」
「アスマでいいよ」

名字で呼ばれるとかったるい。猿飛さんは名字で呼ばれる事に対してよほど不満なのか、しかめっ面をしていた。
そう言われても初対面で名前を呼ぶのも気が引けるのにその上、呼び捨てで呼ぶなんて私にとってはもってのほかだ。助けを求めるように紅を見れば彼女はゆっくり頷いて笑う。

「いいのよ。呼び捨てで。さん付けなんてアスマにはもったいない」
「もったいないって、ひでーな」

紅に言われ大袈裟にわざと肩を落とすような仕草をする猿飛さんに思わず笑ってしまった。本当にいいのだろうか。不安だったが、二人の気遣いに甘えて私は呼び捨てで呼ぶ事にした。

「えっと、アスマ、はどの飲み物にしますか?」
「俺はとりあえずビールで」

恐る恐る呼び捨てで呼んでみたが、アスマは気にする素振りもなく一通りメニュー表に目を通した後、ドリンクメニューの一番はじめに書かれてあったビールを頼んだ。
紅にも何を飲むか問うと紅は待って、と私を制した。

「まだカカシが来てないわ」

ーーえ。カカシという名を聞いてビクリと心臓が跳ね上がる。カカシってあのカカシ?
カカシといっても、もしかしたら私の知っている別のカカシだと考えるが、この個性的な名前はそうそういないだろう。

「アイツいつも遅れてくるから、先に飲んでて構わねぇんじゃねぇの」
「そういう訳にもいかないわよ」

悪態を吐くアスマに紅は呆れて窘めた。
どうしよう、今はたけさんに会ったら絶対に気まずい。かといって、突然に帰るって言っても紅達に迷惑掛けちゃうし、どうしよう。冷や汗が背中に流れる感じがした。

「ちょっと、チフユ。どうしたの?顔色悪いわよ?「遅いじゃねえか、カカシ」

紅の言葉を遮って、アスマの声が響いた。入り口の引き戸の音がすると同時にこちらの様子を伺っている人影が見える。

ーーはたけさんだ。

はたけさんは驚いた様子で目を見開いてしばらくそこに突っ立っていた。見兼ねたアスマが早く来いと大きな声を上げて急かす。
はたけさんは渋々と言った感じでようやく私達の席まで歩いてきた。
向かいの席に座ったはたけさんと必然的に目が合う。私は気まずくなり、思わず目を逸らしてしまった。

「あら?二人とも知り合いなの?」

なんとなく私とはたけさんの間にある不穏な空気を勘が良い紅は察したのか、はたけさんに問いかけた。私は俯いて膝の上に置いた握り拳に力を込めた。じわり、手汗が滲み出て来て今すぐにでも帰りたくなる。

「…オレの部屋のお隣さん」

ポツリ、呟くように漏らしたはたけさんの言葉を聞き逃す事なく紅とアスマは驚嘆の声を上げた。そうなの?紅は驚きを隠せない様子で私に問うた。私はそれに小さく頷く。

「でも、オレ嫌われてるからね。そもそも人として見られてないらしいし」

はたけさんは私の顔を見ることなく冷たくそう言い放った。その言葉に心当たりがある私は慌てて否定しようと口を開く。違う、違うんだ。本当は私が勝手にはたけさんと父を重ねてしまっただけで、それで、

「…っ、」

息が詰まったみたいに声が上手く出て来なかった。ただ違うと言えば良いだけなのに。簡単な事なのに。それが言えない。
だって、浮気なんてしている最低で汚い人間が私の父親だという事が知られてしまうから。
せっかく仲良くなれた紅やアスマにそんな事を知られて軽蔑されるのが怖かった。

「チフユ?」
「ごめんなさい。…ちょっと用事がある事を思い出しちゃって。今日は帰るね」

心配そうに私を見る紅の目を見る事が出来なくてもう一度、ごめんねと謝って席を立った。店を出ようとすると、遠くで紅が私の名を呼んでいたが気付かない振りをしてしまった。

ごめんなさい。

居酒屋を出て覚束ない足で歩いているとふと店の窓ガラスに映る自分と目が合った。
そこには情けない程に眉を下げて今にも泣きそうな酷い顔があった。

ーーなんて顔してるんだ、私。

せっかく仲良くなれたのに。初めて出来た友達だったのに。そう思うと悔しくて更に涙が溢れそうだった。泣くんじゃない、そう言い聞かせて自分を叱責する。

ごめん。ごめん。ごめん。

心の中で何回もそこにはいない誰かに謝った。

ーーやっぱり私は一人で生きていくべき人間なんだ。だったらもっと強くならなくては。ぐっと涙を堪えて空を仰いだ。

見上げた夜の暗い空は星一つ見えなかった。


曇天の夜空





×
「#エロ」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -